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1 収穫祭


 ここはフルーツの精たちが住む町、「フルーツェン」。オレンジ、バナナ、メロン、アップル、レモン……、いろんな種類のフルーツの精たちが暮らしている。

 今日はお祭りの日。町の真ん中にある広々としたカージュ公園の広場にはたくさんのフルーツの精たちが集まっている。秋のはじめのさわやかな風にのって、さまざまなフルーツの香りが漂っている。

 朝からとってもいい天気。「大収穫祭」との文字がおどるのぼりが広場のあちこちに立てられ、そよそよと、しずかにはためいている。

 公園からは町の向こうの丘にそびえるお城が見える。白い壁にはたくさんのアーチ型の窓が並び、イチゴみたいなとんがり帽子をかぶったような塔が、いくつか立っている。

 お城は巨大な体のすみずみにまで朝の新鮮な光をあびて、まぶしいほど真っ白にかがやいている。

 また、目を反対方向に向けると、公園から下った先に青い湾が望める。豪華な大型客船が、これもまた、白く光を反射している。

 

 広場の中央には、大きく両腕をひろげたジャンボハーベストマンがそびえたっている。豊作を祝うお祭りのためにゼリーでつくられた巨大人形で、まるでビルか怪獣みたいに大きい。

 いろいろなフルーツがプリントされたカラフルなリボンが巻かれたスーパー特大サイズの麦わら帽子の下には、にっこり笑顔のみかんみたいなまるっこい顔。

 暖色系のチェックのシャツの上に、今日の青空にも負けないあざやかな青いオーバーオール。風をふくんで、ゆらめいていて、ちょっと海みたいにも見える。そこからつやつやしたバナナみたいな腕やパパイヤみたいなふっくりした足が突き出ている。帽子のリボンとおそろいのスカーフも風にゆるやかになびいている。

 

 吸い込まれそうなほど青い空には、あざやかな色のさまざまなフルーツの気球がいくつも浮かんでいる。それに負けないほど、つやつや輝くいちごの娘が、小さな腕をせいいっぱい空にのばして、ぴょんぴょんはねている。いちごの気球を取ろうとしているようだった。

 「あれを取るのはちょっと無理かな……」いちごのお父さんが、まぶしそうに空をみあげた。

 「もうちょっと大きくなってからね」

  ほほえんで、娘をみおろす。

 「お父さんったら、へんなこといわないでよ」

 お母さんがわらう。

 「大きくなるっていっても、気球にとどくほどの巨人にはなりませんよ」

 「あ、そうか」いちごむすめはかなしそうに顔をふせる。

 「そんなに大きくなったら、おかあさん、だっこできないじゃない」

 おかあさんは、しゃがみこむと、いちご娘をだきあげる。

 それから、何かに目をやり、顔を輝かせる。

 「ねえ、気球はむりだけど、かわりにあれならどう?」

 おかあさんは、顔を、噴水の向こうに連なる屋台に向けて、指さす。

 そこにはたくさんの風船をかかえたデコポンがいる。はでなお化粧をし、だぶだぶのカラフルな服を着てピエロにふんしている。色も形もさまざまな風船たちはあかるい陽ざしをうけて。宝石のようにかがやく。

 「だいぶん、ちいさいんだけど……」

 いちご娘は、おかあさんのうでの中で、小さな指をさし、はねるように体をゆする。

 「ほしい、ほしいっ!」

 「こらこらそんなにあばれたら、おっこちちゃうよ」

 お父さんが笑顔で、両腕を娘のほうにさしのべる。

 

 いちごむすめはいちごの風船を買ってもらった。ひもの先の風船をみあげながら、とことこ広場を歩き回る。ひもを上下にうごかしたり、ゆすったりしてみる。いちご風船はおどるみたいにいろんな動きをする。

 そのうち、花壇のへりにつまずいたひょうしに、むすめは風船のひもをはなしてしまった。

 「あっ」

 風船はゆらゆらと空をのぼっていく。

 「ああっ」

 おとうさん、おかあさんも、そろって悲鳴のような声をあげた。

 赤い風船は、空の青さに溶け込むこともなく、くっきりとした赤をみせて空をのぼっていく。

 いちごの家族はなすすべもなく、そろって口をあけたまま見上げていた。

 風船はかすかにゆれながら、確実にどんどん小さくなっていく。

 

 そのときだった。

 「おれっちにまかせろっ!」

 いちごたちの視界のすみに黄緑きみどり色のちいさなボールみたいなものが飛びこんできた。いちご家族たちは空にむけていた視線をそちらに移す。

 それはライムの精のライムだった。いきおいよく走ってきたライムは「とおっ!」と叫ぶと、ほぼ垂直に大きくジャンプした。ライムはすごいジャンプ力をもつのだった。

 ライムは上にあがりながら、ゆらゆらと空をのぼっていくいちご風船に短い手をのばす。でもいくらすごいジャンプ力でも、とんでいく風船をつかまえられるものではない。

 だが突然、風船が止まった。

 ジャンボハーベストマンの大きくひろげた左腕に押さえられた格好で止まっている。

 「よっしゃ、ラッキー!」

 ライムは空中で何とか体勢を変えハーベストマンの胴体につかまった。猿みたいにするすると巨大人形をのぼっていく。そして大木みたいなうでのつけねにぶらさがった。風船は巨人の指の間にはさまるように、ひっかかっている。

 ライムはうでにぶらさがって、うんていみたいにしながら、巨大な手に向かう。ひじのあたりまでくると、腕によじ登り、短い両腕をあげてバランスを取りながら、腕の上を歩く。

 天から降り注ぐ何かのめぐみを受け止めようとしているかのように、ハーベストマンの手のひらは上に向けられている。

 

 手首のところまで来ると、ぶあつく巨大な手のひらによじのぼった。ちょっとぐらぐらするので、バランスをとりながら慎重に指先の風船に向かう。

 ふと、立ち止まって下をみおろした。豆粒のようにみえるおおぜいのフルーツたちが、かたずをのんでライムをみあげている。

 (わあ、おれっち、めだってる。スーパーヒーローみたいだっ)

 ライムは、片腕をまっすぐ空に向かって突き出し、ヒーローポーズを決めた。次の瞬間、勢いよく飛びあがると、宙返りをうってみせた。ぴしっと着地する。

 「決まったっ!」

 (すっごく高くとんだからみんなに見えたはずだぞっ)

 観客たちの反応を見降ろそうとしたときだった。

 ぐらっと、巨大な手のひらがかたむいた。さっきの大宙返りの着地の衝撃でハーベストマンのうでのつけねあたりにひびが入ったのだった。

 ライムはバランスをくずして、あわててふせた。


 みしっ、といやな音がした。

 いきおいよく伏せた衝撃で、腕のひびがひろがったのかもしれなかった。ぐら、と大きく手のひらは傾きだした。

 そのひょうしに、いちご風船のひもは巨大人形の指先から外れて、ふたたび青空へと上っていった。

 「ああっ」

 ライムは飛んでいく風船にむかって片手をせいいっぱい伸ばした。風船はからかっているみたいに、からだを左右にゆらしながら遠ざかっていく。

 とたんに、ずるっと、体がうしろからひっぱられたみたいにさがった。

 あわてて、のびっぱなしの爪をたてて両手でかじりつくようにする。

 イチゴの風船は元気よくのぼっていき、どんどん小さくなっていった。

 でもライムは倒れ行く人形の手のひらにつかまっているのに精いっぱいで、もはやどうすることもできなかった。

 手の傾きはさらに大きくなっていく。

 ライムはさらに力をこめてつめをくいこませた。

 べりべりべり……。不気味な音がひびく。

 必死にはいのぼって。中指のつけねに両腕をからませる。

 だが……ばりっ! という大きな音とともに、がくん! と一気に巨大な腕は落ちた。

 ライムは声をあげることもできなかった。

 でも腕はかろうじて胴体とつながっていて、ぶらさがって重たげに揺れた。

 ライムは気を失いそうだったが、しぶとく巨人の指にかろうじてつかまっていた。

 

 広場からは、つんざくような悲鳴がひびきわたる。迫りくる巨大人形の影に覆われたデコポンピエロの風船売りは、あわてて、ものすごい数の風船の束をはなして逃げだした。みるみるうちに何百ものいろとりどりのフルーツ風船が、青空と、鮮やかさをきそいあうように、ひろがっていく。まるで青空のはるか向こうにある本当の居場所、ふるさとに帰ろうとしているかのように……

 ライムは、ジャンボハーベストマンとともに地面に向かいながらも、それを見逃さなかった。ちょうど近くに漂うように飛んできた赤い風船のひもをひっつかむと、巨大人形から飛び降りた。

 次の瞬間、ハーベストマンは、すさまじい地響きをたてて広場に倒れこんだ。その勢いで、腕は完全に胴体から切り離され、大きくバウンドしたあと、地面にたたきつけられた。土煙をたてながらころがる。

 あたりには、砂嵐におそわれた砂漠みたいに、もうもうと土煙がわきあがった。悲鳴が一段と高まる。

 フルーツの精たちは、ひどくせきこんだり、うずくまって頭を抱えたりした。

 

 ライムは、巨大人形が地面に激突する寸前に飛び降りていた。

 赤い風船を持って、なんとか着地したライムは、土ぼこりにむせながらも、すばやく、あたりを見回した。

 すごいいきおいで転がるハーベストマンの巨大な麦わら帽子から逃げまどう人々。あたりは悲鳴や泣き声に満ちていた。そんななかでも、横倒しになったジャンボハーベストマンは、乱れ切ったわらの髪の間から笑顔を見せていた。

 ライムは、ベンチのかたわらにしゃがみこんで、三人かたまってふるえているいちご家族を見つけると、ジャンプしながらかけよった。

 お父さんにだきかかえられるようにしている娘にむかって、血のように真っ赤なドラゴンフルーツの風船をつきだす。

 「いちごじゃないけど、おんなじ色だよ。はい、これ! 」

 ドラゴンフルーツは血走った目をかっと見開き、きばをむきだしている。毒々しい炎のような赤や緑のナイフみたいにとがったうろこが、ゆらゆらとうごめいていた。

 「きゃあーーっ!」

 イチゴむすめは悲鳴を上げる。

 「え? 」

 ライムはとまどいながらも、むすめにむりやり風船のひもを握らせた。

 「れいはいいってことよ、こまったときにはお互いさまだぜっ!」

 ぎこちなくウインクすると、いちご家族に背を向け、走り出した。

 広場は騒然として、パトカーのサイレンがひびいている。

  何人かが、ライムに気がつき指さす。口をあけて、何か叫んでいるようだ。

  なんだかまずい感じがして、ライムは勢いをました。

 ゆらゆらと空をのぼっていくドラゴンフルーツ風船にはまったく気づいていなかった。

 

 ライムはスピードを加速して、どんどん、まるで逃げるように公園を駆け抜けていった。

 (しかし、まったく、なんで突然、あのでか人形、倒れやがったんだ……)

 公園はほんとうに広い。小高くなった芝生の丘の上に立つ美術館や博物館のわきをすりぬけ、スワンボートなんかがうかぶ池のふちを回ったりして走りつづけた。

 (まさか、みんな、おれっちが、でか人形をこわしたって思ってるんじゃないだろうな……)

 でもさすがに疲れてきて、スピードが緩んだ。息切れがひどくなってきて、速足くらいになる。そのうち、ほとんど歩くのと同じくらいになった。

 突然、あたりに高い笛のような音がひびいた。ライムは立ち止まった。少しぼんやりしてきた頭が、いっぺんに、はっきりしたような感じだった。

 人々のざわめき。緩やかにカーブした遊歩道の先に、大勢のひとが集まっている。背伸びしたり、首を伸ばしたりしている。

(なんだろう……)

 ライムは近づいていった。やがて彼らがなにかがやって来るのをじっと心待ちに待っているらしいことに気づいた。みな木立の向こうに、じっと目を凝らしている。

 ライムは見物客の列にくわわった。

 再び、笛みたいな音がいきおいよく響いた。

 歓声がわき起こる。

 つづいて、にぎやかなまるで、ものすごい数の小鳥のさえずりみたいな大合唱がわきあがった。

 みないっせいに音のほうに顔を向けた。木立の向こうから、カラフルでおしゃれな汽車がゆっくりと現れた。煙突からは、うすい桃色をしたわたがしみたいな煙がもこもこと立ち上っている。煙が漂ってくると、桃の甘い香りがした。

 ゼリー製の車体はぷるんぷるんとはずむように動く。煙突は輪切りにしたパイナップルを積み重ねたみたい、車輪はオレンジを輪切りにしたものに似ていた。

 屋根のない客車には、あふれんばかりのフルーツのあかちゃんたちがのっていた。みかん、梨、 柿、 ぶどう、 キウイ、栗、 いちじく、 りんご……。

 大きな草木編みのかごのなかで、おかあさんにおとなしくだっこされたり、おとうさんのひざの上でげんきよく体をゆすったりしている。ベビーのちいさな手をやさしくもって、みなに手を振り返しているママもいた。

 汽車はもう一度、元気いっぱいの汽笛を鳴らすと、両側を人々が埋め尽くす通りをゆっくりと進んだ。人々の歓声がさらに高まる。

 「わあ、かわいいっ。!」

 「いっぱいだね」

 「ほんと、今年は豊作だっ」

 青空や、緑に輝く公園に負けないあかるい声がひびく。

 汽車はあふれる日差しの中、かわいい、今年のとれたてのいろんなフルーツを乗せて、よく見てもらおうと、公園のあちこちを練り歩くのだった。きょうはいろんなフルーツの生まれたばかりのベビーをお披露目ひろめする日。この「ベビーパレード」が「大収穫祭」の目玉の一つなのだった。

