26.昔の事は水に流して。
私たちに気づいたマーガレットは笑顔を見せてこちらにやってきた。
隣の旦那様を急かす様子は少し甘えを含んで見えて、微笑ましい。
「マリエッタ、シンディー、久しぶりね。お元気だった?」
「久しぶり。見ての通り元気よ。」
「会えて嬉しいわ。」
「私もよ。紹介するわね。お、夫のサイラス・ターナーです。」
「初めまして。」
夫という言葉にまだ慣れないのか吃ってしまうマーガレットを余所に、隣に立つ逞しい体つきの中年男性は快活な笑みを浮かべながら挨拶をする。
体の大きさに比例するのか、声は大きくて良く通るバリトンだった。
私達も自己紹介を返すと、彼はマーガレットを残して場を離れた。
「ターナー男爵はとても大きな方ね。」
「そうね。威圧感たっぷりだけど、見た目ほど怖い人では無いのよ。」
そう言って片目を閉じるマーガレットはチャーミングだ。
が、いかんせん顔色が悪い。
「マーガレット、あなた顔色が悪いわよ?」
「あぁ、大したことないのよ。ちょっと、その、寝不足で。」
「…寝不足ね…。」
突然もじもじとしだした彼女に、私とマリエッタはその意味を理解してため息をついた。
「心配して損したわ。」
マリエッタの言葉が私の気持ちを正確に表している。
女3人で取り留めの無い話をしていると、見覚えのある顔の女性達と目が合う。
2人連れのその女性は元オールディス男爵令嬢と、元セイラー男爵令嬢だ。
…名前が思い出せない。
目が合ってしまったので会釈をすると、何故か彼女達は近づいて来て挨拶をする。
「ご、ごきげんよう。」
「皆様お久しぶりですわね。」
「ごきげんよう。」
「お久しぶりです。」
「クリミナ様、レイチェル様、お元気そうで何よりです。」
私達は型通りの淑女の礼をとる。
マーガレットのあいさつで彼女たちの名前を思い出せた。
クリミナ・オールディスとレイチェル・セイラー、後宮では彼女達とは極力関わらないようにしていたのだ。
彼女たちは行く先々で諍いを起こしていたから。
「ありがとう。」
「皆様もお元気でしたの?」
立ち去るだろうという予想に反して、クリミナ達は話を続けた。
後宮にいた頃よりも、心なしか態度が軟化しているように感じられた。
先入観を捨てるよう心がけながら、もう一度きちんと眺めてみた。
クリミナは後宮の中ではちきれんばかりにムチムチとした肉付きになっていたのに、この数か月で少しやせてスリムになっている。
入内したすぐの頃の華奢な姿に戻りつつあると言って良いだろう。
いつかの様な毒々しい赤では無く、ボルドーの様な深い色味のシックなドレスに身を包んでいる。
彼女の赤に近い茶色の髪にはこちらの色の方が似合う。
レイチェルは涼やかなレース編みで覆われた紺色のドレスを纏っている。
最近の流行では髪や目の色に合わせた色にすることが多いのだが、彼女はそうしていなかった。
でも、彼女の色素の薄い青い目と髪には紺色が良く映える。
彼女は薄い水色や桃色のドレスを好んで着ていた記憶があるので、もしかしたら旦那様の趣味なのかもしれない。
私たちは口々に当たり障りのない近況報告をする。
後宮にいた時には想像もしなかった穏やかな会話が続く。
「ターラント伯爵家と言えば、古くから続くお家ですものね。しきたりなど多いのでしょう?」
「そうね。少し古い所もあるけれど、そう悪いものでもないわ。今はただの貧乏伯爵家ですから、派手なことも無いし、毎日慎ましく暮らしているわ。」
彼女はいつの間に謙遜などという技を覚えたのだろうか?
以前ならば「あなた方とは格が違ってよ。」ぐらいの事は平気で言っていただろう。
冗談さえも交えながら話をする彼女は昔の意地の悪い笑顔などかけらも見せない。
痩せると性格まで変わるのだろうか?
