転生したら、自分をこっ酷く振った彼女の姿だった。
それは、憧れのような気持ちだったのかもしれない。子供の頃の気持ちを考えると、彼の行動はそれに尽きるだろう。
隣に住んでいた、女の子だった。歳は二つ上。小学生も六年になれば、彼女は中学二年生。思春期の頃に、一年だけ同じ学び舎で過ごせたことも、その憧れを加速させる要因だっただろう。
スポーツ万能で学業優秀。学校の憧れのマドンナであったが、隣人という利点から、彼だけが知っている顔(恐らく)もあった。駄菓子屋ではいつも両手を合わせて祈ってから、カプセルトイのレバーを回す。可愛らしかった。
家が近いことから、共に帰宅することもあった。会話も弾んで、友達から仲睦まじくて羨ましいと、やっかみを受けることもあった。
高校では別々の学校に進学し、登校時間の関係で滅多に会わなくなってしまったが、大学では偶然の再会をし、たまに学食で昼食をともに摂るのが楽しみであった。
募る想い。一時の別れ。偶然の再会。彼の中で、その感情は溢れんばかりに膨れ上がっていた。
「僕と、付き合ってください」
勇気を出して、告白をする。格好つけるつもりはなかったが、思いを表すために、花束を用意していた。
受け取ってもらった時は、心の中でガッツポーズをした。
けれど――。
返ってきたのは、罵詈雑言であった。こっ酷く振られた。いい雰囲気だと思っていたのは、運命だと思っていたのは、自分だけだったのか。
それからのことは、彼はよく覚えていなかった。フラフラと歩道を歩いていて、おそらく、人にぶつかって体勢を崩したのだろう。けたたましい程のクラクションと、ブレーキ音だけは、はっきりと覚えていた。
※
苦い経験を思い出したのは、三歳の頃だった。近所に住む武士の青年が、茶屋の看板娘に告白をした場面を目撃したことだった。今の自分とは、違う名前の生活の記憶。悔しい感情。それらが押し寄せて、気持ちが悪くなって、吐き出してしまった。大人に心配をかけたことを、今でも覚えているだろう。
歳は十九になった。あの日、告白をした歳だった。鏡を見る度にそのことが思い起こされるのは、この顔が、この身体が、彼女にそっくりだったからだろう。
神様は、僕にどんな恨みがあったのだろう。
彼――、いや、今では彼女となった、ミタマの正直な気持ちである。
新たに生を受けた世界は、どこか日本の江戸時代に似た街並みだった。言葉は馴染みがあり、文字も比較的似通っている。ギャル語や、年末に発表される流行語のような言葉はないが、その恩恵を受けて、幼少期から言葉をうまく操れた彼女は、神童と持て囃された。
新たな才能を芽吹かせる事もあった。
この世界では、魔物と呼ばれる、人を襲う凶暴な生物が跋扈している。そのため、武士と呼ばれる討伐専門の職業が生まれていた。近所に住む青年も、その武士である。
ミタマは、彼に剣技を教わった。はじめは子供のお遊び程度のものだったが、みるみる内に技術を収め、その冴えは青年を凌駕するほどにまで高まった。
実践で、さらに磨いたほうがいい。青年の提案により、彼の仕事に同行することも増えた。彼の収入も増え、分け前をもらったことにより、親の暮らしも豊かになった。そして成人とされる十五の日。彼女は独立し、旅に出たのだ。
各地を転々とし、魔物を討伐して回る日々。いつしかその美しさから、『剣耀姫』として崇め、そして親しまれ、行く先々で噂となって、歓待を受けることとなった。
彼女は照れて、自然と無口になる。それを神秘的だと持て囃され、居心地が悪くなると旅に戻る。彼女を指定する討伐依頼派多かったが、なるべく、それらはすべて片付けるように努めていたため、慌ただしくなれば旅立ちの日だ、と、街の人も感じるほどだ。
そんな生活を初めて、四年。実力にも磨きがかかり、そろそろ強力な魔物の目撃例がある土地へ行こうと、許可証試験を受けて、その地方へ足を踏み入れた時のことだ。
街へ続く関所に、長い行列が出来ていた。
「どうかしたんですか?」
最後列に並んで、ミタマは前に並ぶ男性に声を掛けた。
「なんでも、この地に剣耀姫様が訪れると噂があって、みんなその勇姿を見に来たんだよ。いやー、会うのが楽しみ、み――」
照れて頭を掻く仕草は、なんとも間抜けであった。
それから、順番がどんどんと繰り上がり、期待の眼差しとともに関所を越えた。そうしてしばらく歩いていくと街並みが見え、噂話のアーチを潜りながら、依頼の集まる本陣へと辿り着いた。
