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41:白銀色の反旗

妊娠が分かってからニーナと共にティアに細心の注意を払っていたのだが、ダンテスやカナンには私の対応は不評だった。彼らは私がティアに対して「あれもダメ」「これもダメ」と禁止ばかりしているように思うらしい。そんな事はないと反論すると、彼らはそんな私に憚りもせずにため息を投げつける。仮にも主に対してそれは無いだろうと思うが、今に始まった事ではないので諦める。

周囲の反応を気にするのは、最近ティアの表情が曇りがちだからだ。妊娠が分かってすぐの頃は、体調が悪いながらも嬉しそうで、私が仕事から帰るとにこやかに出迎えてくれていた。しかし、つわりも終わって体調は回復したにもかかわらず、彼女の顔色はずっと悪いままだ。声をかけても気のない返事をしたり、ぼーっと遠くを見ていたり、顔に作り笑いを張りつけていたり…目さえなかなか合わない。ダニエルから安定期に入ったとお墨付きを貰ったらしいが、そんな様子では家の外に出すのも心配だ。ぼんやりして人にぶつかられたりしないとも限らない。原因がわからないので、とりあえず、彼女の気が晴れるまで側に居ようと思い、家に居るときは常に隣に居た。仕事もあるので十分に気遣ってやれたかというと疑問だが。少なくとも、私の目の届くところに居てくれれば安心度が違う。あまり薄着だったり、根を詰めて本をよんだり、彼女が無意識にしてしまう事に気づいてもやれる。ティアは色んな事に割と無頓着だから、私がそう言う部分を補えるのは良い事だと思う。

一時毎晩のように私に相談を持ちかけていたニーナは最近それ程部屋を訪れなくなった。妊婦を世話する時の勘が戻って来たらしく、ティアへの対応も落ち着きをとりもどした。それと同時に私は侍女達の対応に少し物足りなさを感じはじめる。慣れから来る気の緩みがあるのだろうか…ほんの僅かに私の希望するレベルに足りないのだ。それを見つける度に注意したりするが、いくら優秀な侍女達でも気を張り続けるのはなかなか難しいのかもしれない。結局、最低限の水準を保つのは私の役目だということだろう。

しかし、私がティアに安全で健康な生活を整えようとすればするほど、ティアの表情は固くなっていくようだった。必要なことだと諭せば頷いてくれるにもかかわらず、彼女もそれに賛同してくれたという手応えは無い。伝わらないもどかしさを抱えたままで表面上の反応を得られた事に小さな安堵を見いだすしかできない。月明かりの下、先に眠ったティアの穏やかな寝顔を見つめて、膨らみはじめたお腹にそっと手を当てて、今日も無事だったと確認する時間が穏やかに腹の子の成長を喜べる唯一の時間だった。


ある日の朝、私は目覚めて、妙な違和感を感じた。辺りを見回すが見知らぬ部屋の様に感じる。なぜそんな風に思うのかと部屋を見渡して、原因に気付いた瞬間飛び起きた。いつもは私が仕事に行くまで眠っているティアがベッドに居なかったのだ。

手元にあったガウンを羽織って、隣室を確認するがティアは居なかった。暖炉に入れられた小さな火だけが控え目にはぜている。侍女の姿も見えない。衣装室の方にも気配は無いし、一度寝室に戻ろうとしてバルコニーを見る。今年はじめての雪が積もったそこに当然ティアは居ない。そう思って、視界の端で動くものに気がついた。ティアを真っ白な庭の一角に見つけた瞬間、私は部屋から飛び出した。


「ティア!」

庭に下りてすぐ、怒鳴るように叫ぶとティアはビクリと身体を震わせた。

「アデル。」

こちらを見て彼女がしまったと言うような顔をしたその時、彼女の体が小さく傾いだ。足を滑らせたのだと思った時には後ろに控えていたカナンが彼女を支えて大事には至らなかった。しかしそれを目にして私の感情は沸点を越えてしまった。子どもの頃は待ち遠しかった辺り一面の雪が無性に腹立たしい。

