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24.霞色の主治医

ティアが倒れたと聞いた時は背筋が凍った。私は私室で着替えをしている途中だった。半裸なのにも関わらず、すぐにティアの様子を見に行こうとしてダンテスに止められる。就寝の準備をしている途中なので寝室には入るなと。

「……医者の手配を頼む。」

思いとどまってそう言うと、ダンテスは既に使いを出していると答えた。元々私が帰宅したらすぐに医者を呼ぶ段取りになっていたらしい。私はどうにか着替えを済ませると私室をうろうろと歩き回った。ダンテスがとりあえず飲むようにとお茶を入れてくれるが、そんな気分には成れなかった。


しばらくして、ダニエルがやってきた。彼は私が幼い頃からずっと我が家の主治医だ。私はダニエルと共にティアの寝室に入ることにした。使用人たちは控えて欲しそうな顔をしていたが、それは出来ない相談だ。一刻も早くティアの状態をこの目で確認したかった。寝室に入ると、ベッドに横たえられたティアは眠っているのか目を開けなかった。しかし苦しげな表情で荒い息をしている。こんなに無理をさせていたのに気づかなかったなんてと自分が情けなくなる。ダニエルが診察をする間、私はあまりティアを見ないように窓際で待つ。この位置なら彼の背中がティアを隠す。せめてもの気づかいをする私に気づいてカナンは苦笑を向けてくる。窓の方を見つめて待つのだが、室内の小さな物音がやけに耳についた。

「疲れからくる風邪ですな。数日しっかり休んで栄養を摂れば直に熱も下がりましょう。」

ダニエルはそう言って数種類の薬を用意した。薬を用意している間、ベッドサイドに立つとティアが眉間に皺を寄せたまま眠っている。その時、

「アデル…」

微かな声がそう呼んだ気がした。驚きを隠せない様子のカナンはティアと私を見比べている。その様子に空耳では無いと確信して私はティアの頭をそっと撫でた。

「ゆっくりお休み。」

そう言うと幾分ティアの表情が和らいだ気がする。彼女が私を求めている、その事実はこんな時でも喜びをもたらす。広いベッドの端についた手がギシリと鳴った。私は彼女の髪を一筋すくい口付けてから、その音がティアの眠りを妨げない様に慎重にベッドから離れた。

「さて、次はアデルバート様ですな。」

私がベッドから離れるのを待っていたように医者がそう言った。彼の顔はニコニコを通り越してニヤニヤしている。私は渋ったがカナンとニーナに追い出されるような形で隣室に戻った。



「可愛い奥様が見つかった様で何よりですな。」

小さい頃から世話になっている我が家の主治医は診察もそこそこにティータイムをはじめた。私がすっかり回復しているとの診察結果に安心したのか、ダンテスは給仕をしながらのんびりと相槌を打っている。

「いやいや、仲良きことは美しきかな。けっこう、けっこう。」

茶菓子も出しているのだが、ダニエルは先程の私の態度を茶請けにして楽しんでいる。

「次に呼ばれるのはおめでたの時ですかな。」

楽しみにしてますよと言い残して医者が帰る頃には私はなぜか精気を吸い取られたかのように疲れ切っていて、だからこそすっかり落ち着きを取り戻す事ができていた。まだ明るかった空はすっかり暮れている。

「ティアは?」

「よくお眠りです。」

「そうか。食事は軽くでいい。食べる前に風呂に入りたい。」

「承知しました。」

ティアの側に居てやりたいのは山々だが、眠っているのを起こしてもいけない。それに自分の身体を整えなければと考えた。いつまでも旅装束ではホコリも立つ。そんな判断にダンテスはとても満足そうに頷いた。


食事を終えると私は疲れを理由に早々に寝室に引っ込んだ。寝室に入るとすぐに隣の寝室に向かう。形だけのノックをして、静かに扉を押すと音も立てずに開いた。ぼんやりとした薄暗がりの中、カナンが無表情でこちらを見ている。そこには驚きも非難も無い。私は足音を立てないようにベッドに近寄り、ティアを覗き込んだ。額にタオルを置いている彼女の寝顔は驚くほどあどけない。先程の様な苦しそうな様子は無く、短い寝息をたてている。