 ベビーパレードは、背伸びしていたライムのすぐそばまでやってきた。

背が低いので、よく見えず、ぴょんぴょん飛び上がった。

「ははっ、ほんとやかましいな……」

 といいながらもライムは思わず、顔をほころばせた。

 平たいかごの上で、ぴょんぴょん、すごいいきおいで、とびあがるあんずの赤ちゃんがいる。編立あみたてなのか、かごからは新鮮な木の香りがただよっている。ジャンプの衝撃でにおいたつのかもしれない、とライムは思った。

「こらこらあぶない、落っこちちゃうよー」

 あんずのおかあさんは、必死にあかちゃんをおさえる。

「あうあう、あぶー」まるでふしぎな歌でも歌っているかのようなびわのあかんぼう。おかあさんはやさしくほほえみながら真似をする。

 まわりがこんなににぎやかなのに、ママのうでのなかですやすや眠っている柿のベビーもいる。ママは寝顔ねがおをやさしく見つめながら、汽車のリズムにあわせるように、ゆったりとベビーをゆする。

 チェリーのふたごベビーはそろって、ちいさなお口をせいいっぱいあけて、おおあくびしている。

 やまぶどうのベビーたちをみて、ライチのカップルが指をさしている。

「あれ、あの子たちはみつご?、四つ子……そんなわけないよね……」

 若い女のライチが声をあげる。

「ええと……」

 若い男のライチが真剣な顔で数え始める。

「四つ子、五つ子、六つ子……」

「七つ子、八つ子、九つ子、……」

 若い女のライチも張りのある高い声をあげる。

「十三、十五、十六……ああ、もうわかんないや」

 と男ライチが音を上げる。

 カップルが数え終わらないうちに、やまぶどう親子をのせた車両は通り過ぎてしまう。

 「ほらほら、おねむのベビーもいますから、大声はひかえてくださいねー」

 汽車から身を乗り出して、両方の手のひらを下にむけて、なにかをおさえるみたいなしぐさをしている人がいる。カラフルな法被はっぴをまとい、お祭りの係の人なのだろう。

 「あれ、ずいぶん、大きなあかんぼもおるの……」

 すだちのおじいさんが、ふしくれだった指でかごの一つをさしている。

 「これ、ひとをゆびさすもんではないですよ」

 すだちのおばあさんが、おじいさんの指を軽くたたく。

 「よく見んね。あれはきっと、あかちゃんのおにいちゃんだろ」

 「……」

 おじいさんは、ちょっとふるえる手で首からさげていたまるい老眼鏡をつまむと、かける。

 顔を、ゆっくり進む汽車のかごのほうに突き出す。

 「ありゃま、ほんとだ。ちいとひねとる。おにいちゃんだ」

 「あかちゃんばっかずるーいとかいって、いっしょにのっけてもらったんだろ……」

 とおばあさんがいう。

 「あ、そうか」

 おじいさんは歯のない口を大きくあけて笑った。

 「にいちゃんばっか目立って、あかちゃんがみえんがね……」

 おばあさんは口をとがらせる。

 あかんぼうをおしつぶすようにして、にいさんオレンジが、ばんざいでもするみたいに短い両腕をあげてぴょんぴょんとびはねている。

 でも、あかんぼうも負けずに、まねをしてからだをゆすっている。自分もとびはねているつもりなのだろう。

 

 最初はライムは、目をかがやかせてベビーたちを見ていた。だが、そのうち、かがやきは失せ、あざやかだった顔や体の黄緑色もくすんでしまった。

 ライムはうなだれ、ためいきをついた。彼は母親の顔を知らないのだった。父親の顔もだ。汽車の上のベビーたちのように母親に、いや、ほかのだれからもやさしく見つめられたり、だきしめられたりした記憶はない。

 兄弟だっていない。いやいるかもしれないが、どこでなにをしているかなど、まったくわからなかった。

 目をつぶる。

 ……暖かいオレンジ色の光……、頭の上からふりそそぎ、全身をやさしくつつみこむ……遠い遠い記憶……

でも、いきなり、その安らぎは断たれる。

頭の上のあたりにするどい痛みを感じる。

叫びそうになり、目をあける。激しく首を横にふる。

何度もなんどもみる夢だった……。


 顔をあげると、もう目の前にベビーたちや汽車のすがたはなかった。さえずりのようなベビーたちの声はずいぶん小さくなっていて、なんだか幻めいて聞こえる。

声の聞こえてくるほうに、けだるげに顔を向けると、黄緑にかがやく小高い丘につくられたトンネルの中に、ベビー電車が吸い込まれていくところだった。

 ライムはとぼとぼと公園内の幅広い遊歩道を、うつむきかげんで歩きだした。

「へん、みんな、あんなにあまやかされて……、ろくなフルーツにならないぞっ」とぶつぶつ独り言をいう。

「フルーツはあまけりゃいいってもんじゃないんだ」

と語気も荒く続ける。

「おれっちみたいなすっぱいのが、フルーツのなかのフルーツってもんだぜっ!」

 ついにはこぶしを握り締めて叫ぶように言う。

 近くにいたひとたちは、おどろいて、あわてて顔をそむけたり、あからさまに大きく道をよけたりする。

 そんな様子にきづいた様子もなく、ライムは、なかばやけくそみたいに大きく手をふりながら、大股で歩き続けた。


 そのうち、前のほうから、軽やかで楽し気な音楽が聞こえてきた。立ち止まって耳をすます。音楽に身を浸したら少しは気分が変わるかもしれない。足をはやめて、音のするほうへ向かった。

 なおも進んでいくと、前方からざわめきがきこえてきて、おおぜいの人が集まっているのがみえた。中央に大きな噴水がある広場だった。

 ひとだかりが広場を囲んでいる。はしのほうでは、バイオリンやクラリネット、フルートなどを手にした西洋梨やマロンなどの楽団がテンポよく、かつ優雅な音楽を奏でている。

 吹きあがる噴水の色は、うすい緑になったり、オレンジになったり、紫色になったりした。それにつれて、においもメロン、オレンジ、グレープ……と変わっていく。噴水のいきおいは音楽のトーンにあわせて、いきおいよく高くふきあがったり、おだやかになったりした。

 「なんだ、なんだ? 」

 ライムはさらに近づいていった。

 体のちいさなライムは、人だかりにさえぎられて、広場のなかほどで行われているものが見えなかった。ぴょんぴょんとびはねて、人だかりの向こうをのぞく。

 そこでは、優雅な音楽の中、ドレスや黒い背広みたいな立派な服に身を包んだ男女が、それぞれ向かい合って踊っていた。二、三十組はいるだろうか。

 

 よく見ると、ほほえみあいながら優雅なステップを踏んでいるぺアは、ちょっとかわった組み合わせだった。

 見慣れないひとたちとフルーツがペアになって踊っているのだ。

「あ、あれは……」

 ライムは、ようやく気づいた。

 見慣れない人たちは、お菓子のようだった。

 メロンとウエハス、イチゴとクリーム。オレンジとジュレ、キウイとクッキーチョコなどのペアだった。


 ライムはひとだかりをかきわけて、広場に出た。

 ぽかんと口をあけて、その優雅な動きを見ていた。ダンスもおかしもほとんど見たことがなかった。

 そばで、カップルらしいオレンジとグレープフルーツが話しているのが聞こえた。ふたり寄り添って、うっとりとダンスを見つめている。

「ほんと、みんな息がぴったりね」

 目を輝かせたオレンジが胸の前で手を合わせた。

「そうだね、お菓子さんたちは、この日のために遠いスイーツタウンからわざわざ来てくれたんだよね」グレープフルーツはほほえみながら答えた。

「ほんと、あたしたちの豊作祭りを、お祝いしてくれて……ありがたいわね……」

 オレンジはグレープフルーツの顔をみあげて微笑み返す。

「でも、スイーツさんたち、来たばっかりでしょ……」

 オレンジが首をかしげる。

「ペアでの練習はそんなにしてないはずなのに、どうして、あんなに息ぴったりに上手に踊れるのかしら」うっとりとダンスを見ながら、つぶやくように言う。

「お空の上のニンゲランドでは、フルーツパフェって食べ物があるんだって……」とグレープフルーツが微笑みをたたえたまま、やさしくオレンジを見下ろす。

 ニンゲランドとは、人間の住んでいる世界のことだった。

 「ええ、ああ、フルーツとお菓子がくっついた食べ物ね」オレンジも微笑む。

 「そう、だから、もともとぼくたちフルーツとスイーツさんたちとは相性がいいんだよ」

 グレープフルーツは優雅に踊るペアたちにやさしげな視線を戻す。

 「ぼくは、ニンゲランドに行ったことも見たこともないけど、ニンゲランドのことはフルーツェンに、そしてぼくらフルーツに影響を及ぼすからね……」

 「ええ、そうよね……」オレンジはやや上をみあげる。

 「あたし、いつか行ってみたい……」

  ささやくように続けた。

 「でも……」

 ふと、不安げにオレンジはちょっと目をふせる。

 「オレンジとグレープフルーツだって相性、いいわよね……」

 小さな声で言ってから、ちら、と大柄のグレープフルーツの顔をみあげる。

 グレープフルーツはおおらかに笑う。

 「あたりまえじゃないか。ぼくらの相性は世界一さ。ニンゲランドの最高の恋人たちにだって負けない」。

 グレープフルーツは快活に言って、やさしくオレンジの肩を抱き寄せる。

 「きみは、スイーツよりずっと甘いよ……」

 グレープフルーツは輝く白い歯を見せる。

 オレンジは大柄おおがらなグレープフルーツによりかかって、うつむきかげんに、ふふ、とちょっと恥ずかしそうに笑う。

「あたしたちも、あんなふうに息があった暮らしをしなくちゃね」とささやくように言った。

 ふたりの柑橘類はぎゅっと手を強く握りあった。


 噴水のまわりでは、フルーツとスイーツたちもお互いをみつめ、ほほえみあいながら 軽快な身のこなしで踊り続けている。

(ちぇっ、どいつもこいつもべたべたしやがって…… )

「へっ、ダンスねえ……」

 ライムは人垣をかきわけて前に出た。

ダンスなどしたこともなかったが、見ているうちに、自分にもできそうな気がしてきた。

(なんか、くるくるまわってればいいんだろ……)

「おれっちだってダンスくらいできるぜっ」

 さらに前に出る。 

(ダンスキングの登場だっ)

心のなかで叫び、小さくガッツポーズをしてみる。 

 でも、相手がいないと、ダンスはできないことに気がついた。

 

 はしっこのほうにひとりでいるクリームをみつけて、ひとっとびで、そばまでジャンプした。クリームのお嬢さんは、目の前に突然、現れたライムをみて大きな目をぱちぱちさせた。

 ライムはちょっと、ためらったけど、

「あ、あの、おじょうさん、おれっちと踊ってくれない?」。おもいきって声をかけた。

 あふれんばかりの底抜けに明るい日差しが応援してくれているようにも感じた。

 クリームは、うつむいて何かちいさい声でいった。けれどアップテンポになった楽団の音にかき消されて、よく聞こえなかった。

 ライムは、きっと、ちょっとはずかしがりながらも、「ええ、いいわよ」とか「オーケーよ」といったんだと思い、すこしためらいながらもクリームおじょうさんに手を差し出した。

 音楽がさらにテンポをあげて、噴水が大量のレモンやオレンジのジュースをいきおいよく高くふきあげた。その音楽とジュースのいきおいを借りるようにして、ライムはむんずとクリームおじょうさんのきゃしゃな真っ白い手をつかんだ。

 「レッツダンスっ!」ライムは叫ぶと、がにまたで、どたどたとステップを踏んだ。われながら、なにか変だ、と思った。

 (見ていたほど簡単じゃないな……)焦ればあせるほど、動きはぎこちなく、もっとおかしくなっていった。

 周りをちらと見ると、フルーツの男の人が軸になって、お菓子の女の人がくるくると、円を描くように回っていた。みんな同じ動きをしている。

 みなにあわせようと、クリームおじょうさんの手をぎゅっと握りなおすと、ぐるぐる振り回した。

 (あれっ、なんかスピードが出ないっ……)

 ライムはあせって、力任せにクリームおじょうさんをいきおいよく回転させた。おじょうさんの足がもつれる。

 「ちょ、ちょっと、いたーい」

 乱暴にひっぱられて、うでがびよーんとのびたクリームおじょうさんは悲鳴をあげた。

「あ、ごめん、ごめん」ライムはあわてて手をはなした。クリームおじょうさんはそのいきおいで、ふっとんで、そばで踊っていたバナナとクッキーのペアに激しくぶつかった。

 「きゃあ!」「わあ!」

 バナナ・クッキーペアはころんで、隣のナッツとパパイヤペアにぶつかった。このペアはそばで踊っていたチェリーとマシュマロのペアに向かって倒れこんだ。そのとき、さらに隣のペアを巻き込んだ。

