43:緑色のつながり
食事をとり、風呂を浴び、ダンテスにティア捜索の報告を受けてから、いつもよりずいぶん早い時間にベッドに潜り込まされたが、結局、眠れずに朝を迎えた。ティアが居ないのだから気が休まらないのは当然としても、日々の細々とした生活に関して周囲から口出しされる事は思っていた以上に負担だった。私はこの数ヶ月ティアにこの負担を強いていたのかと思えば、家出されて当然かもしれないと思う。
次第に空が白み始めるのを感じ、起き上がってバルコニーに出ようとすると、控えの間に居たニーナにこれでもかという程防寒対策をされた。朝の冷たい空気に触れて、少しシャキッとしたかっただけなのに、かなり大事になってしまった。
「そんなに着なくても大丈夫だよ。」
「…でも、これでも奥様の半分ですわ。」
「…そんなに着せていたか…?」
「あれもこれもと着て頂いておりました。」
「この倍では服が重くて歩きにくかっただろうな…。」
「…限度という言葉を思い出すべきでした。」
「…それは私だな。」
私はバルコニーへ出て朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。冷たい空気に内側から冷えるような気がするが、それが一晩悶々と悩みながら過ごして溜めてしまった悪い考えを浄化してくれるような気がする。寝不足の頭に朝の光は痛いほど刺さってきて、小さな眩暈を覚えた。一晩音もなく降り続いた雪の所為で、庭が一段分近くにある。昨日ティアがつけていた足跡は跡形も無く消えていた。昨日の夜の時点で、2人組みが王都に向かったという情報と、東に向かったという情報の2本に絞られていた。宿に入られてしまうとなかなか探しにくいが、夜通し陰者達が調べてくれているはずである。
「アデルバート様、あまり長居されますとお体が冷えますよ。」
ため息の白さを眺めていると、背後からそう声をかけられた。ダンテスが私の右斜め後ろに立っていた。ニーナはいつの間にか部屋に戻り暖炉に火を入れている。いつもの通り執事の格好をしているが、彼も他の者と一緒に夜通しティアを探していたはずだ。それでも欠片も疲れを見せない所は流石としか言い様が無い。
「あぁ。」
私はダンテスに促されるまま部屋に戻り、ニーナを退室させて彼と向かい合った。ダンテスは簡単に状況を説明してくれた。少なくとも、王都へ向かってはいないらしい。となると東に向かった事になる。どうして東に向かったのかと首をひねる。東の町に知り合いなど居ないし王都へ向かうのとは違って宿も数が限られている。更に雪も深くなるから、見つかる可能性は高い。ダンテスもそれを考えていたらしく、直ぐに見つかってもいいと言わんばかりの行き先に疑問を感じているようだった。
「なんらからのカモフラージュかもしれませんから、念のため、王都への道も再度あたってくれ。」
私の言葉に彼は小さく頷いた。
「奥様が見つかった時は、いかが為さいますか?」
当然連れ帰るに決まっていると思ったが、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。帰ってこさせるのではこれまでと何も変わらない。自発的に帰ってきてもらわなくては意味が無いのだ。強制することに慣れてしまった私はどれほど傲慢なのか、この期に及んで彼女に「命令」をするつもりでいたなど、呆れて言葉も無い。
「…私が迎えに行こうと思う。」
「承知いたしました。」
私の答えに納得したのか、ダンテスは瞳にだけ微笑みを浮かべた。
ティアの居場所が分かったのはそれから程なくの事、モッズと名乗る母の従者がやってきて教えてくれた。どうしてティアが母の所へ行ったのかと驚いたが、すぐにカナンが案内したのだろうと察しがついた。カナンは父が紹介してくれたのだから、母と面識があっても不思議ではない。すぐに母の元に向かう準備をして、モッズと数人の護衛と共に東へ向かう。母と最後に会ったのはティアがラファエル領にやってくる前だから、もうずいぶん会っていない。久しぶりの再会がこんな形になってしまって、森の屋敷に向かう足取りは重かった。母にも、ティアにも、何を話すべきなのか…考えれば考えるほど分からなくなる。
昼前に屋敷を出て、母に再会したのは昼過ぎ。馬と犬ぞりで数時間の移動はあっけなく終わった。私を迎えた母は、この前会った時よりもすこし若返っているように思う。護衛たちに応接間で待機を命じて母と居間で対峙する。母の目はいつもよりも険しい光をやどしている。
「久しぶりね。」
「はい。すいません。なかなか顔をみせなくて。」
「そうね。でも私も会いに行かなかったから、それはお互い様ね。」
「ティアがお世話になりました。」
「可愛らしいお嬢さんね。少し変わっている所も有るけれど、しっかりした子じゃない。」
「…母様に気に入ってもらえてよかった。」
「もう少し別の出会い方をしたかったけれどね。…どうして、彼女が家を出たか分かっているの?」
「はい。私は彼女に窮屈な思いをさせてしまった…。」
そうねと母は深く息を吐きながら頷いた。
「あなたが彼女を守りたい気持ちも分かるけれど、やりすぎてしまったようね。」
「…やはり、やりすぎ…なのでしょうか?」
私の疑問に母は小首を傾げてじっと私を覗き込む。一瞬の沈黙の後に、私は意を決して言葉をつむいだ。ここにきて、どうしても納得できないのだ。妊婦は守られるべきだろう?母は途中で口を挟むことなく、私の話をじっと聞いてくれた。ティアがお転婆な事、私の見てきた妊婦はこれでもかというくらい丁重に扱われていた事、侍女くらいしか出産経験者が居ないために参考になる話が無い事…私は母に胸の内をさらけ出す。成人してから初めての事かもしれない。あぁ、私は不安だったんだなと思う。他から見たらくだらない事だとか、心配しすぎだと笑われるような事を言っているのは自覚できた。それでも、その不安は私の内に溜まって淀んでいたのだ。
