38:枯茶色の義父
「長くご挨拶に伺わず、申し訳有りません。」
結局、無駄話でやり過ごすのは無理だろうと思い、訪問前に伯爵に言うべきだろうと考えていた言葉を選んだ。この後、会話が続かなくても知ったことではない。招かれているのは私の方なのだから、伯爵が沈黙するならそれに倣えば良いと、場をつなぐ責任を全面的に擦り付ける。
「いえ、とんでもない。こちらからご挨拶に伺うべきだったのですから。」
かなり棒読みなセリフが返って来て心の中で苦笑する。いくら爵位が上だからと言って、義父に敬語を使われるのは居た堪れない。
「どうぞ、私に敬語など使わないで下さい。」
今では義理といえども親子なのですから…と言おうか言うまいか一瞬悩んで止めておいた。言わなくても良いことは言わなくても良い。
「それはありがたいお申し出をどうも。」
伯爵は少し言葉を崩して、それと同時にまとう空気も変えた。しかし、それでも私達の間に柔らかさや和やかさはない。敵意の様なものを示されて少々の息苦しさを感じる。
「最近、娘について妙な噂が飛び交っているようだが。」
「…申し訳ありません。何かご迷惑をおかけしてしまったでしょうか?」
「いや、時々噂の真相を探りにくる者が居るくらいだ。話そうにも私も何も知らないのでな。娘が体調を崩した事と関係しているのか?」
「はい。ご心配をおかけしてはと思い黙っていたのですが。」
私は簡単にティアの失踪事件について話した。公爵邸でかどわかされ、女神の樹海で見つかった。犯人についてはまだ分からないのでかどわかされた理由も分からない。上手く痕跡を消されていて犯人の捜査は難航しているが、ティアの周囲は警備を強化していると。出来うる範囲で正直に話す。話が進めば進むほど、伯爵の眉間の皺が深まった。
「彼女を危険に晒してしまって申し訳なく思っています。」
そう締めくくると伯爵はゆっくりと瞬きをした。膝の上で握り締められた拳が微かに震え、怒りに堪える様子が伺える。その怒りは私に対してのものか犯人に対してのものか…私には判断がつかない。
「犯人が捕まるまで、娘を我が家でかくまってはどうか?体調が優れないのは事実なのだから、実家に帰った所で悪評は立つまい。」
次に伯爵がこぼした提案はあまりに予想通りで少し驚いた。犯人の意図が分からないということにしているが、その場合一番に疑うのがラファエル家への怨恨だ。それならばラファエル家から離れればティアは安全なのでは…と思う気持ちはわからなくもない。
「申し訳ありませんが・・・。」
「なぜだ。」
「ティアが領地へ帰るのを楽しみにしていますので。先日、彼女の体調を慮って今年は王都で冬を越すかと提案しましたが、王都の周辺は落ち着かないと…領地の屋敷でのんびりと雪を見ながら養生したいと言うのです。幸い領地の特性上屋敷に戻れば警備もしやすく、すぐに雪に閉ざされますので王都の悪意から遠ざかる事ができると考えております。心配していたティアの体調は日に日に回復していて、数日前に医者からも旅に耐えられるまで回復しているとお墨付きをもらいましたので。」
はっきりと実家では安らげないと言った訳では無いが遠慮の無く我が領地が一番安全だと主張する私の言葉にクランドール伯爵が苦虫を噛み潰した様な顔をしている。それでも、これ以上ティアを実家にかくまうという話をすれば、侯爵家の警備に文句をつける事になると気付いたのか、彼は喉元まで出かかっていた言葉を飲み込むと小さく咳払いして間をとった。その後、そうですかと小さく頷いて理解を示してくれる。
「必ず守りますので、どうかご安心下さい。」
「…よろしく頼む。」
明らかに納得していない様子だが、私は気付かぬふりでやりすごした。伯爵は冷めてしまったお茶を一口ゆっくりと飲んで間を作る。私もそれに習った。広いサロンに沈黙が落ちるのをぼんやりと眺めるような時間が過ぎる。
「…ティアと、呼んでいるんだな。」
だから、次に彼が口にしたセリフに少し驚いてしまった。どこを見るでもなく漂わせていた目線を伯爵に向けると、向かいの彼は窓の外を眺めたままだ。少し疲れたように姿勢を崩していて、貴族と向かい合っている…という気構えはそこには見えない。伯爵の纏う空気は先ほどまでに比べてずいぶん柔らかい。クランドール伯爵としてではなく、ティアの父として、そして一人の男性として私の目の前に座っている…そんな佇まいだった。