 こうしてつぎつぎにドミノ倒しみたいにダンサーたちが転んでいった。

 「なにするのよーっ!」

 「いてててっ!」

 ダンス会場はたちまち、悲鳴やどなり声などで覆われた。

 「あ、あれ……」

 ライムはいそいでクリームおじょうさんを助け起こしたあと、広場をそおっと、おそるおそる見渡した。

 「あ、あのお……」ライムは自分のしたことの結果におどろいて、しばらくその場に立ちすくんでいた。

 でもどうしたらいいかわからず、とりあえず、その場から逃れるように大きくジャンプした。

 着地したところにはウエハスの女の子が一人でいた。

 ウエハスはびっくりして目をまんまるにしている。

 「お、おどろう」無我夢中で、ウエハスの腕をつかむ。しらずしらずのうちに、まるで必死になにかにしがみつくような感じになってしまった。ここで何くわぬ顔で踊っていたら、この騒動は自分には関係ないことになるみたいに、なんとなく思った。いや、願っていた、といってもいいだろう。

「いたいっ!」ウエハスはいきおいよくライムの手をふりほどいた。ぽろぽろっと粉がウエハスのほっそりした腕から飛び散った。

「なにそのつめっ!」ウエハスは甲高い大声をあげた。

 ライムははっとして自分の右手のつめをみた。つづいて左手……。どのつめも伸びほうだいに伸びて、黒ずんでいた。

 ウエハスはなおも金切り声をあげて、ライムの顔をにらんだ。

「それに、息、くっさーい!、あんた、歯磨きとかしてるっ? 」

 ライムは、彼女の剣幕にけおされて、後ずさった。

 「こんな乱暴で臭い人、見たこともないわっ!」ウエハスはかたちのいい人差し指をライムにつきつけた。


 そのとき、観客の輪の中から大きな声が朗々と響いた。

 「こら、ライム小僧、ただちに立ち去れっ! 狼藉ろうぜきものめっ!」

 フルーツバスケットの中から、大きなつやつやしたリンゴが身を乗り出してライムに指をつきつけている。その指には、リンゴの形をした真っ赤で大きな宝石のついた金ぴかの指輪がはめられていた。

 先がぴこん、ぴこんとはねた立派な口ひげが自慢のアポー男爵だった。

 花や葉をかたどった豪華なかざりのついたフルーツバスケットには、ほかにも輝くようなマンゴーやマスカット、メロンといった立派なフルーツたちが入っており、しかめ面でライムをにらんでいた。

 彼らは自分たちのことを「ロイヤルバスケッツ」と名乗っていた。ロイヤルというのは「りっぱ」とか「すっごい」みたいな意味だと、ライムは聞いたことがあった。

 「ここはあなたの来るようなところではなくってよ」

 ふっくらしたクラウンメロンのメロロン夫人はゆったりとあおいでいたうぐいす色の扇子せんすを閉じると、ライムにむかって振り立てるようにした。香水のにおいがぷん、とあたりに漂う。ライムは、その匂いが好きではなかった。本来のメロンの香りのほうがよっぽどいいのに、といつも思っていた。ぷよぷよした腕にいくつもきらめいている腕輪がお互いぶつかりあい、じゃらじゃら鳴った。


 「みなさま、本当に申し訳ありません」

 ロイヤルバスケッツのかたわらにいた初老のパイナップルがダンスのひとたちに深々と頭をさげた。きゅうくつそうに、背広にずっしりした身を包んでいる。フルーツェン町長のパイナだった。

 「こんな優雅な催しでライムがひどいさわぎを起こしてしまって……」

 といってもう一度、頭を下げる。

 おおがらなチョコレートが、ウエハス娘によりそっている。

 少しけずれてしまっているウエハス娘のうでを、いたわるようにそっとおさえてあげている。

 そうしたまま、じっとパイナやライムたちを見つめていた。

「こいつ、みなしごっていうか、ライムのライムといいます」

とマンゴーのマンゴールが、ロイヤルバスケッツの中からおずおずといった感じでいった。

「つまり、じつは名前がないってことなんだ。」

とアポー男爵が付け加えた。

 「こいつはふだつきの鼻つまみもので……。フルーツはみんなこんな感じ、だなんておもわんでください」とアポー男爵が重々しい声で続ける。

 「でも……」

とパイナは訴えかけるように、ダンスの人たちに一歩、歩み寄った。

 「わるいやつじゃないんです、ただ、ちょっと動作や行動が乱暴なだけで……」

 「そうそう、まあ、しょうがないんです。こいつは親がいないもんで、しつけってもんがなされておらんですから」

とアポーが太い声をはりあげる。

 「小さいころから一人で野生動物みたいに育ったから、狂暴になっちゃってるんですのよ」

メロロン婦人が、扇子をせわしなくあおぎながら、甲高い声で言った。


 突然、ライムは、体の奥底から、むくむくと怒りがわきあがってくるのを感じた。

 ライムのきみどり色の顔やからだは、みるみる赤みを差し、ついには真っ赤になった。

 「へええんだっ!」

  べろを突き出すと、大きくジャンプした。そして、ダンス会場の上空をくるくる回転しながら、ぺっ、ぺっ! とつばを吐きだした。つばはダンス参加者たちやロイヤルバスケッツたちのうえに、小雨みたいに、ふりそそいだ。それをかぶった参加者たちはいっせいに顔をしかめた。

 「うわあ、目に入った、しみるーっ!」、

 「きゃー、口に入っちゃった、すっぱーいっ!」

 「やりやがったなぁ、野生児めえーっ!」

 悲鳴や怒りの叫びが広場じゅうにひびいた。ライムは「すっぱジュース」をふき出したのだった。そう、彼の口から出る「スッパジュース」はほとんど「武器」といってもよいものだったのだ。

 着地したライムは、ぴょんぴょーんと、大きくジャンプしながらダンス会場をすごいいきおいで逃げ出した。

 夢中で走ったり、ジャンプしたりして逃げていたライムだったが、突然、ぼよん!、すごい弾力の壁にぶつかって、はねかえされた。後ろ向きにふっとび、地面にはげしくころがる。

 「いててて……」こしをさすりながら、おきあがると目の前に黄緑きみどり色の巨大な壁があった。

 見上げると、「あっ!」

 それはまるで山みたいな巨体のキャベツだった。隣には、やはり筋肉もりもりで見上げるような巨大なハクサイがいた。

 (くそ、野菜レスラーたちだ、また来やがったのか!……)

 ライムは心のなかで毒づいた。

 ほかにも大きな大根や、かぼちゃなどがいる。みな上半身はほとんどはだかで、色とりどりのふんどしをしめている。小さな山の向こうの野菜の町「ベジッタ」からぞろぞろとやってきたのだろう。

 (いったい、こいつら、こんな格好で、何してるんだ……)ライムは地面にしりもちをついたまま、野菜たちをにらみあげた。でも巨大野菜たちは、ちっぽけなライムなどまったく気にせず、大きな体を寄せあった。

 「よしっ、ふんどしもしめなおしたし、いっちょう、気合入れていこう!」

 「野菜レスラーの力、みせつけてやりましょうっ!」

 「レッツゴー、ベジタンファイターズっ!」

 「えいえいおーっ!」

 巨漢野菜たちは口々に叫ぶと、太い腕をつきあげた。女の大根もいて、かんだかいおたけびをはりあげ、ライムは鼓膜がびりびりと震えて思わず両耳をふさいだ。

 「よしっ、ハクサイック、ここに会場設置だ」と巨大キャベツがいうと、

 「よしきた、キャベル、ここが闘いの舞台だぜっ! 歴史をきざむぞっ!」

 野太い声で答えると、ハクサイックと呼ばれた巨大ハクサイはくるくるまるめてあった大きな紙をひろげた。それから紙を棒のようなものに取りつけると、棒をいきおいよく、ぐさっと地面に突き立てた。紙にはなんというか豪快というか、乱暴な墨の文字でこう書いてあった。「ベジ・フルタウン合同、緊急相撲大会!」。

 ベジは、ベジッタ町、フルは、フルーツェン町の略だった。

 「まったくへたくそな字だな……」そばで、ひそめた低い声が聞こえた。

 みると、アポー男爵がうつむきがちに、豪華バスケットの中で体を固くしていた。ほかのメンバーも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。いつのまにかロイヤルバスケッツが来ていたのだ。バスケットには車輪とモーターがついていて、みな、乗ったまま移動ができるのだ。

 アポー男爵たちはまゆをしかめて、ちらちらと、野菜レスラーズのほうを見ている。彼らとまともに目を合わせるのは避けたいらしい。

 バスケッツはライムを追ってきたのだろう。でも、乱暴な野菜たちが来ていることに気づき、ライムどころではなくなったといったところだろう。とライムは思った。

 そのうち、ふうふう息をきらして、ふとっちょのパイナ町長もやってきた。

 巨大かぼちゃが、ハクサイックと同様、乱暴な動作でスコップをぐさっと地面につきたてた。そのまま、歩き出した。大きな円を描いていく。どうやら丸い線を掘って土俵がわりにするつもりらしい。

 「ほんと、いつも突然おしかけてきて、勝手にいろんな勝負をしかけてくる。失礼ったらありゃしないわ」メロロン婦人はいつもあおいでいる扇子をとじて、やはりうつむき加減に言った。

 「まったくだ。勝手に勝負をしかけてくるだけじゃない。勝ったら、わが町のいろんなものを勝手にもっていってしまう……」

 マンゴールが、やはりうつむいて、野菜たちから見えないよう、バスケットのなかでこぶしを握りしめた。

 「そう、いままでも、いろいろもっていかれた。広場の時計台、おしゃれな街灯。噴水、道路標識……、信号機をもっていかれて交通が混乱したこともあった……」

 パイナがうなだれて言った。

 「そういえば、あんたの銅像もとられたんだったな……」とアポー男爵がパイナ町長をふりかえった。

 「そうそう、悪魔のドリアンを退治したとき、立てたやつ……」

と、マンゴールが相槌あいづちを打った。

 「うわ、デビルドリアン……思い出しただけでぞっとするわ……あのとき……」

 メロロン婦人はぷっくりした自分のからだを、むきだしのもっちりしたうででだきしめてみせた。

 しかし、いきなり口をつぐむと、みるみる真っ赤になった。

 「ほお、メロロンさんもご存じなんですな、デビルドリアン事件……」

 パイナがメロロン婦人に笑顔をむけた。

 「事件から何十年もたって、知っているひともだいぶん、減っておりますな……」とマンゴールが言った。

 「いや、だから……きいたはなしよ……ああ、こわいこわい……」

 メロロンはますます赤くなった。

 「はっ、赤メロンみたいだな」とライムは笑った。

 

 「デビルドリアン一家が世にも恐ろしい病気をまん延させ、それを救いにきた救世主も追い出したという事件……」

と重々しい口調でアポー男爵が言った。

 「そう、そんなおそろしい敵をわがパイナ町長殿が見事にやっつけたというわけだ……」

 自分のことのようにほこらしげにマンゴールが続けた。

 「はっは」と、パイナは鷹揚おうように笑った。

 「いやあ、いずれにせよ、もう大昔のことですから……」

 そういって大きなあたまをかいた。

 「ほら、いまではこのとおり、ぼってり、よれよれですから……」と、背をまるめて、でっぷりつきでたおなかをたたいてみせた。ぽんぽん、太鼓みたいな音がひびいた。 

 「あら、意外といい音」とメロロンが感心したように言った。ライムは心のなかで、(おまえだっていい音しそうだけどな……)と思ったが、口には出さなかった。

 「いやいや、伝説のヒーローは不滅さ。もう一度、町長の銅像をつくるよう、今度、議会に提案しましょう」とマンゴールが言った。

 「いや、それより、野菜連中から取り戻すべきだろう」

とアポーが怒ったようにいった。

 「ほんと、いつもいつも取られっぱなしで」

とメロロンも顔をしかめた。

 「ほらみろ、あそこっ」とアポー男爵が、大きな花壇の向こうの木立を指さした。木立のかげに大きな荷車が何台かとめてあるのが見えた。

 マンゴールがバスケットから身を乗り出して目を細めた。「荷台はからですな。これから、われわれから何かを奪い、あれに載せて帰るつもりなのでしょう……」と言ってため息をついた。

 「わが町との懇親会などといって、結局、自分たちが勝つゲームばかりしかけてくる。この前は野菜クイズ大会だった……」アポー男爵がうなるようにいった。

 「カロチンベータなんとかが豊富なのはニンジンさん。ではカロチンアルファなんとか がご豊富なのは、どの野菜さんでしょう、なんていう感じの問題ばかりだったわ。そんなのわたしたちフルーツ族にわかるわけないでしょう……」

 たたんだ扇子をバスケットの中ではげしく振りながら、メロロン夫人が叫ぶように言った。でも野菜たちに気づかれないように、やや声を落としていることがライムにはわかった。

