愛人と夜を過ごすので君は自由にしていいと言われたので、全力で喜んで使用人になりました
私は名だけ貴族、辺境に近い元貧乏伯爵令嬢である。
仕方ない。
父母が悪いわけではない。
数年は天候に恵まれず、領地の農作物が育たなかった。
更に隣国と商業的に交流があったが、その道が落石で塞がれ、物流が途絶え物価が上がってしまった。
父は領民を守るため資産を削り、我が家はみるみる間に貧乏になっていったのである。
とはいえ、仕方ないでは終わらない。
資金援助を探していると、18歳の私、パトリシアに結婚話が舞い降りてきた。
「若くて良かった。最悪、祖父と孫ぐらいの年の差に嫁ぐ可能性があったと思うわ」
私の取り柄は、自分で言うのもなんだがそれなりにいけてる顔、最低限の貴族としてのマナーしかない。
後は金がかからない女というところか?
「まさかの良縁!10歳ほどしか離れていないロッケルベンパー侯爵家でしょう?多額の支度金を準備してくれた上に、事情を知っているので挙式、生活にかかる準備はこちらする、更には、借金の返済にも相談に乗ると言う破格の条件よ。ありがたいじゃないの」
だが、どんな話にも裏事情はある…………
「君は形だけの妻だ。私は君を愛することはない。申し訳ないが、心から愛する人がいる。だから、これからも君と夜を過ごすことはない。社交も彼女を伴う。
その代わりと言っては何だが、君の家はお金が必要だろう。それに関しては、最大限協力をしようと思う。また、屋敷の中では、慎ましやかに過ごしてくれるなら好きにして良い」
そう、結婚した日の夜、突如夫となるミレーから言い渡された。
私は、寝室で、これでもかと身なりを整えてもらい、薄い夜着でガチガチになっていたからね。
「ミレー様、本当ですか!」
思わず食い入り気味に目を輝かせる。
ミレーは、少し後退りながら、何を企んでいるという疑いの目でで私を見る。
「だ、だって、夜伽すら必要なく、最低限の貴族の仕事もしなくてよくて、あんなに多額の支援を……あっ……でも?お世継ぎは?」
こんな最高の条件はあるのだろうか?
子を産むための道具として活用しなくてもよろしいの?
あとで、やっぱりとか言わないわよね?
「彼女との子供を育てる。ああ、君は育てる必要はない。彼女は慈愛の人だ。君はただ子供に恵まれなかったという人生を送ってもらう。だから、それだけに見合った支援をさせてもらったということだ。もちろん、不貞も御法度だ」
ミレーは、冷酷にニコリともせず淡々と述べる。
金は渡したんだからな!
もうお前には逃げ場も選択肢もないのだという顔だ。
逃げるものですか!こんな良縁!!
私は、感動のあまり、わなわな震えて両手を組んで拝むようにミレーに告げる。
「ありがとうございます。私、出来ることは少ないですけど、一生懸命お二人が幸せに暮らせるように頑張ります!」
私は初夜のベッドの上で、頑張るぞと腕を高く突き上げる。
そんな姿を、奇異なものを見る目で夫となるミレーは見つめていた。
◇
「お、奥様!何をしておられるのですか!ご主人、ミレー様は?」
翌朝、早速侍女長のマイヤーに、お仕着せの支給を依頼する。
「違うのです。マイヤーさん、私は奥様役のパトリシアで、真の愛する奥様は別におられるのです。ミレー様に必要な肩書きだけしっかり演じさせていただきます。好きにしていいと言われたのですが、せめて妻の役が必要な時以外は、侍女として働かせてください。薪割りでも、馬車を動かすことでもなんでもやります」
「ま、薪割り?奥様!そ、それは侍女の仕事ではございません!それに真の愛する奥様って!」
マイヤーは悲鳴のように叫び声のような驚きの声をあげて、困惑の色を隠せない。
「その奥様もなしです。私のことはパトリシアと呼んでください。私は先払いの雇われた妻なのです」
私は、ちっちっと指を振り、今日から妻という従業員であることを強調する。
一方のマイヤーは口をぱくぱくさせて、どう言おうか困っている。
(困った、コレでは埒があかないではないか?)
「ミレー様は、お前が慎ましやかなら、好きなようにしていいとおっしゃったのです」
そう更なるダメ押しで押し切り、これは主人の命令なのだと強調して、お仕着せをゲットする。
「あっ!早速ですが、昨夜は、素晴らしいお部屋をありがとうございました。ですが、あの部屋を今後、私が使うことはありません。申し訳ないのですが、皆様と同じ従業員用の部屋をお願いします。」
「な、な、奥様!昨夜は何かあったのですか?もし喧嘩などをされたのであれば、今夜仕切り直しを……」
マイヤーは、ああ、そういうことかとホッとしたように私を慰めるような優しい声をかけてきた。
だが、違う。マイヤーは根本を誤解しているのだ。
「マイヤーさん、奥様ではなく、パトリシアです。ミレー様からは夜伽は不要だと言ってくださったのです。それが申し訳ないから、多額の支援をしたと。私からすれば、貧乏、借金だらけの令嬢に待ち受ける未来なんて真っ暗です。支援していただいて体すら求められないなんてこちらが申し訳ない!」
私は、昨夜のミレーの神のような神々しさに、うっとりする。
「な、なんですって!夜伽は不要?奥様、それはあまりな話です。お世継ぎはどうなさるのですか!」
マイヤーは何てことを主人は言うのだと悲鳴のような声を上げている。
しかし、私は、再度それがどれだけ素晴らしい話なのかを熱弁する。
「お世継ぎは愛し合う女性との間で産み育てるそうです。私は、何もしなくてもいいと言われましたが、せめて感謝の気持ちでお仕えしたいのです」
私はそう話し、夫婦の部屋はミレー様とその愛する方のために、私の部屋は使用人の部屋に移すように依頼した。
「ですが、そのような話、他のものにバレでもしたら!そんな、奥様を使用人になんて!」
マイヤーは、真っ青な顔になり、執事に相談させてくれと慌てている。
「もちろん執事に相談してくださってかまいません。ご主人様は、口外するなとは言いませんでしたし、バレでも構わないはずです」
私は、ミレーは、夫ではなく今日から仕える主人であると自信を持って堂々と話す。
だが、マイヤーは、間違いであってくれと呟きながら執事のテイラーの元に小走りに去っていくのだった。
◇
「そ、それが、ミレー様に声をかけたのだが、昨夜のことなら気持ちは変わらない。本人がやりたいようにとこちらの話すら聞こうとしない」
「で、では本気なのですか?先代に知られたらタダでは済みませんよ」
テイラーとマイヤーの囁きにもならない囁き声が耳に入ってくる。
「だからそうお伝えしたではないですか。私、貴族とは名ばかりですから、何でもできます。もちろん、貴族に必要なことも多少は……多分?」
家を飾れとかは無理です。
お金ないんで飾ったことがないですから。
でも、お客様への給仕なら出来ますとも。掃除も洗濯も、家の修理も、何だったら畑を耕すことだって!