「どんな様子だ?」

「随分と楽に成られたご様子です。」

ささやくように尋ねると、同じ様なささやき声が返ってきた。

「少しの間私が看るよ。2人にしてくれ。」

「……。」

私の要求にカナンは渋々といった表情で頷くと、しかし素早く従った。ティアの私室側にカナンが消えると、私はベッドの脇に静かに腰を下ろしてティアを見つめた。身体の脇に流された長い髪がシーツの上に川を描いている。その流れを指先でなぞりながら、視察の間に有ったことを思い出す。どれもこれも楽しい思い出だが、ティアが体調を崩した今、全ては色褪せて見えた。やはり、いくら本人が好きそうだからと言って、視察に女性を連れて行くべきでは無かったのだと思わずには居られない。村での療養期間がやけに穏やかだった為に忘れがちだが、あの雷の鳴る山の中でティアを亡くしていたかも知れないのだ。馬上で彼女の身体が傾いだ瞬間の恐怖がよみがえる。私は金色の川を一筋すくい上げて、そっと唇を押し付けた。そうしないと、恐怖に叫びだしそうな気がした。


ふと、ティアが音もなく目を開けた。部屋を見回してから、

「アデル。」

と私を呼んだ。痛々しいほど擦れた声に申し訳なさが募る。

「起こしてしまったか?」

静かに声をかけると、彼女は小さく首を振った。

「疲れが出たようだ。2、3日ゆっくり休めば元気になると医者が言っていた。」

そう告げると、いくらか安心したように微笑むので、私もほほ笑みを返す。初めての夜、彼女に無体な真似をしそうになった夜以来、もし、次にここを訪れた時にはあの時の非礼を詫びようと思っていた。その上で愛人など居ないと説明し、形だけでなく本物の夫婦に成りたいと願おうと心に決めていた。寝室の間のドアの前に立つたびに、頭の中で繰り返しシュミレーションをしたりもしていたのだ。しかし、今の彼女にそんな話をするほど馬鹿ではない。それに視察の旅で私達は少し近付けた気がする…今さら気まずい事を蒸し返す必要は無いかもしれない。では何と声を掛けようかと瞬巡していると、不意にティアが眉間に皺をよせた。その様子が苦しそうでそれまでのグダグダとした思考は一瞬で申し訳無さに塗り替わる。

「…無理をさせてしまったね。」

そう言った私にティアは瞬時に首を横に振った。

「いいえ。楽しかったわ。また連れて行ってくれますか?」

間髪入れずに返ってきた言葉に思わず苦笑を浮かべた。ティアを連れていった事をつい先ほど後悔していたのだが、それを知っているかの様だと思った。後悔していると分かっていて、それでも尚次も連れていけと釘を刺しているのではないかと。何と答えるべきか迷って、小さく頷くに留めた。それでも彼女は満足そうに微笑む。

「今はゆっくり休みなさい。…飲むか?」

私はティアの満足そうな顔に罪悪感を募らせ、それを誤魔化す為にベッドサイドのコップを取った。ティアはうなずいてから体を起こそうとして、けれども起き上がれなかった。何度か体を起こそうとするが、力が入らないらしく力尽きた様に枕に顔を埋めた。その様子があまりに非力で起き上がったらそのまま目を回して倒れてしまいそうに見えた。私はティアを押し留めて、水を口に含むと彼女に口移しで飲ませた。嫌がりもせずに受け入れてくれた事に安堵する。ゆっくりと水を注ぐと、彼女の喉がコクリとなってもっと欲しいと催促されたような気がした。求められるままに与えた後、急にティアが腕を叩くので

「もういいの?」

と尋ねてみた。すると少し慌てた様子で

「うつったらどうするの。」

と睨んでくる。3度も催促したくせに…と思うが、口に出して願われた訳ではないので言わない。彼女の言い草に思わず笑みがこぼれる。

「大丈夫だよ。…声がさっきよりもマシになったね。さぁ、ゆっくりお休み。」

微笑む私を一睨みしてから、それでもティアは素直に目を閉じた。

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