Page.2 ボーカロイドって何ぞ?
六月某日火曜日。天気、雨。
「ワンペア? ツーペア? いやフルハウス~♪」
「………」
付き合い始めて一週間ほど経ち、先日冬華から自分はオタクであるとカミングアウトされてからも、まぁ別れるでもなくこうして付き合いを続けている俺たち。
現在、時刻は朝の七時。ぱらぱらと降る雨からはもう暫く逃れられそうにない。相合傘をすると塗れてしまうため、お互い自分のかさの中に居る。電車に乗るために駅に向かう途中、もっと大雑把に言ってしまえば登校中、彼女は一緒に歩く俺と話すでもなく、ウォークマンの音楽を聴きながらノリノリで歌を口ずさんでいた。ちなみに全く聞き覚えがない。何の曲だ?
「なぁ、冬華」
「王様気取りのカードチラつかせ~♪」
全く聞こえてない。
一応、彼氏と一緒の登校中だというのに、いくらなんでもあんまりだと俺はそのイヤフォンを引っこ抜いた。
「ちょ! あんた何すんのよ」
「……お前、いくらなんでも一緒に登校してこれはなくないか? お前、一応もう俺の彼女なんだよな?」
「失礼な。付き合ってもう一週間も経つでしょう。一応なんて言葉つけないでも彼女よ」
「なんつーか、最早友達感覚だよな……」
友達感覚と言われてムッとしたのか、もう片方のイヤフォンも外し、ウォークマンを停止させた。どうやら話す気になったらしい。
「それで、何よ」
「いや、何聞いてたんだ、って思って、それを聞こうと――」
その瞬間、不機嫌そうな顔が一転、冬華の瞳がきらきらと輝き始めた。あまりに嬉しそうな顔に、俺も自然と顔がほころぶ。
「聞きたい!? じゃあ聞いてみなさいよ! 樹、どんな系統の曲が好き? ロック? バラード? ポップス?」
「いや、気分によるかな……」
「じゃあ今の気分答えなさいよ!」
それもそうか。朝だし、じゃあゆったりとした曲にしてもらおうかな。
「それなら、バラード系で」
「おっけー」
喜々とした表情でなにやらウォークマンをいじりだす。少しの間、これでもない、これも違うと唸っていたが、どうやら納得のいく曲を見つけたらしい。はい、と片方のイヤフォンを差し出してくる。
冬華は既にもう片方を耳にはめている。……え? 何これ? こんな恋人っぽいことしていいの? って俺たち恋人でした。てへへ。
「これなんかオススメよ! ほら!」
「分かった分かった」
子供のように急かす冬華からそれを受け取り、耳にはめる。コードの長さは限られているので、自然、肩が触れ合った。……何これ、すんごい恥ずかしいんですけど。
一方の冬華はそんなこと全く気にしていない様子で――あるいは気づいていないのかもしれない――再生ボタンを押す。
曲名は……「サイハテ~バラードアレンジ」?
イントロ部分はかなり好みだ。さて、歌のほうはどうだろうと身構えていると。
「……へ?」
なんていうか、気持ち悪い声だった。人間らしくないというか、そう、ロボットぽい。
「何、これ……?」
「ボカロよ。いいでしょ?」
「いや、曲は確かにいいけど、この声は……」
「あー。なるほど。初心者は確かにきついかもねー。でも、歌詞はいいからさ。最後まで聞いてみてよ」
「………」
冬華が苦笑いしながら言う。まぁ、そこまで言うなら……というか、彼女のお願いを断れるはずもないし。
曲は既に二番に入っていた。結構短い曲のようだ。俺は違和感の残る声をなるべく意識しないようにして耳を傾ける。
またいつの日にか 出会えると信じられたら
これからの日々も 変わらずやり過ごせるね
扉が閉まれば このまま離ればなれだ
あなたの煙は 雲となり雨になるよ
ありふれた人生を 紅く色付ける様な
たおやかな恋でした たおやかな恋でした
さよなら
「……失恋の歌、か?」
「うーん。ちょっと近いかな」
当たらずとも遠からず、と。彼女は曲を停止した後、得意げな顔で説明を始める。
「この曲は、なくなった最愛の人へのレクイエムなの」
「……レクイエム?」
「そう。日本語では鎮魂歌って言うわよね」
レクイエム、ね。一番の方、全く聞いてなかったから分からないけど、二番には確かにそれらしい歌詞があったような気もする。
扉が閉まれば、このまま離ればなれだ。あなたの煙は、雲となり雨になるよ。
これが指す意味は、つまり、火葬か……。
「あまり好きじゃなかったら、人が歌ってるのもあるけど、そっちでもう一回聞く?」
「あぁ。そっちがあるんだったら是非そっちで頼む」
「いずれは原曲も好きって言ってくれると嬉しいけどね。まずはボーカロイドの曲だって凄くいい曲が多いんだってこと知ってもらいたいし、人が歌ったので聞いてみようか」
少し操作した後、再び同じイントロが流れ出す。今度は確かに、さっきの人工的な歌声ではなかった。耳が一般人のものということもあってか、その歌声プロと遜色ないようにも聞こえるものだった。
改めて、聞き逃した一番の歌詞を聞き取る。
むこうはどんな所なんだろうね?
