46:黄昏色の帰還
大変遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
ティアとカナンをつれて屋敷に戻ると使用人一同が勢ぞろいして迎えた。皆、無事の帰還を喜んで、ニーナは涙を浮かべている。ティアを責めるそうなそぶりを見せたのは意外にもダンテスだった。皆、恨み言を口にしてもそれ以上に安堵している様子なのだが、ダンテスだけは無事を喜ぶ言葉を紡ぎながら無表情を決め込んでいた。それでもティアは朗らかに渋面のダンテスに向き合うのだから、彼らも彼らなりに信頼関係で結ばれているのだと伺えた。次からはちゃんと相談すると謝ったティアに、次があっては困るとどこまでも苦言を呈する。周りにいた者のほとんどは、ダンテスの表情にほころびが見える事に気づいていたけれども。
短い旅だったがそれでも雪の中を旅してきたのだからと、使用人たちの出迎えは引き際をわきまえていた。すぐに楽な部屋着に着替え、温かく整えられ私室で2人でお茶を…と言う事になった。ようやくゆっくりとティアと向き合う時間が取れると思うと、緊張してしまう自分がいた。用意を整えティアの私室に入り、2人でソファーに座るとすぐに茶が用意された。いつもならば隣同士で腰掛ける私たちがテーブルを挟んで座っている事に、アグリは不安げな顔をしていた。準備が整いそろそろ人払いを…と思っているところへダンテスがやってきた。雪崩の報告に眉間に皺が寄る。
「すまない…仕事だ。」
「はい。お気をつけて。」
ダンテスの報告を共に聞いていたティアは真剣な顔大きく頷いた。彼女はすっかり領主の妻の顔をしていると思う。突然話し合いの機会を奪われたにも関わらず、その顔には領民への心配しか浮かんでいない。
「ありがとう。…ティアも、体に気をつけて過ごすんだよ。」
「えぇ。ほら、急いで。ちゃんと帰りを待っているから。」
「…いってきます。」
茶目っ気たっぷりに微笑む彼女に私も微笑みをかえして、軽く抱き寄せてから部屋を出た。執務室に入りダンテスから詳しい情報を聞く。雪崩の規模や被害状況…今のところ人的被害が出ていないのが不幸中の幸いに思えた。しかし、素早く対応をしなければそれも分からない。北国故、冬越えの準備はあるといえども、街道が長期に渡って封鎖されて無事に季節を超えられる訳ではない。薬や燃料など、食料の他にも生活に必要な物はたくさんあり、各村でその全てを備蓄するのは難しいのだ。冬の間、細々とではあるが物資を流通してくれる商人達のおかげで、この領地は長い冬を快適に過ごしてきた。その商人達の足を止めてしまう事はそのまま領民の生活が厳しく成ることを示している。商人達の間に「ラファエル領の街道は冬になると役に立たない」などという風評が流れない為にもすばやい対応をしなければならないだろう。
先ほど脱いだばかりの外出着に着替えなおしている間にダンテスに救援隊を整えさせる。物資の内容やルートの確認などやるべきことは多い。ダンテスは私の指示通りに動きながらも、出発の直前まで私が出向く必要は無いのではと繰り返した。しかし、途中で物資の補充をしたり、街道の整備をするのに私兵隊長達だけでは難しい事も多い。領主という肩書きが周辺の町村からの支援を受けるのにとても有利に働くのだ。そのことを十分理解しながらも私が出ることを良しとしないダンテスの脳裏にはきっと兄の姿がチラついているのだろう。冬支度前にどうしても見ておく必要があると十分な下調べをせずに鉱山に足を踏み入れた兄。その視察に兄を行かせたことをダンテスはずっと後悔しているようだった。
「無理はしないから大丈夫だ。」
「はい。…無事のお帰りをお待ちしております。」
「あぁ、私の居ない間、ティアが心穏やかに過ごせるようにだけ配慮してくれ。…といっても、私が居ないほうが、彼女は気楽かもしれないが…。」
「アデルバート様…。」
私の小さな苦笑いにダンテスは困ったような寂しいような複雑な顔をした。