 「そう、去年の冬にはおしくらまんじゅう大会ってのもありましたな。今日来ている連中はあのときも大活躍でした……」とマンゴールは口をゆがめて皮肉な口調で言った。

「フルーツたちはぎゅうぎゅう、野菜たちに押されて、苦しそうだったわ……」

 そのときのフルーツたちの姿やうめき声でもよみがえったのか、メロロン夫人は目をぎゅっとつぶり、両耳を押さえた。

 「そう、みんなあやうくフルーツジュースにされるところでした……」

と、マンゴールが震える声で言った。

 「あの連中、「おっしくらまんじゅう、押っされて泣くな!♪」とでかい声で歌いながら、フルーツたちをぎゅうぎゅう、思い切り押していた……」

 「すごいどら声で、めちゃくちゃ音痴だったな……」

 アポー男爵もそのときのことを思い出したのか、歯ぎしりした。

 「とうとうフルーツたちが泣き出したので、野菜たちの勝ちということになったのでしたな……」とマンゴールが残念そうに言って、ため息をついた。

 「だいたい、あんなでかくて、みっともない連中に勝てるわけないだろう」とアポー男爵は吐き捨てるように言った。

 「ま、“みっともない”は特に勝ち負けには関係ありませんがな……」とまじめなマンゴールは一応、付け加えた。

 「まあ、わたしは残念ながら参加できなかったがな……」アポー男爵はため息をついた。

 「もし、わたしが参加してたら、きたえあげたビタミンパワーで押しまくって、野菜どもなんかみな、たちまちぺっちゃんこだったんだがなぁ……」

 アポー男爵は「むん!」とうなり、うでをまげてみせた。

 「お、すごい」とマンゴールは言ったが、とくに力こぶが出たようすはなかった。

 「あの連中、みんな野菜スープにしてやるところだったんだがな……」

  野菜たちのほうは見ないまま、なおもアポーは小声で言った。

 「じゃ、なんで参加しなかったんだよ」といままでだまっていたライムが聞いた。

 「な、なんでだって……」アポー男爵はあわてたように口ごもった。

 「い、忙しかったからに決まってるだろう。わたしはこの町の議員なのだぞ、議員というのは、何かといそがしいのだ。おまえのようなやつにはわからんだろうがな……」

 「へっ」ライムは鼻先で笑った。

 「そのわりには、いつも町じゅうを、うろうろしてるようだけどな、そのごたいそうな車にのって……」と、ばかにしたように横目で、バスケットカーを見やった。

 

 バスケッツはどんなに怒ってもけっしてバスケットカーから出てこないことをライムは知っていた。だからなんでも遠慮なくいえるのだ。

 「ま、まったく失敬な……」アポー男爵のつやつやと真っ赤な顔は、さらに赤みを増した。

 「何か問題がないか、たえず町をパトロールしておるのじゃないかっ」

 「へっ、ゴルフ場とか乗馬クラブとかでそんなにしょっちゅう、問題が起こるとはとても思えないがな……」

 ライムはじいとアポー男爵を見つめた。

 「まっかなうそだから、そんなに真っ赤になるんだろう」とライムは言った。

 「なんだとっ、」とアポー男爵が叫んだときだった。

  パイナ町長がおずおずと巨大野菜たちの前に出た。おろおろした声を出す。

 「あ、あのぉ……お野菜のみなさん、今日はいったい何を始められる気で……」

 即席土俵のかたわらで、しこを踏んでいた巨大キャベツのキャベルはめんどうくさそうに、パイナ町長を見おろした。

 「見たらわかるだろう。相撲大会さ。」

 あらあらしく丸い線がほられた土俵をあごでしめす。

 「はだかのぶつかりあいで、さらに親睦しんぼくを深めようじゃないか。クダモノくんたち! 」

 キャベルは大きなおなかをぱん、ぱん、とたたいてから背筋をのばした。

 「いやあ、それにしても盛大な祭りじゃないか……」

  広々とした公園をゆっくりとみわたす。

 「ダンスに、パレード。けっこう、けっこう……なあ、ハクサイック」

 「お祝いにきたんだよ、せっかくだから親睦会をしようと思ってな……」とハクサイのハクサイックが低く響く声で言った。

 「祭りにはよばれてないけどな」とキャベル。

 「いや、おそらく招待状を出しわすれたんだろう……」とハクサイックが言った。「まあ誰にでも忘れるってことはあるよ……」

 「招待状を出し忘れたくらいで、フルーツェンとベジッタの友情が壊れるなんてことはない」とキャベルがどら声で付け加えた。

「なにせ、長年、続いている行事だからな。ベジ・フル交流会は」


「では、これより、ベジ・フル交流の緊急相撲大会を、はじめまするー!」

 ねじれたキュウリが、できあがった土俵の中央にすり足で進んできて、すっとんきょうなうらごえを張り上げた。黒いとんがり帽子に、きらきらした金色の着物を着ている。着物はだぶだぶでいまにも脱げ落ちてしまいそうだ。

 「わたくし、行司をつかまつりまする、キューリンともうしまするぅー!」

 手にもったひょうたん型をした黄緑色の軍配ぐんばいをゆっくりと胸の前まで持ち上げる。

 それからいきなり、それは始まった。

 野菜たちはお祭りに来ていたフルーツたちをつぎつぎに、つかまえては、土俵へとひっぱっていった。

 「よおい、はっきゅりーぃ、のこったあーっ!」ねじれきゅうりがきぃきぃ声を張り上げる。

 「はっけきゅーい、はっきゅーいっ、のこった、のこったぁ!」

 キャベルやハクサイックたちは、とまどっていたり、ふるえたりしているフルーツたちを次々にとらえては、乱暴に投げ飛ばしたり、押し倒したりした。

 「何をするっ!」、「いててて……」

 土俵の周りには、腰に手を当て顔をしかめたり、苦し気なうめき声をあげるフルーツたちでいっぱいになった。野菜たちがフルーツを投げ飛ばすたびに、行司のキューリンは、「キャベル山のかちぃ」とか、「カボチャール海の大勝ち~っ!」とねじれたからだをもっとねじって、耳が痛くなるようなきぃきぃ声を張り上げるのだった。

 口をぽかんとあけて、そんな様子を見ていたライムだったが、ついにこぶしをふりあげて叫んだ。

 「やめろっ、いきなりおしかけてきて、勝手放題しやがって! 」

 ライムは土俵に走りこむと、つぎの相手、というか獲物を待っていたキャベルに猛然とつっかかっていった。キャベルは、もう何度も土俵にあがっていて、フルーツたちを何人も、いや何十人も吹っ飛ばしていた。

 ライムはひざのあたりにしがみついて、必死に押した。けれど、びくとも動かなかった。

 「なんだ、こいつ、うめかなにかか? 」

 キャベルは、虫みたいにしがみつくライムを見下ろした。

 「あ、おまえ、さっき、ぶつかってきたゴムボールやろうかっ」

 キャベルがいきなり、けりあげるみたいに、ひざをいきおいよくあげると、ライムの小さなからだは、上に高くふっとんだ。でもライムは空中で体勢たいせいをたてなおすと、空中でくるくる回りながらも狙いをさだめ、キャベルの大きなぎょろ目に向け、すっぱジュースを吹きかけた。

 「うぎゃあああっ!」キャベルは、顔を大きな分厚い両手で覆うと、うずくまった。

 「き、きさま、なにをしたっ!」

  身をよじってうなりながら目をぬぐっていたが、やがて立ちあがると、大きなぎょろ目でライムをにらみつけた。その目は真っ赤になっていた。

 「は、はんそくうーっ、キャベル山の、か、勝ちいいーっ」

 キューリンが、まるで悲鳴のような、かんだかい声をはりあげた。

 「こいつめっ!」、キャベルは、いきなりライムをつかみあげると、ぐるんぐるんと自分の巨大なまるい体を回転させた。その回転はみるみる速くなり、目に見えないほどになった。「そりゃああーっ!」キャベルはすさまじい吠え声をあげると、円盤投げみたいに、青空に向かってライムをほうりなげた。ライムは弾丸みたいに吹っ飛んだ。

公園を飛び出て、町の上、湖の上、野原の上を越え、すごい勢いでライムは飛び続けた。やがて、ようやく速度が落ち始めると、下に林がみえてきた。木々がどんどん大きくなっていく。下に向かっているのだ。

 「わああああーっ!」ライムは目をぎゅっと、つぶった。うっそうとしげった木々の間に斜めにつっこむ。それから、地面にぶつかって、はげしくバウンドを繰り返した。

 何か固い物に激突したような衝撃があったかと思うと、突然、あたりが真っ暗になり、何もわからなくなった。


 どのくらいの時間がたっただろう。ライムは目をさました。

 あたりは暗かった。やがてさっき、野菜レスラーのキャベルに、ぶんぶん振り回され、吹っ飛ばされたことを思い出した。

「もう夜になっちゃったのかな……」つぶやく。「それとも……」そのあとの言葉を口にするのはおそろしかった。(……おれっちは、死んじまったんだろうか……)

 仰向けになったまま、目だけ動かして、おそるおそるあたりを見渡す……視界にぼんやりと、ごつごつした灰色のものが浮かんできた。

 「い、いわ?  ……」目を凝らすと、やはりそれは岩のようだった。しかも多数ある……岩だらけだ。

 目が慣れてくると、自分が岩のトンネルみたいなところにいることがわかってきた。洞窟ではないだろうか……

 (な、なんでまた、洞窟に……)

 首をふって、意識をはっきりさせようとした。

 「うっ」

 思わずうめく。頭の芯ににぶい痛みが響いた。

(さっき、ぶつかったのは、この岩のどれかだったのかもしれない……)ぼんやりとそう考えた。

「あの世って洞窟みたいなところなんだなあ……」とライムはつぶやいた。その声が、岩の壁に覆われた暗がりにうつろに響いた。

 「あ~あ、死んでからも痛いとはなあ……」

  ためいきまじりにつぶやく。

 「それに、天国って見渡すかぎりどこまでもお花畑って感じじゃなかったのかよ……」

 じめじめした感じの暗がりをじっと見つめてつぶやく。

 「こんな、陰気なごつごつしたところっていうのは、まさか……」

  ライムは大きな目をさらに見開いた。

  「……じ、じごく?……」

  これまでの数々の悪行を思い出した。

  いつもふたりくっついているさくらんぼさんたちをぎゅうとひっぱって無理やりひきはなしたこと……よりそって居眠りしていた果物たちをつるでしばって、「まとめ売り10円」とマジックペンで書いた値札を張ったこと……ほかにもたくさん悪いことをしてきた。

  今にも、洞窟の奥の暗がりから、地獄の鬼たちがやってくるかと思うと、じっとしていられない。

 (く、くわれちまうぞ、生きたまま、むさぼり食われちまうぞ……)

 そこでちょっと頭をひねる。

 (いや、生きたままってのはおかしいか……)

 それからまた頭をぶるっと激しく振った。

 「そんなこと考えている場合じゃないっ! 」

 ライムはいきおいよく、上半身を起こした。

 「うわあっ!」

 思わず叫ぶ。からだじゅうに強烈な痛みが走った。ちいさいころ、パンを盗んで、でかいほうきでひっぱたかれたときもこれほど痛くはなかった。

 「ど、どこか……、いや、あちこち、骨が折れてるんじゃ……」

 ライムはかみしめた歯の間から言葉を絞り出した。

 「い、入り口はどっちだ……」

 あたりを必死に見回す。

 (いや、出口というべきか……)

 よろけながらやみくもに進む。どちらかというと、より明るく感じられる方向に向かった。

 でもからだのあちこちが痛くて、途中で立ち止まると、しゃがみこんだ。痛むひざに手をのばすと、指先が湿ったものに触れた。おそるおそる、その指を鼻先に近づける。(こ、これって血?……) 

 次第に目が暗闇に慣れてきて、あたりがかなり見えるようになっていた。自分の体もだ。

「うわあ、血が出てるう! 」ライムは叫んだ。ずたずたにさけたTシャツのあちこちに血がにじんでいる。これまで暗闇に目が慣れていなかったので気がつかなかったのだろうか……。

 ショートパンツから出た短い足も切り傷や擦り傷だらけだった。ティーシャツをめくるとほかにも細かいひっかき傷がからだじゅうにできていた。木や草につっこんで地面にころがったときについたのかもしれない、と思った。

 「うう、ちっくしょう、あのバカ力めぇ……」ライムはキャベルのことを思い出しながらうなった。それから、歯を食いしばって、再び洞窟の中を這うように進み始めた。洞窟は暗がりの中をゆるやかにカーブしながら続いていた。どちらが入口かあいかわらずわからなかったが、すこし明るいような気がする方向に向かった。

 少し進んだとき、三、四メートルほど先だろうか、ちらちらと光が揺れているのに気づいた。

 青白い光。

「なんだろ、あれ……」ライムは吸い寄せられるように、そこに向かって必死にずりずりとはいよっていった。

 近くまでいくと、その光は地面の岩の間からぼおと出ていることが分かった。

 ライムは止まって、光を見つめた。「あれ……」見ているうち、いつのまにその光は橙色になっていた。次には紫色……つぎつぎにやわらかい光は色合いが変化していく……

 「うわあ、なんだろう、これ」

 もっとよく見ようとのぞきこんだときだった。バランスを崩した。体じゅうが痛いこともあって踏ん張れず、あっというまに、岩の間の穴に落ちてしまった。衝撃とともに、ぽしゃん、と音がひびいた。

 (み、水? )

  水の感触とともに光につつまれる。ライムは光る水に包まれていた。

  次の瞬間、「ひ、冷たいっ」、悲鳴をあげそうになった。

  あわてて、水をかいて、水面から顔を出す。

  けれど……、輝く水にぷかぷか浮かんでいるうち、不思議な感覚に包まれた。からだが温まってきたのだ……。

 (あ、あれ、温泉?……)

 とはいってもライムは温泉に入ったことがないので、これが温泉かどうかはよくわからなかった。

 ゆっくりと温かいものが体の奥にむかって、じんわりとしみ込んでくるような感じだった。

「うわあ、いい気持ち……」

 なんだか、眠くなってきた。……

 ライムはぷかぷか浮いたまま、目を閉じた……。

 はっとして目をあける。

 (眠っちゃったら大変だ)

