26.無色の和解
数日、泊まり込みで仕事をこなしてようやく帰れる目処が着いた。私は帰宅の連絡と共に、出先で見つけた季節外れのガーベラをティアに贈る事にした。何でも気温の低い高地で、光を当てる時間を制限して育てることで開花を後らせているらしい。色々な花で試していて成功したものは珍しい物が好きな富裕層向けに売っていた。ティアが喜んでくれれば良いと思う。
逸る気持ちを押さえつつ馬車を降り、玄関をくぐるとティアがいた。いつものようにダンテス以下数人の使用人を従えて、深々と頭を下げる。
「お帰りなさいませ。アデルバート様」
「今帰った。」
日常の挨拶が貴いやり取りに感じる。私は頬が弛むのを押さえられない。
「留守中変わり無かったか。」
「はい。」
しかし、ティアにいつもの軽やかさや朗らかさは無い。
「どこか具合でも悪いのか?」
「いえ……少し体が重いようで、申し訳ありませんが部屋で休ませて頂きます。」
私の問に歯切れの悪い返事をして、そそくさと自室に籠もってしまった。久しぶりの休日に浮かれていた私はその様子にたいして疑問を持たなかった。夕食を共に…と楽しみにして帰ってきただけに残念ではあったが、休日は始まったばかりなのだし体調が悪いのならば無理をさせてはいけない…などと暢気に考えていた。
一人きりの食事の時間、それでも私は仕事が終わった達成感と解放感に久しぶりにワインを楽しむ。ティアが居ないので、給仕をしているダンテスが話し相手だ。ひとしきり領地の様子や各事業の進捗状況、庭木の植え替えなどについて、とりとめも無く話した後、
「ティアの具合はどうなんだ?」
ワインを傾けながらそう尋ねた私にダンテスは思いっきり眉をしかめた。
「本当に体調不良だとお思いですか?」
彼の厳しい口調に私はやっと浮かれるのを止めた。
「仮病なのか?」
「少なくとも先ほどのお出迎え以前にそのようなお話はありませんでした。」
ダンテスの言葉に首を傾げて考える。
「私が何かしたか?」
自分では思い当たる節が無い。
「体調が回復されて以来、ずっとほったらかしになさっていたからではないですか?」
なげやりな言葉に衝撃を受ける。これまでの仕事漬けの日々は、私がティアをほったらかしにしていたという事になってしまうのか。いや、そうではなくて・・・
「彼女はそんな事で怒ったり悲しんだりしないだろう。」
「どうしてそう思われますか?」
「彼女は私と会いたいなどと思ったりしないだろう。」
あれほど男として見られてないのだ。家のお金を使いたいとかいう用事でもない限り、彼女が私を求める理由が無い。私の言葉にダンテスは深く長いため息をついた。隠そうともしないで私にため息を吹きかける執事をジロリと睨む。
「会いたがっておいででしたよ。」
彼の言葉に細めた目が丸まった。
「まさか…。」
「何度も遣いも出しましたのに…仕事中だとろくに話もお聞きにならなかったそうではないですか。奥様は帰ってこないのは私が怒らせたせいだと酷く落ち込んでいらっしゃいましたよ。」
「そんな…私はただ2人でゆっくり過ごせるようにと…」
「アデルバート様のお考えも分からなくは無いですが。今日は暑いねと話し掛けたい時に忙しいからと無視されて、涼しい夜になってからさっきの話は何だったのか今ならゆっくり聞けると言われても話す気にはならないでしょう。思いやりも的を外せばただの押し付けになります。要はタイミングです。それを逃しては相手は心を開いてくれなくなりますよ。」
いつになく饒舌で辛辣な執事に私は言葉を無くした。
呆然としている内に、食事を終え、私は使用人達の手によって湯浴みもさせられた。いつもなら1人で入りたいと主張する所なのだが今日はどうでもよかった。ただ、ここ数日の私の頑張りはおせっかいで的外れだったのかと思うとやるせなかった。支度を終えて寝室に放り込まれる。部屋を辞す直前のダンテスの言葉が何度も頭の中で繰り返される。
「お約束の3ヶ月は経ちました。後はお二人のお好きになさってください。…アデルバート様、誤解を解くのは早いほうがいいかと思います。誤魔化そうとすると余計にこじれたりしますから。」