「まず、今の話を彼女にするべきでしょうね。」
話し終えた私に母はそう言ってからゆっくりとお茶を含んだ。熟練の流れるような動作は優美だ。私と同じ緑色の瞳は厳しい色を消して慈愛を浮かべている。
「アデル。妊娠もね、人ぞれぞれなのよ。じっとしているのが良いという人もいれば、それ以前と変わらずに働いていないといけないという人もいる。つわり一つとっても、水も受け付けないほど気持ち悪いという人がいれば、常に何か食べていないと気持ち悪いとか、ただひたすら眠いとかいう人もいる。だからね、妊婦の感覚を無視して、周りが先回りしてあれこれと整えても意味が無いのよ。シンディーレイラはそういうタイプには見えないけれど、周りの過保護が重圧になって子どもをダメにしてしまう場合もあるのよ。」
母の言葉にハッと顔を上げる。自分なりに情報を集めたつもりでいたが、そんな話は聞いたことが無かった。私のやっていたことが意味の無いことだと断言されて、なぜかすんなりと受け入れることが出来た。母の言葉だからだろうか?心の中に無力感がポッカリと口をあけているが、その中には満足感や効力感とともに責任感や焦燥感も吸い取られていく。肩の荷が下りた感覚があった。
「そういうものですか…。」
私は疑問とも納得ともつかない返事をして深呼吸をした。
「そういうものよ。少なくとも、全くタイプが違うのだから、ティファニーとシンディーレイラを比べるのは止めなさい。」
「は?」
母の言葉に今度は私が首を傾げる。どうしてそこでティファニーがでてくるのだろうか?
「まさか、完全に無自覚なの?」
「なんのことでしょう?」
「あなた、ティファニーとシンディーレイラを重ねてみているでしょう?」
「はぁ?」
私は母の言葉に耳を疑った。あのどこも重ならない女性をどうやったら重ねて見ることが出来るのだろう?
「あなたはティファニーの印象が強いから、妊婦はおとなしくしておくべきと思い込んでいるのよ。彼女は元々おとなしかったし、じっとしているのが得意な子だったから、逆に、動かなさ過ぎてダニエルに怒られてたくらいなのよ。それと同じ行動をシンディーレイラに求めるのは酷よ。」
「そんなつもりは無いのだけど…。」
反論すると、母はじっとりとした目で私を眺めるように見つめた。
「ラファエル家の男達は元々心配性で過保護な所があるのよ。他の家では夫が細事にあれこれと口を出したりしないものなのよ。アデルはそういうタイプではないと思っていたけれど、やっぱり親子は似るのね。妊婦ってそんなに柔でもないのよ。」
「…そうなのかもしれない。」
母の言葉が胸に刺さって痛い。しかし、そこにある痛みは妙な心地よさを含んでいる。亡くなった父とも兄ともやはりまだどこかでつながっていられるのだということに甘ったれた安心感を抱く。離れて暮らしていても尚、母は私の事を良く分かっているのだというのも私を妙に落ち着かせた。子どもの頃の、いたずらが見つかった時の気持ちに似ている。しまったという焦りの中をじっくり探れば、そこには満足感とか信頼感がちらちらと覗くのだ。そんなつもりは無かったけれど、親が自分をキチンと見てくれているか試す行為でもあったのだろう。
「とにかく、今後の生活については2人で良く話し合いなさい。あなたたちは夫婦に成ったばかりなのだから、分かっているつもりで分かっていないこともたくさんあるはずだわ。」
「…はい。そうします。」
私が素直に頷くと、母はやんわりと微笑んで少し寂しそうな顔をした。
「…えらそうな事ばかり言ってないで、アデルに謝らないといけないわね。」
「何のことですか?」
「あなたに全てを押し付けて、私はここに逃げてしまった。あの時はそうするより他無かったのだけれども…今思うとあなたに酷い事をしてしまった。私は亡くした人たちの事ばかり考えて、自分の悲しみばかり追いかけて、アデルも残された家族だって事を考えようともしなかった。」
「いえ、私は男だし既に成人していたのだし、気に病まないで下さい。夫に加えて息子まで亡くされたのだから、母様の悲しみを思えば当然だと思っていますよ。」
「いいえ、私はあなたの母親です。成人しても、おじさんになってもそれはいつまでも変わらないのよ。」
そう言って母は片目をつぶる。私は自分の頬をするりと撫でて苦笑した。
「おじさんって…」
「もう30よ。立派なおじさんでしょう?」
「そうだけど…ひどいな。」
「ふふふ、私ももうすっかりお婆さんだもの…。」
「…孫も生まれるしね。」
「あら、そこは否定しなさいな。それが女性に対する礼儀でしょう。」
「それは、失礼。」
幾分わざとらしくはあるが、久しぶりに軽口を叩く。母はそれに微笑みながら、沈黙を作った。見詰め合うのは緑色の瞳。私が彼女の息子であるという証拠。どんなに時が経とうとも、どんな関係に変わろうとも私たちをつなげているものは消えない。それをわずらわしく思う事もあるのだろうが、今はただただ温かく心地いい。
「アデルバード、ごめんなさいね。」
母はまっすぐこちらを見たままそう言って頭を下げた。私はその謝罪を息と共に吸い込んで身体に巡らせる。
「もう、すんだことだよ。でも、ありがとう。」
そう、もう済んだ事だ。私は一人ではないのだから。
今回、少し苦労しました…。
あと数回で長かったアデル視点も終わります…実は早く別話が書きたい(笑)




