12.侯爵夫人の退屈な日々。
侯爵家にやってきてから、そろそろ2ヶ月が経つ。
春の終わりだった侯爵領はもうすっかり夏の色に染まっている。
王国の中でも北に位置するこの場所の夏はとても過ごしやすい。
国境となる山からの湧水は一年中冷たく、火照った体を潤してくれる。
人も動物も植物さえも、短い夏を満喫するように、太陽の下で体を伸ばす。
私はというと、庭の木陰で本を読んでいた。
実をいうと、暇なのだ。
ここにきてからというもの、時々お茶会やパーティーに呼ばれたり、呼んだりする以外は特にこれといってする事が無い。
侯爵家の歴史や、親戚づきあいのある貴族についての勉強などは有ったが、特に難しい事も無く、2週間ほどで終わってしまった。
結婚式というようなものは行われず、私は侯爵に連れられて教会に赴き、宣誓書にサインをし、神父の見守る中神に誓いを捧げた。
立ち会い人は執事のヨルダンだ。
親族を呼んで盛大にやろうかという話も出たが、私が乗り気でなかったのと、侯爵が忙しかったのとで無しになった。
しかし、結婚式だってするとなったら暇つぶしくらいにはなったのだから、今思うとやっても良かったかもしれない。
家族はともかく、リタやサーラを避暑がてら呼んでみたかった気もする。
今更だけれども。
暇を持て余しているとあれやこれやと言いつけられた昔が懐かしい。
昔とは逆に、何もさせてもらえないのも苦痛だ。
部屋の掃除や庭の手入れなどをしようとすると、とたんに誰かが飛んできて私は指示をするだけになる。
後宮では人手がなかったせいか大目にみてくれていたカナンでさえ、私には手を出させてくれない。
かといって外に出かけるとなると衣装を変えたり髪を結ったりと準備が大変で、尚且つ護衛だなんだと大勢が動くのでふらっと町へ出ては行けない。
部屋で刺繍をしたり、庭を散歩したり、図書室で本を読んだり、サロンでピアノを弾くのにも飽きた。
なので今サロンで刺繍をしたり、部屋を散歩したり、庭で本を読んだり、図書室で歌ったりしている。
それも、もうとっくの昔に飽きている。
「カナン。何かすることない?」
「遠駆けでもしますか?」
「気持ちよさそうだけど、こんなにお天気が良くては馬が倒れてしまわない?」
「では…仕立て屋を呼んで、ドレスでも作りますか?」
「また、そんなお金のかかることを…第一どこに着ていくのよ。」
「夏が終わればすぐに社交の季節ですよ。奥様はお金使うの嫌いですよね。」
「そんなことないけれど、リンゴを買うのとはわけが違うのよ。」
「旦那様は作るようにとおっしゃっているみたいですけどね。」
侯爵は私にいくつもドレスを用意していてくれた。
今年の社交界用にはもう十分だと思われる。
そういえば、ここへ来て直ぐカナンが私の呼び方を奥様へ改めた。
あんなに頑なに「御方様」とは呼ばなかったのに何故なのか…尋ねるた私に彼女はこう言ってのけた。
「ニーナに注意されましたので。」
そういえば、後宮でお嬢様と呼び続ける彼女を私含め誰も注意しなかった。
今思うと不思議だ。
私はともかく、他の侍女達は気にしなかったのだろうか?私に遠慮したのだろうか?
そして、注意されてたら彼女も私を御方様と呼んだのだろうか?