そう、胸をドンと叩いて二人に語ると二人の目はだんだん泳いで行く。
だが、この勢いは無理だと諦めたのか?
私を妻役をする従業員として受け入れるしかないと判断したようだった。
◇
「パトリシア、そこのじゃがいもの皮をむいてくれるかい?」
「はい」
「それが終わったら、その……お館様の寝室だけど……いや、さすがに……」
「全く問題ございません。」
遠慮して、パトリシアなんて呼び捨てできないと言われていたのは遥か昔。
数ヶ月もすれば、私は、すっかり従業員の戦力の一員となっていた。
ご主人様は、私の結婚後すぐに、恋人だったセラフィーヌ様を連れて来た。
私たち侍女は、一斉にお出迎えの準備だ。
その際、侍女のお仕着せを着て一緒に頭を下げた私にご主人様は気付いてすらない。
「妻とは顔を合わせないように、みんな気を配ってくれ。流石にパトリシアも良い気持ちはしないだろうから……」
そう言われて、みんなの目は一斉に泳ぐ。
初手から出会った場合どうしたら良いですか?
そんな感じだ。
(コレはいけない。みんなに気を遣わせてしまう)
「あ、あの!ご主人様。そして、ええと……」
なんていえば?愛人さん?いえ、なんか軽んじている気がする。
そうだ!
「ご主人様、お客様、わたしへの気遣いはこれ以上は無用です。妻としての名前だけの役割はしっかり果たしますので、遠慮なくお申し付けください」
私は、ずらっと並ぶ使用人の列から手を挙げて一歩前に出る。
信じられないと言う目で見たのはご主人様だ。
「き、君はパトリシア!な、ななな……」
なにをそこまでご主人様は慌てているのだろうか?
「ご主人様、私は妻としてただの雇われの身です。お気になさらず」
「いや、気にするよ!そんな……どうして?」
ご主人様は、あわあわと慌てているが、横にいるテイラーが、だから報告したじゃないですかと呟いている。
その横に立つご主人様の愛人、セラフィーヌは、嫌悪の目を隠さなかった。
「ここにいるつもりなら、私にも同じように侍女になれという奥様からの嫌がらせですわ、ミレー、お客様というのは、あなたはここの家のものではないと言うことを暗に言っているのよ。
私だって身分差さえなければ、ミレーと結ばれる運命だったのに……」
目の前でポロリと涙を流し始め、私はギョッとする。
そして、それを見たご主人様は慌てて、その視線をさえぎるようにして私をギロッと睨み、セラフィーヌに慌てて寄り添う。
「身分差はあるけど、愛しているのは君だけだ。彼女は形だけの妻で夜も過ごすことはない。そして、これからはこの家で堂々としてもらえたらいい。彼女にもそう伝えている」
それを聞いて、私もそうですと大きく頷く。
「その通りです。セラフィーヌ様。私は、ご主人様に援助をしていただいた代わりに妻という名称をもらったに過ぎません。本当にミレー様は素晴らしい方で、私には、妻の役目として寝なくてもいいとまで言ってくださったんです。感謝しかありません」
私が声を大にして高らかに言う声は、ロビーに響き渡り、私以外のみんなの顔は一斉に固まる。
「いや、そんなに夜伽をしなくて嬉しいと、みんなに宣言されると複雑なんだが……」
ご主人様は困ったように、目を泳がせる。
あら?何を間違えたのかしら……
どう言えば、全くこれっぽっちもご主人様への好意はなく、純粋に感謝と尊敬の念だけ持っていて二人を応援していることを伝えられるのだろう?
言葉って難しいわ
私は、上目遣いにご主人様とセラフィーヌを見つめる。
「じ、じゃあ、わたしが女主人のように振る舞っていいということね」
「もちろんです」
私は、笑顔で返事をすると、セラフィーヌはニヤッと微笑む。
そこからは、私に向けた、まるでセラフィーヌの下僕のような命令の日々が始まるのだった。
◇
「パトリシアに事後の片付けをさせろとかとんでもない女だよ。私もこんなふうに呼ばせてもらっているけど、パトリシアは貴族の伯爵令嬢なんだよ。もっと張り合ってみたらどうだい?」
「張り合うと言っても、ご主人様とも、結婚した夜、初めてお話をさせていただいて、条件を伺っただけの関係ですもの」
掃除担当のカロリーヌは、私がミレーとセラフィーヌの夜の情事後のシーツを剥がす姿を見て、眉を思いっきり顰めた。
「見た目はのセラフィーヌは大人しいけど、性格は性悪だよ。テイラーさん、マイヤーさん、あんた達からミレー様にも一言言っておくれよ」
気の毒で、パトリシアを見ていられないよと抗議する。
私は本当に心の底から困っていないのに、その周囲の反応に困っていた。
みんな貴族令嬢がどんなものだと思っているのだろう?
この妻が蔑ろにされているという誤解を何としても解かないといけない。
「皆さん、私は極貧貴族ですよ。ここは、働いたらご飯がいただけますし、先日も実家からの手紙で、ミレー様が、新しい事業資金も工面してくださったとありました。私が頼まなくても気にかけてくださっているんです」
本当に親切なご主人様である。
それを横で力説しているのに、どうして誰も聞いてくれないのか?
マイヤーは、私の言葉を無視して、テイラーにため息混じりに話している。
「ミレー様は、彼女にぞっこんですから、セラフィーヌのことを伝えようとしても聞く耳をもちませんよ。今度、ここで領地の奥様方をお呼びするお茶会がありますが、どうやらセラフィーヌが仕切るつもりのようです。さすがにパトリシアは部屋にこもっていただかないと……」
「そんなことをしたら、あの女がミレー様になんて言うか?」
テイラーは、セラフィーヌはパトリシアをこき使うことで溜飲をさげているんだからとため息をつく。
「セラフィーヌが事あるごとに、身に覚えのない罪をパトリシアになすりつけようとするので、流石のミレー様も影を動かして確認はしているようだが……恋は盲目だ。嫉妬ゆえに、そんな行動をするセラフィーヌが可愛らしいというのだから……」
その二人の会話に、そんな影不要ですよ。私は返金しろといわれない限り、どんな罪をなすりつけられても我慢しますよと必死に訴える。
だが……
ダメだ!やっぱり、スルーされている。
みんな、私の訴えを、我慢して耐えているが故の態度だとおもいこんでいるのだ。
あー困った
しかし……お茶会かぁ
まだ我が家が裕福だった頃は、よくお母様もやっていたけど、あれは準備が大変なんじゃないかしら?
