38.伯爵夫人の釈明①
クリミナのお話です。
あたしは貴族と言うのも憚られるほど貧乏な男爵家の長女なの。
使用人など雇えない我が家で、下の弟妹の面倒を見るのはあたしの役目。
当然、習い事どころか、淑女教育を受けさせてもらう余裕なんかどこにも無かったわ。
あたしに用意されている未来なんて、人知れず朽ちていくか、好色な貴族の愛人になるか、金持ち庶民に売られるように嫁ぐか、そうでなければ、どこかの貴族の屋敷に奉公へ出るか…いずれにせよろくなものではないはずと思いながら、毎日忙しく過ごしていたの。
年齢が二桁になるころにはすでに、夢や希望を持つことをあきらめていたわね。
父は要領が悪い人で…母はそんな父を叱咤しながら、それでも見放せないと毎日愚痴を言って暮らしていたわ。
幼心に母の実家に帰った方が、マシな暮らしができるのに…と思ったこともあったけれど、離婚という話はついに一度も出なかった。
毎日喧嘩ばかりだったけれど、案外仲の良い夫婦だったのかもしれないわね。
15歳になったある日、父があたしを城の舞踏会に連れて行くと言いだした。
「行儀見習いの面接か何かではなくて?」
普段着に毛が生えた程度のドレスに身を包んで、不安たっぷりでそう聞いたのを覚えているわ。
後から分かったことだけれど、淑女教育もまともに受けていないあたしには、城の行儀見習いなんて高嶺の花。よくて侍女、妥当な線だと下働きの下女としてしか働けないレベルね。
そんなこと知らない私は、とうとう口減らしの様に奉公に出されるのかと悲しくて情けない気分に浸っていたわ。
父に宥めすかされて、舞踏会に連れて行かれて、まず思ったのは場違い。
次いで恥ずかしい。
その次は消えたい。
あまりにも煌びやかな世界に気後れしたわね。
華やかな貴族令嬢達と自分を見比べて本気で父の首を絞めたくなったわ。
あたしにとってのドレスは彼女達にとっては作業着と思えるほど、その差は歴然としていたから。
しかし、そこで思わぬ事が起こった。
王子様に別室へと呼ばれたのよ。
一瞬、不遇の環境で育った少女が王子様に見初められて美しい姫になる物語が頭によぎったの。
夢を見られる自分にびっくりし、呆れたわ。
案の定、王子様に呼ばれたと言っても通された部屋で待っていたのは側近の一人だった。
そこで彼に持ちかけられたのは、後宮に入らないかという話よ。
王子様に気に入られた訳ではないのよ。
後宮のガス抜きの役目を担ってくれる令嬢を探しているのだと言う話しだったわ。
「つまり、後宮で憎まれ役になれと?」
「そうですね。」
「なぜそのような…。」「今、後宮には今までにないほどの数のご令嬢がひしめいています。しかし、殿下はあまり後宮を治めるということに意識が向いておられないのです。今隣国の動きがきな臭く…この情勢の時に後宮の不満が殿下に向かって内乱状態になるのは避けたい。その為、ご令嬢方の不満の矛先を向けられる人間を作りたいのです。」
はっきりしたもの言いにあたしは返って清々しく思ったわ。
「それで、その報酬は?」
話を前に進めようとしたあたしを父が声を荒げて遮りました。
「何を今更、ご存じだったのでしょう?」
「バカなことを、私は娘をぜひ後宮に…と言われて殿下のお召があったのだと思って…。」父の様子にあたしはすっかり呆れてしまったわ。
きっとまた、人の言葉をそのまま受け止め、裏の意味とか含みとかを理解しないままあたしをここに連れてきたのでしょう。
よく貴族としてここまで生き残ってこれたものだわ。
「そのような扱いならば、後宮に入ることはない。」
そういって部屋を出ようとする父を止めたのはあたし。
「父様。我が家はこの冬を越えるための食糧も無いのですよ。」
そう、我が家はとうとう食うにも困る有様になってしまったのよ。
弟達が食べ盛りを迎えているのに。
「それは何とか金策を…」「家にお金を貸してくれる方なんてもういませんわ。」父はグッと言葉をつまらせ俯いてしまったわ。
「御給金のようなものも、出して頂けるのでしょう?」
わたしの問いかけに目の前の王子の側近ははっきりと頷いた。
「お嬢様の後宮での生活については城が全て負担します。装飾品なども必要な物は申請頂ければ、こちらで用意致します。」
その他にも迷惑料として、毎月一定額のお小遣いが払われると言う。
「実家では、あたしも大事な働き手なんですけれども?」
あたしがそういうと、贅沢しなければ家族が5年程は食べていけそうな額が提示された。
それをちゃっかり8年分程に吊り上げて話はまとまった。
「あたしなんかが高貴なお嬢様にちょっかいかけて回って、手打ちにあったりしないかしら?」
最後に半分冗談のつもりで側近に声をかけると、彼は少し考えるそぶりをした。
「殿下の寵姫という振りをしましょうか。」
「殿下のお褥に侍れということ?」
あたしははじめてとても硬い声を出して、うなるように尋ねたわ。
好きでもない男に抱かれるなんて……ましてや相手もあたしを欲してなどいないのに。
「いえ、そのふりだけで結構です。何日か殿下と共に夜を過ごして頂きますが、殿下のお手付きにはならないように手配します。」
その言葉にほっとして、あたしは小さくうなずいて空気を軽くしたわ。
暴れだしそうな父を連れて家に戻ると、母にも大反対されたっけ。
けれども、あたしは逆に覚悟を決められた。
愛する家族を飢えさせる訳にもいかない、とね。
お金をもてばだまし取られる父でなくて、母に8年分の食費を託して、あたしは身一つで後宮に向かったの。
殿下は数回あたしの部屋に泊まっていったけれども、指一本触れなかったわ。
だけれど、それだけで面白いようにあたしの後宮での地位は高まった。
それを利用して、あちこちで喧嘩を吹っかけて歩く。
人に嫌われるのだもの、楽しくなんて無かったわ。城の経費で作ってもらった最新のドレスで廊下を歩き、おいしい物をたくさん食べ、あたしの貧弱だった体はどんどん成長していったけれども、心の中は空っぽになっていくようだった。
実家の暮らしには確かに愛が有ったことと、愛のある生活がどれほど貴重な物かを、あたしが本当の意味で理解したのはこの時よ。
けれども、お腹を空かした弟達の為に、あたしは実家に帰るなんてできなかった。
ま、表向き殿下のお手付きがあったということになっているので、そうそう実家に帰れたりはしないのだけれど。
レイチェルとは後宮に入って直ぐに出会ったわ。彼女もあまりに評判良くなかったから、もしや…とは思ってたのよ。それで、ちょっとかまをかけてみたら、彼女も案の定裏でガス抜きを頼まれていたわ。
彼女はあたしと違って、後宮に入ってからその役目を与えられたらしいわよ。
それからは、2人で協力して、「意地悪な二人組」として後宮の憎まれ役を演じることにした。
2人だと出来る意地悪が増えるからね。
それに、仲間がいると救われるのよ。




