27.紅葉色の思慮
短い夏が終わると、ラファエル領は直ぐに色彩を変える。棚田が黄金色に染まり、木々は次第に赤や黄に色づく。空は高さを増しながらもうっすらと霞を含むような柔らかな色合いを好む様になる。夜風がカラリと乾きはじめると、貴族は誰からともなく王都に集まり、社交界を形成する。このめんどくさくも華やかな季節が今年ほど楽しいことは無い。私は隣に寄り添う妻を見つめて目尻を下げた。美しい彼女は何を着ても似合う。婚前に私が用意したドレスを着て、どこか誇らしげに微笑む様は何とも愛くるしい。体を包むドレスをはじめアクセサリーも靴も化粧さえも、彼女を彩るのは私が贈った物ばかりだった。その事が私の心に何ともいえない満足感を与える。今日着ている紅葉色のドレスは大胆にカットされた背中のデザインが色っぽい。しかし決して下品ではなく、彼女の華奢で儚い風情を引き立てている。
「アデル。久しぶりだな。」
突然呼び掛けられて私は立ち止まって声のする方へ目を向けた。
「ああ、久しぶりだな。元気していたか?」
声の主は昔からの友人で、名をハリソンと言う。
「勿論元気だよ。そちらが噂の奥さんかい?」
「あぁ、妻だよ。」
「シンディーレイラ・セレスティアと申します。」
微笑みを浮かべながら丁寧な礼をするティアにハリソンは笑顔を返して手を取ったりしている。
「噂通りお美しい。アデルバートが羨ましいな。」
ハリソンはたれ目気味な目尻のシワを深くし、ティアに微笑みかける。
「まぁ、ありがとうございます。先ほども噂とおっしゃってましたけれど、一体どんな噂がありますの?」
ティアは同じように微笑みながら、小首をかしげた。あぁ、そんな可愛らしい仕草を他の男に見せてはいけない。後でハリソンに見物料をもらった方がいいかも知れない。無駄な事に思いを巡らす私をよそにティアについての噂をハリソンが並べ立てている。曰く、ラファエル侯爵夫人は金髪青目の美しい姫だとか、華奢で儚い風情が庇護欲をそそるとか、下賜にあたりラファエル侯爵は後宮で一番美しい姫を要求したとか、ラファエル侯爵は夜会で姫に一目惚れして報償金のかわりに下賜を望んだとか、侯爵は夫人を愛しすぎて仕事にも連れて歩くとか、夫婦仲が上手くいかないのを隠すために人前では常に寄り添っているとか…。その雑多な内容に苦笑がもれる。しかし噂には尾ひれどころか背ひれ腹ひれ胸ひれに尻ひれまでついていて、日々、内容を変えて語られているらしい。ハリソンが話終わると、私とティアはお互い一瞬見つめあってから同時に声を上げて笑った。
「私達がそんなにお話の種に成るだなんて光栄だわ。」
「いや全く。しかし、不仲説は頂けないな。」
「あらどうして?」
「君の愛人に名乗りを上げるものが出てきてしまうよ。」
「まぁ、アデルったら。」
とたんに二人の世界を作りはじめた私達を呆れつつ、微笑まし気に見ていたハリソンは今度から不仲説の噂だけ否定しておこうと請け合った。ティアはそれに丁寧に感謝の意を述べる。
「ありがとうございます。これで誤解が一つとけますわ。私達が話題にのぼる価値も上がりますわね。」
暗に「噂を止めるつもりはないのか」と突っ込みを入れられた形になりハリソンはこりゃ参ったと片目をつぶった。
私は二人のやりとりを見ながら密かにほっと息を吐く。社交界に参加する前に影を使って人々の動向を調べた。普段は余り念入りに準備などしないのだが、今年はそういう訳にはいかなかった。案の定、今年一番の話題は下賜姫達の事で、口に出すのも憚られるような内容の噂も多かった。下賜を悪く言うのは不敬に当たるので表立って明け透けに言うものは居ないが、万が一にもティアの耳には入らない様に予防策を講じた。幸い友人は比較的まだ若い世代な為か下賜についても柔軟な考えの者ばかりだったから特に問題は無い。下賜に対して偏見を持つ、一部の頭が堅過ぎて何を守っているのか忘れてしまった保守派と一部の人を貶める事を生業にしている頭と意地の悪い輩について把握し、出来る限り接触しない様に予定を組んだ。いつもならば仕事優先で効率の良さで予定を決めるのだが、今年からはティアが楽しめるかが重要な指針となる。私の策は今のところ上手く機能していて、ティアが不快な思いをする場面はない。今夜の夜会も無事終えたいものだ。
挨拶まわりが終わると、ダンスを数曲踊り弾む息を整えながら、飲み物片手にバルコニーへ出る。夜風が肌に当たって火照った身体を静めてくれる。
「アデルのお友達は皆良い方ばかりね。」
ティアはレモンの浮いた度数の低い甘い酒を片手に闇を見つめながらポツリと言った。
「そうかな?」
「えぇ、そうよ。皆様、私にもとても気を使って下さるわ。」
私はドキリとする。ドキリの中にはギクリが少し混じっている。ティアは知ってしまったのだろうかと思った。
「下賜だから、もっと厳しい言葉を聞くのだろうと思っていたのよ。聞いても驚いたり傷ついたりしないようにって覚悟してたけど、そんな心配必要なかったわ。」
そう言って微笑む彼女の肩を私はそっと引き寄せた。妻がわりかし現実的で理論的だということを忘れていた。彼女は彼女なりに心の防御層を築いていたらしい。
「口さがない人はどこにでもいるからね、もし何か言われたら必ず私に教えなさい。侯爵夫人を蔑ろにするような頭の悪い輩には私が罰を与えよう。」
「ありがとう。でももしそんな事があれば、罰は私も一緒に与えたいわ。」
そう言って微笑み彼女の頬にキスを落とす。ティアは満足気に微笑んで私に寄りかかった。