名前だけの妻だけど、セラフィーヌ様が困られないように何とかしないといけないわ
「お茶会の日程はもう決まってるんですか?」
「ああ、セラフィーヌがあんたの代わりに、あんた宛に届いたお茶会に出席しているんだよ。その呼んでくれた貴族の奥様に手紙を出していたようだよ」
それは……やばいんじゃないかしら?
貴族には派閥もあるし、同じ派閥でも席や話題には気をつけないといけない。
それに、先代もよくお茶会をされているなら、格式もそれより上でも下でもいけないわ。
「マイヤーさん、お願いがあります。セラフィーヌ様がどなたをお呼びになるのか名簿をもらってきていただけませんか。それから、当日の衣装を。もし、先代と異なる様式でしたら……そうですね」
私から準備をして渡しても、素直には受け取らないだろう。
「ご主人様の手から、プレゼントだとセラフィーヌ様に伝えてお渡ししなければいけません。テイラーさん、先代がどこの衣装を着ておられたか確認してくださいますか?」
「わかりましたが……恥をかかせてもいいのでは?愛人が恥をかけば奥様への同情の声も高まると思います。そもそも、奥様宛の手紙を勝手に開けて、勝手に代わりに行く行為は相手に対しても失礼なことですから」
テイラーは先代からの執事なので、今のご主人様の対応に思うところがあるようだ。
「テイラー様、私は妻という役割を持った従業員です。ロッケルベンバー家が、皆様から認めていただける家だから私の家も助けるだけの財力をお持ちだった。この家の格を下げることはできません。でも、わたしが表に出て仕舞えば、ミレー様もお怒りになるでしょうし、セラフィーヌ様も良い気持ちにはなりません」
ですから――
私は、拳を力一杯握りしめる。
他の侍女やテイラー、マイヤー、カロリーヌ達がその勢いにグッと息をのむ。
「黒子となって、セラフィーヌ様を支えますわ」
キリッとそう宣言したのに……
「あああああっ、そっち方向にいってしまいますか!」
なぜかしら?みんな一斉にズッコケたのだった。
◆(ミレー視点)
「どうしてこんなことになってしまったんだろうか?」
ミレーは、テイラーやマイヤーにはセラフィーヌを庇う言動を見せつつ、自身の影を使ってセラフィーヌの動きを探らせていた。
「では、パトリシアがセラフィーヌに紅茶をかけたというのは?」
【セラフィーヌ様が、奥様に紅茶を淹れるように命令して、給仕した紅茶をまずいと罵った後、自身でこぼし、泣き叫ばれました】
「そうか、パトリシアはセラフィーヌが火傷をしていないか心配していたな……」
私が、紅茶まみれになっているセラフィーヌに駆け寄ると、「火傷はありませんか?すぐお着替えと冷たいものを用意します」とパトリシアは言って走り回っていた。
「奥様に紅茶をかけられたんです」
そういわれたパトリシアは、オロオロしていたっけ?
パトリシアは私のことを全くどうとも思っていないのだから、そんなことをするわけないのだ。
私はため息をつく。
「怪我をした件はどうだ?」
【あれは、セラフィーヌ様が果物とナイフをパトリシア様に持って来させました。たまには自分で剥いた新鮮な果物が食べたいということでしたが、指を切られまして……】
「だが、パトリシアがわざと刃を自分の指に当たるように向けたと……」
【パトリシア様は、その間にセラフィーヌ様の湯浴みの準備をされておられました。ミレー様がこの後、自分を抱きにくるから準備しろと】
「まさか……」
だが、事後のシーツの後処理をパトリシアにさせているとマイヤーから苦情が入っていた。
影も幼かった頃から私を見てくれたマイヤーも疑うことはしたくない。
だが、セラフィーヌは、本妻に意地の悪い姿を見せるような女性ではなかったはずだ。
それなのに、調べても使用人の話を聞いても、セラフィーヌがパトリシアに対して不敬な態度や嫌がらせを超えた行動を繰り返しているという現実だった。
部屋も……まさか、パトリシアがセラフィーヌに明け渡すとは。
しかも、夫婦の寝室まで……
あげくに、どこか客室を使っているのかと思えば、屋根裏の使用人の部屋で寝ている。
自分は妻になる役目を持った従業員なのだと言い張っているらしい。
「何度疑っても、あの態度は演技じゃないんだよな……」
今更好きにしろと言った手前、慎ましやかすぎるという理由で客室の部屋に移れとは言えない。
セラフィーヌが報告通りなら、客室に行くより使用人に囲まれている方がパトリシアも安全かもしれないし……
ミレーは、パトリシアもセラフィーヌの双方の動きが理解できないと、首を捻って考える。
「むしろ、セラフィーヌの行動が演技だったのではないかと疑ってしまう自分がいる」
セラフィーヌとの出会いは、運命の出会いだった。
母が支援する孤児院の子供だったのだ。
彼女は、孤児院の子供達の世話をしながら、孤児院の生計を立てるために必死で働いていた。
それなのに、その手はあかぎれだらけで、傷薬を買う金も作れないという。
私は、傷薬を含めた様々な薬を孤児院に寄付し、時々セラフィーヌの様子を気にするようになった。
セラフィーヌは、腹の探り合いなどない純粋な少女で、私の話をいつも楽しそうに聞く。私が落ち込んでいる時は励まして、私が傷つけているときには寄り添う。
そんな彼女に安らぎを感じ始めた頃、セラフィーヌから相談を受けた。
「孤児院の院長と教会の神官が、体を不必要に触ってくるの。まだ未遂で終わっているけど、いつ襲われてもおかしくないわ」
「そんな、神に仕える者や世話をする立場のものが!」
だが、証拠がない。
彼女を逃がしたい。
彼女を穢らわしい者から守ってあげたい。
そんな気持ちが燃え上がり、セラフィーヌと関係を深めるのはあっという間のことだった。
私は、私財を使い、彼女を匿うことにした。
「孤児の私は、ミレー様と一緒になることは出来ないのですね。いつか、ミレー様には奥様に子供が産まれて家庭を築かれます。私は……身分さえあれば、誰にもあなたを渡さないのに!」
社会が俺たちの仲を裂こうとする。
我が家の養子にセラフィーヌを入れることも、もちろん結婚も許されない。
「そんなどこの子かわからない養子がいて、噂をされたら碌なことにならん。縁組だってダメになる。愛人にしておけ」
父も母も、セラフィーヌを虫けらを見るような目で彼女を見る。
そう言われると、ますます反発する気持ちと、自分たちの愛を引き裂く貴族という制度に嫌悪感が増していく。
彼女を手に入れるためには……
私も綺麗な人間のままではいられない。
思いついたのは、貴族でも、金をちらつかせたら言いなりになるしかない貴族令嬢を妻にすることだ。
父母を納得させて、結婚を了承する代わりに家督を継いで仕舞えばいい。
ちょうど伯爵家の令嬢が見つかった。身分も釣り合う。
彼らは支援者を探していたし、領地も家も立ち行かないところまで追い込まれていた。
お互いに利点のある結婚のはずだ。
それなのに、一人の女性の人生を狂わせようとしている。
一人の女性の幸せな結婚生活や子供を持つという権利を、私は騙して奪い取ろうとしている。
自分は幸せになろうとしているくせに……
その気持ちがずっと胸を、黒く巣食っていた。
私は、どうしたらいいんだと頭を抱えていると、ドアをノックする音がした。
「はい、テイラーとマイヤー、どうした?」
またセラフィーヌが何かをしたのだろうか?