無事に着いたら 便りでも欲しいよ
扉を開いて 彼方へと向かうあなたへ
この歌声と祈りが 届けばいいなぁ
雲ひとつないような 抜けるほど晴天の今日は
悲しいくらいに お別れ日和で
ありふれた人生を 紅く色付ける様な
たおやかな恋でした たおやかな恋でした
さよなら
「……結構、胸に来るな」
「そうでしょ? 私、ペットが死んじゃった時のこと思い出しちゃってさ。物凄い泣いちゃった。お母さんが心配するぐらいだったよ」
「へぇ」
歌が終わる。だけれども、その切なさだけは暫く胸に残留していた。
心に響いた。そう表現するのが相応しい。この余韻はきっとその響きの名残のようなものだろう。
「ボカロってのが何か知らないけど、結構いいじゃん」
「ボカロが何か分からない!?」
「うぉ! ビックリした」
俺の発言に、身を仰け反らせて驚いたことをアピールする。普通の女子ならうざいと思うところだが、彼女補正もかかって可愛かったので許す。
わなわなと震えだしたかと思えば、きっと俺のことを見つめてくる。何事かと、今度は俺のほうが身を引いた。
「ボーカロイドって言うのは、音楽制作を目的とした合成音声製品のことよ」
「合成音声、ね……。なるほど、確かにそんな感じ」
「もともとは人の声なのよ? 慣れてくると別に気持ち悪さはなくなるんだけどね。まぁ最初のうちは私でもそうだったし、仕方ないと思うけどさ。で、このボーカロイドを使ったオリジナルの曲が、今みたいな曲なの」
ほら、と冬華が俺にウォークマンを突き出してくる。そこには沢山の曲が陳列していた。え、何これ。こんなに曲あるの?
「ちなみに、どれくらい曲ってあるの?」
「さぁ? 私も知らないわ。ただ、分かるのは私が知っているのはごく一部っていうことね」
「ごく一部って……おい、これ、百曲ぐらいあるぜ?」
「軽く一万は超えてるんじゃない?」
なん、だと……? そんなに沢山の曲があるというのか?
驚きに唖然としている俺を見て冬華が穏やかに笑う。
「評価されるのはごく一部なんだけどね。多分、有名じゃないだけでいい曲は一杯埋もれてるよ。そういうマイナーないい曲を探すのも、ボカロのいいところだと私は思ってるんだ。あ、もちろん有名な曲はそれだけ沢山の人から支持を得てるってことだし、いい曲ばっかりなんだけどね」
「へぇ……」
正直、あまり興味は沸かないけど、彼女がこうも熱心に語っているのだから、少しぐらいかじってみようかな……。
誰かが歌ってカバーしてるのもあるみたいだし、それなら多分すんなりと入れるだろ。
「今度の土日にでもオススメの曲教えてくれよ」
「ホント!? 滅茶苦茶あるよ! ありとあらゆるジャンルを抑えておくね!」
「あぁ。ありがと」
嬉しそうに、楽しそうに笑い、そう言う冬華の笑顔はとても綺麗で。
それだけで、多少強引にでもこの話題に触れてよかったと、そう思った。