「はい。もちろん。」
そういうカナンを胡散臭く感じるのは仕方のないことだと思う。
侯爵とは週に1、2度夕食を共にするくらいで殆んど顔を合わせない。
忙しい人なのだ。
それでも忙しい合間を縫って2人で夕食をとる時間を作ってくれる。
1人の食事には慣れているが、共に食べる相手がいるだけで美味しくなると知った。
おかげで私はいつも食べ過ぎてしまう。
夕食の席で、彼は終始にこやかに色んな話をする。
領地の名産、今やっている街道整備、最近読んだ本、旬の食材、学生時代の思い出、旅した場所、などなど…彼は話題が豊富だ。
そして会話が上手い。
彼が詐欺師なら被害は相当大きくなるだろうなどと、考えてしまうくらいには。
今日は屋敷の近くにあるガラス工房を視察したらしい。
彼は夕食時にガラスで出来たティーカップをくれた。
その為、ガラス製品の話で盛り上がる。
寝室にあるカラフルな傘のついた燭台も、領地にある工房が作っているものらしい。
「そういえば、こちらに来る前、王都でガラス細工を見ました。」
「おや、それは凄い。ガラス工芸は最近始めたばかりで、まだ領地の外へ出回っている量は多くないんだよ。」
侯爵の言葉に店主が同じような事を言っていたのを思い出す。
「最初は綺麗なだけで、何に使うかわかりませんでしたが、リボンの形をしたものでカバンや家の鍵に付けるものだと教えて貰いました。」
「あぁ、ナタリーの工房でそういった物を作っていたかもしれない。」
「ナタリーの工房?」
領主というのは、それぞれの工房が何を作っているのかも把握しているのだろうか?
「あぁ、女性の職人は珍しいんだが、中でもナタリーはアイデアが豊富でね。視察の時は必ず寄る工房なんだ。」
「まぁ、面白そうですね。」
私が興味を示すと、侯爵はナタリーの工房について話してくれる。
ナタリーと弟子2人の小さな工房の様子や、彼女の作った失敗作の話、ナタリーの作ったものを隣の店で売る穏やかな夫のパウロについてまでも私が聞くことを丁寧に教えてくれる。
侯爵の話を聞いて、彼が領民と親しく話をしながら領地を回る姿を思い描いた。
急にうらやましくなってくる。
民に慕われながら仕事をしている侯爵のことも、そんな彼を近くで見られる領民のことも。
私の様に、ただ無為に時を過ごすのではなく、生活の為に、家族の為にと日々を生きている人々。
そんな民と領地を慈しみ、未来を示そうとしている侯爵様。
「私も、行ってみたいですわ。」
「ナタリーの工房に?」
「はい。ナタリーの工房にも、麦畑にも、街道の工事現場にも。」
「ティア?」
「あ、いえ。女の戯言ですわ。忘れて下さいませ。ただ、毎日が…その、穏やかなもので。」
「……退屈なのか?」
つい出てしまった本音に侯爵は奥歯で笑いを噛み潰している。
「……はい。家の事は侍女達がしてしまって、私にはお仕事がありませんの。」
しぶしぶ認めると、侯爵様は何が面白いのか手で口を押えて笑っている。
あの、肩揺れてますけど?
ジトッとした目で見つめると、失礼と笑いを収めて顔をあげた。
それでも彼の顔は面白いと思っていることを隠さない。
「ティアも来るかい?」
「え?」
「1週間後から10日間かけて領地の中でも遠方を回る。視察だから観光などはできないが、それでも良ければ一緒にくるか?」
彼の顔には笑みが広がっている。私はこれ以上無いほど、目を見開いているにちがいない。
「…いいのですか?」
「あぁ、不自由することも有るかもしれないが…。」
「そんな、大丈夫ですっ!」
「では、ティアと、侍女を1人連れて行けるように手配しておく。」
「ありがとうございます!」
思わず立ち上がり、彼の手を取ってお礼を言った。
私の不作法を彼は笑って許してくれる。
彼だけでなく、侯爵家の使用人達も同じように柔らかく微笑んでくれる。
ひとり、カナンだけが困ったように苦笑した。
「では、1週間後だからね。体調を整えておきなさい。」
侯爵は私がつかんだ手をそっとはずすと、頭にポンポンっと乗っける。
子どもではないのだが、なんだか嬉しくなってしまう。
食事が終わって眠る準備が整っても、私は高揚した気分のままだった。
呆れた表情のカナンが、気分の落ち着く効果のあるハーブティーを入れてくれた。
私はすっかり定位置になった窓辺のカウチで月を見上げていた。
初日以来、侯爵は私の寝室を訪れていない。
私は安心して夜更かしをする。
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