私は、彼女を庇うことができるだろうか?
不安がよぎる。だが、マイヤーは私の顔を見ずに、衣装の箱を差し出した。
「これは?」
「5日後に、この屋敷でお茶会が開かれます。過去の奥方様のドレスをみていますと、長く懇意にしていたラッシュマダムのデイドレスを着用されておられました。今からだと既製品しか間に合いませんが、セラフィーヌ様にお似合いではないかと……」
「セラフィーヌに……いや、私が社交界に連れ歩くときには確かに彼女と歩くがここの女主人はセラフィーヌではない」
私は、そういいつつ、嫌な予感がしていた。
部屋に入った時、彼女がパトリシア宛の手紙を持っていたのだ。
「きっと当てつけよ。私には貴族からの誘いがあるんだっていうね」
「そんな当てつけに意味はない。社交の場でも私が連れ立っているのは君だ。みんなパトリシアの顔すら知らないよ」
そうふさぎ込むセラフィーヌに口づけをしながら、本当に当てつけなのだろうか?という不安があった。
「ですが、セラフィーヌ様は奥様に来たお茶会のご招待を受けておられます。おそらく皆様、セラフィーヌ様を奥様だと思っておられるのではないでしょうか?そして、5日後のお茶会は、セラフィーヌ様が計画され、皆さんにすでに招待状を出されておられます」
じろ目で、私は知りませんからねという顔でマイヤーはミレーを睨む。
「な、なんで!なんで言ってくれなかった?」
「聞く耳をお持ちでしたか?坊ちゃま」
そう言って、わざと、昔、悪いことをして叱られた時の言い方をする。
「だが、ドレスを準備してくれたのか……いや、流石にそんな権限はマイヤーにはないか。テイラー、お前が準備を?」
私は慌てて、テイラーを見ると、肯定も否定もされず、無表情で招待者リストを渡される。
「えっ……な、なんでこんな招待客に?しかも、勝手に、公爵家まで!しかも、レガート侯爵は貴族派だが、ルビー侯爵は議会派だ。おい、やばいぞ、シシリー子爵夫人は、ドレシー伯爵夫人は犬猿の仲だ」
どうしてこんなことに……
「ミレー様落ち着いてください。目上のものであっても、当主が変わったという挨拶をミレー様がするなら、とりあえず公爵夫人を呼んだという名目はたちます。席については、私も分かりうる情報を集めてかつてのお茶会の形式に合わせて作りました」
テイラーが、サッとその座席表を差し出す。
それは、ガーデンパーティーのような雰囲気で、うまく不仲な関係や身分の問題をカバーできるような作りになっている。
「あと……これが招待客の情報です。その……リストにさせていただきましたので、セラフィーヌ様に暗記していただければ」
マイヤーが、細かく書かれた人物リストを差し出す。
だが、見慣れない字だ。少なくとも、テイラーやマイヤーの字ではない。
それに、この座席表も妙だ。
いくらなんでも、人間関係をこの二人がここまで把握しているはずがない。
「これは、パトリシアか?」
聞きながらも、私は確信していた。
私は、パトリシアに対して心の底から申し訳ない気持ちが湧き上がる。
今まで、セラフィーヌが、妻のふりをして勝手に行ったお茶会では多くの失礼を働いたに違いない。
だがみんなは、セラフィーヌとは思っていないから、パトリシアのことを悪く言っているに違いない。
今回の招待客の件も、まさか、愛人が勝手に呼んでいるなんて誰も思いもしない。
パトリシアの悪評が流れるに決まっているのだ。
「わかってしまいますよね。パトリシアからは、二人が準備したように見せてくれといわれたのですけど」
だから言ったのにという口調でマイヤーが続ける。
「パトリシアが先代奥様に連絡をしたのです。自分のミスで、今までご招待をしてくださった方に招待を送り返してしまったと。先代様も慌てて『時間がない』と、ドレスの工房に連絡してくださったり、かつてのお茶会の形式をなぞって、料理のメニューや招待客の注意を連絡してくださいました」
「ドレスは、ミレー様が着るように言わないとセラフィーヌ様は、既製品なんて着るお方ではないですからね」
テイラーも、困ったように肩を落とす。
「今も、奥様の名前で、いろんなドレスや宝石を買っておられます。ああいうのも、パトリシアの評判を落としてしまう行為です。パトリシアはお仕着せと持ってきた質素な洋服以外持っていません」
「ま、まさか!慎ましやかにとはいったが、自由にしていいと伝えていたのに……」
私はそういいつつ、もうわかっていた。
パトリシアは、私が実家の支援をしたことに負い目がある。
そんな彼女が、自分のいろんなものを買うわけがない。
負い目があるからこそ、嫌な顔をせずにセラフィーヌの嫌がらせも甘んじて受けているのだ。
自身の人生の幸せすら捨てたのに……
一方でセラフィーヌは、貧しかったが故にお金があり困らない生活に憧れがあった。その気持ちも痛いほどわかった。
今まで我慢してきた分、憧れた世界を体験してみたかったのだろう。
だが、それは人を踏み台にしてしていい行為ではない。
「お二人の関係に口を出すつもりはございませんが、パトリシアをこれ以上傷つけるなら、私も坊ちゃまをお支えすることはできません」
テイラーとマイヤーは毅然とした態度で私を諭すように言い放った。
「お茶会は、本来の妻であるパトリシアに……」
そう言いかけて、私はハッとする。
「だが、そうなると、今までお茶会に勝手に出席していたのは愛人のセラフィーヌだ。そして、私が社交の場で妻だと言ってセラフィーヌを連れて歩いていたのも嘘だったと告げることになってしまう」
セラフィーヌだって、妻の代わりを果たそうとしたからこそ、わからないなりにパトリシアに来た手紙を開けて、代わりに出席していたのだろう。
すべては私の考えが浅く、自己中心的だったから起こってしまったことだ。
私は、愕然として、体の芯が冷えるような感覚を感じていた。
「パトリシアを呼んでくれ……」
◇
私――パトリシアは、ご主人様に呼ばれて部屋に入った瞬間、室内のお葬式のような雰囲気の暗さにギョッとした。
おかしい、これで万全に対応できたと思ったのに!
