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25.珊瑚色のすれ違い

ティアは3日ほど経ってようやく熱が下がって、食欲も出てきたらしい。「らしい」というのは、私は視察が延びたせいで溜りに溜まった仕事を片付けなければならず、あまり見舞いに行けていないのだ。順調に回復しているとダンテスから報告を受けた時は、安堵と同時に少しだけ残念だとも感じてしまった。ティアがしてくれた様に私も彼女を看病してみたかった。

屋敷に戻って以来、ティアは私が触れる事を厭わない。髪や指へのキスも違和感や緊張感無く受け止めている。2人になっても以前とは違う気安さがあった。彼女が私を受け入れつつあるのかもしれないという期待と彼女の気まぐれかもしれないという疑惑と勘違いかもしれないという不安。そして彼女の意思を待てと言う理性ともう自分のものにしてしまえと囁く欲望。それら全てを振り切りたくて仕事に精を出す。もうすぐ彼女が屋敷に来てから丸3ヶ月経つ。最近では私がティアの寝室を訪れようと邪魔をするものは居ない。しかしここまで待ったのだ。きっちり3ヶ月の期間を置こうと心に決めている。

先日、ティアの寝顔を見ながら、それまでに仕事を片付けて共に過ごす時間を作ろうと考えたのだ。今のまま仕事が順調に終われば、彼女が完全に回復する頃には私も一段落できる予定だ。視察の旅の様に1日中共に居れば、自ずと心を通わせることが出来そうだ。というか、ここまで引っ張ってしまった気恥ずかしさがあるから、お互いの気持ちを伝え合うには穏やかな時間が必要だと思われた。

仕事をする手に勢いが付くと、面白いようにはかどった。後にご褒美が有ると分かっていれば尚更。ティアが良くなってからは憂いも無くなり、更に仕事に集中出来た。夕食を共にとるのも我慢した。後数日で夕食と言わず、朝食も昼食も一緒にとれる様になる…それまでの我慢だと言い聞かせた。

1日の終わりにティアの顔を見るのが私の活力源だ。彼女は寝ているがそれで十分だった。月明かりを頼りに忍び足で寝室に通うのは少々罪悪感が有ったが、鍵をかけないと決めたのはティアなのだと開き直る。ものの数秒、彼女の穏やかな寝顔を見て、また忍び足で私室に戻るのだ。今日もそんな風に1日を締め括ろうとしていた。

「アデル」

だから、彼女が起きていたことに心底驚いた。

「起きていたのか。」

彼女はベッドの中央にちょこんと座っていた。私はその脇に腰をかけて、彼女を覗き見る。

「お帰りなさい。お出迎えもせず…。」

「いいんだ。先に休むようにといっただろう?」

謝ろうとするのを遮って微笑むと、彼女は拗ねたような甘えるような声で

「眠れなかったのよ」

とつぶやいた。それがあまりにも可愛く見えて、思わず頭を撫でる。撫でられるに任せて目を細めたティアは、私の手を取ってそっと自分の右頬に当てた。目を伏せる仕草は淑やかなのに、月明かりの中でなぜかとても艶やかに見えた。私は瞬きさえも忘れてその光景に見入っていた。数瞬の沈黙の後、ティアは顔を傾げて私の手のひらに珊瑚色の唇を寄せた。その顔は静かで絵画か何かのように見える。うっとりとまるでひどく甘いお菓子を含んでいるかのような表情に私は思わず手を引いた。私の勢いに驚いてこちらを見るティアの目には、何の思惑も浮かんでいない。

「アデル…?」

戸惑いの声を発する艶やかな唇に目が吸い寄せられてしまう。先ほどあれが触れたのだと思うと急に手のひらが熱をもつ。彼女は私を誘っているのだろうか?しかし、私の体温が急激に上がったのとは裏腹に、彼女の瞳は凪いだままだった。彼女は子どもの様に安心しきっているように見えた。ここにきての彼女の無防備さに私は打ちのめされる。ここは寝室で、今は夜で、私達は男と女で、実は夫婦でもあって…そんなふうに意識しているのは私だけだと言わんばかりだ。男として見始めてくれたと思ったのは、また私が見た都合の良い幻なのだろうか。少しでも男として意識していたのなら、きっと不用意に触れたりはしないだろう。思いが巡れば巡るほど、ティアの行動を恨みたく成る。

「君は、…私の気も知らないで…」

私はこれ以上みっともない言葉を吐く前にと、踵を返した。パタリと閉じたドアが私達を隔てると情けなさに落ち込んだ。


ベッドに入っても当然睡魔は訪れなかった。彼女に気持ちが有ろうが無かろうが私は彼女を口説くと決めている。それなのに勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じて、勝手に落ち込んでしまった。挙げ句の果てには彼女に八つ当たりまでして…自分を救い様が無いバカだと思った。すぐに戻って謝り倒したい気分だったが、すでに退室してから時間が経っていた。ティアはもう寝ているかもしれない。起きていたとして、何と言えばいいのか分からなかった。私の気持ちを語るには時間が足りない様に思われた。

やはり、私たちには時間が必要なのだ。早く仕事を片付けてゆっくりと彼女に愛を囁かなくては。私はそう決意して、ベッドに張りついた。一刻も早く仕事を片付ける為に明日は早く家を出ようと決めたのだ。そのためにもさっさと寝なければいけない。

私はこの結論に満足していて、実は問題を先送りにしているだけだということに気付いていなかった。

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