「こんなところで何してるんだ!」

「雪を、見てたのよ。」

沸き上がる怒りを抑えられない私とは裏腹に、ティアは悪びれた様子も無く淡々とそう答えた。

私は怒りの矛先がティアに向かうのを感じて、とっさにカナンを睨む。この期に及んでこの荒い感情を身重のティアにぶつけるのは憚られた。

「どういうことだ?」

「ご希望でしたので。」

「なぜ止めない!!」

「…止める必要が?」

カナンの言葉に私は目を見開いた。彼女は私の意志に従う事を止めたらしい。主の意志に従わないと言う意味を彼女が知らないはずは無いから、これはつまり辞意表明なのだ。胃がキリリと痛んだ。母から紹介されたこの小さな従者を私はかなり頼りにしていたらしい。沸いてくるのは怒りではなく不安だった。

「ごめんなさい。私がわがままを言ったの。すぐ戻るわ。」

私達の間に流れた不穏な空気をとりなそうと、ティアが無理やり明るい声を出したけれど、この場に流れる重い空気を浮き彫りにしたに過ぎない。

「あぁ、戻ろう。…カナン、今日からティアの部屋付きを解任する。」

私はカナンの辞意表明を受け止める事ができなかった。誤魔化すようにそれだけ言うとティアの手を引いて部屋へ戻ろうとした。射ぬくようなカナンの瞳から逃げたくて仕方なかったのだ。とったはずのティアの手がするりと解かれ、振り返ろうとした瞬間、

「奥様!」

カナンの叫び声を聞いた。

「ティア!」

私が彼女の名前を呼んだのは、カナンがティアの傾いた体を抱き止めた後だった。無事だと確認出来て尚、心臓はドドドドっと速い鼓動を刻み続けた。ティアがカナンに礼を言って体勢を立て直すのを見つめながら緊張で体が固まって手を貸すことも出来ない。カナンの手が間に合わなければ、最悪、ティアや腹の子に何かあったかもしれないという想像に恐怖すら感じる。それをごまかそうと口を開いた。

「危ないじゃないか、どうして手を…」


―バシンッ―


しかし、私の言葉は小気味よい破裂音にかき消された。頬に走る痺れと、目の前で手の痛みを逃がしているティアから、平手をくらったのだと分かるまでに数瞬かかった。驚く私をティアはぐっと睨み付ける。

「危ないのは貴方でしょう?こんなところでいきなり手を引くなんて。自分の行動を省みなさい。…カナンは私の侍女です。何を勝手なことを言っているのです。私は、もうこれ以上、あなたの思い通りにはできません。」

私とカナンの関係をこれまでティアに話したことは無かった。カナンから聞いているかもしれないと思っていたが、彼女の言葉から、ティアは何も知らないことが伺える。どちらにせよ、確かに表向きは後宮からティアがつれてきた侍女だが、侯爵家に入った時点で侯爵家の一使用人なのだから、ティアの言い分は間違っているのだけれども。いや、今はそんな話なのではないか…私は少し混乱しているらしい。

「私は、君の体を思って…。」

「今のアデルの側で、私の体が休まると思って?」

ティアの言葉が容赦なく私を刺す。

「私は体調管理もできない子どもですか?支えてやらないと歩けもしない女ですか?」

怒りのままに言われた言葉を私はやはりうまく咀嚼できなかった。今まで私がしてきた気遣いは全て無用だったということだろうか?いや、そんなはずは無い。ティアは妊娠中の体について知ら無すぎるのだ。簡単に風邪を引くし、少しの衝撃で子どもがダメになったりする…そうして傷つくのは私でなくてティア自身だ。少しくらいの不自由は甘受すべきなのに、彼女はわがままを言っているだけだ。私はそう結論付けた。そう思わないと自分が苦しくなると分かっていた。

「そうだ。君は弱い。だから私が守らなければ。」

「なっ…。」

「部屋に戻りなさい。これからは散歩をしたくなったら私の許可をとりなさい。」

私はティアの返事も聞かずに背を向けて歩き出した。これ以上、わがままに付き合ってはいられないという意思表示だ。私の気持ちが伝わったのか、背後はしんと静まっていた。


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