何がいけなかったのかしら?
どんな招待状を送ったのかは気になるけど、それはお茶会で、ご主人様がお披露目も兼ねてカバー出来るはずだし……
「パトリシア……」
「ご主人様、なんだか顔色が悪いです。少しお休みになられますか?」
私は慌てて声をかけるが、ご主人様は、私の手を掴み、涙目で首を横に振るだけだ。
「君の手も……」
「へ?手、手ですか?いや、領地で農作業もしていたし、人様に見せられるような手じゃないんですよ。でも、働き者の手だと自慢していたんですけどね、あははは……はは……」
私の、短くてガタガタな爪や荒れた手、ゴツゴツの硬い手の平を両手で握りしめて、ご主人様は、すまない。すまないとひたすら謝っている。
「私はどうして、自分さえ良ければという人間になってしまったんだろう。セラフィーヌと自分さえ幸せだったら、他の人の努力や幸せを踏みにじっても許されるなんて……どうしてそんなことを……」
そう、私に涙を流しながら謝罪する。
私は、何が起きたのかわからなくて、テイラーさんとマイヤーさんを見つめるが、二人とも無表情に顔を横に振るだけだ。
うーん、これはまた私が否定してもみんなが思い込んでいるアレですね。
私は、大きく息を吸う。
「ご主人様、皆さんも、私のことを可哀想な女と思っているなら、それこそが一番私には傷付きます。」
ここで私はきちんと伝えなければならないだろう。
「ご主人様が自分の幸せを求めることは悪いことですか?セラフィーヌ様が、ご主人様と幸せになりたいと願うことがそんなにいけないことでしょうか?私はそうは思いません」
私は可哀想な女ではない。
それをみんなに知ってもらわなければならない。
「かつて、私にとっての一番は私の両親であり、私と共に過ごしてくれた使用人であり、領地で声をかけてくれた住人であり友達でした。そんな彼らが、明日食べるものがない状況に陥っていたんです。それがどれだけ過酷なことかわかりますか?実際、医療も受けられず亡くなった者もおります。領地を納める者が、どれだけそれを不甲斐ないと思っていたか……」
私がどんなに鍬を持って畑を耕しても、どんなに落石を壊そうとしても、女の手では大したことは何もできない。
「ご主人様は、多くの命を救ってくださったんですよ。自分に関係のない土地の多くの民を。そして、新しい産業の開発費を払ってくださっていることや、隣国との通路の落石除去まで手配してくださったと聞いています。そんなご主人様が、好きな人を幸せになりたいと思うことはいけないこととは思いません」
「だが、君は私のせいでもう愛する人と結婚もできない。子供を持つことだって……」
「それは、今までだって同じです。すでに好きな人や子供がいたなら引き裂かれた痛みもあったでしょうが、私にはいませんから辛いことなんてないんです。だから、私は、可哀想な妻ではないんですよ」
ご主人様は、私を見つめて、ぐっと目を固く閉じた。
「だからといって、君を不用意に貶めるのはわけが違う。セラフィーヌはことの重大性を理解していない。自分が行う行為が、君の評判を貶める行為につながっていることに気づいていないんだ」
それについては、少し困ったので苦笑いをしておく。
「そうですね。でも、良くも悪くも私は社交界にデビューしていませんから、知り合いは誰もいません。私が裏でカバー出来ることはしたらいいだけだし、セラフィーヌ様だって徐々に覚えていかれますよ。家の中のことは、私も出来ますしね」
テイラーから教えてもらって、帳簿をつけたり、問題がありそうな領地は事前にそっと視察をして、対応をしている。
顔を見せた方がいいところだけ、ご主人様とセラフィーヌ様が回ったらいいのだ。
「それだが、私は元あるべき関係にきちんと戻そうと思う。積み重ねた嘘は、積み重ねるほど戻れなくなっていく。セラフィーヌとはきちんと話し合って、彼女が困らない生活の保障をして別れようと思う」
そう真面目に話すご主人様に、私は、パニックになっていく。
ええーっ!なぜ?なぜ?なぜーっ!
そ、そんなことをしたら……ほら、妻の仕事が……
「い、いけません!その……お子ができるかも知れません。というか、もういるかも!お二人で育てると言っておられたではないですか!」
勘弁して!