彼の言葉は力強く、妙に実感が篭っていた。私は寝室をうろうろと歩き回ってはあれやこれやと考えたが結局何の策も浮かばない。ここは素直に彼女に聞くしか無いという結論を出すのにそれほど時間はかからなかった。彼女が私に会いたがっていようとそうでなかろうと、怒っていようと無関心だろうと、私のする事は変わらない。どう転んでも、遅かれ早かれ私の胸のうちを打ち明けて、彼女を口説くという選択肢しかないのだ。寝室に持ち込んだワインを1杯煽り、意を決して隣室に向かう。
小さなノックに返事は無い。それだけで折れそうな心を何とか奮い立たせてドアを開けた。ティアはカウチに座って、月を見上げている。月光は彼女を守るように包んでいる。返せそれは私の役目だと一瞬月光に対して嫉妬する。
「起きていたの?」
私は穏やかな口調を心がけてそう声をかけた。返事が無い。やはり彼女は私に怒っているのだろうか?私は何故か持ってきてしまったワイングラスを強くにぎりしめた。握力で割ってしまいそうな気がする。彼女が何も言わないのでカウチの手摺りに腰掛けた。
「そちらが空いていますよ。」
隣のイスを示して彼女が抑揚の無い声で勧める。
「ここがいいんだ。」
私は彼女の手を取った。久しぶりのティアの手は相変わらず冷たくて柔らかい。振り払われ無かった事に
思わず微笑む。久しぶりの感触にそれまで悩んでいた事を忘れて彼女の手を撫でた。チラリと盗み見るとティアの表情は少し固い。ダンテスの勘違い…ということでは無さそうだ。
「・・・寝なくて平気なのか?」
「えぇ。ご心配おかけしてごめんなさい。」
感情の篭らない声に私は思わず眉を寄せた。彼女は顔でも色を示さない。
「…何かあったか?」
「…いいえ。」
「怒っているだろう?」
「怒ってなんかいませんっ!」
ティアが声を荒げるのをはじめて見た。私はその様子をじっと見つめる。彼女の怒りをぶつけられた事に少し安堵する。先ほどまでの無表情で黙り込まれては謝ることも出来ない。一度色を映した彼女は、もう感情を隠すのは止めたようで、強い視線を私にぶつけてくる。しかしそこにあるのは怒りだけではない様に私には見えた。寂しさと不安?それを見取って私は彼女の頬を撫でる。そんなものを感じる必要は無いのだと伝えたくて。
「君に会いたかった。」
彼女の誤解を何とか解きたくて言葉を尽くそうと思うのだけれども、考えれば考えるほど、シンプルな言葉しか出てこない。
「…っ、戯れを。」
「ティアに触れたかった。」
それは私の本心だった。初めて口にした彼女への欲望。彼女は受け入れてくれるだろうか。
「からかうのは止めて。」
「からかってなどいない。」
ティアは背中に当てていたクッションを私の顔に押しつけてカウチから立ち上がる。
「からかって無いならなんなの!いつかの夜の様に突き放すつもりなら最初から優しくしないで。私は馬鹿な女だから、勘違いしてしまうわ。どうかこれ以上私を振り回さないで…もう、あなたの言葉一つに浮かれたり沈んだりする自分は嫌なの。目障りならば、別邸に越しますから、愛人でも何でも囲えばいいでしょう。」
彼女の拒否反応にショックを受けたのは一瞬で、続けて聞こえた彼女のセリフに耳を疑った。彼女は怒鳴るように叫んだけれども、私の耳がおかしくなければそこには彼女の私に対する愛情が滲んでいる。押し付けられたクッションを外すと、彼女の瞳からはポロリと雫がこぼれていた。透明な雫はティアの頬をぬらして落ちる。頬をぬぐおうとするティアの手を捕まえて彼女の顔を覗き込む。涙にぬれた瞳はそれでも強い輝きをもって私を射抜こうとする。私は思わず彼女の目じりに口付けた。しょっぱいはずの涙はひどく甘い。彼女は子どもが駄々をこねるかのように抵抗するけれども、私はそれを無視して抱き込んだ。私に気持ちを傾けてくれていたのだと知って、離す事などできないのだ。私はひとまず彼女を宥めようと彼女の背中を撫で続ける。程なくして腕の中でフッと力を抜いたティアは、
「…私に別邸を用意して下さい。」
と静かな静かな声で言った。私は尚も私から離れようとする彼女に少し苛立ちを感じる。私は伝えていただろう?と叫びたくなる。恋慕も愛情も…もしかすると執着まで。
「お願いします。」
「…できない。」
「どうして…っ!!」
私の腕から逃れようとするティアをギュッと抱きなおした。
「私は貴女を手放すことはできない。」
「…だから、離縁しろとは…」
「私はティアを愛してる。ずっと。きっと最初から。」
