閑話:後宮の日常―1年目―
「お嬢様、今日は毒蛇とウサギでした。」
「あらあら、毒は大丈夫なの?」
「えぇ、死んでますから。」
「そう。死んでしまっては毒蛇も意味ないでしょうに、ご苦労な事ね。ウサギ…というのは嫌がらせなの?差し入れではなくて?」
「差し入れではないでしょう。惨殺されてますから。」
「まぁ。ひどいことするのね。」
こんな会話は日常茶飯事だ。嫌がらせの始まった頃は、私が気づかないうちにカナンが処理してくれていたらしいが、何でも自分でやってしまう癖のせいで気づいてしまった。それからは、概ねどんな嫌がらせがあったか報告してもらっている。自衛の為にもある程度の事を把握しておいた方がいい。
「警備は何をしているのでしょうか…後宮に毒を持ち込ませるなんて。」
カナンがプリプリ怒っている。
「そうねぇ。でも、警備が首にでもなったら寝覚めが悪いから、秘密裡に処理してくれる?」
「承知しました。」
若干不服そうな顔をするけれども、カナンは大概、私の望む通りにしてくれる。
一度部屋を出た彼女が戻ってきて、
「そういえば、殿下からプレゼントが届いています。」
と小さな箱を机に置いた。
「また?」
今度は私が不満顔をカナンに向ける。
「マメですね。」
「マメだけれども…。」
彼女は面白がっているような様子のまま、膨れる私の前でプレゼントを開いた。
「まぁ、キレイね。ハンカチかしら?」
「そのようですね。」
箱の中には3枚の美しいハンカチが入っている。絹素材のもので、花柄に染められれている物、レースが施されている物、蔦の葉のような図案が刺繍された物とどれも一級品だと窺える。
「汚れないようにしまって置いて。」
「はい。」
「それと、この間書き溜めしておいた御礼状、まだあるかしら?」
「ございますよ。」
「なら、それ出しておいてもらえる?」
「承知しました。」
部屋を出ていくカナンの背中を見送って、私ははぁーっとため息をついた。嫌がらせのプレゼントよりも、殿下のプレゼントの方が私にダメージを与える。お茶を入れると、ゆっくりと一口すする。また、カナンに自分でするなと怒られるだろう…。
カナンが戻って来ると、怒られる前に庭に出たいと言った。彼女は苦笑すると準備をしてくれた。手袋をして、日傘をさして、のんびりと庭を歩く。後宮に入ってすぐのころ殿下から頂いた花々は、庭に咲いていた物だという事に最近ようやく気がづいた。
少し前に、第1室を退いて第10室に移動してから、庭に通うようになった。主に、暇になったことと、近くなったことと、日焼けだなんだとうるさい事をいう侍女が居なくなったことが原因だ。
庭の中にオレンジ色のガーベラを見つける。すこし時期は早いが、日当たりが良いのか、ポツポツと咲いていた。
「お嬢様は本当にガーベラがお好きなんですね。」
「貴族の娘にしては庶民的だと言いたいのでしょう?」
「いえ、明るくて良い花だと思います。」
「そうね。特にオレンジ色が好きなの。」
日向ぼっこをしている小さい太陽のような花を指先で少しはじいた。
「少し、摘みましょうか?」
「いいえ、かわいそうだわ。」
ゆらゆらと揺れる花を楽しんでいると、東屋の方から数人の女官を引き連れて、オールディス男爵令嬢が歩いてくる。春のうららかな日差しの中では彼女の真っ赤なドレスは毒々しい。あぁ、目が痛い。面倒くさいから逃げようかと思ったが、目があって微笑まれてしまったので、逃げるわけにもいかない。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
確か、この女性は2カ月ほど前に後宮入りしたはずだが、こんなところで優雅に散歩していられるということは殿下の寵愛は去ってしまったのかもしれない。入内した時は、線が細く儚げで大人しい風情のお嬢様だったが、この2か月で身も心も図太くなったらしい。
「東屋でみなさんとお茶会をしておりますの、蒼方様もご一緒にいかがですか?」
「せっかくですが、皆様と同席させていただける様な装いではございませんの。またの機会にお願いいたしますわ。それと、私にはもう蒼方という呼び名は相応しくありませんわ。」
「あら、そうでしたわね。では失礼、元蒼方様。」
そういって、男爵令嬢はにこやかに去っていく。
「わざわざ嫌味を言いにここまでいらっしゃるなんて、よっぽど退屈なお茶会なのね。」
「そうですわね。」
私の呆れたような苦笑交じりのセリフに、カナンが空気を軽くした。
以前、こことは別の庭で、エイデン伯爵令嬢に襲われたことが有る。それ以来、カナンは私の近くにアポの無い人間が近づくことを毛嫌いしている。男爵令嬢はカナンの放つ冷気に気付かないのか呑気に近づいてきたが…。
前から、カナンは普通の侍女とは違うなぁと思っていたけれども、襲われた時にはっきりとただ者ではないことが分かった。迫りくるナイフにいち早く気づき、私を守りながら、あっという間に伯爵令嬢を無効化してしまった。事情を聴きに来た護衛に「もう、無我夢中で…。」なんて話していたけれども、あの身のこなしは訓練されたものだと思う。カナンが何者なのか、気になるけれども聞かない。聞けば私の側に居てくれなくなるような気がするから。
オールディス男爵令嬢が戻ってしばらくすると、東屋から笑い声が響いた。私を嘲り笑っているのだろうと思うけれども、なんとも醜い笑い声だ。明るく花が咲き乱れる庭が一瞬で荒れ果てた魔界に変わったように錯覚できるほど。
「わざわざ嫌味を聞きに行く必要はないわね。戻りましょうか。」
私がカナンに振り向くと、彼女は頷いてついてくる。
部屋に戻る途中、階段に糸が張られているのを見つけた。私は階段を昇る途中で、ちょうど光の加減で糸が光って見えたから気付けたものの、上から降りて来ていたら気付かず足をとられただろう。誰かを狙ったものか無差別なのかは分からない。古典的な方法だけれども、大きな悪意を感じる。これは見逃せないので後宮専属の警備隊を呼んで、検分と撤去をお願いした。
発見者として調査に協力していると、後ろからカンタール侯爵令嬢に声をかけられる。
「何かあったの?」
事情を説明すると彼女は眉をひそめた。
「愚かな事を…」
「そうですね。」
カンタール侯爵令嬢は私よりも2年ほど先に後宮入りしている。紅玉宮の御方様をしていたが、私が入宮する少し前に部屋を辞して、今は黄玉宮の第5室にいらっしゃる。
「リシャーナ様はどうしてこちらに?」
「エレノア様とお約束が有るの。いけないっ、お待たせしてしまっているわ。」
「では、お気をつけて。」
「えぇ。失礼。」
蒼玉宮第8室のエレノア様は入宮した時からあまり殿下に興味が無い。親族のごり押しで入宮させられたらしいが、陛下のお渡りが無い事を一向に気にしない彼女の様子は後宮では珍しい。部屋が近いこともあって、私も時々交流がある。物語と生き物が好きなちょっと変わったお嬢様である。
長々とした事情聴取の後、部屋に戻った頃にはすっかり日が暮れていた。何時もよりも疲れていたため、適当に夕食を終えて早めに就寝した。
……この日のプレゼントが結婚1年目のプレゼントにあたると気づいたのは3日後のことだった。
沢山の方に読んでもらえて幸せです。
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