私、可哀想でもないし、ついでに言うなら、ご主人様のことをかけらにも想ってないんです。
そんな不敬なこと言えませんけど……
「たしかに……お子の事は考えないといけませんね。ですが、立場としては庶子ですが……」
テイラーは容赦ない。
「わ、私が産まなければ、その子が将来の当主です。そう言う話でしたよね?ね?」
私の必死さに、ご主人様は、はーっとため息をついた。
「私を嫌うのはわかるが、あからさまに関係は持ちたくないと顔に出されると複雑だよ」
「き、嫌ってなんて!ただ、好きではない、あ、いや、そう言う目で見たことがないだけです」
私は慌てて訂正を入れるが雰囲気はますます悪くなる。
「なら、こうしましょう。妻が望んだのです。夫が愛人を持って、愛人と連れ立って、愛人と社交をこなすことを。妻は、内気で表舞台より裏舞台で活躍したいのです」
そしてさらに、ご主人様に説教をするように言い含める。
「私に対して申し訳ないと思ってるんですよね?それなら、セラフィーヌ様にそのドレスを必ずきて、招待客リストをしっかり暗記してもらってください。そして、セラフィーヌ様が社交をこなされるまでは、絶対に一人にしてはいけません。私は、皆さんの給仕をしながらお二人を見守っておりますからね」
私は鼻の穴を大きく広げながらご主人様を説得した。
◆(ミレー視点)
「セラフィーヌ、いいかい?」
私は、パトリシアの提案を受け入れたふりをしつつ、彼女とは別れなければいけないと感じていた。
このままでは、お互いがダメになる。
気がつけば、部屋はすっかりセラフィーヌの好みで埋め尽くされた部屋になっていた。
「あら?もしかして、それはドレス?」
嬉しそうに、キラキラと輝くセラフィーヌの笑顔を見て懐かしく思う。この笑顔をずっと見ていたいと思っていた。
それなのに――どうして、今この笑顔を見るのが辛いんだろう?
「うん。セラフィーヌ、大切な話がある。君はパトリシアの代わりに勝手にお茶会に行ったり、この家でお茶会を開くためにパトリシアの名前を使って招待状を送っているよね?」
そういうと、セラフィーヌの目が一気に泳ぎ始める。
「以前も言ったわ。自分にはこんなに貴族から招待状がくるんだってわざと私に見せつけるの。でも、あの人、この家の掃除は出来ても外交はできないでしょう?社交界ではパトリシアは私だとみんな思ってるんだから……だから代わりに私がやってあげたのよ」
私は、この後に及んでも嘘をつかれていることが悲しくなる。
でも、そうさせたのは、私だ。
「それはパトリシアに頼まれたこと?社交にはいろんなルールがある。どうして、私に相談してくれなかったの?」
「どうしてって……これは女主人の仕事で、夫のあなたの仕事じゃないわ」
セラフィーヌは、キッとした顔で私を睨みつけた。
それは今までに見たことがない顔で、思わずその勢いに負けてたじろいでしまう。
「セラフィーヌ、女主人はパトリシアだ。君がパトリシア宛てのお茶会にお招きを受けたり、招待を勝手にした事は、彼女の名誉に関わる事だ。貴族のお茶会というのは、お茶を飲むだけじゃない。そのための根回しや支度が必要な物なんだよ」
「私が貴族じゃないから?何も物を知らない愛人だから大人しくお人形になってろと言うの?私だってあなたのために役に立ちたかった。セラフィーヌと名乗ってその役割が出来るならやっていたわ」
「分かっている。私が言いたいのは、私たちが行うことは、私たちが責任を被らないといけないということだ。私は卑怯だった。パトリシアが許してくれるのを良いことに、君をパトリシアだと言って連れ出した。パトリシアは妻なのに、その受けるべき待遇を奪った。君と添い遂げたいなら、ちゃんとそれを結婚前にパトリシアに伝えるべきだったし、社交界でも、僕の愛人だと正直に言うべきだった。」
「だけど、そんなことしたら結局、パトリシアは愛人に代理をされる妻だってみんなから馬鹿にされるわよ。結果は一緒よ」
セラフィーヌの声は震えている。
彼女にも私が言いたいことがわかったのだろう。
私はこれで終わりにしなければいけない。
「そう、だから、この関係は間違いだった。私たちが添い遂げたいからといって、無関係な人を貶めて良い理由にはならない。パトリシアは、君が自分の代わりを務めてくれる方がいいというがね。」
セラフィーヌは、拳を握りしめて険しい表情で私を睨みつける。
「パトリシアと夫婦生活を送るの?」
「彼女からは思いっきり拒否された。だから彼女に決めてもらうよ。離縁したいなら白い結婚だし、次の相手も見つかるかも知れない。私と夫婦になると言うなら……」
そう言う途中で、セラフィーヌは、ハハハと馬鹿にしたような笑い声を立てる。
「おめでたいのね。知ってる?あの子、私たちの情事のシーツをいつも洗ってるの。そして、情事の前の私を磨き上げるのもあの子の役目。悲惨よね。もし、あの子があなたを好きになったら、私たちの情事の跡は、あの子に必ずフラッシュバックするわ」
そう私を馬鹿にしたように笑う姿は、私の知っているセラフィーヌではなかった。そこまでパトリシアが憎いのか?
だが、その態度はただ強がっているだけなんじゃないだろうか?本当は、彼女は心根の優しい子だったはずだ。
もう一度、過去のお互いを思いやる気持ちを取り戻したい。
そう私は願った。
「セラフィーヌ、君がそれを命じた事を私は知っている。パトリシアが私に伝えたわけではない。私には影がいる。君がパトリシアを貶めるために色んな嫌がらせをしたこともだ。でも、その行動は私を思ってくれたからだと……」
「あんた!おめでたいわねえ。本当にそんなこと思ってるの?孤児院で私が襲われそうになったっていうのだって嘘。むしろ、私が孤児院の金をちょろまかしてもあいつら気づきもしないの」
セラフィーヌは、ふふっと私に向かって笑いかけた。
「でも、私はあなたから離れない。最近月のものが遅れてるの。でも良いわよね?私たちの待望の子供ですもの。それとも、私との子供を、パトリシアに育てさせる?あの日のあの時の情事の子供だって思わせるのかしら?」
ふふっ、と残忍そうに笑うセラフィーヌは、誰なんだろう?