 岩の壁をつかんでよじのぼる。そしてなんとか体を穴の外へと引き上げた。とたんに、しゅわしゅわーっと、体じゅうから軽やかな音がした。体についたお湯が蒸発していくのが感じられた。

「ああ、いい湯だったな」

 ライムは穴のふちに座り込んだ。

 そのとき、背後になにかの気配を感じた。

 ライムはふりかえった。

 岩壁の連なるむこうに、かすかな光が見える。しろっぽいまるい光。

 「あれ、こっちにも、光る水、あるのかな……」ライムは目をこらした。が、その光は、色が変化しゆらめく、さっきの泉みたいな水の光とはちがうものだった。

 ライムは足元に気をつけながら、まるみをおびた白い光のほうに向かって歩きはじめた。

 すると光は次第に強くなってきて……やがてそれが洞窟の外から届く光であることに気づいた。さっきのあやしげにゆらゆら揺れる光とはまったく違うあっけらかんとした光。

 「洞窟の外だっ!」

 ライムは足をはやめた。まるい白い光はどんどん大きくなってくる。地面からつきでた岩につまずいて転んでしまいそうになりながらも、ライムは洞窟の外側へと進んだ。

 ついに洞窟の入口についた。おそるおそる、外に踏み出す。

 「わ、まぶしい」思わず目をつぶった。それから手をかざしながら、おそるおそる、ゆっくりと目を開いた。目の前には白っぽい木々がぱらぱらと茂る、草原みたいなところがひろがっていた。

 かたむきはじめた薄い光に一面照らされ、小雨でも振ったのか、きらきら輝いていた。

 「きれいだな……やっぱり、ここはあの世なのかな……それとも夢? ……」

 ぷくぷくしたほおをつねってみた。

「痛いっ!」

 強くつねりすぎて、思わず、飛び上がってしまうほど痛かった。

 でも……

 痛いのは頬だけで、ほかはどこも痛くないことに気がついた。

 さっきはからだじゅうの骨が折れてしまったのでは、と思うほど、痛かったのに……

 体を見ると……Tシャツはぼろぼろだけど、うでや足に傷はなかった。

 「あれれれれっ! 」

 うでをあげて、さらにあちこち、見回したり、足をじっとみおろしたりした。Tシャツをめくったけど、青緑のおなかはつるんとしていた。どこも痛くないし、かすり傷一つついていない…… 。

 それどころか、からだじゅうに力がみなぎっている。

 「おれっち、死んでるどころじゃないぞ、めちゃくちゃ生きてる。生きすぎてるくらいだっ!」

 うれしさがみなぎり、その場でジャンプした。かるく地面を蹴っただけなのに、すごく高く飛んだ。

 かろやかに着地したライムは首をかしげた。

「……あの水?……」

 あの洞窟の中の泉につかったとたん、なにもかも痛みがおさまったような気がした。…… 

「たまげたなあ……」もう一度、洞窟の入口をふりかえる。

 草におおわれた小さな丘みたいな斜面に洞窟の入り口があった。たくさんの草が穴に押し込まれているようになっているのは、ライムがすごいいきおいでつっこんだあとかもしれなかった。よくみると、穴のまわりを囲むみたいに岩がある。へびみたいなほそながい岩がまるく連なっている。その先に頭みたいな岩がみえる。二本のつののはえた竜の頭部みたいな岩。「なんか、ドラゴンみたいだな。びっくら水をまもるドラゴンだ……」とライムはつぶやいた。

 また洞窟に入り、しばらく行くと、前のほうにゆらゆらと青紫の光がただよっていた。

「やっぱりある。“たまげ水”だ!」

 泉につかったさっきの感触を思い出した。思わず目をつぶる。ほおがゆるむ。いや、からだじゅうが……ゆるんでいくような……。

 「もいちど入ろうかな……」

 そうつぶやいたが、はっと目を見開いた。

「そ、そんなことをしている場合じゃないぞ」

 自分を物みたいにぶんなげた、怪物キャベツのことを思い出した。

 みるみる怒りと屈辱がよみがえってくる。

 「なんにもわるいことしてないフルーツたちをいつもいつも痛めつけやがって」

 ライムはぐっと奥歯をかみしめた。

 野原を見渡すと、林の向こうに、バナナのようにゆるやかに湾曲した公園広場の展望タワーの先がのぞいていた。

 ライムはぎゅっと口をひきしめると、野原をジャンプした。まるっこいからだじゅうに力がみなぎっている。いきおいよく走ったりジャンプしたりしながら公園広場をめざした。

野原を吹き渡る風が、ライムのからだを完全に乾かした。

 「あいつらめ、今度は手加減しないぞっ」

 ライムは闘志をみなぎらせて、野原を駆け、林をぬけて走った。公園の展望タワーがしだいに大きく見えてきた。さらにスピードをまして町をぬける。

 

 「あれ……」

 公園につくと、人々の姿はまばらになっていた。もう祭りの後片付けをしていた。屋台をたたんだり、やぐらを解体したり……。秋の午後の淡い日差しの中、その音がいやにはっきりと聞こえた。

 薄い光がしみ込むゆるやかにカーブした遊歩道を進む。

 相撲大会をやっていた公園の西のほうの広場に行くと、やはり人影はまばらだった。巨大な野菜たちの姿もない。

 広場に土俵はまだ残っていた。野菜レスラーたちは土俵として深くえぐった土をそのままにして帰ってしまったようだ。

パイナ町長が、土俵の溝の傍らにうずくまって、土をなんとか元に戻そうとしていた。でも野菜レスラーが馬鹿力を発揮してえぐった溝はけっこう深く、平らに戻すのは、なかなか大変なようだった。

 近づいてくるライムに気がつくとパイナ町長は顔をあげ、ゆっくりと立ち上がった。

 「おお、ライム……」目を見開き、かすれた声をあげる。

 「だ、大丈夫だったか……」

  両手を差し伸べるようにして、ライムのほうによろよろと歩いてくる。

  ライムの前にくると、立ち止まって顔を伏せた。

  「助けに行きたかったんだけど、野菜レスラーたちにつかまっておっての……」町長はため息をついた。

  「すまんかった……」パイナは大きな頭を下げた。つんつんとがった固そうな白髪交じりの髪の毛が表情を隠す。

 「いいんだよ」ライムは首を横に振った。

 「おれっちを誰だとおもってるんだ。」ライムはちいさなまるっこい胸を張った。

 「ジャンピングスーパーボーイだぜっ!」 

  ライムは、その場で、ぴょんぴょん、元気よくとびはねて見せた。

 「不死身のライムさまだ、えっへん」

  空中高くでくるくる回転までしてみせた。

  両腕を水平にぴしっととあげて、得意げに着地したとき、

 「あ、あんなにふっとばされたのに……」という声がした。

 ふりかえるとロイヤルバスケッツだった。あいかわらず高級フルーツたちが、立派なバスケットカーのなかで身を寄せ合っている。

 「さすが野生児だ……」とあきれたようにアポー男爵が言った。

 ライムはそれを無視して、

 「それより、町長たちは大丈夫だったの?」と聞いた。

 「ああ、ずっと野菜たちに、相撲の名を借りた乱暴はやめるよう、必死に頼み続けたんだが……やっぱりだめだった……」

 パイナ町長は顔をしかめて、深く息をはいた。

 「わたしも一番取らされたよ……」大きな、まるっこい腰をさすった。

 「うわあ、チョウチョみたいなじいさんをぶんなげるなんて、ほんとひどいやつらだね……」とライムは顔をしかめ、語気あらくいった。

  マンゴーのマンゴールが舌打ちをした。

 「まったく、なんという言葉づかいだ。町長のことを、チョウチョなどと呼ぶとは……」

 「まったくよ、じいさんをぶ、ぶんなげるなんて、なんておそろしい言葉づかいなのでしょう……」とメロロン夫人もおそろしげにまんまるの身をふるわせてみせた。 

 ライムはぎろっと、ロイヤルバスケッツたちのほうに目を向け、無遠慮にじろじろと彼らを見やった。

 「かごさんたちは、とくにお怪我はないようだね。……まったく元気そうじゃないか」

 一歩、近づいてそういったとき、バスケットの高級フルーツたちが一瞬、身を寄せ合ったのをライムは見逃さなかった。

 “かご”などとよばれて、彼らが怒り出すかも、と思った。だが、かれらはどんなに怒っても、けっしてかごの中から出てきはしないことをライムは知っていた。マスカットたちはいやにしずかだ、と思ったら、みなおだやかな表情で寝ていた。

 「わ、わたしたちは、まったく大丈夫なことよ……」とメロロン夫人はまんまるいあごをくい、とあげると、うぐいす色のせんすをせわしなくあおいだ。

 (今はけっこうすずしいけどな……)とライムは思ったが、めんどうなので口には出さなかった。

  「お相撲なんて、あんな下品でやばんな競技には興味がございませんからね。……さっさと別の場所に移動しましたよ……」

 不自然なまでに濃く長いまつ毛の下で、目がきょときょと落ち着かなげに動いている。

 「ちぇっ、つまり相撲のときはどこかに逃げてたってわけか……」とライムは無表情にバスケッツたちをみながら、抑揚のない口調で言った。

 「チョウチョを残して……」

 「なんだとっ、人聞きの悪いっ!」アポー男爵がどなった。

 「われわれは議員だといったろっ。野菜たちの乱暴をとめる方法を議論しなければならんのだ。けがなんぞをしてたら、貴重な議論ができんじゃないかっ、そんなこともわからんのかっ!」

 赤い顔をますます赤くして男爵はまくしたてた。

 

 突然、アポー男爵は、にやりと笑って見せた。でもその顔はひきつったようにもみえた。

 「そうはいっても、けがはわたしには関係ないがな……」

  やや、うわずった声を出しながらも胸を張って見せる。

 「なぜなら、私があの相撲に参加したら、けがをするのはやつらのほうだからだっ……それも大けがをなっ」

 アポーは豪快に笑ってみせた。だが、その顔がややひきつっているのをライムは見た。

 「野菜たちなど、みんなひとまとめにアポーアタックで一撃だっ!」

 アポーはバスケットのなかで、体を激しく上下に動かした。

 その動きが“アポーアタック”なのかどうかはよくわからなかったが、やはりライムは黙っていた。

 「そりゃあ、あの場面では、わざと負けてやったほうが、野菜たちも満足して、おさまりはよかっただろう」アポーは不自然に大声を出しながらさらにつづけた。

 「満足して、さっさと、帰っていっただろうよ……」

 他のロイヤルズは、あいまいにうなずいたりしていたが、何も言わなかった。

 「だが、わたしは、嘘をいえない、手加減もできない性格なのだ。不器用ってわけだ……」アポーは荒い息をついた。

 「そうすると、野菜たちは恨みをいだき、ますます問題がこじれるであろう……」とアポー男爵はさらに声を張り上げた。なぜかライムとは目をあわせようとしなかった。

 「というわけで、あえて、相撲大会には参加しなかったわけだ……」

 ようやく話し終えたらしく、アポー男爵は満足そうに息を吐いた。

 しばらく沈黙が続いたのち、

 「ほおぉ」とライムは言った。

 「野菜レスラーたちに勝てるなら、当然、おれっちにも勝てるってことだよな」 

 ライムは土俵の残骸を指さした。

 「じゃあ、胸を貸してもらおうかっ」

 ライムは一喝するように大声をあげた。

 アポー男爵の顔がひきつった。

 「ま、な、なんて乱暴なひとでしょう……」メロロン夫人がかんだかい声をあげた。

 「まあまあ、みなさん……」

 それまで、だまっていたパイナ町長がなだめるように手をあげた。

 バスケットに向かおうとするライムを押しとどめる。

 「いまは、仲間割れなんぞしている場合ではありませんよ……」

 みなを見わたしながら言う。

  ライムはしぶしぶひきさがった。

 「今回も多くのひとたちが野菜たちの犠牲になった。しっこぞうも、もっていかれてしまった……」

 町長は悲しげな声で言った。

 「しっこぞう?」ライむは眉をしかめて聞き返した。

 パイナはだまって、お花見広場のほうを指さした。

 「あそこの池にあった小便小僧さ……」

 力ない声で言う。

 「あっ、あれか!」

 ライムは大きな声をあげると、池に向かってジャンプした。池のほとりには、小便小僧が乗っていたと思われる台だけがのこっていた。

 「くっそお」

 ライムは地面に向かってこぶしをぶつけるしぐさをした。

 「あいつ、けっこう気に入ってたのにぃ」

 顔をしかめて、悔しそうに叫ぶ。

 「あの、しっこのいきおい見てたら元気でたのになーっ」

 とぼとぼと、うつむいて、みなのところに戻った。

 「あいつ……ひとが近づいてきたら、そっちに向けて、すんごいいきおいでしっこをふきかけたこともあったよなぁ……」と残念そうにつぶやく。

 「まったく、どこまでも下品なやつだな……」とアポーがライムと目を合わさないようにしながら、低い声でいった。けっこう小さい声でいったその言葉は、ライムに聞こえていたが、ライムは無視した。