「宿泊する宿の手配をお願いします」
「畏まりました。依頼の方はご覧になりますか?」
「お願いします」
受付を済ませると、直ぐに紐で綴じられた紙の束が運ばれてくる。三十枚はあるだろうか。これらがすべて、魔物を討伐して欲しいと願う声であり、討伐されていない魔物の数である。
捲りながら、ウォーミングアップに相応しそうな魔物に目星をつける。近くの山にある、川沿いに出現する猪のような魔物が、動きが直線的で対処しやすいだろう。
茶を一杯頂いたあと、ミタマは直ぐに其処を目指した。
来た時とは、反対側の関所を目指す。そこが一番山に近い場所であり、そこから道を外れて登るように進んでいくと、街道に沿うようにして流れる川がある。
その途中、奇妙な男に出会った。
この世界では、標準とされる和装。着流しのようなスタイルで、胸元や腕、足などには奇妙な紋様のようなものが見える。嫌な趣味だ、と直感したが、それ即ち、人間であるか疑わしい。という感情の表れであった。
人間に化ける魔物の話は、噂話としてよく登場する。けれど、その討伐の依頼が、出されていることは今のところ皆無であった。
「ふぅん。お前が噂の女か。確かに強そうではあるが、クリアじゃないなぁ」
「クリア?」
彼女にとって、久しぶりに聞く英語であった。
「ははっ、なんでもないさ。ちょっと、その活躍を観戦してもいいかな? 興味があるんだ」
長い髪を耳にかけ、妖美な顔で彼女を伺う視線は、怪しさはない。単純な好奇心だと、受け止められた。
どうせ、怪しい動きをしたら斬り伏せればいい。それだけの実力はあるのだから。その思いが、彼を突っぱねなかった理由である。
「もう少し華やかな格好をしているかと思ったが、まぁ、地味もいいとこだよなぁ。白い着物。赤い袴。巫女さんでも意識してんのかい?」
「世話になった神社から、贈られたものだから」
「へぇ、活躍目覚ましいとはこのことかねぇ」
飄々と声を掛ける男を、軽くあしらいながら、魔物の目撃情報のある場所まで辿り着いた。
勢い良く迫りくる巨体に対し、すれ違いざまに刀の刃を突き立てる。そうすれば、相手の動きによってわ自然と太刀筋が刻まれていく。
ミタマの思った通り、猪のような魔物は相手のしやすいものだった。突進してくる攻撃を避けて、刃を突き立ててればそれで済むことなのだから。
しかしそのことが、この討伐依頼があった理由に不自然さを与える要因となっている。
「この程度なら、倒せる人は幾らでもいる」
そう呟きながら、最後の一太刀を浴びせる。駆け抜けた魔物は、そのまま膝をついて倒れた。通常、魔物は息絶えた瞬間に、黒い煙となって消えていく。それを眺めれば、依頼完了となる筈だった。
なのに、この魔物は、――いつまでも消えない。
「魔物も、知恵をつけるものだ。強いものを誘き寄せて、その隙に街を襲う。それで成功すれば、絶望も良いところだろう? そう言うのを、好む魔物もいるのさ」
背後から聞こえる声に、振り返った彼女の視線は険しいものだった。
「知っていたの?」
「おいおい、観戦しているって言ったじゃないか。これは、まだまだハーフタイムだぜ? 最後まで、君の勇姿を魅せてくれよ」
斬り伏せようか。そんな考えがミタマの頭に過ったが、彼の言葉が正しければ、街は既に襲われていることになる。片手間のようでいて、もしも彼が抵抗しようものならば、無駄な労力と言えるだろう。
「ふぅん。俺を斬らないんだ。頭の中で優先順位を立てたのかな? でもさ、あんたも薄々分かったんじゃない? 自分一人の剣技だけでは、誰も救えない。こんなことになってしまう。自分の名声にしなだれかかった愚か者が、次々に命を落とす。自業自得だと笑えば、少しは気が楽になると思うのだけど?」
誘き寄せられたのは、ミタマではない。彼女に引き寄せられた有象無象だ。彼は、暗にそう言っている。
「手を貸してやろうか? 俺は速いぜ。直ぐに行って、助けられる。ほぉら、差し伸べた手を、受け取るかい?」
彼女は、直ぐに駆け出した。距離はそう遠くはない。勝手に自分を崇め讃えて、勝手に頼り切って、自分は安全圏に居ると信じて疑わない人達を、なじってやりたい気持ちは勿論あった。けれど、自分に剣技を教えてくれた武士を頭に思い浮かべ、ミタマは頭を振るう。
人を守るための剣だと、そう教わった。まだ、まだ、まだ間に合う命はあると信じて、彼女は懸命に足を前へと運んでいく。戦火は、既に見えていた。
