境界を越える?
「……あれ?」
夜、スマホをいじっていた悠斗は思わず声を漏らした。
画面に映るのは小説投稿サイト『ノベルステージ』の新着欄。
そこに──見覚えのある名前があった。
作者:白河なな
タイトル『R15の境界線』
(……おいおい、まさか)
軽い気持ちでタップした。
しかし数行読んだところで背筋がぴんと伸びた。
「演技と現実の境界線ってどこなんだろう」
「抱きしめただけで世界が止まったみたいだった」
……これ、完全に俺たちじゃねえか。
しかも物語の中の男女は“演劇部の先輩と後輩”。
タイトルも台詞も会話のテンポまで──全部、既視感しかない。
(うわ、やられた……!)
スクロールを止めた指が震える。
「抱きしめた瞬間、息が混じってどっちが演技か分からなくなる」
その一文を読んだ瞬間、悠斗は顔を覆った。
「……それ、アウト寄りだろ」
けれど、どこかで笑ってしまう。
七瀬らしい。真面目に見えてやるときは全力でふざけるタイプだ。
だが──ふと、胸の奥がざわついた。
この小説の“相手役”は、誰でもなく自分なのだ。
次の日の放課後。
部室の鍵を閉めようとしていた七瀬の背中に悠斗は声をかけた。
「ななせ」
「……あ、先輩。どうかしました?」
「あのさ、昨夜“ノベルステージ”でさ……」
ピクリと、彼女の肩が動いた。
「……読んじゃいました?」
「うん。“R15の境界線”」
「……わぁ、バレた……」
七瀬は両手で顔を覆い、椅子にぺたんと座り込んだ。
耳まで真っ赤だ。
「まさか読まれるとは思ってなくて……いや、読まれても困るんですけど……!」
「いや、困るっていうか……内容がもう完全に俺らじゃん」
「モチーフです! あくまでフィクションです!」
「抱きしめただけで息が混じるのが“フィクション”って言える?」
「だ、だからあれは、“演技的な描写”です!」
「……演技的な描写ねえ」
悠斗はニヤリと笑う。
「じゃあ、確認のためにもう一回やってみるか。どこまでが“演技”か」
「え、なにを」
「“R15の境界線”の再現。作者監修で」
「監修って何ですかそれ!」
「だって作者だろ? 自分の書いたシーン、ちゃんと演出できるか試してみようぜ」
「……先輩、悪い顔してますよ」
「演出家だからな」
七瀬は呆れながらも、目を伏せて笑った。
それから少しだけ真面目な声で言う。
「……本気にしませんよね?」
「おう。演技だし」
「……ほんとに?」
「……たぶん」
「“たぶん”って何ですか!」
部室の照明を少し落とし、二人は“稽古”を始めた。
狭い空間に静寂が降りる。
脚本も台詞もない。あるのは“彼女の作品”の記憶だけ。
七瀬が一歩近づく。
「……“先輩、距離が近いです”」
「“それも演出のうちだ”」
「“演出ってそういう意味でしたっけ”」
掛け合いの中にいつもの軽口。
だが、声が揺れている。
七瀬の指先がかすかに震えていた。
「“……息、混じってますよ”」
「“そういうシーンなんだろ?”」
どちらからともなく、沈黙になる。
距離、十センチ。
息が触れるか、触れないか。
(──やばい、これ本気で意識してる)
七瀬のまつげが、震えた。
目線が合う。
演技のはずなのに台詞がもう出てこない。
「……七瀬」
「……はい」
「……演技と現実の違い、もう分かんなくなってきたかも」
「……それ、私の台詞なんですけど」
「引用してみた」
「……ずるいです」
そう言いながら七瀬は笑った。
でもその笑顔の奥にはほんの少しの緊張が混じっている。
指先がかすかに触れた。
まるで脚本にない、アドリブの一行みたいに。
──けれど、そこで止まった。
その先のセリフはもう“R18”の領域だ。
二人とも、それを暗黙のうちに理解していた。
「……ここまで、ですね」
七瀬が小さく息を吐く。
「“ガイドライン”的に」
「“倫理的にも”な」
二人は同時に笑った。
部室の空気が、やっといつもの温度に戻る。
でも、心臓だけは、まだ“稽古中”だった。
夜、七瀬から短いメッセージが届いた。
『先輩、今日の“再現稽古”ありがとうございました。すごくリアルでした』
悠斗はしばらく返信を打てず、やがて指を動かす。
『次の章はどうなるんだ?』
『境界、越えるかもしれません』
『……創作的に?』
『たぶん。……たぶん、ですよ?』
スマホの画面の向こうで、七瀬がどんな顔をしているのか──
想像した瞬間、胸の鼓動がまた一段、R15を越えそうになった。
次章に続く。
──「想像の先へ」