「ほら、お前がそんな顔をしていては皆不安になってしまう。」
「…失礼しました。」
「そうそう。では、くれぐれもティアのことを頼む。」
「はい。いってらっしゃいませ。」
完璧なお辞儀に見送られて、私はしんしんと降り続く雪の中を出発した。
思っていたよりも雪の振る量が多く、急ごうとする私たちの邪魔をする。雪崩の現場に到着したのでさえ、予定よりも遅れていた。急場作りの救援隊にゆとりは無い。屋敷への連絡は帰宅が決まってからにしようと判断した。作業を急ピッチで進めれば予定通り帰れるかも知れないという淡い期待もあった。しかし、私の期待を他所に復旧作業の間も雪は降り続いた。結局なんとか復旧作業を終えた時には予定よりも1日ほど遅れていた。心配をしているだろうと慌てて屋敷に向けて早馬を出す。その後を追うように帰路についたが、またしても雪に阻まれた。いつもの倍ほどの時間をかけて家路を急ぐ。なんとか馬を走らせて3日目、昼食をとろうと寄った町で夕方から吹雪になりそうだという情報を得た。その日の午後は山越えを予定していて、その山を越えれば屋敷はすぐそこというところだった。降り出す前にと急いだが、山に入りかけたところで雪が降り始め、麓の村まで引き返す事になった。立ち往生した私たちを村人達は手厚く歓迎してくれたが、それは慰めにならなかった。吹雪では屋敷に連絡することも出来ない。ティアが心配しているかもしれないと思うと居ても立っても居られなかった。それから2晩を過ごし、ようやく雲が晴れた時には山道は雪に沈んでいた。山の入り口でさえ、道を見つけるのが困難なほどだった。仕方なく帰路を変更して山を迂回することにした。屋敷への連絡も出したが、この雪では連絡が届くのと私たちが着くのと大して変わらないだろうと思われた。馬を走らせながら頭をちらつくのはティアの事だった。喧嘩して仲直りも出来ずに出て気なのだから私のことなど心配していないだろうと思う自分と、もしかしたらすごく心配をして夜も眠れて居ないかもしれないと思う自分がいて、どちらが正しいのか判断できなかった。山を越えれば2日程の距離を結局5日程かけて屋敷に戻った。ようやく晴れ間の覗いた空は黄昏色に染まって、雪野原をキラキラと輝かせた。玄関のドアを潜るとティアが迎えに出てくれていた。
「ティア!」
予想していなかった出迎えに思わず彼女に駆け寄った。
「おかえりなさいませ。アデルバー…。」
満面の笑顔で迎えてくれる彼女は出かけたときよりも少し疲れて見えた。それでもキチンと立って出迎えることが出来るくらい元気で居てくれた事に、安堵のため息が出た。彼女の出迎えの言葉に応える余裕も無く小さな身体を抱きしめる。
「アデル?」
戸惑いながら私を呼ぶ彼女をそれでも離す事ができなかった。彼女の無事を全身で感じたかった。
「心配をかけてすまない。」
「いいえ、大丈…」
「体は大丈夫かい?君の負担になってはいないかと気が気でなくて…。あぁ、こんな寒い所で出迎えさせてすまなかったね。さ、体に障るよ。部屋に戻ってゆっくり休みなさい。」
彼女は大丈夫と微笑むが、私は少しでも彼女にゆったり過ごして欲しかった。あれやこれやと気になったことを片っ端から口にした。この数日、心配をかけてしまった分を取り戻そうという思いもあったのかもしれない。
「君は体を大事にしなくては。もう、何一つ心配することは…」
「いい加減にして頂戴。」
だから、ティアが立ち止まり、低い声でそう告げたときに上手く理解できなかった。
「私はあなたの『ティア』には成れません。弱く儚い女をご所望なら、そういう女を囲いなさい!」
突然怒鳴った彼女の様子に驚いて目を丸くする。はたと気づいて遠ざかる背中に声をかけるが彼女は振り向きもしなければ、歩調が緩めることも無かった。ずんずん進む背中からは勇ましささえ感じる。
「怒ってたよな…?」
「…左様にございますね。」
今回ばかりはダンテスも私を同情の目で見ていた。私は大きくため息をついて、とにかく事後処理を済ませなければと私室に向かった。




