翼を折ったのは私
いつからだっただろうか。頭の中で物語を作らなくなったのは。
面倒だが体をベッドから起こして、朝の一杯の為に湯を沸かす。大きめのマグカップを食器棚から取り出して、インスタントコーヒーの粉を入れる。濃いめのコーヒーが飲みたいと、今日は少し多めに粉を入れた。
湯が沸くまでの間、コンロの傍に立ってスマホの画面を眺める。画面の中には、最近見えにくくなった小さな文字が並んでいる。昨晩にアップされた、知人以上親友未満の友人のSNSだ。どちらかといえば知人寄りになるだろうか。そこまで深い仲ではないのだが、共通の趣味があった。
それが、文章を書くこと。執筆活動だ。
SNSには、彼女が綴った感謝の言葉と報告が載せられていた。彼女の創作が書籍化されるらしい。昨晩の投稿を見た時、はじめに湧いたのは単純に「すごい」という想いだ。
ただ、それ以外にも顔を出す物がいた。物陰に隠れているそれは、時間が経つにつれて自己主張をするようになった。眠りに就こうとすると胸がざわついた。
奴がやってきた。
昔、同じ体験をした事があった。別の友人の作品が賞をとった時だ。私も同じコンクールに作品を出したけれど、1ミリたりとも擦りもしなかった。当時の私は、その作品が面白いと思って書き上げたのだが、あくまでもそれは自己満足だった。母親と祖母もその作品を読んだのだけれど「いまいちだね」と現実を、事実を突きつけられた事で、私はプロットを考える事を辞めたのだ。
それでも気が向くと、勝手に頭がプロットを作り始める事があった。パソコンに向かってアウトプットをした事もあったが、最盛期に比べると天と地の差だった。集中力が継続しないし、楽しんで作り上げていた時と違って、義務的な衝動に駆られて、私は書くべきなんだ、と何度もキーボードを叩いた。だが、納得がいかないからとファイルをゴミ箱へ捨てたり、デリートボタンを押して延々と白紙に戻す作業をしたり、消す作業を結局繰り返してしまっていた。
どうして書けない、どうして続かない。
書いては消してを繰り返して、私はもう書くことを辞めた。物語のプロットを考えるのも、書く事も、諦めるしかないのだと手を離した。
それなのに彼女のSNSが頭から離れない。自分の本を出したいと言っていた彼女。夢が叶ったのだから、素直に「おめでとう」と伝えたいのに、私の気持ちが黒に埋れていく。友人が賞をとった時も、友人の作品の書籍化が決まった時も、私の体の中で長く気持ちの悪い感覚が蠢いていた。
本を読むのが好きだった。そこから自分の物語を書きたくなって、誰に見せる訳でもなく、自分の趣味として書いていただけだった。それがいつしか、認められたいと願うようになったのだけれど、過去に「いまいち」と言われた記憶が駆け巡る。私に文才なんてものはないのか…一人で勝手に落胆して、一人で勝手に結論付けて、私は自分の翼をめきりと折ったのだった。
人が成功するのを見るのが苦手で、羨ましいと思ってしまうから、情報もあまり己の中に入れなくなった。努力をしない奴が努力をしている人様を妬むなよと思うが、妬むばかりで、私は1歩も踏み出せなかった。その場で足踏みをして、後ろを振り返って、前にも進めない。
…もう嫌なんだ…。
そんな中、突如目に飛び込んできた友人の報告。私は一晩経ってからようやく彼女の投稿にいいねを押した。それと同時に湯が沸いた。マグカップに湯を注ぐと、コーヒーのいい香りが部屋の中に広がっていく。
羨ましいと妬む気持ちを、ブラックコーヒーで流し込む。
もう嫌なんだ。
嫌だからこそ、何をしたらいいのか答えは既に出ていた。答えが出ないのに実行に移せないのは、私がとても臆病者で卑怯者だからだ。やらなければ、死に物狂いでやらなければ、きっと私は意見を言う立場にだって立てないんだろう。
もう一度マグカップに口をつけてから、テーブルに向かう。久々に引っ張り出してきたノートと、お気に入りのペンがテーブルの上に置かれている。
上手く書けなくてもいい。書きたい事を書けばいいんだ。
頭の中で何度も言い聞かせて、私はノートを開いた。真っ白なページ。何を書こうかと、掴んだペンを空中であっちこっちに動かした。
一文字、二文字、三文字…。書き始めてはみたものの、やはりそこまで上手くいかない。真新しいページの3分の1くらいを埋めた頃、「何やってんだ」と誰かに囁かれた。誰にも見られない文才のない文章を書くことに何の意味がある、と声はだんだんと内に広がる。ペンを持つ手に自然と力が入る。
力任せにペンをテーブルに叩きつけてから、ビリビリとページを破って力任せにぐしゃりと紙を丸め込んだ。そのまま床に、ゴミと化した文字達を投げ捨てた。
何、やってんだろうな。
虚しさが襲ってくる。書けないのに、一体何を書こうとしているのか。書けないんだ。それでも、書かないと駄目な気がする。書くしかないんだと思う。
じわりと目頭が熱くなって、頰を涙が這った。
好きだったんだ。書く事が好きで好きで書いていたのに、どうして書かなくなってしまったんだ。他人の評価なんて気にせずに、好きに書けばいいじゃないか。
私は丸めた紙を拾い上げ、しわを目一杯伸ばす。完全に元には戻らないけれど、しわだらけの紙に、私は再度ペンを走らせた。
好きの気持ちに蓋をするな。好きなら書け。下手でも書け。己を鼓舞しながら私は必死で書いた。羨ましいと妬む気持ちと、書くことが好きという気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じって、凄まじい勢いでペンは走る。
数口飲んだコーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。
短編を書いてみました。書きたいと思いつつ、全然書けない私の心情が若干リンクしております。




