Page.3 中二病ってなんぞ?
七月某日水曜日。天気、晴れ。
夏休み初日のことだった。
例の如く冬華は俺の部屋に来て、別にいちゃいちゃするでもなく、というか会話すらもなく、それでもなんとなく一緒に過ごしていた。
早々に片付けてしまおうと宿題をしていた俺を押しのけ、机のパソコンで何かを見ている。遠目にちらりと見やれば、どうやらニコ動のようだ。実に冬華らしい。
キレそうになったがここは我慢。以前、些細なことで俺が少しばかし怒ると冬華は涙目になって俯いてしまい、挙句泣き始めてしまったのだ。
女の涙というのは男に対する必殺の武器だと痛感しました。はい。
それ以来、俺は彼女に対して怒れないでいる。これはこれでいいように扱われているような気もするが、泣かれるよりははるかにマシだろう。
というわけで、俺は今仕方なしに読書感想文のための小説を読んでる。
時々けたけたと突然に冬華が笑い出すのは不気味だったが、まぁ突っかかってこないし問題ない。小説に没頭していればなんてことないぜ。
しかし、話しかけられてしまっては無視なんて出来ない。
「ねぇ、樹は中二病こじらせた恥ずかしい伝説ないの?」
「は?」
顔を上げて本から視線を冬華へと移した。
ちゅうにびょう……? 何だそれ?
「何それ? 最近流行ってんの? 俺はかかったことないけど……」
「いや、そんなガチな病気じゃなくて。精神的病よ」
「尚更ねーよ。いたって健康体だよ、心身ともにね」
「だーかーらー。そういうのじゃないってば」
じゃあ何なんだよ。
額を押さえ、常識知らずの子供を見るような呆れた目つきで俺の見やる。いやいや、聞いたことねーぞそんな病気。
「中二病っていうのは、やたらとかっこいいものに憧れることよ」
「……どゆこと?」
「そのまんまよ。樹だって、日本刀とかに憧れたこととかないの?」
「あー」
分かるような気がする。
「人はそれを中二病と呼ぶわ。若気の至り。かっこよさに溺れたうたかたの夢……そして、黒歴史」
「黒歴史……? そこまでか?」
「ふふふ。その様子、どうやら樹は中二病をこじらせたことがないようね……」
目を逸らし、どこか遠くを見つめて虚ろに笑う冬華。
一体何なんだ?
「何? どしたの?」
「……もう時効だと思うから言うけど……私は昔、掲示板でいろんな人とコミュニケーションをとっていたわ」
「はぁ」
「そのときの私のハンドルネームがね……」
ぶるっと体を震わせ、寒さを堪えるように自分の体をぎゅっと抱きしめる。
「漆黒の闇姫……」
「………」
「……中二病が、一体何か分かったかしら?」
「あぁ……」
要するに、冬華が言っていたように黒歴史ということか……。
しかも、果てしなく痛い。痛すぎて笑うどころかリアクションに困る。
「だから、そういうことがなかったのかって聞いてるのよ、樹」
「うーん……日本刀が欲しいとかなら思ったことあるけど……」
「痛いっちゃ痛いけど、大した痛さじゃないわね……私の黒歴史に比べたらまだまだじゃない」
「かといってなぁ。特にないぞ? 部活で忙しかったから、そんな妄想に鎌かけてる暇なんてなかったし」
「も、妄想……!?」
さりげない言葉が深く突き刺さったらしい。胸を押さえ、机に突っ伏す冬華を俺は苦笑して見守る。
……事実は時として人を傷つけるとは、このことかもしれない。
「……ふふふ。そうよ。私は愉快な妄想をいつもしていたわ。いつか異世界から来た人間が私にひそかにコンタクト取ってくるとか、死の線とか点が見えるようになって何でもぶった切れるようになったりとか、素敵なイケメンに道を尋ねられて恋に落ちるとか……」
「自身でライフゲージがりがり削るな……分かったから」
っていうか最後のはちょっとひっかかるんだが。イケメンがいいのかやっぱり。
地味にショックを受ける彼氏二ヶ月目の新人だった。
「まぁ、いいんじゃないの? そういう時期があったって」
「……ていうか、本当にないの? 黒歴史」
「ないなぁ」
「……っふ」
真っ白になって目を閉じる。あぁ……何か知らんけど勝手に燃え尽きている。
灰になった冬華の向こう、そのモニターには2chが開かれている。恐らく、今回の話題はあそこから引っ張ってきたのだろう。
「でもさ、そんな時期があって今のお前がいるんだし、いいんじゃね?」
「え?」
「いやまぁ正直オタクっていうのは個人的にマイナスだけど……それでも、俺は今のお前を好きになったわけだし」
「え? ぁ? な、何恥ずかしいことさらって言ってんの?」
「まぁ、事実だしなぁ」
「………」
灰になったはずなのに、再び燃え始める。本当に火を吹きそうなほど顔を真っ赤にし、ふいっと顔を背けた。
ほら、そういうところが。
「気は強いくせに、案外照れ屋なところとか、俺は好きだぜ」
「もう分かったからっ! いいからっ! それ以上は止めてっ!」
……っふ。愛いやつめ愛いやつめ。
ベッドにダイブして枕に顔をうずめている冬華に、俺は内心微笑みながら、なんでもない風に読書を再開する。
こういうときに、日ごろ散々こき使われている分の支払いをしてもらわないとね。
これぐらいの役得、あってもいいよな?