10.ラファエル侯爵領は緑がいっぱい。
つらつらと思い出をなぞっていると馬車が止まった。長かった旅もこれで終わりだ。優しい日差しがつややかな緑色の草木を照らしている。これからの私の住まいとなる建物を馬車の窓越しに眺めた。侯爵家は落ち着いた威厳を感じさせる建物だったが、予想していたより小さい。無駄な威圧感や華やかさは無く、なんだか土地の風景に溶け込んでいる。出迎えも執事と3人の侍女だけなので、疲れた体に鞭打って取り澄ます必要が無さそうだと安心する。
カナンに馬車の外へと連れ出されると執事らしき中年の男性が一歩前へ出て深々と頭を下げる。後ろに控えるメイド達も同じ角度で腰を折った。
「お待ちしておりました。どうぞ、お部屋にておくつろぎ下さい。」
挨拶もそこそこに屋敷の中に案内される。案内してくれるのは年長の侍女一人で、執事と残りの侍女は護衛の騎士達と挨拶を交わし、荷物を受け取っていた。護衛の騎士達は侯爵家で1日休憩し、王都へ引き返す。休憩中の騎士は侯爵家がもてなす。
外見と違わぬ余計な飾りの無い静かな廊下をぬける。ただ、どこもかしこも掃除が行き届いていて適度に明るく、気持ちが良い。侍女は余計な話はせず、時折設備や部屋の説明をしながら奥へと進む。2階にあるドアの一つを開けると私に入室を促した。
「こちらが奥様のお部屋です。」
そのセリフにむず痒いものが背中を走るが気合いで無視する。私にあてがわれたのはベージュを基調とした落ち着いたインテリアの明るい部屋だった。居間を中心に右側に寝室、左側に衣装室、化粧室、給湯室が有り、衣装室の奥にお風呂が、給湯室の奥に侍女の控え室が有るらしい。そして寝室は侯爵の寝室とドア1枚で繋がっているとのことだ。簡単な部屋の説明が終わると侍女は不意に私に向き直った。
「大変遅くなりましたが、侍女長を拝命しておりますニーナと申します。よろしくお願いいたします。」
「シンディーレイラ・セレスティアと申します。侍女のカナン共々本日よりお世話になります。」
型通りの挨拶を済ませると今日の予定を告げられる。侯爵との顔合わせは夕食時になるらしい。お召し替えの時間までゆっくりしていてくれと言われたのでお茶を入れてもらう。お茶を入れるとカナンに後を任せニーナは退室した。
私がお茶を飲む隣でカナンは荷物の整理をしている。部屋の説明をしてもらっている間に次々と運び込まれて、部屋の一角に荷物の山ができている。
「カナンもお茶にしては?疲れたでしょう。」
「いえ、荷物の整理が終わったら頂きます。ずいぶん少ないので、すぐ終わりますよ。」
「そう?何か手伝う?」
「いえ、お嬢様はゆっくり休んで下さい。カウチを用意致しましょうか?」
「いいえ。それより、化粧室にいってくるわ。」
私が立ち上がり歩き出すとカナンは慌てて私の目指していた扉の隣の扉を示す。
「化粧室はこちらです。」
「あらいけない。カナンは凄いわね。部屋についてもう覚えたのね。」
「えっ、あ、いえ、大体どこも似たようなもんですから。」
慌てて謙遜するカナンがなんだかおかしくて、私はうふふと笑うのだった。あ、私久しぶりに笑った。そう気が付いてずいぶん緊張していたことを知る。
夕方になると侍女が5人やってきて、簡単に挨拶をすると早速お風呂に入れてくれた。カナンは夕食時に着る衣装の確認をしに侍女長と衣装室に行ってしまった。カナンによって介助されてお風呂に入れられる事も慣れたが、初対面の人に肌をさらすのは少し恥ずかしい。そんな私の気持ちを余所にてきぱきとお湯に浸けられる。部屋つきのお風呂といっても一人でゆったり足を伸ばせる広さがある。バラの花を浮かべた白濁色のお湯は旅で疲れた肌にとろりとまとわりついて体をゆっくりとほぐしてくれる。侯爵家の侍女は皆優秀だ。キッパリとした手付きであっという間に髪や肌を磨き上げられてしまった。髪を乾かしながら冷たい果実水で火照った体を宥めていると、カナンが見慣れないドレスを運んできた。
「それは?」
「侯爵様がご用意下さったものの様です。」