※
「ウヘヘ、フヒャァ」
奇妙な声を上げながら、その魔物は人を喰った。家のように巨大な豚の首元から、猿の胴体が生え、フクロウのような頭をしている。首が右へ左へと動き回り、逃げ惑う標的を捕捉していく。
目と鼻で、隠れた獲物さえも見つけ出す。恐怖に縮こまる人々を守るように、数人の武士が立ち向かうが、分厚い皮膚に拒まれ刃が通らない。彼らが持つ刀は、ごくごく普通の刀であった。
「こんな、こんな魔物がいるなんて聞いていない」
彼もまた、剣耀姫の活躍を観ようと思ってやってきた、一人の駆け出しの武士であった。知識も、実力もこの地に来るには足りていない。そんな人々を街へ入れないために、関所は選別に時間をかけていたのだ。
自分なら戦える。その熱意だけで、なんとかこの街へ辿り着いた。金を握らせ、汚い真似だってした。それが、このザマだ。豚の顔が、迫る。地についた腰は重く、自分の意志では上がらない。涎が、足元の地面を溶かしている。そうやって、消化されながら食べられるのか。既に食われたか人たちのように。
男は、目を瞑った。
「憚れ、滅牙」
澄んだ通る声が、彼の耳に届いた。目を開けば、そこに豚の頭はない。綺麗な断面が覗いていた。
「離れていて」
それは、彼がもう見ることができないのではないかと思われた、ミタマの勇姿だった。
ミタマは周囲を確認する。街の半分は踏み倒され、所々で火が上がっている。消火をするにも、目の前の魔物を倒さなければならないだろう。
携えた刀の刀身が、黒く滲んでいる。妖刀と言われる、魔物の血を使って鍛えた刀だ。本格的に魔物と戦うのなら、これが必要となってくることを、駆け出しの武士はおそらく知らない。知っていても扱えない。
血を求める妖刀は、血を欲するが故に、使い手を選ぶ。より獲物を狩れる実力を。
戦いの先手はミタマが取ったが、魔物の攻撃は恐ろしく速かった。頭を目掛けた右腕は、咄嗟の判断により腕で守ることができたが、腕へのダメージは相当高く、骨が軋み、街の外れまで吹き飛ばされてしまう。
受け身を取って、態勢を整える。
魔物は既に目の前にいる。
背後に飛んで攻撃を躱す。
狙いやすい足に刃を滑らせるが、皮膚を硬化させる力を持つようで、簡単に弾かれてしまう。
硬化させるまでに、素早く斬らなければならない。そう気が付くもののわ魔物の攻撃も激しい。
豚の尻尾が鞭のように伸び、脇腹を打つ。苦悶の表情を浮かべた所に、再び猿の腕が伸びる。必死にガードをし、また弾き飛ばされた。脇腹の痛みもあり、今度は上手く受け身が取れない。
瓦礫に埋もれながら、ミタマは、おかしいと感じていた。
確かにあの魔物は強い。強いけれど、何故こんなに一方的の展開になるのだろうか。自分の実力は信じていたし、妖刀もある。あの皮膚を切り裂くことなど、簡単なはずなのに。
自分のペースで戦いを運べない何かが、あるのだろうか。それは、何なのだろうか。
豚の頭がなくなったからか、魔物はミタマの位置を把握できていないようだった。これはチャンスだと、自分は何故、思うように戦えていないのかを考える。
考えて、考えて。……そうしている内に、考えていることが理由なのだと気が付いて、自分のことながら、ミタマは笑いたくなってしまった。
考えるまでもない。自分は、既に行動を表していたじゃないか。それが笑ってしまう要因だった。あの魔物は、頭を、顔を狙ってくる。その行動が、ミタマの深層意識を呼び起こすのだ。
かつての自分を、こっ酷く振ったこの顔を、彼女は恨んでいた。こんな顔なんて、滅茶苦茶になってしまえばいいと、危険を伴う武士の世界に足を踏み入れた。
いつか、自分を滅茶苦茶にしてくれるような魔物と出会うために、こうして実力を身に着け、この場所までやって来たというのに。……ミタマの笑いは止まらない。それが自身の居場所を教えることになったとしても。
気付いてしまった。自分の中に潜んでいた思いに、気が付いてしまった。そうしたら、もう、それから目を逸らすことは出来ない。
瓦礫を払い除け、立ち上がる。魔物は目の前にいる。
「もう、傷付けさせない」
この顔を、この身体を。けして傷付けさせてなるものか。好きなんだ。今でも好きなんだ。彼女の笑顔が、彼女の些細なことでころころと変わる表情が。