 「ゆうしょうしょうひんは、しょうべんこぞうにござりまする~っ!」

 突然、甲高い声がひびいた。アポー男爵、メロロン婦人、マンゴールがバスケットのなかでのけぞった。

 すっとんきょうな大声はバスケットから響いていた。

 ぶどうの一粒が目をさまし、大きく口をあけて叫んでいるのだった。 

 「ほんじつのすもうたいかい~、やさいぐんのかちにござりまする~っ!」

 もうひとつぶが口をとがらせてそうさけんだ。まんまるのからだを妙な具合にねじっている。行司をやっていたねじくれたキュウリの真似をしているらしかった。

 「うちわをもったきゅーりがいってたよね!」

 「いってた!」「いってた!」「ね!」「ね!」マスカッツのつぶたちは顔を見合わせるといっせいに笑い出した。

 きんきん、頭にひびくような笑い声の合唱。マスカッツ以外のみなは思わず目をつぶり耳をふさいだ。

 「おしっこの勝ちー!」そのうちの一人が意味不明なことをいって、マスカッツたちはさらに大きな笑い声をたてた。

 「きゅうりの勝ちー!」「きゅうりのすけの勝ちーっ!」みな甲高い声をひびかせて口々におかしなことを言いあう。

 「ちびすけの勝ちー!」

 「アポすけの負けーっ!」

 「メロロン山の勝ちー!」

 「〇×▽……!」「◆△●……!」「〇×▽……!」

 しまいに多くの声が重なって、もはや何を言っているのかさっぱりわからなくなった。

 (ちぇっ、こいつら、相撲大会が終わったとたん、戻ってたってわけか……)

 両耳をしっかりとおさえたままライムはこころのなかで舌打ちした。

 そのうち、ふわあとあくびをして目をとじる粒がいた。さわぎすぎて疲れたのだろうか。つづいてもう一粒も……マスカッツたちはつぎつぎに口をつぐみ、しずかになった。

 ようやくマスカッツたちのさわぎがおさまり、一同は思わずふうとためいきをついた。しばらくの間の後、メロロン婦人が言った。

 「お野菜たちは基本、お下品なひとたちだから、お小便小僧さんが好きだったのかしら……」(なんでも、「お」をつければお上品になる、と思ってんだな。小便小僧におをつけるやつなんてみたことないぜ……)とライムは思ったが、とりあえず黙っていた。

 「いや、ただのいやがらせだよ……」と町長はどこか、なげやりな口調で言った。

 「前のときにもけやき通りの街灯や公衆便所を勝手にもっていったが、そんなもの使うわけがない……」

 「そう、あいつらは自分たちに都合のいい勝負を持ち込んで、勝つと、賞品といって勝手にいろいろともっていってしまう……延々とその繰り返しだ……」

 とマンゴールが苦々し気にいった。

 「それよりさっ」とライムは、いらだったように大きな声をあげた。

 「野菜たちにいつまでこんなことされてるんだよっ」

 「仕方がないだろう。彼らは狂暴だ、逆らったら何をしでかすかわかったものじゃあない……」パイナ町長はそういってため息をついた。「もっとひどいことをするかもしれん……」

 「まったくあの野蛮人どもめ」とアポー男爵が吐き捨てるように言った。

 「やつらはわれわれフルーツに嫉妬してるのさ、だからあんなにいやがらせばかりするんだ」とマンゴールがいった。

 ふう、とメロロン夫人がため息をついた。「でもたしかにあたしたちに嫉妬を抱くのは仕方ないわよね……」

 ぽっちゃりしたうでをのばして、うっとりとみつめた。いくつも通した大きな腕輪にちりばめられた宝石が、夕日を浴びてきらきら光った。

 「野菜町のひとたちは、全体的に姿かたちもよくないし、においもダメ。おいしくないから、ニンゲさまに食べてもらえないし……」とメロロン夫人がバカにしたようにいった。

 「そう、うまくないけど、食べないと、栄養がかたよるぞ、とニンゲさまをおどして、かろうじて食べてもらっているんだ」とアポー男爵も言った。

 ニンゲとは人間のことで、ニンゲにたくさん食べてもらえるほど、フルーツの精たちは元気になるのだった。

 「そうだっ!」とライムは叫ぶと、いきなり垂直にとびあがった。どんどん空へと上っていく。

 みな、会話を止め、ぽかんと夕空をみあげた。

 しばらくして、地上に戻ってきたライムは興奮した早口で話し出した。

 「こっちからしかけりゃいいんだよっ」

 「こっちからしかける?」マンゴールがまゆをひそめた。

 「しかけるって何をよ」メロロン夫人がセンスをせわしなくあおぎながら、怒ったような声を出す。

 「懇親会だよっ、ベジッタ町とのっ」

 ライムは大きな目を輝かせ、短い両腕をふりまわした。

 「こっちからベジッタ町に乗り込んでいって、ジャンプ大会を開くっていうんだ!」

 みなぽかんとしてライムをみつめた。

 「ジャンプだったら、ぜったい負けないぜっ!」

 ライムがもう一度ジャンプしそうな気配を見せたので、「いや、それはさっき見せてもらったよ」

 パイナ町長はそれをおさえようとでもするみたいに、ライムに歩み寄って手を伸ばした。

 「ジャンプ大会でぶっちぎりで優勝して、あいつらの町から、なんか取ってきちまおうぜ、賞品だっていって! 」

 ライムは両手で何かをたぐりよせるような仕草をした。

 「取ってくるって何を……」

 なかばぼんやりした声で、マンゴールが言った。

 「……」

 ライムは、ベジッタ町には行ったことがないことを思い出した。何があるかわからないから、何を取ってくればいいのかもわからなかった。

 「し、しっこぞうだっていいじゃないか。取られたものを取り返すんだっ」

 ライムはこぶしをいきおいよくつきあげてみせた。

 「ふう……」、アポー男爵が大げさにため息をついた。「そんな話にのってくるわけないだろう……」

 「あいつらはこちらに命令するのが好きなんだ。こちらからの指図なんて受けるはずがない」とマンゴールも額にしわをよせて言った。

 「そうよ……」とメロロン夫人もふうと、おおげさに息をついた。

 「だいいち、何よ、ジャンプ大会って。そんなの聞いたこともないわ……」

 「じゃ、じゃあ……」ライムは焦ったように、あたりをぐるぐるせわしない足どりで歩き回った。

 突然、止まると叫んだ。

 「今度、あいつらがせめてきたら脅かしてやればいいっ!」

 アポー男爵は横目でじいとライムを見た。

 「どうやってだよ……」

 「チョウチョは、はりぼて作るの好きだろ」

 ライムは目をきらきらさせながら、パイナ町長を見た。

 「だったら、はりぼてで怪獣をつくるんだ、でっかいの」ライムは興奮して背伸びし、両手を大きくふりあげた。

 「……」

 パイナ町長もロイヤルバスケッツたちも、もはやなにもいわず、表情のない顔でライムを見つづけた。

 それにはかまわず、ライムはつづけた。

 「がおーっ! ておどせば、さすがの野菜野郎たちも逃げてくだろうっ!」

 ライムは手をかぎづめみたいにして、顔の前につきだした。そして険しい顔をして大きく口をあけた。牙をむいた怪獣になったつもりなのだろう

 「……」

 「……」

 「……」

 「……」

 やはり、みなの反応はなかった。

 みなの無反応にますますあせって。ライムはぴょんぴょん、とびあがった。

 「い、いや、怪獣がダメなら巨大戦闘ロボットでもいい、いや巨大ゴーストでもいいかっ!」ライムはヒステリックに声を張り上げた。すがりつくように町長を見る。

 「はりぼての中におおぜいで入って、動かすんだ、おっかない動きで」

 ライムはみじかい手足をあやしげにうごかす。

 「お城や、ごうかきゃくせんほど、でっかくないんだからラクチンじゃないかっ、な、チョウチョ、はりぼて好きだろっ」

 町長はあわてたように手を振った。

 「い、いや別に、わ、わたしは張りぼてが好きなわけじゃ……」

 「じゃあ、なんで丘の上に張りぼてのお城建てたり、港にごうかきゃくせんを浮かべたりするんだよっ。ほかにもりっぱなホテルとか博物館とか美術館とかあるだろ!」とライムは叫ぶように言った。

 町長はこまったように濃いまゆげを八の字にした。

 「いや、たしかに町長さんははりぼて好きさ、だけどもな……そんな作戦が……」とマンゴールが言いかけたのを、アポー男爵が遮った。

 「いや、はりぼてはばかにしたもんじゃありませんぞ。政治家にとって、はりぼてはとっても大事なものだ……」

 りっぱなひげの先をつまみながら続ける。

 「はったりがすべてだからな。ゆえに、町長も政治家なのだから、はりぼては重要ということである……」

 「まあ、そういえば、はりぼてがきらいな政治家はおりませんな……」

 とマンゴールも同調した。

 「だが、いくら好きだといってもはりぼて怪獣や巨大ロボットは無理だ。城とか豪華客船は遠いところにあるから、野菜のやつらにばれないだけで……」とアポー男爵がため息まじりにいうと、

 「怪獣なんて、すぐにばれちゃうわよっ」

 とメロロン婦人がかんだかい声で続けた。

 「自分たちが怪獣みたいなもんなんだから……」

 「巨大モンスターもな……念のためにいうが……」とマンゴールも付け加えた。

 「つまり、いくら町長がはりぼて好きといってもその作戦はだめだ、ということだ」

 とアポー男爵がきっぱりと言った。

 「だ、だから、わたしは、べつにはりぼてが好きなわけじゃ……」とパイナ町長が割って入った。

 「ただ、偽物であっても、オブジェとしてお城とか、豪華なクルーズ客船とか、立派な美術館があったほうが町が華やいでいいと思っただけで……」

 意味もなく手を振りながら、町長は皆を見渡した。

 「町のみんなに、「いつか、このはりぼてを本物にするぞっ」って気持ちをもってもらいたかったんだ。」

 パイナ町長はせきばらいした。

 「ま、まあ、ライムくんの作戦については今度、ゆっくり検討することにしよう……」

  町長はもごもごといった。

 「次の交流行事も決まっていることだし……」

 「え」 

 ライムは目をまるくして町長を見た。バスケッツたちもみな、はっとしたような顔をパイナに向けた。

 「次の交流会、知ってるの」

 「あ、いや」

  パイナ町長はあわてたように、せわしなく手を振った。

 「さっき、野菜軍団がひきあげるときに、公園通りの小学校のほうを見やってだな……」と町長はやや早口で言った。

 「グラウンドに運動会の準備がちょっとしてあるのを見て、「お、つぎは運動会にするか」って言ったのをきいたんだ……」とつづけた。

 ライムはぱっと目を輝かせると、いきおいよく、ぱちんと手を打ち合わせた。パイナのほうに顔を近づける。

 「じゃ、高跳び大会もあるかもしれないなっ」

 「そ、そうだな。ジャンプは運動の基本だ。走り高跳びはやるだろうな……」

 パイナ町長はちょっとこわばった笑顔をライムに向けた。

 「おい、町長が困ってるじゃないか。おまえ、また何かやらかすつもりじゃないだろうな……」

 アポー男爵がライムをにらみつけた。

 「あの……べつに、なにかおかしなことをたくらんでいるわけじゃないよな……念のためにきくだけだけど……」

 とパイナは、ちょっと落ち着かなげに体を動かして、ライムを見やった。

 その話を聞いている様子はまったくなく、ライムは、

「よしっ、おれっち、今から練習するっ!」と、肩の位置にあげたこぶしを握り締めた。「いつ、あいつらが来てもいいように、今日からばんばん毎日、練習するぞっ! 」

 ライムは短い両腕を振っていきおいをつけると、その場で、思い切り飛び上がってみせた。

 「じゃ、チョウチョ、カゴーズ、バイッチなっ!」

 ものすごい勢いでジャンプしながら、夕日に一面、照らされた公園広場をライムは去っていった。

 

 ライムは荷車をひいて、ごみを集める仕事なんかをしているのだが、その仕事の合間にもジャンプの練習をした。休みの日には、石やレンガのような重りを持ったり、腰につけたりして一日中、必死にジャンプした。

 ジャンプを繰り返しながら、急な上り坂をあがったり、といった厳しい鍛錬にも取り組んだ。もちろん、スクワットや腹筋運動のような基礎トレーニングも欠かさなかった。

 飛び上がっている間に何回、「あほ、ばか、まぬけ!」を言えるか、など自分で考えた特訓メニューにも熱心に取り組んだ。



 収穫祭から二週間ほどたったある日曜日。

 ライムがごみを処分場に運んでいるときだった。

「おい、また、野菜たちがやってきたって」

という声がした。道端でライチとイチジクが立ち話をしている。

「またか、まったくあいつらめ……」

「ど、どこにだ」

「公園広場に向かっているらしい」

「けっこう大勢らしいぞ……」

 フルーツたちの怒りと悲しみに満ちた声があたりに響いた。

 ライムはその場にごみを放り出すと、猛ダッシュで公園広場に向かった。

 

 広々とした公園の中を進むと、広場が見えてきた。ざわめきが聞こえてくる。怒鳴り声のような乱暴な声も混じっている。

 (野菜レスラーたちだな……)ライムは走り続けながら、闘志をたぎらせる。

 広場に着くと、ライムは立ち止まった。

 ダイコンのダイ子は、巨大な荷車の荷台から看板を下ろすと、公園広場の出入り口のそばに、どん、と置いた。それには、パイナ町長が予測したとおり、「ベジ・フルタウン合同大運動会」と書いてあった。

 野菜たちがぞろぞろと歩いている。広場を出ていく者、広場に入ってくるもの。入ってくるものはみな何かを抱えている。ハードル、玉入れかご、白線引き……

 (あいつら、公園通り小学校から運動会の道具を勝手に運んでるんだ……)

