表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/128

閑話:馬車の中

茶会後の下賜姫達の様子です。

秋も深まったある日の夕暮れ時。外は気温がぐっと下がって風も冷たさを増している。王都にあるラファエル家の屋敷から数台の馬車が散り散りに走り去った。黄昏の空の下、気だるい足取りの馬を宥めながら各馬車の御者達は確かな技術で馬車を走らせる。馬車は大小新旧様々であるが、いずれも家紋が付いていて、中に乗っているの身分ある人物だという事が分かる。すこし、中を覗いてみよう。


中でも一際大きく新しい馬車の中には親子ほど…いや、それ以上に年の離れた男女が仲睦まじく寄り添って、ゆったりと座っていた。きっと街中でこの2人をぱっと見た瞬間、多くの人は首を傾げるだろう。夫婦と思うには年が離れすぎているし、親子というには距離が近すぎる。それに愛人…などというどこか後ろ暗さを含む間柄には到底見えない。2人が作る雰囲気はあまりに暢気で穏やかだ。しかし、2人はそんな周囲の戸惑いなど全く気にしない。むしろ楽しんでさえいる。彼らはれっきとした夫婦なのだから、他からどう見えようと知ったことではないというのが2人の主張だ。どちらにせよ、今は馬車の中で人目は無い。

夫人は真新しいマタニティー用の腹を締め付けないドレスを着ている。なるほど彼女の妊娠を機に馬車も新調したのだろう。揺れの少ない大型の馬車に更に揺れを軽減する為のフカフカのクッションがこれでもかと敷き詰められている。その手厚い様子から、夫が妻の体調に細心の注意を払っているのが伺える。

「シンディーが元気でよかったわ。」

「あぁ、そうだね。とても樹海にいたとは思えない。」

「あなたその事、ずいぶん前から知っていたのでしょう?私に教えて下さってもよかったのに。」

妻は口を尖らせた。その仕草はとても幼くて、彼女を実際の年齢よりも若く見せる。

「あぁ、すまない。けれどあの時は君に伝えられなかったんだ。なんせ、女神の樹海だからね。」

夫は妻の拗ねた様子に動じもせずに、やんわりと微笑みながら謝った。妻のレモンイエローの髪を皺のある節の太くなった手で撫でると、妻はケロリと機嫌を直して夫の手の感触を楽しんだ。

「それにしても、シンディーらしい結論になった…といえば良いのかしら。」

「さぁてね・・・しかし侯爵は夫人にかなり弱いらしい事は間違いないな。」

「そうね、どうやってあんなわがまま認めさせたのかしら…」

「侯爵が折れる他無いのだろう。彼女は頑固そうだ。」

「まぁ、あなたったら。」

夫人はころころとおかしそうに笑った。微笑む妻を見て夫も目を細める。

「いずれにせよ…無事で良かったわ。」

「あぁ。それに尽きる。」

「これで安心して領地に帰れるわ。」

「そうだ。元気な赤ちゃんを産まないとね。」

「えぇ。」

夫が妻の肩を柔らかく抱き寄せると妻は素直に身をまかせた。

「産まれる頃に花壇が満開になるように種を蒔かなきゃ。」

「おいおい、まだ土いじり続けるのかい?」

「えぇ。今のうちに楽しまなきゃお腹が大きくなったら難しくなるもの。」

「やれやれ…仕方ない。私も手伝うとするか。」

「また爺に叱られるわね。」

「そしたら、2人で離れに避難したらいいよ。…しかし、クルスを爺と呼ぶのは直らないのかい?彼は私より年下だよ?」

「だって、彼ほど爺という言葉が似合う人は居ないわ。」

「まぁ、わからなくもないが・・・。」

2人は馬車の中でじゃれあうような会話を続けている。この分だと、彼らの屋敷まであっという間についてしまうだろう。それにしても、どこの夫婦でも多かれ少なかれ夫は妻に弱いのかもしれない。




別の馬車の中ではこちらも親子ほど年の離れた夫婦がピンと背筋を伸ばして座っている。先ほど夫婦よりは互いの歳は近いのかもしれないが、真面目で堅い雰囲気の夫は年齢以上に落ち着きと貫禄が有る。すらりと細い妻は、赤味がかった髪色と釣り目の所為で気が強そうに見えるが、実はそれほど気の強いタイプでもない。今はその顔に少しばかりの疲れと安堵を浮かべている。