どんな言葉を与えられても、その気持ちだけは変わっちゃいけなかった。一緒無に食べた昼食の味も、忘れてやるものか。この顔が憎かったんじゃない。自分の不甲斐なさに苛立っていたんだ。彼女の気持ちを理解してやれなかった、自分が至らなかっただけなんだと。
ミタマの顔から笑みが消えた。瞳はただ、瞼の裏側だけを見つめている。風景に溶けるような、そんな、澄んだ顔を見せる。
(確かに、クリアになっていく)
あの男の言葉を思い出していた。確かに、彼女はクリアではなかった。自分の気持ちに蓋をして、それを憎しみだと思い込んで生きていた。その蓋に罅を作ったのは、確かに、彼なのだろう。
彼の手を取らなかったのは、意地だ。その意地を、魅せてやろう。彼女は、目を開いた。
一太刀で、左足を斬り裂く。迫る尻尾を躱し、それにも刃を入れ斬り裂いた。身体が軽くなったように思う。心の持ちようの変化だろうか。守るための剣技。その言葉の中に、自身のことも含まれると、ミタマは勝手に解釈をしていた。
守る。つまり、防御。それ故に、顔を庇うような動きをしてしまっていた。それは、自分の能力を見誤ってきたことの表れに過ぎない。
自分は、もっと動くことができる。守りたいなら、当たらなければいい。クリアになった思考は、その結論に至った。
自分の動きに、魔物は釘付けになるだろう。倒したいと躍起になって、自分だけを目標に定める。尚且つ攻撃をしてくる相手なのだから、身を守る必要だってある。もう、こいつにしか目を向けられない。そう思わせる。
それが、誰かを守ることに、ひいては自身を守ることに繋がるのではないか。それが出来る実力があると、クリアになった視界は教えてくれた。
「ヒュッヒュッ」
声が変わった。振り向きざまに刀を振り抜けば、両断された猪のような魔物が見える。ほら、この隙にお前は、逃げるのだろう? その目にはもう、無防備な首しか、映っていなかった。
「凄い。凄いなぁ。まるでハットトリックだ」
黒き靄のようなものが消え去ったあと、背後から男が話しかけてきた。長い髪が風にそよいでいる。
「ずっと君を見てきて、話すタイミングを窺っていたんだけど、やっぱりこのタイミングがベストだった。どこか、思い詰めたようなものを感じていたから。危ういなぁ、と思っていたんだ」
その視線から逃げるように、ミタマは街を歩く。助けを求める声を、聞き逃さないように。今はその時ではないと、側で聞こえる声には、耳を閉ざすように。
「僕と、付き合ってください」
そういう時だけ、一人称を変える。確信犯を睨みつけるように、彼女は静かに、そして、強い言葉を彼に放った。
※
復興を始める街では、既に飲食が可能な店に賑わいが戻っていた。瓦礫を除けるもの。新たな家を建てるもの。人々の治療にはあたるもの。それらの活力は、すべて食事にかかっているのだから、それを提供する店に活気がなくては、話が始まらない。
腕に包帯を巻いたマシロも、その復興の手伝いの合間に此処を訪れ、鴨の肉がふんだんに入れられた、温かい蕎麦を楽しんでいた。
「一味、いれないの?」
そう問い掛けたのは、体中に紋様のある、髪の長い男。告白してきた男であった。
彼は呑気に彼女の隣に座り、これまた呑気に蕎麦を啜っている。
「要らない」
「うんうん。そうだろう。俺はたっぷりかけたいからな。そうだろうと思った」
ミタマは、思い付く限りの罵詈雑言を駆使して、彼を罵倒してみせた。そして、声高らかに、その告白を振ったのだ。それでも、彼はこうして傍にいる。何事もなかったように。それが、日常であるかのように。
例えば、と。彼女は思う。もしも自分があの時。彼女の気持ちに気が付いて、笑っていたら。傍にいたら。あの日の彼は、今と同じように、あの世界で、再び昼食に蕎麦を食べていただろうか。
彼女が人一倍照れ屋なことを、マドンナと呼ばれるのが嫌で、普段は一人で居たことを、彼女――、彼は知っていたはずなのに。
だから、照れてしまって思いもしないことを言ってしまうことを、察してあげなければならなかった。ショックを受ける必要は、なかったのだ。
そんな難しい人だということを、解っていたはずなのに。
きっと、自分は単純なのだろう。単純すぎて、周りに影響されすぎて、自分のことが見えなくなる。それをいつも、気付かせてくれたのが――。
「あ、そう直ぐにお茶を飲むなよ。ちゃんと見ろ。その湯飲み、茶柱が立ってるから」
何時だって、大事なことを気付かせてくれる。この茶柱はそんな彼女を、祝福してくれたのだろうか。