私は空虚な心で彼女を見つめた。
「ダサいドレスね。こんなの着て欲しいの?でもどうしようかな?パトリシアの名前で、このドレスを着ようと思ったのだけど?」
セラフィーヌはクローゼットから露出が激しい下品な色合いのドレスを出す。
「もしかして、わざとお茶会もパトリシアが恥をかくようにと?」
「ええ、もちろん。だって、許せないでしょう?彼女はただ、伯爵令嬢だっただけ。あなたの心を射止める努力もしなければ、何かに秀でているわけでもない。使用人にまでパトリシアと呼び捨てにされる始末よ。それなのに、豪華な安定した暮らしも、貴族としての常識も全て持ち合わせている。更にはあなたの心まで……」
「君は、彼女の手を見たか?以前の君と同じ、労働者の手だ。努力をしていないんじゃない。努力して自分のことを後回しにしているだけだ。そして、自分は金で買われたと思っているから、使用人たちに同僚として接して欲しいと伝えている。頼む。かつての君を取り戻してくれ」
「どうして?なんで私が普通の貴族のような生活を求めてはいけないの?妻という座が欲しかった。でもそれはパトリシアにあげた。代わりに妻の環境をもらった。それの何がダメなの?」
「パトリシアは妻とあう座も、環境も求めてない。でも、置かれた環境で自分ができることをしようとしている。俺たちだって悲劇の主人公ではなくて、その場でお互いの関係を守るべきだった。セラフィーヌ、もし君に私との子供ができてもできなくても生涯困らない生活は保障する。でも、子供はやはり庶子だし、貴族の後継にはできない。私も自分の与えられた役割を果たすよ」
◇
「えーっ!喧嘩別れした?ご主人様、私言いましたよね?私は……」
「可哀想じゃないんだろう。わかっている。セラフィーヌと別れたのは君とは関係がない。単純に痴情のもつれだ」
淡々と顔色ひとつ変えずに、お茶会の招待客リストを見つめるご主人様に、私は別れるのは良いけど、私はこの後どうしたらいいんですか?と詰め寄りたくなる。
「君には嘘をつかせて申し訳ないが、新婚早々体調に問題があって、セラフィーヌを代理に立てたことにしてくれないか?」
それで、なんとかセラフィーヌの失礼な言動を納めることはできないかとテイラーに相談をしている。
「ご主人様、嘘をつけと言われたらつきますけど……でも、私だといってセラフィーヌ様を紹介されていたのでしょう?ここはお茶会を急遽中止にして、私と離縁するのが一番だと思いますけど……」
そうすれば、みんなの中ではセラフィーヌが短い期間の妻だったという記憶で終わるし、離縁の話が出たからお茶会は中止になだだと思われるだけだ。
「そ、それじゃ君は実家に帰るのかい?」
ご主人様は、なぜかオロオロとし始めて、すがるような目で私を見つめる。
「いえ、生涯働き通しても返せませんが、頂いたお金を少しでもお返ししたいのでここで働かせていただければと思います」
私はそうキッパリ言うが、ご主人様は、ため息をついて、再び、じっと私が作った来客者リストの詳細や、座席表を見つめている。
「パトリシア、これを作るのに君はすごく大変な思いをしたんじゃないのか?私の母にも連絡したと聞いた。おそらく相当な嫌味を言われただろう?」
母は気位が高い。
その品位を落とす行動をパトリシアがしたと思っているのだ。息子の罪を、パトリシアは被っただけなのに……
「お会いしていなかったのが、功を奏しました」
私は、あっけらかんとご主人様に伝える。
私たちは、大々的な結婚式を挙げておらず、教会で署名だけしかしていない。
それは、ご主人様が乗り気ではなく、落ち着いてから式を大々的に挙げたいと周囲には語っていたからだ。
よって、どんなに手紙で詰られたとて痛くも痒くもない。
「では、サラッと新妻だと皆さんに紹介してください。今回は公爵家を呼んだのは、代替わりと結婚したことを皆様にご挨拶するためだとしましょう。みなさん、遠回しに、セラフィーヌ様のことを言ってきますが微笑んで終わりましょう」
必殺微笑み返しは、悟れよ!空気読めという絶妙の手だ。
そうすれば、嘘をつくこともなく、かといって愛人を妻だと嘘をついた理由を説明しなくてよくなる。
「では、初めての奥様業をしましょうか?マイヤーさん、セラフィーヌ様にお渡ししたドレスですが、私では胸が開くので詰めてもらっていいですか?」
マイヤーも、慌てたように反応する。
「そうですね。時間がありません。あと、出す食事や会場もチェックしてもら得ますか?奥様?」
私は、そう言われて、一瞬立ち止まり微笑んで、ご主人様に顔を向ける。
「ミレー様、今日から、本当の妻役を頑張りますのでよろしくお願いします」
そう笑いかけたのに、ご主人様の顔は一瞬惚けたようにぼーっとして赤くなる。
何を照れているんだか?名前呼びに変えただけなのに……
私は意外にもウブな夫の一面を見て、思わず吹き出しそうになったのだった。
◇
「この度は、よくお越しくださいました」
「公爵様、ようこそお越しくださいました。この度は一方的な招待状を送ってしまい申し訳ありませんでした。田舎暮らしで、マナーを存じ上げませんでしたの」
私は最大限、シュンとして田舎者の名ばかり貴族の顔をしながら、到着をミレー様と出迎える。
その瞬間、貴族マナーだけはしっかりと教えてくれた父と母の顔が浮かび申し訳ない気持ちになる。
「あら?へえ、やっとあの孤児院の子じゃ無くなったのね」
公爵夫人は、扇子を口元で隠し、フッと微笑む。
ミレー様と私は、初手からストレートに伝えられ、真っ青になる。
「国内の孤児院なら、私や他の貴族だって回ってるのよ。結婚前から、あれだけ人目を憚らず彼女と過ごされていて、しかも社交界に伯爵令嬢だといって連れ回すんですもの。これ以上、私たちを騙そうというのなら今後のお付き合いを考えようと思っておりましたの」
「そうでしたか……私が妻として至らなかったせいですわ。ぜひ夫人には夫婦の円満の秘訣を教えていただきたいです」
公爵夫婦は、とても仲の良い関係という話だ。だから、不貞行為に強い嫌悪感を示す。
これは、なかなか……
ちらっとミレー様を見ると、すでに真っ青な顔をしている。
「ミレー様、しっかり!」
私は思わず、ギュッと手を握って励ますしかない。
座席表通りにテイラーが案内をしながら、歓談が続く。
どうやら、みんなセラフィーヌ様は私ではないことを知っていて茶番に付き合っていたようだ、
「あら、奥様、以前の方からご主人の隣を奪い返されましたの?」
そう、嘲笑が響く中で、私も微笑み返す。
というか、それだけではもう無理だ。
「ええ、主人が毎日愛を囁いてくださるものだから、もう一度信じてみようと思いましたの」
しれっと惚気ながら、不貞を認める二重返答でどうだ?
私は冷や冷やしながら、なんとかフォローをしようとするが……
ん?