「終わったね。」

「終った…のでしょうか?」

「何かひっかかるかい?」

「いえ…これで良かったのかと思ってしまって…シンディーの処置は異例でしょう?」

「まぁ、そうだな。」

「ラファエル侯爵も良く許されたと思って…。」

「納得してはいないようだよ。けれど夫人の為に仕方なくといった所だな。侯爵はかなり夫人に甘いようだ。」

そう言って笑う夫を妻は笑い事じゃありませんと嗜めた。

「あはは、すまない。君自身はどうなんだい?君も被害者の一人なのだから、今後の付き合い方は自分で決めていいんだよ。」

「最初は彼女を恨みましたが、シンディーも無事でしたし…。シンディーが許すと言うのなら、私もその努力をしようと思います。すぐには無理ですけれど…」

「そうか。その方が君の為にもいいだろうと思うよ。すぐに気持ちに整理をつける必要は無い。彼等が罪を償うのにかかる時間を、私達は彼らの罪を許すために使えば良いんだ。どんな時でも私が側に居る。」

「…はい。ありがとうございます。」

妻は照れ臭そうに微笑んでそっと夫の手に自分の手を重ねた。夫は手のひらを上に向けて妻の手を柔らかくけれどしっかりと握り締める。

「あなたのおかげで…」

「うん?」

「あなたのおかげで、卑屈にならずに済みました。最初はみっともなく取り乱してしまいましたけれど。私をずっと信じてくださってありがとうございます。」

「なんだ、そんなことか。礼には及ばないよ。当たり前の事だ。」

「いえ、あなたが信じてくださらなかったら、私きっと自分を諦めてしまいました。」

妻は元々貴族とは名ばかりの貧乏男爵家の出だった。貴族には勿論、庶民にも馬鹿にされ、蔑まされて暮してきた。それは後宮に居た時も同じだった。周囲から根拠に乏しい侮蔑を受けても、自分の立場を理由に諦める事には慣れている。伯爵家に嫁いで伯爵夫人といわれるようになって、やっと貴族として敬われ、傅かれるということを知った。その立場に見合う為の、淑女教育も教養も夫に与えてもらっている。まだまだ夫に釣り合うような女性にはなれていないと日々努力を重ねていた時に、人攫いの汚名をかぶせられかけた。自分だけの不名誉ではない。夫にも伯爵家にもきっと泥を塗ってしまったのだとひどく落ち込んだ。けれど、夫は怒るどころか、ずっと信じ続けてくれた。側に寄り添い励まし続けてくれた。今回の事があって以前よりも夫を身近に感じるようになった。事件が有って良かったとは言わないが、ただ忘れてしまいたい出来事と言う訳でもない。

「私、あなたの妻になれてとても幸せです。」

そう恥ずかしそうにうつむき加減で伝えた妻の頬を、夫は空いた手でひと撫でしてから頬にキスをした。

「そういうセリフはもっと日が暮れてから聞きたいものだな。」

「え?」

「君はなんでもすぐに顔に出る。そこが可愛いところだね。」

「もう、からかわないで下さいっ!」

「いや、からかってなどいないよ。『日が暮れてから』という言葉に何を想像してるんだい?」

真っ赤になって恥ずかしがる妻はなんとも初心で可愛らしい。揺れる馬車の中で、夫はその素直な反応を心行くまで楽しんだ。彼らの乗る古い馬車は日々磨かれ、手入れされて長く長く使われている。そうして歴史が刻まれた物は古びて見えても他には無い輝きをもち、金では買えない価値をもつようになる。そういう考え方が彼には染み付いている。その考え方こそが彼の家に脈々と受け継がれてきた大きな財産なのだ。そしてそうやって歴史を積み重ねた先にある喜びもよく知っている。だから妻に対しても同じように、手をかけ、時間をかけて長く長く愛せる事を求める。流行りか何か知らないが互いに愛人を囲って、必要な時だけ夫婦の仮面を被る…なんていう生活は馬鹿げている。妻となった女性を信用する事など彼にとっては当たり前の事だった。感謝される様な事ではない。

「アディソン夫妻に、負けてられないね。」

赤くなって狼狽える妻をからかうのは楽しい。

「あ、あなたはそうやって、いつも私を子ども扱いするのね!」

つんっと横を向いた妻に夫はさじ加減を少々間違えた事を理解する。いつもは従順な妻だが、こうなると機嫌をとるのは至難の技だ。しかし、こうやって不貞腐れる妻も意外と好きだったりする。ダメなところも良く見えてしまうものらしい。ラファエル侯爵の夫人への甘さを笑う資格は彼には無い。彼だって妻を見る目は十分に甘いのだ。




