30.空色の権力者
彼女の姿を認めると思わず抱きしめた。怒りも焦りもそれまでの気持ちは形を潜めてただただ彼女の無事に安堵する。
「アデル…ご、めん…なさ、い。」
息苦しそうな彼女の声に、力いっぱい抱きしめていた事に気づいて力をゆるめる。すると腕の中でティアはほっとしたように息を吐いた。それにあわせて、コホンと咳払いが聞こえる。そちらを見ると金色の美丈夫が呆れたようにこちらを見ていた。
「陛下…。」
私はやっとティア以外の存在を認識した。慌てて妻を離すと、この国の最高権力者に頭を下げた。どうして、ティアの側にこの男が居るのかと暴れだしたい気持ちを理性でぐっと押さえつける。
「楽にせよ。」
陛下の言葉に顔を上げると、陛下は微笑みを湛えてこちらを見ていた。しかし、闇の中でも色を失わないスカイブルーの瞳は全く笑っていない。私は目の前の男の迫力に押し黙る。黙った私に小さく頷くと、陛下はわざとらしい丁寧さで
「偶々、会ってね。懐かしくて話し込んでしまった。悪い事をした。」
と言って、窓に向かって歩き出した。
「…いえ。」
陛下が謝罪にも取れる言葉を口にしたという驚きに私は言葉を紡げなかった。月明かりが名残惜しげに陛下の髪に絡みつく。ティアよりも明るい金色のその髪は彼の歩調にあわせて軽やかに揺れている。私はその背中に向かって、再度礼をとる。ただ歩くその姿は、言いたい事も尋ねたい事も全て飲み込めと圧力をかけてくる。
「幸せにならないと攫いに行くよ。」
頭上で甘さを含んだ柔らかなテノール聞こえて、思わず顔を上げるが、声の主は広間の明かりに溶けて消えた。
どれくらい、陛下の消えた窓を見つめていたのだろうか。
「アデル。」
小さく呼ぶその申し訳無さそうな声にティアを振り返った。
「ごめんなさい。」
ティアがしゅんと身を縮こまらせるから、罪悪感に苛まれる。彼女だけが悪い訳ではないのだ。どうしてあの場を離れたのかと彼女を責める気持ちはいつの間にか無くなっていた。
「帰ろう。話しは後で聞く。」
なんだか落ち込んだ気分で彼女の肩を抱いて、その冷たさに思わず眉間に皺が寄る。
「冷えてしまっている。」
「大丈夫。」
そういって微笑む彼女をぎゅっと抱きしめて城を後にした。
帰りの馬車の中でティアの話を聞くと、私の想像以上の事が起こっていた。マクレーンがティアに向けた言葉に殺意にも似た怒りが沸くが、今となってはどうしようもない。私が守らねばならないのに、陛下に助けてもらってしまった。そのことが心に重くのしかかる。ティアを助けてくれたのが陛下でなければ、こんなにモヤモヤする事は無かっただろうと思われた。しかし、陛下が居なければ、ティアの身に何が起きていたかと想像して、私のちっぽけなプライドなどどうでもいいような気がした。ほんとうに、彼女が無事でよかった。ティアは窮屈かもしれないが、今後、社交界に居る間は単独行動は控えてもらうことにした。一人になるなという私の言葉に妻は神妙にうなずいた。
馬車の中でティアは安心したのか、私に身を任せてゆったりと寛いでいる。ほのかに温かさの戻った肩を抱きながら、しかし、今回の事はまだ終わってい無いのではという予感が頭の中に警鐘を鳴らす。マクレーンという名が出てくるのが突然すぎるのだ。影の事前調査でも危険度は中。個人的に関わらなければ害は無いと判断していた。確かにつまらない貴族の代表みたいな家だがその分権力には弱い。更に、公の場で下賜姫を悪し様に言う事がマクレーンの利益に繋がらない。無駄な自尊心と虚栄心の塊みたいな人物なだけに、ただ下賜姫を下に見るという優越感を望んだ可能性もあるが、それは低いと思われた。少なくとも利益にならない危険を嫌うくらいの常識はあるはずだった。マクレーンを仕向けた者がいる。それが誰なのか、何のためにティアを害するのか…問題は山積みだった。