一通りクリミナの話を聞き終わると、相槌くらいしか参加していないレイチェルに話を振った。
「レイチェル様は?リード子爵と言えば、新しい事業を成功させた大変優秀な方だと噂の的でしょう。」
「そうそう、とっても優秀でしかも男前だって聞いているわ。」
「もしかして、そのドレスは旦那様の趣味かしら?」
「あ、私もそうかなって思っていたのよ。」
彼女の夫の話で盛り上がりかけると、レイチェルは慌てて首を振った。
「やめて!!」
「レイチェル?」
「ビルの事は思い出させないで。話題にしたらすぐ姿を現しそうで…。」
と不思議な事を言いながら辺りを伺い始めた。
意味は分からないが小刻みに震えるので、とりあえず、レイチェルの旦那様の話はこの場では禁句となった。
ビルと名前を呼ぶくらいに打ち解けていながらこの反応は何なのかと小首をかしげてしまう。
5人で立ち話も何だからと、ソファーの置いてある休憩所まで移動すると、そこにリシャーナとソフィアが居た。
リシャーナはウィンズレット侯爵という建国時から有った伝統ある家に下賜された。
彼女の実家も同じ家格の家なので、きっと完璧に侯爵夫人の役目を務めているに違いない。
旦那様は男性陣と話し込んでしまっているとかで近くには居なかった。
「夜会で女性から離れるだなんて、私たちの旦那様には困ったものね。」
そう言って笑う顔には以前にも増して隙のない気品が漂っている。
さすがだと拍手を送りたい。
ソフィアはルドルフの妹だ。
彼女も後宮にいたけれども、蒼玉宮からは一番遠い翠玉宮の住人だったのであまり交流は無かった。
彼女は幼馴染の男爵へ下賜されたと聞いている。
幸せそうでうんざりすると先程ダンスをしながらルドルフが話していた通り、いっそ清々しいほどの幸せオーラを放っている。
黒にも見える濃い緑色の髪と黒い瞳を持つ、少しミステリアスな雰囲気の美女だと思っていたのだが、昔の印象を覆された。
「あなたたちまで一緒なんて珍しいわね。」
リシャーナは少し棘のある声をクリミナとレイチェルに向けたが、彼女たちに気にした様子は無い。
「先程ホールで一緒になりましたの。」
「せっかくですから、ご一緒させていただくわ。」
そう言って満面の笑みを向けられて、リシャーナも面食らったようだ。
「どういう風の吹き回しかと思ってます?」
レイチェルが笑みを絶やさずに、しかし核心に触れる。
「えぇ。」
戸惑いながらも優雅に頷くリシャーナにからかうような声色でマリエッタが助け船を出す。
「クリミナ様もレイチェル様も何か悪い物でも食べたの?」
そのセリフにわざとらしく片眉をあげて横目でマリエッタを睨んでから、クリミナは肩をすくめてため息を吐く。
「そうね…後宮を出て解放されたのよ、恨みとか嫉みとかそういう感情から。」
「私も冷静になって、自分の愚かさが身に染みたわ。」
「何かあったの?」
二人のしみじみした語り口に興味が湧いてしまった。
「色々…面白くも無いことばかり…。」
彼女達は後宮を出てから出会った人達に、有る事無い事言われることが多かったようだ。
夫人の集まりでは後宮から下がった令嬢達によって悪い噂が広まっていて相手にしてもらえない。
そして男性にも、一夜の相手を迫られたり、娼婦の様な扱いをされたという。
彼女の話を聞いていると、自業自得と感じつつも、罰はもう十分に受けたのだろうと思う。
嫌がらせをされて、周りを恨むよりも、反省する方に傾いた所も好感がもてた。
何より、彼女たちの後宮での所業は目に余るものがあったけれども、影で陰険に画策したり、誰かを命の危険に陥れたりという事には手を出していない。
妬みが殺意に容易に変わる場所に居ながらも、彼女たちはあちこちで喧嘩を吹っかけて回っていたに過ぎない。
「で、あまりに敵を作りすぎてお友達が少ないから、共に下賜された好で仲良くしてもらおうと思ったのよ。ダメかしら?」
少し暗くなってため息をつくクリミナの後を引き継ぎ、レイチェルが悪戯っぽく笑いながら皆を見回す。
「ま、良いんじゃない。」
「そうね、命狙われた訳じゃないし。」
「悪口言われたくらいかしら?」
「あら、お茶をかけられた事があるわ。」
「あ、私も。」
「だから、それは、その、…ごめんなさい。」
二人は共に頭を下げる。
私はその謝罪を受け取る事にした。
他の人たちも私と同じ結論の様だ。
「ありがとう。」
「あ、敬称はもう無しで呼んで。」
2人は顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。
仲良くしましょうと言っても急に仲良くは出来るはずもなく、なんとなく気恥ずかしい空気を醸し出しながらなんとか会話を繋いでいるとエレノアがひょっこりと顔をだした。
「なんだか、勢揃いね。私も混ぜて〜。」
呑気な声に場が和む。
これで、下賜された8人の娘が一堂に会した事になる。
こう見ると、陛下は線の細い、華奢な女性が好きなのかもしれない。
私たちの共通点はそこだ。
後は少し金髪青目に傾いているかもしれないというくらいで、性格や好みなんかはてんでばらばらだ。
自分で言うのも何だが、客観的に見ても華やかな一団が休憩所を占拠している。
それから、エレノアとマリエッタとレイチェルを中心におしゃべりに花が咲いた。
同じ身分、同じ年頃の彼女達との気兼ね無い会話は楽しくて私はすっかりこの集まりを気に入ってしまった。
次第になんとなく仲間意識が芽生えて、シーズン中に再びこのメンバーで集まる約束なんかも取り付けた。
私は浮かれていたのかもしれない。
すっかり忘れていたのだ。
人は笑顔の裏で舌をだすことが出来るということを。
下賜仲間勢揃いの会でした。たくさん名前出てきたので、そのうち人物紹介を作ります。