また別の馬車の中。厳つい中年男性と少女と見まごう可愛らしさの女性がのんびり馬車に揺られている。かなり年の差がある夫婦も多い貴族社会では、彼らくらいの年の差の夫婦は珍しくない。しかし、美女と野獣…というか、町娘と山賊ではないかと疑えるくらいの風貌と体格差の所為で、あまり夫婦らしくは見えない。背も高く分厚い筋肉に覆われた夫は、出るべきところが出た妖艶で迫力のある美女がしな垂れかかっている図が似合いそうだし。可愛らしくおとなしい妻は、もっと貴族然とした優雅な男性と並んでいる方が絵になりそうだ。その事を気にしているのは妻ばかりで、夫は自分の片腕に乗りそうな妻の華奢でこじんまりとした体格が気に入っていて、自分達ほどお似合いの夫婦は居ないと信じて疑わない。

「少し遅くなってしまいましたね。」

「そうか?」

「はい。子ども達が待っています。」

「子ども…か?奴等はもう成人しているんだ。食事も就寝も自分達でするだろう。」

「それはそうですけれど…まだ甘えたい事もあるようですよ?」

「おいおい。奴等の戯言を真に受けてはいけない。あれは母に甘えているというのではないだろう…目を離すと君を口説きにかかっている。」

「まさか。私は彼らの母ですから。」

「いや、ん、まぁ、とにかく、奴等には気をつけろ。」

「ふふふ、あなたはそればっかり。」

ニコニコと微笑む妻に毒気を抜かれ、夫は厳つい顔に困ったような表情を浮かべた。前妻との間に産まれた3人の息子達はもうとっくに成人しているのだが、新しくできたこの若い母親を気に入って、何かとちょっかいを出すのだ。継子という立場を利用するので、心やさしい妻はそれを拒否したり出来ない。息子達の新しい母に対する態度は女を口説く男のそれに見えるのだが、妻には危機感などは全く無い。どんなに説明しても彼女は自分が口説かれているということを上手く理解出来ないのだ。せっかく可愛い妻を貰ったのに独り占め出来ない事を夫は常々不満に思っていた。しかし、こうして2人で居るときさえ、妻は息子達の事を持ち出す。このまま屋敷に戻らずにどこかに連れ去って、四六時中自分の事だけを考えさせてみたいものだと思う。

「シンディーの結論は、少し残酷に感じました。」

夫が妄想に耽っていると、妻がおもむろにそう切り出した。妻が批判的な事を口にするのはとても珍しく、夫は我に返って話の続きを促した。

「ラファエル侯爵様の心中を思うと、きちんとした手続きを経て、法に沿った裁きを受けたほうが良かったのでは無いかと思って。」

「そうか。」

神妙に受け止めたようなフリをしながらも、妻が息子達だけでなく侯爵にまで思いを馳せる事が引っかかる。自分と2人で居るのに…と小さな苛立ちさえ感じる。

「結果が気に入らないのならば、ウィンズレッド侯爵夫人が犯人だと国に密告すれば、事態は動く。」

だから、少し強い口調で突き放す様な返事をしてしまった。すると妻が眉をハの字にして悲しそうにうつむくから、途端にしまったなという気持ちになる。

「そんなつもりでは…シンディーが納得して出した結論ですもの、私が口を出すつもりは無いのです。けれど、気持ちがモヤモヤして…あなたに聞いていただいたなら、気も晴れるかと…お気に障ったならごめんなさい。」

先ほどまで苛立ちを抱えていたなんて嘘の様に、妻の弁明を聞くと気持ちが晴れる。妻が打ち明け話をする相手が自分に限定されているらしいことになんとも言えない満足感を持った。そしてそんな自分とラファエル侯爵が重なった。弱味も短所も自分にだけ見せているのだと思えば愛しい。ラファエル夫人の要求が異例でも無茶でも残酷でも「あなたなら理解してくれる」と言われればなんとか受け入れよう叶えようとしてしまうのが、男の悲しい性なのだろう。夫はそこに思い至ってふっと顔をほころばせた。

「すまない。言い方がまずかったな。気に障ってなど居ない。ただ可能性の話をしただけだ。」

「そうなんですか?」

「あぁ。それくらいラファエル侯爵家の出した結論は危うい物だと言いたかった。きっとそれを理解しながらも、侯爵は夫人の希望通りの結論を出したかったのだろう。しかし、私としては絶妙のバランスを持った見事な裁きだったとも思うぞ。」

「あなたがそう仰ると、そのような気がするのだから不思議ですわ。…きっとこれから、良い方向に向かいますわよね?」

「あぁ、きっと。」

そうやって宥めると妻は笑顔を取り戻した。夫は屋敷までの短い間、誰にも邪魔されない妻との会話を楽しんだ。どれだけ他の男の話題になったって、自分だけは特別だと思えば問題無い。自分たちは世界一お似合いの夫婦なのだから、もとより誰も割り込めはしないのだし。他が聞けば多数の異論が出てきそうな事を心中で考えているのは彼だけではないかもしれない。


夫の年齢順に3組。

おっさんらに萌えていただければ、いいのですけれど…?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