「…素敵ね。」
私は素晴らしい出来のドレスに感嘆の声を上げた。青み掛かった薄いグレーのドレスはシンプルなデザインながら上品な生地が使われている。光の加減でシルバーにも空色にも見えるそれは、今まであまり着たことのない体に沿うデザインのものだった。肉付きが薄くメリハリのない体には似合わないとこれまで避けていたタイプのものだったが…
「…似合うわね。」
カナンや周りの侍女が感想を言う前に、思わず口から出てしまった。
「はい。とても。」
私の反応が珍しく返事が遅れたカナンをよそに、アグリと名乗った黒髪の侍女が鏡越しに微笑んだ。
「髪はタイトにまとめましょう。襟元のデザインが映えそうよ。」
そういう私に大きくうなずいて、アグリが髪に櫛を通し始める。
「アクセサリーは…。」
「こちらにご用意がございます。」
メイと名乗った茶髪の侍女が運んできてくれたのは、初夏の木々のような深く艶やかな緑色の石が埋め込まれたアシンメトリーのイヤリングだった。
「これも、侯爵様が?」
「はい。ドレスと合わせて作らせておられました。」
「キレイだわ。」
思わず目を輝かせる私に、ニーナが気に入っていただけたのなら侯爵様にお伝え下さいませと微笑んだ。
身繕いをしてもらい、食堂へ案内されると既に侯爵が待っていた。周りには護衛だった騎士達もいて、鎧を脱いで着席している。侯爵は黒髪と緑色の目の美丈夫だった。切れ長の目と細い顎が少し冷たい印象を与える。
「アデルバート・ラファエルです。長旅お疲れ様でした。」
労わりを含んだ、落ち着いたテノールの声は耳に心地いい。
「お初にお目にかかります。シンディーレイラ・セレスティアと申します。」
淑女の礼をとると、堅苦しい事は無しにしましょうと微笑まれる。これから夫婦になるのだからと。侯爵の言葉に返事ができずにいると、カナンが陛下から賜った勲章を差し出してくれる。それを受け取って侯爵に渡した。
「確かに、頂きました。」
彼のその言葉を合図に執事が侯爵の向かいの席を勧め、給仕が酒を注ぎ始める。一糸乱れぬ使用人達のすばやい準備で、すぐに食事となった。
食卓についてすぐ、侯爵が私を見つめて口を開いた。
「お気に召していただけましたか?」
ドレスの事を聞かれているのだと気づいて慌ててお礼を述べる。気に入ってくれてよかったと彼は笑みを深めた。
「あの、侯爵様は私の事、ご存じだったのですか?」
私の瞳の色に合わせたかのようなドレスを見た時から気になっていたことだ。
「えぇ。以前お会いしておりますよ。」
侯爵の顔を見た時から、どこかで会ったことがある気がするが、どうしても思い出せない。後宮に居た時の夜会か何かだろうし、気まずいのでそのままにした。
「こちらのイヤリングも、とても素敵で私にはもったいないくらい。」
そう言うと周りの騎士からもそんな事は無いと、とてもお似合いだと褒められて照れてしまう。
侯爵は切れ長の目が冷たい印象を与えるけれど、終始微笑みを絶やさない穏やかな人だった。護衛の騎士は貴族も庶民も混ざっているが、誰に対しても隔てのない丁寧な対応をしている。下賜などどんな相手にもらわれることやらと心配していたが、この人ならば当たりと言っていいだろう。…第一印象でしかないが、夫婦生活を想像して嫌悪感はない。
しかし、彼はモテそうだ。貴族の男性のほとんどが20代前半で妻を娶ることを思えば、ある意味適齢期は過ぎているのかもしれないが、男性のそれは女性のよりもゆるやかなので、あまり気にならない。むしろ何故結婚しなかったのか…彼ならより取り見取りだろうに、ぐずぐずしているから私のようなお下がりを押し付けられる羽目になるのだ。
侯爵のホストで食事は和やかに進んだ。私も騎士を労い、護衛の礼を言う事ができた。食事が終わると侯爵は騎士達をシガールームに誘う。私も一応誘われるが、
「ここから先は男性のみのお時間でしょう。お楽しみくださいませ。」
と部屋に戻った。正直、疲れているのだ。もう寝たい。