「ミレー様、やばいです」
私は、ミレー様の耳元に口を近づける。
私は視線の先を伝えると、ミレー様も、私を引っ張る腕に少し力が入る。
その先にはシシリー子爵夫人とドレシー伯爵夫人がすでに交戦体制だ。
「離しておいたのに、なんでわざわざ引き合いに行くのかな?」
「シシリー夫人とドレシー伯爵が不貞関係なんです。だからマウント取りに行ってるんですよ」
「うわぁ、それは修羅場じゃないか」
私たちはコソコソ話しながら、挨拶をして近づいていく。
「お話が弾んでおられるようですね」
弾みすぎて、刺し合いそうな勢いだが、これもモノは言いようだわ。
「ドレシー伯爵夫人、ここは日が当たる場所のようですわ。あちらで涼みませんこと?」
私は、とにかく二人を離そうとする。
「あら、ロッペルベンバー夫妻、初めてお目にかかりますわね?」
そこに、本来なら初めてではないはずのシシリー夫人が、わざとらしく初めてを強調してくる。
「お会いしたのは初めてでしたか?確か以前も……」
そう言って私はすっとぼける。
「私が、可愛い妻を隠しすぎたからそう思われてしまったのかもしれない。これからは、妻に一途であるアピールをしなくてはいけないですね」
ミレー様も、サラッとシシリー夫人の話を流す。
だが、今度はドレシー夫人が食いついてくる。
「やっぱり、侯爵も奥様とご一緒だと以前と表情も言葉の軽快さも変わりますのね」
私たちを介して本妻マウントが発動する。
あー、どうする?これは、物理的に強引に移動させるしかないか?
だが――
「さすがドレシー夫人ですね。そうなんです。妻の魅力に抗えず、つい口も軽やかになってしまいます。やはり、あるべき姿が一番安心できますね」
チクッとシシリー夫人に釘を刺す。
シシリー夫人は子爵夫人だから、ここで引くべきはシシリー夫人だ。
ミレー様は、私をグッと抱き寄せ、こめかみに柔らかいものを落とす。
その瞬間、きゃっという声が上がり、シシリー夫人も居心地悪そうに
「まあお若いっていいですわね」
そう言ってその場を立ち去った。
今、こめかみに何が当たりましたか?
いや、考えるのはやめよう。
ブルッと震えながら、ミレー様と招待客をさばき終わり、当主として挨拶と、私たちの結婚を告げて無事解散となった。
「もう疲れました。」
テイラーもマイヤーもみんなもぐったりしている。
私はミレー様に了承をもらって声をかける。
「皆さん、残ったもので申し訳ないですが、この後は慰労会としましょう。お世話になりました」
そういうと、うわっと歓喜の声が上がり、アルコールや食事をみんなで楽しみ始める。
「ふーっ、私は何を思っていたのだろうな。噂好きの彼らに、セラフィーヌが妻だと本当に騙せると思っていたなんて」
そうミレー様は落ち込んでいるが、私はセラフィーヌ様が気になっていた。
「お茶会でセラフィーヌ様、嫌な思いをされてきたんじゃないかしら?だって素性をみなさん分かった上で彼女をテーブルに座らせるんですもの……」
「そうだろうな。お茶会を開けとわざと誘導された可能性もある。彼女にも君にも不誠実なことをした。これは支援とは別の話だ」
ミレー様は、わいわいと賑やかにしている使用人たちをみながら呟いた。
「結局、セラフィーヌには慰謝料を支払って国内の別の領地で過ごすことになった。子供は出来てなかった。月のものがあったらしい……」
「そうでしたか……」
私たちはしばらく黙ってすごす。
不思議とその黙って過ごす時間は嫌ではなかった。
「何はともあれ乾杯しませんか?無事成功を祝って」
私は、そばにあったグラスに並々とアルコールを注ぐ。
「実は、飲んだことがないんです。初アルコールなの」
そう言って、ミレー様に持っていく。
「そうなのかい?それなら、それは度数が高い。軽めのものから始めた方がいい。取ってくるよ」
ミレー様は笑顔で、テーブルをキョロキョロして、ジュースのように見えるアルコールを持ってきた。
「あら?これはジュースではなかったのですね」
「ふふ、そうやって酔わせる輩もいるから気をつけて、じゃあ、乾杯」
お互いのグラスを少し上げて、私はぐいっと飲み干す。
「あ、美味しい」
「だ、だめだよ!初めてなんだから、ジュースみたいに飲んだら……」
そういう声がふわっと聞こえ、私の体はとても熱く心地よい気持ちになってくる。
「ふわっとします。ふわっと」
「君、顔が赤くなってる。多分お酒は強くないね」
呆れたようにミレー様は、私の体を支えて耳元で囁いた。
「もう一度、私にチャンスをくれないか?初めましてから、こんなふうに初めてを一緒に体験しよう。そして、お互いを知ってもし、気持ちを私にもらえるなら本当の夫婦になろう。もちろん、無理強いはしない」
「ほぇー、もっとお酒を一緒に飲んで、気持ちよくなって夫婦になるんですか?」
私はいよいよ思考回路がぐるぐるし始める。
ミレー様は、ははっと苦笑いしている。
「酔った時に言うのは卑怯だから、シラフになったらもう一度伝えることにするよ。パトリシア、君が嫁いでくれて良かった。過ちは二度と繰り返さないからね」
「はあ、そうですか?」
過ちとは?はて?
その時フッと頭の中に蘇る。
「そういえば、あのこめかみの柔らかいのは唇では?」
そうだ。考えを遮断していたのに、アルコールは煩悩を刺激する。
「あれはだめです。なぜなら、見えないからです。今度は見えるところにお願いします」
私は、ミレー様になにやら必死にお願いをしている。
そうだ!初めてのキスは見える場所がよかったのに。
「見えるところ?ええと……じゃあ、記憶が戻ってもその気持ちに変わりがなければね。初めての記憶まで奪うわけにはいかないよ」
「そうですか、ありがとうございます!」
私は、ピシッとミレー様に敬礼する。
明日から、また使用人だ。
今日だけ私は、人妻だ。
「おや、奥様は眠ってしまわれたのですか?」
近づいてきたテイラーが、ご機嫌にミレー様に声をかける。
しーっ
そう言っているミレー様の声と「………準備を……」と?
何の準備だろう?
私はすやすや眠り始める。
それからしばらくして目覚めたら
「ほえっ!ここは!」
そこは、夫婦の寝室のベッドだった。
「パトリシア、目が覚めた?あの日ひどいことを伝えたあの時間からやり直そう。ちなみに君が眠る前のこと覚えているかな?初めてのキスは見えるところにしてほしいと頼まれたんだけど……」
ミレー様は私ににっこりと微笑む。
私は、ブンブン手を振って首を振って断固として拒否をする。
「お、覚えてません!わかりません!酔っ払いの戯言です!」
夫婦の寝室は、あの拒絶宣言の時と変わり、大きな笑い声と叫び声に包まれていた。
《完》




