33.まずは何をしましょうか。
気付いた時には馬車にゆられていた。
どうやら、荷馬車の荷台に転がされているようだ。
荷台に屋根を着けて布をかぶせたタイプの荷馬車で、荷台と黒い布の隙間から光が漏れるが、見えるのは地面ばかりだ。
手足はきつく縛られて、口にも猿轡をはめられている。
目隠しはされてないけれど、窓なんかは当然無く、周囲を伺う事はできない。
辺りに人の気配が無いことから、王都は既に出てしまっているのかも知れない。
体には特に違和感が無い。
少しだるいのは先程かがされた薬のせいだと思われるがその位だった。
私は直ぐに荷台に耳を擦り着けてイヤリングを外すと馬車の外へ落とした。
後ろで結ばれた手でも馬車に引っ掛ける事無く地面に落とす事ができた。
どんな些細な事でも出来る事をしなければならない。
イヤリングが発見される可能性など限りなく0に近いが、私の耳に着けておくよりも可能性は上がる。
アデルはきっと私を探してくれるから、少しでも道しるべになる物を残さなければ。
もう片方のイヤリングも同じように外すと、今度は手の中に握り込んでおく。
隙を見て落とさなくてはならない。
まず、浮かんでくるのが恐怖や怒りでない辺り、私も相当腹が据わっている。
アデルとナタリーには後で謝ろう。
生きて帰ればきっと何でも許してくれる。
馬車の中はがらんとしていて他には何も出来る事が無かった。
ガタガタと振動が不快だが、神経を尖らせているせいか酔ったりはしない。
やる事が無いと余計な事ばかり考えた。
これからどうなるのかと思いを巡らせると悪い方にしか考えられない。
どうしてこうなったかと考えてもろくな理由は浮かんで来なかった。
リシャーナの顔が頭をよぎる。
昔と一つも変わらない様に見えていたけれど、どこかで彼女に憎まれるような事をしたのだろうか?
それとも最初からなのだろうか?
考える事は彼女はいつから私を憎んでいたのだろうと、そればかりだった。
そう。
最後に見た彼女の顔には憎しみの色がありありと浮かんでいた。
どれだけ思い返してみても、私には正解は導きだせない。
そうこうしているうちに馬車が止まった。
ハッとして身構えていると荷台の幕が持ち上げられ、眩しさに目がくらむ。
あっという間に白い袋をかぶせられ、担ぎ上げられる。
抵抗らしい抵抗も出来ずに今度は馬に乗せられたようだ。
残念ながら、もう片方のイヤリングを落とす事も出来なかった。
恐ろしい早さで走っているのがわかる。
手足を縛られたままなので跨る事もしがみつく事も出来ない。
私の体重や抵抗などものともしない硬い体に横抱きにされていた。
見知らぬ男に身をゆだねている状況が腹立たしいが、割と丁寧に扱われている事は分かった。
その様子に直ぐに殺される事は無いかも知れないと思えて少し明るい気分になった。
殺すのならば薬を嗅がされたあの時に殺されてたのだからと考えて3倍くらい落ち込んだが…。
後宮に居るときは悪意や殺意と隣り合わせで生活していたが、下賜されてもう命の危機は無いだろうと思っていたのに。
甘かったのだ。
後宮は貴族社会の縮図でしか無いのだから。
走りはじめてからどのくらいたったのだろう。
既におしりの感覚は無い。
恐ろしいほどのスピードは変わらないが、猿轡のおかげで舌を噛む心配は無い。
それでも男のさじ加減でいつでも落馬出来るこの状況に慣れることは無い。
袋越しにも辺りが暗くなってきたと感じはじめた頃、ようやく揺れが止まって馬から下ろされた。
袋をとられると、木々の間から夕暮れと夜の間の様な紫色の空が見えた。
どこか、森の奥深くの様だった。
私をこんな所に連れて来た男は黒目で茶髪のこれといって特徴の無い平坦な顔をしていた。
美形と言える程整ってはおらず、不細工と言うほど崩れてもいない。
彼の特徴を覚えようとして無駄だとあきらめる。
無いのだ。
特徴が一つも。
きっとプロなのだ。
彼は私の猿轡を取ると、手足の拘束もとってくれる。
どうするつもりなのだろう?
「ここはどこ?」
「……。」
「あなたは誰?」
「……。」
自由になった口で尋ねるが、当然答えてもらえない。
「私を殺すの?」
すると男は小さく
「いや。」
と答えた。
「犯すの?」
続けてそう尋ねると、男は不思議そうにこちらを見た。
「怖くないのか?」
「怖いわ。」
私は男の目を見たまま答える。
「泣き喚くのだと思っていた。」
「喚いても助けてはくれないでしょう。だから、尋ねているのよ。」
ワタシの言葉を聞いて面白いオモチャを見つけた様に男が笑う。
「犯しもしない。」
「では、どうするの?」
「ここへ置き去りにして行くのが雇い主の要望だ。」
「そう。」
それを聞いて安心した。
今殺され無いことも、慰み者にならずに済むことも、この状況から言えばとっても運がいい。
私が描いていた「最悪」では無い。
少し希望が見えて辺りを見回していると、その様子を眺めていた男が思わずといった風につぶやいた。
「俺の物になるなら、助けてやろうか。」
「どういう意味?」
「俺の女になるなら、この森からねぐらへ連れて帰ってやる。」
「それでは契約違反なのでなくて?」
「確かめるすべはない。」
そう言った男の顔に苦い物が浮かんで、彼は好き好んでこんな仕事をしている訳では無いのかもしれないと思った。
彼は最初から私に同情的だったし。
「ならないと言ったら?」
「契約通りにするだけだ。」
私はそれを聞いてにっこりと微笑む。
「私はあなたの女にはならないわ。」
私の言葉に彼は目を見張った。
「死ぬぞ?」
「あなたは殺さないのでしょう。」
「この森は深い。獣も賊も居る。女一人で生きては帰れない。」
男の目が鋭く光った。
決して脅しではないのだろう。
「それでも、私に選択権があるのなら、私は夫を裏切らない。」
私の答えは変わらない。
生きているだけでも、アデルの元に帰るだけでもだめなのだ。
私は生きてアデルの元に帰るのだ。
「好きにしろ。」
吐き捨てるかのように言うと男は馬に跨った。
「雇い主はあんたをこの森の奥に捨てて来いと要求した。私は要求された以上の事はしない。」
「そう。助かった。ありがとう。」
私の言葉に彼は面食らっている。
調子が狂うのか頭をポリポリと掻いた。
「雇い主からの伝言だ。絶望のうちに獣にでも喰われて死んでしまえと。」
その言葉を鼻で笑って私は馬上の男を見据える。
「お金は払えないけど、気が向いたらリシャーナに伝えて。必ず生きて帰るから首を洗って待ってなさいって。」
男は小さくうなずくと馬の鼻先を返して走りだす。
むやみやたらと方向を変えながら走り去る様子に苦笑が漏れる。
「変な人に気に入られちゃったわね。」
私は男のメッセージをキチンと受け止めた。
男はわざと教えてくれたのだ。走り去る方向は目眩ましだと。
彼の背を追うと、いつまでたっても森から抜けられないのだろう。
仕事だから出口は教えられないが、目眩ましをしている事実は教えてくれたのだ。
妙な応援をもらって、最悪な状況に変わりは無いのに私は気分が軽くなる。
「さてと…。」
私は小さく気合を入れると、スカートをめくりはじめた。