「はい。彼女がそう呼ぶようにと言ったので。」
「そうか、あの子から。」
「ティアの母君がそう呼ばれていたのだそうですね。」
「あぁ、セレスティアというのはあれの実母がつけたのだ。」
伯爵は遠い目をしてそう言った。
「前妻、クロエッツァは体が弱かった。」
「聞いています。それでも、活発な女性だったと。」
「あぁ、いつも無茶ばかりして、手を焼いていた。護衛も着けずに、馬に乗って森を散歩していた…なんて日常茶飯事だった。シンディーレイラは母親の血をかなり濃く受け継いでいる。覚悟しておいた方がいい。」
ほんのりと笑みの様な物を浮かべて、伯爵は私に目を向けた。私はそれを微笑をもって受け止めながら、心を通わせる為に目が合うのは初めてだと思った。その枯茶色の目は娘に対する慈愛を浮かべていて、私は無性に「ならばどうして」と尋ねたくなった。愛しているのならばどうして、母を無くした幼いティアをほったらかしにしたのか…少なくとも彼女にとって実家が居心地の良い場所であったなら、いくら遠いと言っても、もう少し交流を持てたはずだ。今の状態では、彼女は母だけでなく父まで失っている様だ。頼れるものの居ない辛さは良く知っている。しかし、出かかった言葉を私は一瞬の迷いの後に茶と共に飲み込んだ。目の前の男性はティアの父なのだ。非難するのは簡単だが、それがティアに良い変化をもたらすとも思えない。それに、もしティアが私の母を非難したら…私は何も知らないくせに勝手な事を言うなとティアを諫めたくなるだろう。
私の沈黙を破ったのは廊下から聞こえる話し声だった。長い廊下を響く声にはティアとトーマス以外の声も交じる。継母が合流したのだろうか。だんだんと近づいてくる声の賑やかさに一瞬唖然とした後、伯爵は私に向かって苦笑した
「…躾が甘くてすまん。」
そういいながらも屋敷に明るい声が響く事を喜んでいる様子が伺える。きっと親子3人での暮らしは彼の記憶にあるよりも静かなのだろう。
「いえ。私ももう身内なのですから。」
そう返事をすると伯爵は器用に方眉を上げてこちらを流し見た。
「認めたつもりは無いのだがなぁ。」
彼はそう呟いて私から視線を外すとそろそろ開くだろうドアに目を移す。その横顔は少し照れを含んでいる。私は明確な受け答えをせずに義父に倣った。
ほどなく、軽やかなノックと共に4人の人物がサロンに入った。トーマスとティアと共に居たのは、驚くべきことにローズとルビーだった。4人とも扉を閉めてもクスクス笑い合っている。
「お前たちも来ていたのか。」
「お父様、ごきげんよう。お久しぶりです。」
「先ほど着きまして、シンディーレイラが庭だと言うからそちらに回りましたの。ごあいさつが遅れて申し訳ありません。」
「それはいいのだが…嫁に行った娘が揃って廊下で騒ぐなど、ラファエル侯爵もお越しなのだぞ。」
伯爵の言葉に3人の女性達は肩を竦めて口々に謝った。その後で義姉達は一拍間を置くと、何事も無かったかのように姿勢を正して礼をすると私に向かって挨拶を述べた。私は少々面食らいながらも笑顔を張りつけて受け答えする。姉妹の仲は悪かったのでは無いのだろうか?疑問が湧くがこの状況では答えを知るすべがない。伯爵に着席を促されるが、ティアは首を振って暇を告げた。
「もう、帰ってしまうの?会ったばかりなのに。」
「そうよ、もう少しおしゃべりしましょうよ。」
口々に引き止める姉弟にやんわり微笑んで、ティアは今日は少し疲れてしまったからまたねと言った。病み上がりのティアにそういわれると、大人達はあきらめるしかない。ただ一人、トーマスは悲しそうな顔で嫌だとダダをこねる。それをティアはなんとか宥めようとしている。しかし、今度来るときはゆっくり遊ぼうと言っても、お土産においしいお菓子を持ってくると言っても、トーマスは首を縦に振らない。あまりに頑なな様子に
「トーマス、いい加減にしないか。」
呆れ顔の伯爵がそう諌めると、悔しそうに唇をかんだ。
「ほら、きちんとご挨拶なさいな。」