この言葉を言うまでにずいぶん遠回りをしたもんだと思う。腕の中は時間が止まってしまったかのように微動だにしない。数瞬の後、ティアは思い出したかのように顔を上げてこちらを見る。
「そんなはずないわ。だって、もしそうなら、どうしてっ…。手を振り払う必要は無いはずよ。」
一瞬彼女の手を振り払ったことなんてあったかと首をひねって、そういえばこの間不用意に触れてくる彼女から手を取り返した事を思い出す。あの時手を振り払わなかったら、きっとそのまま押し倒していたのだが、彼女はそれで良いと言ってるのだろうか。そう思って私はやっとある可能性にたどり着く。少なくとも私は彼女に3ヶ月の期間を開けるという話はしていない。
「…下賜後直ぐに子どもが出来ると、将来権力争いに利用される可能性があるって言わなかったか?」
「聞いてないわ。」
やっぱりか。ダンテスも、ニーナも彼女にそれを伝えて無かったらしい。あの晩の彼女は無邪気に触れてきたのでは無くて、私を誘っていたのか。もしそうなら、私の態度は彼女を拒否したように取られても仕方がない。そのまま放っておくだなんて酷いことをしてしまった。
「すまない。言ってなかったか?だから、夫婦の営みは少し間を置いてから…という計画だったんだ。私たちの子どもが城の権力争いに巻き込まれでもしたら大変だろう?」
君を拒否したのでは無いという意味を込めて微笑むとティアはポカンとした顔で私を見ている。
「この間もその前も、私が触れると怒って…」
「それはさ、こっちは必死で我慢しているのに、不用意に可愛いことするから…。ティアには説明していると勘違いしてた。すまなかった。…ティアがそんな勘違いをしてショックを受けたと言うことは、私は自惚れてもいいのかな?」
「…っ。」
ティアが何と答えるか…未だに胸を掠める不安を押し隠そうとして饒舌になる。私の台詞にティアは顔を真っ赤にして言葉に詰まった。その表情が私の問への答えに見えて、私は口角が上がるのを押さえられない。最後の不安は杞憂に終わった。もう、自分を押さえる必要も無いらしい。
「ティア、今日で私たちが結婚して3ヶ月だっていうのは知ってる?」
「えっ?」
急に捕食者の目をした私を見てティアが慌てている。
「そろそろ良いよね?たとえすぐ出来たって、明らかに私の子だとバカでもわかる。」
「あの?」
それでもそこに否やは無くて、私は遠慮とか気遣いとかそういうものを脇へ置いておく事にした。
「今まで我慢した分、今日から1週間休みがとれるように、仕事を終わらせて来たんだよ。褒めてくれるよね?」
「いや、そのっ…」
戸惑う仕草が、照れている顔が、そしてどこか喜色の滲む声が愛しくてたまらない。
「ご褒美たくさんくれるでしょう。」
私は甘えたようにそう言うと返事も待たずにキスを降らす。色々と説明不足かもしれないが、もう待てそうにない。
「私、信じやすい性質なんだけれど。」
ティアはまだ疑いを口に乗せているが、私を見る目は期待を浮かべてそれが否定されるのを待っている。
だから私は一度キスを中断して疑いを晴らさなくてはならない。
「私は妻に嘘などつかない。」
私の言葉を噛み締めるようにティアがゆっくりと瞬きをした。彼女の顔にも微笑みが浮かぶ。喜びに膨らんだ頬にもう一度口付けた。その時、
「貴方が好きです。」
ティアはそうささやいて抱きついてきた。私はそれをしっかりと受けとめる。高望み過ぎるだろうと、夢にさえ見れなかった瞬間だった。
「ご褒美は何がほしいの?」
腕の中からは、艶やかな声が聞こえる。覗き込むと、彼女の瞳は既に悦びを灯している。
「もちろん、ティアの全てが。」
「欲張りね。」
律儀な月は雲間に隠れて、やっと彼女を私に託した。
これにてアデルサイド第1章終了です。
思っていた以上に他視点って難しいですね…章の初めは鬱々としてますし、後の方はとっちらかってしまいました。。。
お付き合いいただいているのに、完成度低くて申し訳ないです。
しかし、懲りずに第2章続けてみます。もう少しサクサクっと終われると良いのですが…日々精進です。
本当に、いつもお付き合いいただいてありがとうございます。
評価・お気に入り登録なども頂いて、総合評価9700pt超える事が出来ました。
そのおかげで、なんとか諦めずに書き続けて居られます!
これからもよろしくお願い致します。




