エロスは演技の中に
「──演技における“エロス”って何だと思います?」
唐突にそんなことを言い出したのは、七瀬だった。
昼下がりの演劇部室。舞台用の照明器具が整然と積まれた隅で、彼女は真面目な顔でノートパソコンを開いている。
「いきなり重いテーマだな……」
悠斗はペットボトルの蓋を開けながら、苦笑した。
「また“R15研究会”の続きか?」
「ええ。レポート課題なんです。“表現における身体性と心理的距離”っていうテーマで」
七瀬は画面をこちらに向けた。
そこには、“演技におけるエロス表現”という文字が大きく打たれている。
「いや、大学の課題で“エロス”とか書く勇気すごいな」
「真面目にやってます。芸術学科ですから」
「なるほど、“合法的にエロを語る方法”か」
「違いますって!」
頬を赤らめながら七瀬が机を軽く叩いた。
だがその照れも、どこか“演技”のように見えて悠斗は思わず笑ってしまう。
取材という名目でふたりは映画館や図書館を巡った。
古い恋愛映画を観ては、「これR15?」と囁き合い、舞台作品の台本を読んでは「このセリフはアウトだな」と笑い合う。
気づけば、話題の中心は“どうすれば直接的な描写なしにドキドキさせられるか”になっていた。
「結局さ、身体よりも“距離”がエロいんだよ」
悠斗が休憩中の喫茶店でカフェラテをかき混ぜながら言った。
「息の間とか、沈黙の数秒とか」
「……距離……ですか」
七瀬はその言葉をゆっくり口の中で転がすように繰り返した。
「じゃあ今、私と先輩の距離は?」
ふと、彼女が椅子を少し引き寄せた。
カップの縁越しに視線がぶつかる。
──近い。
ほんの十数センチの空間に体温が流れ込んできた気がした。
「……演技の練習ってことで」
七瀬が目を逸らしながら言う。
「“目線だけで惹かれ合うシーン”の再現」
悠斗は息をのんだ。
それはまるで、稽古場よりも現実的で、
芝居よりも本気の“演技”だった。
◆
数日後、部室。
二人は“無言で惹かれ合う”短い場面を試していた。
セリフなし。照明は夕方の窓光だけ。
七瀬が一歩、前に出る。
視線が絡む。
呼吸が合う。
それだけで空気が変わった。
「……今のちょっと、やばいな」
稽古が終わると、悠斗が小さく笑う。
「なんか、演技っていうより……」
「うん……。自分でも、よくわかんない」
七瀬は両手で頬を押さえた。
「こういうのが“エロス”なんですかね」
沈黙。
距離、十センチ。
さっきより近い。
たったそれだけで心臓が喧しく鳴った。
「──これ、演技だからな」
「ええ、“演技”です」
けれど、どちらも一歩を踏み出せないまま、
互いの息だけが、同じリズムを刻んでいた。
◆
その夜、七瀬からメッセージが届いた。
『今日の稽古、すごく“リアル”でしたね』
悠斗はしばらく返信を打てずにいた。
送信欄に指を置いたまま言葉を探す。
──“リアル”ってどっちの意味だ?
彼は結局、こう返した。
『演技に“境界”なんてないのかもな』
しばらくして返ってきた短いメッセージ。
『……恋もそうかもしれませんね』
スマホの光が夜の部屋を淡く照らす。
その文字がやけに熱を帯びて見えた。
次章につづく。
──「境界を越える?」




