23.月光も遠慮する。
「奥様、旦那さまがお帰りです。」
執事の言葉に返事をすると静かに歩き出す。
私から湧き出る怒りの気配に使用人達はぎょっと目を剥くが、声をかけてくるものはいない。
カナンでさえも今日は私を遠巻きに見ている。
玄関に着くと間もなく馬車の止まる音が聞こえて玄関が開く。
「お帰りなさいませ。アデルバート様」
いつもの挨拶が白々しく響いた。
ただでさえ薄暗い玄関に外の強い光が入り、逆光で顔が見られないまま、深々と頭を下げて出迎える。
「今帰った。」
アデル様の落ち着いたテノールがやや疲れを含んでいる。
顔を上げると彼のいつもの微笑みが目に入る。
私も自分の顔にとっさに笑みを貼りつける。
「留守中変わり無かったか。」
「はい。」
返事をする時思わず目線を下げてしまい、どこか具合でも悪いのかと尋ねられる。
「いえ……少し体が重いようで、申し訳ありませんが部屋で休ませて頂きます。」
これ幸いと仮病を使って私室に引っ込んだ。
何でも無い振りが出来るような演技力は、今の私には無い。
夕食も軽めの物を部屋に運んでもらった。
顔を会わすのは億劫だった。
顔を見ればこの憤りや不安をぶつけてしまいそうだから。
そんなことをしたって、彼の心がこちらを向く訳も無いのに。
カナン達にも心配されるので早々に寝室にこもる。
ハーブティーをティーポットごと持ち込んで月明かりの中でゆっくり味わった。
カウチの上からぼんやりと月を眺めているとアデルが中央のドアから現れる。
「起きていたの?」
彼はワイングラスを片手に側まで来ると私が腰を下ろしているカウチの手摺りに座る。
顔には出ていないが結構飲んでるのかもしれない。
空いているイスを勧めると、ここがいいんだという返事と共に差し示した手をとられる。
久しぶりの彼の感触に心が震える。
嫌悪感など欠片も無いはずなのに、触れられた指先から肌が粟立つ。
私は必死に動揺を悟られまいと無表情でやり過ごしているのに、彼は楽しげともとれる表情を浮かべる。
アデルの大きな手に包まれながら、手の甲や指をゆっくりと撫でられる。
「寝なくて平気なのか?」
「えぇ。ご心配おかけしてごめんなさい。」
叫び出しそうな気持ちを押さえて返事をすると自分でもびっくりするくらい平坦な声が出た。
「…何かあったか?」
「…いいえ。」
「怒っているだろう?」
「怒ってなんかいませんっ!」
思わず声を荒げてアデルを見ると、じっと瞳の中を覗くような視線に縫い止められる。
緑色の目は月影の中で黒い宝石のように見える。
目をそらせぬままでいると、そっと頬に手が触れた。
びくっと肩が震える。
彼の言動に反応などしたくないのに。
湧き上がる喜びとその先にある絶望の予感は私を恐怖させる。
「君に会いたかった。」
アデルは私の頬を指の腹で滑るようになでると、眉間にシワを寄せながら困ったように笑う。
「…っ、戯れを。」
首をふって距離をとろうとするが、今度は顎に手を添えられ視線を固定されてしまう。
「ティアに触れたかった。」
あくまでも離そうとしないアデルに、とうとう我慢の限界がきた。
一度怒りに突破口を見出した感情は結構簡単にそちらに傾いてしまうのかもしれない。
彼の胸に手をおくとぐっと突っ張って距離をとった。
「からかうのは止めて。」
「からかってなどいない。」
尚も引かない彼に、背中に当てていたクッションを投げるように押しつけて席をたった。
「からかって無いならなんなの!いつかの夜の様に突き放すつもりなら最初から優しくしないで。私は馬鹿な女だから、勘違いしてしまうわ。どうかこれ以上私を振り回さないで…もう、あなたの言葉一つに浮かれたり沈んだりする自分は嫌なの。目障りならば、別邸に越しますから、愛人でも何でも囲えばいいでしょう。」
そこまで叫んで、頭に上っていた血がおりて来たのかすこし冷静になる。
そして、これではあなたが好きだと叫んでいる様なものではないかと気が付いた。
気が付いてしまうとどうしようもなく恥ずかしい。
赤い顔を隠すように手を添えると頬が濡れている。
どうやら泣いていたらしい。