 ライムは歯ぎしりした。

 「えっほ、えっほ!」と掛け声をかけながら、テントや長い大きなテーブルをはこんでいる連中もいた。


  公園広場はおおぜいのひとたちであふれていた。

 白い大きなテントがいくつか設置され、張り渡された万国旗が風になびいている。

 野菜たちの数はいつにもまして多かった。百人、いや二百人はいるだろうか……

 「スポーツの秋ですよ。さあ、運動しましょう、楽しいですよ」とにこにこわらいながら、おくらのおばさんが、フルーツたちの手をつかんでいる。

 「あ、あの、用事があるので、む、無理です……」とブルーベリーが顔をしかめて言ったがおくらは手をはなさない。もう片方の手では、プラムをつかんで、むりやり、運動会の会場に仕立てた広場にずるずるとひきずっていく。

 「楽しいですよ、ね、楽しいですよ」ねばっこい声でいう。顔には満面に笑みを浮かべたままだ。

 もっと乱暴な野菜もいた。

 「おう、おまえ、にらみやがったな。その喧嘩、買ってやろうじゃねえかっ、運動会で勝負だっ!」とゴーヤがすごんで、すももをぐいぐい運動会場のほうに押しやっている。

 獲物を狩るチーターのように、逃げまどうフルーツを走っておいかけ、つかまえる野菜もいた。

 「あんた、ちょっとダイエットしたほうがいいぞ、おれといっしょにがんばろう!」とまるまるとしたカブが、ふっくらした桃の肩に太い腕をまきつけるようにして、ひきずるように、運動会場に向かっていたりもした。

 

 公園広場は、運動会場になっていた。

 地面にぐねぐねと曲がりくねったトラックの白線が引かれている。玉入れの塔が斜めに傾いて設置されたり、等間隔ではないハードルが乱雑に置かれたりしている。

 ライムはつるんとしたひたいにしわをよせ、ちいさな肩を怒らせて、公園広場に入っていった。

 白いテントのそばに、大柄なパイナップルの姿があった。パイナ町長だった。彼も、おおぜいの野菜軍団がやってきた、ということでかけつけたのだろう。

 ライムは町長のほうに向かった。

 かたわらにロイヤルバスケッツの姿もあった。緊張したおもむきで、大きなからだをかごの中でよせあっている。こわごわとといった感じで会場を見渡している。なんとか冷静さを保っているが、内心はどきどきで、いつでもバスケットカーを猛発進させ、逃げ出せるように準備しているにちがいない、とライムは思った。

 ねじくれたキュウリがにやにやわらいながら近づいてきて、町長に話しかけた。

 (あっ、あいつは……)ライムは思い出した。相撲大会でレフリーをやっていたキューリンとかいうやつだ。

 「いやいや、またおめでたいことがあったそうじゃありませんか、町長さん……」

とやせて小柄なきゅうりはひょっとこみたいに口を突き出し、きぃきぃ声で言った。

 町長は首をかしげた。

「はて、なんのことでしょう」

 パイナは困ったように、白髪交じりのふといまゆげを下げた。

「まぁたまた、しらばっくれてえ!」

 にやにや笑いながら、キューリンはかんだかい大声を出した。

「ニンゲさまから賞をもらったんでしょう。ええとなんだっけ。すぐれたビタミンに与えられる賞……、ビタミン賞でしたっけ……」顔をひずませて笑った。

「い、いや、わたしの把握はあくしている限りでは、そのような賞は知りませんが……」

 パイナはどことなくおどおどした口調で言った。

(なんだよ、チョウチョ、なにか悪いことでも隠しているみたいな態度して……)

ライムは心の中で舌打ちをした。

「副賞はなんでしたっけ。またお城とか博物館ですか。はたまた、ジェット飛行機か高級ホテルですかぁ……」キューリンは目の上に緑の不気味に節くれだった手をかざして、あたりを見渡した。

「ニンゲさまは、気前がいいですなあ……」

 あ、地震? と思ったら、地面をゆるがして、のっしのっしとキャベルが近づいてくるところだった。うしろからハクサイックも続く。

「おめでたいことが続くねえ……」

 キャベルのどら声が響く。

「超豪華副賞がそこらへんに見当たらないということは、ダイヤモンドとか、(きん)の延べ棒とか、わりとちっこいものなんじゃないかな……なあ、ちょっと見せてくれよ……」。 

「取らないからみせとくれよ」

ハクサイックもキャベルの後ろから低く太い声をあげた。

「……取らないけど、貸してくれ、とかいうのよ、きっと……」

 とメロロン婦人が声をひそめていった。でも、普段の大きな声よりは小さかった程度だったので、野菜レスラーたちに聞こえたようだった。

「なんか言ったか……」

 キャベルとハクサイックが大きな目でそろって、フルーツバスケットのほうを見た。

 「……!」

 ロイヤルバスケッツたちは全身をこわばらせた。あまりの恐怖にバスケットカーを発進させることさえできないようだった。

 「……い、いや別に……」

 アポー男爵が、いつもとはうってかわった、半分裏返った、かぼそい声をあげた。

 野菜レスラーたちは、また、パイナ町長のほうに向きなおった。

「まったくうらやましいぜ」とハクサイックもキャベルの後ろから低く太い声をあげた。

 フルーツたちはだまったままだった。

「なんで隠すかねえ、おめでたいことだから隠すことなんかないだろう」

と大声でいってキャベルがパイナ町長の肩をばん、とたたいた。

 パイナの大きなからだはよろけた。

「フルベジジャーナルでみましたよお……」

 キューリンは、ねじくれた笑みを浮かべた。

「でっかい、豪勢なトロフィーを抱えていた人たちの笑顔、よかったですねえ……」

 そういいながら、あたりを見渡す。

「受賞続き……優秀なお人たちがたくさん、おられるんですなあ……」

 キューリンは一呼吸おいてから続けた。

「今回のベジフル合同運動会でもさぞかし、優秀な成績をお示しになられることでしょう……」

 突如、キューリンは集まった野菜と、集められた果物たちの前に進み出た。

「ちょっと失礼」といって、そこにいたしまもようのサイコロみたいな形をした「四角スイカ」の上によじ登った。

 背筋をぴんと伸ばして直立不動になる。

「みなさま、お待ちかねの運動会をはじめますーーっ!、お互い、スポーツマンシップにのっとって正々堂々と戦うことを誓いますーーーっ!」

 手をまっすぐにあげ、ねちっこく、妙に語尾を伸ばしたきぃきぃ声で叫んだ。

 

 運動会が始まった。

 でも、それはやはり、いつもの交流行事と同じで、普通の運動会ではなかった。

 つなひきでは、ベジッタの選手は、キャベル、ハクサイックなどの野菜レスラーやカボチャなどの力自慢ぞろいだった。フルーツェン側も、いやいやながらではあったが、みかんの仲間では最大の大きさとパワーをもつ「ばんぺいゆ」とか、すいかなど力自慢が出場した。

 しかしフルーツ側はまったく力を出せなかった。なぜなら、つなは、まだあどけなさの残る若いキウイフルーツの長いつるだったからだ。キウイフルーツはつるをひっぱられて、「いたい、いたーい!」と悲鳴をあげた。フルーツ組は、ひっぱることができずに、あっというまに、あっさりと負けた。

 徒競走のときには。たまねぎがフルーツの選手たちのところに近づいていって、「敵だけど、がんばれっ」といいながら、自分の皮をぱたぱたさせた。すると、つんとした刺激が出て、選手たちの目はみななみだにあふれ、前が見えなくなった。スタートの合図がなっても、フルーツの選手はとびだせず、みな負けた。

 またムカデ競争のときには、とうがらしがやってきて、自分の体をぱんぱんとたたいた。すると真っ赤な粉がぱあっとあたりに舞い踊った。フルーツたちは目が真っ赤になり、粉が口の中に入って、「わあからい、からいっ」、と叫んで、みなころんでしまった。

  玉転がしが始まった。でもよく見ると、大玉のかわりに転がされているのは、スイカとかメロンだった。そばでキャベルやハクサイックがにやにや笑っている。

 「いやあ、おれたちが玉になってもいいんだけど、まんまるじゃないし、ちょっとでこぼこして無理だからなあ……」

 スイカやメロンたちは「目がまわるーっ!」「やめてーっ!」と悲鳴をあげて、野菜たちにいきおいよくころがされていた。

 会場のあちこちで、野菜たちの勝利のおたけびが響いた。

 ライムは「ひきょうなやつらめっ」と歯ぎしりした。近くの野菜たちにとびかかっていこうとしたとき、アナウンスがひびいた。

 「走り高跳びに参加される選手は、花壇そばの会場に集まってくださーい」

 (よしっ!)

 ライムは口をきゅっと結ぶと、急いで高跳び会場に向かった。

  高跳び会場に着くと、

 「ほお、自分から参加したいとは珍しい果物だな……」と、白ワイシャツ姿のピーマンが言った。右手に赤、左手に白の四角い旗を持っている。どうやら審判員らしかった。バーのかかったスタンドの両脇には、なぜかコーヒー豆の木が独りずつ立っていた。ふたりともそっくりで双子なのかもしれない、とライムは思った。

 そしてついに走り高跳びが始まった。

 ライムの順番が近づいてくる。

 心臓が飛び出しそうにどくんどくん、とはね、ライムはぎゅうと両手で胸をおさえた。まわりの選手に心臓の音が聞こえないか心配になる。

 豆の木が二人そろって長い棒をもってきてわたしたが、

 「こんなもの、いらねえ」

 ライムはそれを放り投げた。

 きっ、とスタンドにかかったバーをにらみすえると、バーに向かって走り出した。徐々にスピードをあげていく。

 「とおっ!」

 叫びながら飛び上がる。

 ライムは軽々とバーを飛び越えた。

 「よっしゃあ!」

 マットに着地してガッツポーズをする。

  だが、拍手はなかった。観客はほとんど野菜で、みなしぶい顔をしている。

  走り高跳びには、みかんやなしなどのフルーツも参加させられていた。でも、野菜たちがするどい目つきでにらむなかで、足がふるえてしまい、へっぴり腰で走り出したものの、バーにたどりつくまえに転んでしまい、失格となった。

 一方、ライムは次第に高くなるバーを次々にこえていった。

 バーが高くなるにつれ、ほかの選手たちは脱落していき、徐々に選手の数は少なくなっていった。

 バーの高さは、もはヤシの木の高さほどになり、さらに、その二倍、三倍近くにまで上がっていった。

 ライバルたちが、はるか上空から落としたバーが地面ではげしく音をたててバウンドする。それを豆の木たちがひろい、するすると、驚くほど高くのびて、スタンドにひっかけた。

 すばらしく息の合った動きで、さすが双子だ、とライムは思った。

 そして、ライムはついに決勝に残った。

 最後の敵は、ベジッタ町の長ネギだった。

 (こいつとの一騎打ちだ。こんなひょろなが野郎なんかに負けてたまるか)

 ライムは長ネギをにらみ、短い片腕をつきあげてみせた。

 (よおし、ここで完全勝利して野菜たちに一泡ふかしてやる。フルーツの恐ろしさを見せつけてやるぞ!)

 ライムの全身に力がみなぎった。

 見あげるとバーはもう、すいこまれそうな青空の向こうに、シャープペンシルの芯みたいに小さく見えていた。

 長ネギ選手が先に飛ぶことになった。

 「ネギーギン、がんばれ、がんばれーっ!」 

 野菜たちの声援が広々とした公園広場に響いた。どうやら、ネギーギンというのが長ネギの名前のようだった。

 声援にこたえて、ひょろながい腕をあげると、ネギーギンは長い足でリズムよくおおまたで助走を始めた。しだいにスピードを上げていきながら、長い体を大きくしならせた。そしてスタンドの手前で、体をばねのように戻すとともに、勢いよく高く飛び上がった。

 長ネギの体はぐんぐん真っ青な空をのぼっていく。みるみる小さくなり、バーに近づいていく。見上げる観客は空のまぶしさに顔をしかめたり、目の上に手をかざしたりしている。

 ごく細の線みたいにみえる長ネギの影と、ごく細の線みたいにみえるバーの影が重なった。

 はるかかなたのバーが少し揺れたように感じられた。

 「あっ」空を見上げている野菜たちはいっせいに悲鳴みたいな声をあげた。

 ミニチュアにみえるネギーギンがゆっくりと落ちてくる。

 だが……バーは、はるかかなたのスタンドの先で揺れていたが、……落ちてくることはなかった。

 ネギが落下してきて、大きなマットの上で大きく弾んだ。

 野菜たちの間で爆発するような歓声が沸き上がった。

 

 「なかなかしぶといやつだな。でも見てろよ。おれっちだってあんなもの簡単に超えてやるっ」

 ライムは、口をひきしめて、きっ、とはるか上空のバーをにらみつけるように見上げた。

「ひょろネギはあの高さがせいいっぱいだ。なかなかがんばったが、残念だったな……」ライムは誰にともなく、にやりと笑ってみせた。

 するどい目つきで前をみすえると、助走を始める。リズムよくスタンドに向かう。からだがとっても軽い。風にのるような感覚があった。

 (あ、いける)と思った。さらに加速しようとした瞬間だった。

  観客のなかから大声があがった。

 「おおい、ライム小僧、この前のダンスパーティーでは大スターだったんだってな!」

  あざ笑うような口調だった。

  笑い声が起こった。

  「お菓子の女の子たちがきゃーきゃー、大騒ぎだったそうじゃないか!」

  ライムの足が勢いを失った。

 「きゃーきゃーって、それ恐怖のさけびでしょー?!」

  女の人のかんだかい声がつっこみをいれる。

  「ごめんっ、きゃーきゃーっちがいだったかぁ……」

  とこたえる声。

  「あ、そっかぁ、そういえば、女の子たち、必死で逃げてたらしいもんなあ」

  ライムは腰がくだけたようになって、スピードはますます落ちた。

  「レディーたちにむかってどんだけ、ひどいことしたんだろう」

  ライムの足はついに止まった。

 