少し悪くなった空気を払うかの様に明るい声でローズが宥める。しかし、そうして背中を押されて一歩前に出ると、トーマスはキッと私を睨んだ。
「あんたの所為だっ!僕の姉さまを返せ!」
そう怒鳴るように言ってから私の腹に体当たりをし、そのままドアを蹴破る勢いで部屋から駆け出した。
「トーマスっ!」
伯爵の厳しい声もその背中を捕らえる事は出来ない。その様子に姉妹達は小さく息をのんでいる。
「…申し訳ない。息子が無礼を…。」
伯爵は私に向かって深々と頭を下げた。部屋に残った3人の娘はその様子を気まずそうに見つめている。親が頭を下げる所などなかなか見る機会は無いのだから、目のやり場に困っても仕方ないかもしれない。
「いえ、子どものしたことですからお気になさらず。私の所為だ…とは?」
「いや…。」
「あの子は小さい時からシンディーレイラに良く懐いてまして…シンディーの為に後宮を守る騎士になるというのが口癖だったのです。」
口ごもる伯爵に変わってルビーがそう教えてくれる。私の隣ではティアもびっくりしたように目を見開いている。
「シンディーが後宮を出て、トーマスの手の届かぬ所に行ってしまった…あの子はそう思っているんですわ。」
ローズの言葉に思わず苦笑を浮かべた。伯爵家の跡取りであるトーマスが騎士になるなど、伯爵様許されるはずは無い。でも、きっと、大人たちは勉強やなんかをさせる時に彼の気持ちを煽る様なことを言ったのだろうと容易に想像できた。「後宮の騎士になる為には賢くないといけない。」「このぐらいの事はできなくてはいけない。」「このくらいでへこたれていてはとても王宮には上がれない。」そう言って歯を食いしばるたびに淡い夢はより現実味を増して心に刻まれる。私も幼い時、勉強や武術を頑張らせようと兄の婚約者への淡い恋心を利用された事がある。
「なるほど。追いかけなくて良いのでしょうか?」
開きっぱなしの扉を見つめて誰に宛てるでもなくそうつぶやくと、隣からカラリと乾いた声がして、必要ないわと笑った。
「追いかけて慰めたらトーマスの思うつぼだもの。もし冬の間に私に会いたいとわがままを言ったら、私が『きちんと挨拶もできない子に会いに来るつもりは無いわ』と言っていたと伝えてくれる?」
ティアの言葉を私を含めた年長者4人は驚きをもって聞いた。
「それは、少し厳しすぎやしないか?」
「彼はまだ10歳よ?」
口々にティアを諌める私達をティアは困った者を見る目で見渡す。
「皆、トーマスに甘すぎです。一番下だからっていつまでも子ども扱いしていたら、彼はあのままよ。それで伯爵家を任せられるの?」
「いや、今のままでは困るが・・・。」
「でしょう?お父様も、年だかなんだか知りませんけどね、締めるべきところはきっちり締めないと、後で益々大変ですよ。」
「…め、面目ない。」
とりあえずトーマスの教育について部外者の私は親子に結論を任せようとそのやりとりを気配を消して見つめた。ティアに年長者達が叱られる形で、結局ティアの言ったとおりに対処する事になり、私達はその場で別れの挨拶をして、伯爵邸を後にした。
帰り道、馬車の窓から伯爵邸の周辺を食い入るように見つめるティアに
「これでよかったのか?」
と声をかける。ティアは窓の外を見つめたまま小さく頷いた。
「少なくとも…私のように育ったら、彼は伯爵家を継ぐ義務を放り出しかねないもの。それではいけないでしょう?」
そう呟く瞳に映るのは見慣れた町並み。ティアはその風景に幼き日の自分を重ねているのかもしれない。私は彼女がようやく郷愁の念に駆られているのをそっと見守る事にした。伯爵に教えられるまでも無くティアのお転婆さは既に実感しているが、それに加えて彼女は頑なな所がある。今度訪ねた時には、それは誰に似たのかと聞いてもいいかもしれない。
本文中の「認めたつもりはないのだがなぁ」という父の呟き…
本当に、ティアの結婚を認めたつもりは無いという意味と、王意を否定する言葉をいえるくらいアデルの事を信用しているのだと示す意味の2つの意味を込めて言っています。
文中で説明するとくどいので、こちらで…。
説明書きなど無く伝えられる文章力が欲しいです…(^^;)
いつも読んでくださってありがとうございます。
アデルの話も最終章突入です。