これじゃまるで悲劇のヒロインだ…そんなの柄じゃない。
慌て涙を拭うと、そっと触れるようにアデルの手が重なり、私の手を捕まえてしまった。
取り返そうとしてもしっかり捕えられてしまっていて抜けない。
悔しいやら恥ずかしいやらで緩くなった涙腺は更に涙を量産する。
すると彼は私の涙を唇で受けとめた。
ビックリして涙は引っ込んだが、アデルはかまわず涙の跡を唇で辿っていく。
はっと気付いて逃げようとすると今度は抱きしめられてしまう。
私の抵抗などものともせず、しっかりと抱き込むと大きな手のひらがゆっくりと背中を上下する。
穏やかなその仕草に最初は抵抗したものの、私は次第に落ち着きを取り戻した。
怒りに我を忘れたのは生まれてはじめてだ。
しなくてもいい経験をしてしまった。
落ち着いて考えてみると、アデルはいつだって誠実だった。
私の覚えのある限り、彼は意味も無く人をからかって遊ぶような人では無い。
私への態度は何か理由があるのだろう。
そう思うと荒れていた心が急に静けさを取り戻した。
「…私に別邸を用意して下さい。」
私の言葉に彼の手が一瞬だけぴくりと揺れる。
「お願いします。」
「…できない。」
穏やかな指先とは裏腹に彼の声は今まで聞いたことが無いほど固い。
「どうして…っ!!」
嫌々をするように彼から逃れようとすると、ぎゅっと抱き寄せる力が強まる。
「私は貴女を手放すことはできない。」
「…だから、離縁しろとは…」
「私はティアを愛してる。ずっと。きっと最初から。」
時間が止まったかのように感じた。
余りに嬉しいセリフに夢を見ているのかと疑う。
でも、夢を見てはいられない。
「そんなはずないわ。だって、もしそうなら、どうしてっ…。手を振り払う必要は無いはずよ。」
きちんと彼の言葉を聞いて理解しなければ。
夢は必ず覚めてしまう。
私の言葉に一瞬キョトンとしてから、アデルは思い当たったと言うように「あぁ。」と呟いた。
「下賜後直ぐに子どもが出来ると、将来権力争いに利用される可能性があるって言わなかったか?」
彼の言葉に今度は私がキョトンとする。
「聞いてないわ。」
「すまない。言ってなかったか?だから、夫婦の営みは少し間を置いてから…という計画だったんだ。」
だって私たちの子どもが城の権力争いに巻き込まれでもしたら大変だろう?と微笑むアデルに開いた口が塞がらない。
「この間もその前も、私が触れると怒って…」
「それはさ、こっちは必死で我慢しているのに、不用意に可愛いことするから…。ティアには説明していると勘違いしてた。すまなかった。…ティアがそんな勘違いをしてショックを受けたと言うことは、私は自惚れてもいいのかな?」
「…っ。」
言葉に詰まった私に、アデルは艶っぽい笑みを向けた。
「ティア、今日で私たちが結婚して3ヶ月だっていうのは知ってる?」
「えっ?」
「そろそろ良いよね?たとえすぐ出来たって、明らかに私の子だとバカでもわかる。」
「あの?」
「今まで我慢した分、今日から1週間休みがとれるように、仕事を終わらせて来たんだよ。褒めてくれるよね?」
「いや、そのっ…」
「ご褒美たくさんくれるでしょう。」
そう言って微笑む彼がたくさんのキスを降らしはじめて、ようやく彼の言葉を理解する。
彼も私を思っていてくれたのか。
そして、守ってくれていたのか、私と未だ見ぬ私達の子を。
「私、信じやすい性質なんだけれど。」
「私は妻に嘘などつかない。」
彼の子どものような得意顔に背中を押されて信じてみようと思う。
「貴方が好きです。」
そうささやくと彼の首に腕を回し力一杯抱きついた。
アデルは私をしっかりと抱きとめてくれる。
「ご褒美は何がほしいの?」
「もちろん、ティアの全てが。」
「欲張りね。」
やさしい月は雲間に隠れて、二人の姿をそっと影に隠す。
これにて第3章終了です。
お付き合いありがとうございます。
これからもシンディーのマイペースで平坦な恋模様にお付き合いいただけるとありがたいです。
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