 「お菓子の女の子をぐるん、ぐるんと振り回したあげく、ぶん投げたらしいぜ!」

 「素晴らしいジャンプで、空から猛毒つばの雨もふらせたってな!」

 「ええっ、つばをはくなんて、ひどーい。親の顔を見てみたいもんだわ!」

 「ざんねーん、こいつの親、おらんのでーすっ!」

 「親なしで育ったから、礼儀ってもんが、まったくわかってないのさ」

 ライムは心の中で耳をふさぐようにして、再び走り出した。

 あらんかぎりの力をふりしぼって走る。

 スタンドの手前でふみきったものの、全身から力が抜けた感じになってしまった。

 ライムの体は、空を上っていった。

 バーが大きくなってくる。

 でも、バーにははるかにとどかないところで止まり、落下しはじめた。

 「ぶはっはー!」

 爆笑が起こった。

 「ほんとのこといわれてびびってやがるー!」

  ライムはマットに落下し、はずみで地面に転がり落ちた。

 「失格う!」

  審判のピーマンが叫び、赤い旗を狂ったように振り回した。

 「ネギーギンの優勝っ!」

 「よくやったあ!」

 「スター誕生だっ」

 「スーパースターねっ!」

  野菜の観客たちがぴょんぴょん飛び跳ね、口々に叫んだ。

  野菜たちはネギーギンを胴上げし、大騒ぎした。

 「ちっきしょう……」

  地面にはいつくばりながらライムはうなった。

 (あんなに毎日、死に物狂いで練習したのに……)

  何とか立ちあがり膝こぞうの砂をはらうと、血がすこしにじんでいた。

  首にメダルをかけたネギーギンはインタビューを受けている。

  「フルベジマガジンの者です。優勝おめでとうございます! 今のお気持ちは?」

  ひょろながい青ネギはうすい胸を張って、はきはきと答える。

 「はい、野菜のほうが本当は果物よりすぐれていることを証明できて、ほんとうにうれしいですっ!」

 

 ライムは歯ぎしりをして、ネギーギンと野菜たちをにらみつけていたが、やがて視線を落とした。

 (でも、おれっちがダメなんだ。あんな、やじくらいに負けちまうなんて……)

 ためいきをついて、立ち上がると、とぼとぼと走り高跳の会場をはなれた。

  ライムの背中にあざ笑う声や、馬鹿にすることばがつぎつぎに飛んできた。

 「残念だったなあ、ちびまるこぞう、優勝したらもてもてだったのになあ」

 「あ、ジャンプチャンピオンだっ、あたしとダンスしてくださらなーい! 」

  男の野菜がきぃきぃした裏声を張り上げた。

  ライムはふりかえらずにどんどん歩いた。

  だが、(でも、まてよ……)と足を止めた。

 (あいつら、なんでダンスパーティーのことなんか知っているんだ……)

  ダンス会場には野菜なんかいなかったような気がした。

 (それに、おれっちに親がいないことも……)

  いくら考えてもわからなかった。

  (ま、おれっちがいかに有名人かってことだな……)と結論づけて、また歩き出した。

  

   ふと、前のほうに、パン食い競争の準備をしているのが目に入った。ショウガやミョウガなんかが、ふっくらしたアンパンをひもに取り付けている。

 いつものライムだったら、ああうまそうだな、と思うところだが、そのときは落ち込んでいて食欲はわかなかった。

 ミョウガより年下らしいショウガが言う。

 「あれ、パンの大きさずいぶん、ちがいますね」

 ライムは足を止めた。たしかに、十個ほどのアンパンのうち、半分くらいがいやに大きい。二倍、いや、三倍くらいも大きさが違うものもある。

 「いいんだ」

 とリーダーらしきミョウガが答える。

 「くわえたパンはもらえるだろう……」

  ひもをコースのなかほどに張り渡しながらいう。

 「でっかいのは、われわれ野菜選手用だ」

 「……」

 ショウガが首をかしげる。

 「われわれ野菜は、今日、果物たちのためにわざわざ険しい山を乗り越えてやってきてやったんだ」ミョウガはまじめくさった表情で続ける。

 「はあ……」ショウガはぼんやりとした表情で、なんとなくうなずく。

 「当然、おなかも果物よりへっている。それに、山越えの苦労をねぎらうため、パンくらい、すこし大きくしたってばちはあたらんだろう」

 (あんなちいさな山で、山越えの苦労かよ。なんて大げさなんだ……)とライムはくってかかっていきたい衝動にかられたが、かろうじてとどめた。

 ミョウガはいう。

 「そうだな、野菜用と果物用は交互に並べるようにしよう。でかパンは一つ置きにつけてくれ」

 「はい」とショウガはすなおにうなずき、ひとつひとつ丁寧ていねいにパンをつけ始めた。

 あきれて野菜たちの作業を見ていたライムだったが、突然、にやりとほくそ笑んだ。

 運動会会場は大縄跳びで盛り上がっていた。みな、といってもほぼ野菜だが、歓声をあげて、競技を見守っている。みなの視線は、大きななわに飛び込んでは、なわにひっかからないようにあぶなっかしく飛ぶ、野菜や果物たちにくぎ付けになっていた。

 ミョウガとショウガたちはパン食い競争の準備作業を終えて、どこかに去っていった。

 (おれっちって大天才っ!)

 ライムは背をややかがめるようにし、何食わぬ顔をしてパン食い競争のコースに、そっと入っていった。

 そしてパンの並ぶ真下までくると、すこしジャンプしながら、いきおいよく、「すっぱジュース」をでかいパンにだけ吹きつけていった。

 それからさりげなく、観客にまじると、ライムはじっと大縄跳びや玉入れなんかの競技を見物するふりをした。

 やがて、パン食い競争が始まった。これまた、さりげなくそちらに近づく。どきどきしてみていると、やはり、ナスやカブや玉ねぎなどの野菜たちは、大きなパンがぶらさがっているコースについた。

 目をぎらぎらさせた野菜たちがものすごい勢いでパンにむかって突進する。

 そして、次々に「でかパン」に食いついた。

 とたんに、野菜たちの目が大きく見開かれた。

 「うえええっ、!」

 「すっぱーっ!」

 「にがあ!」

 みな、せっかくくわえたパンをはきだした。顔をひどくしかめて、ぺっぺっと地面につばをはく。

 ライムは必死に笑いをこらえた。

 「ぷっふふっ……」

 でもこらえきれずに、かがみこんで、声を押し殺して笑った。

 そばにいた野菜たちが不愉快そうに見下ろしたが、止められず、おなかを押さえて笑い続けた。

 ようやく笑いの発作が収まると、ライムはたちあがった。ぶらぶらと運動会の会場を歩き出す。

 

 テントの影で、何か黄色いものたちがこそこそと何かしている。みると、バナナたちが数人、はらり、はらりと黄色い皮をぬいでいる。

「なんで、徒競走なんかに駆り出されなくちゃならないんだよ。ぼく、走るの苦手なのに」「おれだってそうさ……かけっこなんて小学校以来、やったことないよ……」と暗い声で、うつむきながら言った。

 頭にはちまちを結んで、ランニングシャツに着替えたバナナたちが、とぼとぼと歩いていくのを見送ってから、ライムは、テントの影にさっとかけよった。足を使って、さりげなくバナナたちが残していった皮をテントの裏側に向かってずらす。それから、皮を拾い上げると、いつも肩からかけている布バッグにぎゅうぎゅうと詰め込んだ。

 ライムは五十メートル徒競走の場所に行った。

 すでにスタートラインに野菜や果物の選手たちが並んでいる。

 ライムは野菜の位置を確かめた。パン食い競争のときと同じように野菜と果物が交互にならんでいる。

 ライムは手を大きくふりながら、コースに走りこんだ。

 「あ、あそこ、土がえぐれていますっ、危険ですっ!」

 ゴール近くのコースを指さす。

 「すぐになおしまーす!」とさけぶと、コースのおわりちかくまで行ってしゃがみこんだ。

 「しばらくお待ちをっ!」と元気よく声をはりあげながら、野菜のコースの土をすこしえぐる。

 「そういえば、今日の運動会はすごい人気ですよおーっ、なにしろ宇宙からも見に来るんですからあっ。! 」真っ青な空を見上げてみせる。

 「あれ、UFO、どこかに行っちゃったかなあ……まだ、そこらへんにいると思うんだけど……」

 みなが、青空を見上げているすきに、ライムはすばやくバッグからバナナの皮を取り出すと、野菜が走るコースにだけそれらをしいて、ごくうすく土をかけた。

 「お待たせしましたーっ」

  手でメガホンをつくって、スタートラインに並ぶ選手たちに声をかける。

 「では、みなさん、がんばってくださーいっ」

 と叫ぶようにいうと、その場をすばやく離れた。

 でもやっぱり好奇心には勝てずに、徒競走のところにこっそりもどった。

 「わああっ、!」

 「きゃああっ!」。

 悲鳴があがっている。ブロッコリーやナスやゴボウなんかがバナナのかわですべって、ひっくりかえっていた。

 「やったー、大成功っ!」

 ライムは思わず叫んで飛び上がった。

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

  大勢の野菜たちがいっせいにライムに目を向けている。その目はつりあがり、ぎらぎらと光っている。

 「さっきあいつ、コースに入ってたぞ」

 「コースを整備するとかいって。」

 「バナナの皮を埋めたのはあいつだっ」

 「パン食い競争に細工したのも、きっとこいつよっ」

 「あいつ、パン食い競争の準備のときに近くをうろうろしてたぞ」

 「やっぱりあいつかっ、くずで評判のやつだなっ」

  いつのまにかキューリンがいて、きぃきぃ声で叫んだ。

 「こいつは超すっぱいジュースを吹き出せるんです。きっと、それをパンに塗りつけておいたにちがいありませんっ!」。

 細い目をつりあげ、きりきりとねじれたからだをさらにねじりながら、きしむような声でキューリンはいった。それからふっと息をはくと、きつくねじれていたからだがすごいいきおいでもどった。そのいきおいで、キューリンはいきなり走り出した。

 そしてすぐに、キャベルとハクサイック、ダイコなどの野菜レスラーたちを連れてもどってきた。野菜レスラーたちは、巨大なからだを怒りで震わせ、真っ赤にえたぎるような目で、ライムをにらみつけている。

 「へえんだ、そっちこそ、ずるばかりしやがって!」

 ライムは内心、怖くて仕方なかったが、必死にそう叫んだ。

 「逆立ちしたって、おれっちたちフルーツにはかなわないから、いろいろインチキして勝ったつもりでいるんだろう。わかってるんだぞっ!」

 こぶしをにぎりしめて必死に大声をあげる。

 「ほんと根っこから腐った連中だなっ」

 そう叫びつづけたが、体がはげしく震えだしそうなのを止めるので精いっぱいだった。

 この前の相撲大会でふっとばされたことを思い出していた。

 「だからニンゲたちからも愛想をつかされるんだっ」

 ライムはジャンプして舌を突き出すと、猛スピードで逃げだした。

 「なんだとお!」

 キャベルが野太い声で怒鳴った。

 「あいつをつかまえろっ!」

 走り去るライムを太い指でさす。

 「とっつかまえて、玉入れの玉にでも使ってやろう!」とハクサイックがどら声をはりあげた。

 「いや、それじゃなまぬるい、ライム酒にして、優勝者たちに飲ませてやれっ! 」とキャベルがだみ声で叫んだ。

 地響きをたてて、野菜レスラーたちはライムを追った。

 キャベルたちは怪獣のような巨体なのに、すごいスピードで追いかけてくる。ライムは短い足を必死に高速回転して走ったり、ジャンプしたりしながら逃げ続けた。

 「おら、まてーっ!」

 「ちびまるこぞうっ!」

 野菜レスラーたちはどこまでもしつこく追いかけてくる。

 ライムは、広大な公園を走り抜け、大通りをわたり、街中を駆け抜け、めくらめっぽう、やみくもに走り続けた。橋を渡り、野原を横切った。もはや、どこをどう走っているのか、さっぱりわからなかった。

 「うわっ!」

 突然、目の前に巨大な壁が立ちふさがり、ライムは急ブレーキをかけた。ほぼ垂直の岩だらけの壁。すばやく左右をみわたしたが、岩壁はゆるやかにうねりながら、ずっと続いている。

 「こ、これは……」しばらくしてようやく気づいた。

 「ベジッタ町との境にあるぼんだ山だ……。」

 あわてて方向を変えようとしたが、もう遅かった。荒い息をついたキャベルやハクサイックたちがすぐ後ろに迫っていた。野菜レスラーたちは、ライムを囲むようにじりじりと迫ってくる。

 もう逃げられない!……。

 ライムは目の前の岩壁をみあげると、一気にとびついた。

 岩につかまりながら、どんどんのぼっていく。すべりやすい岩もあったが、長いつめでしっかりつかまった。

 (ああ、爪がのびっぱなしでよかった)、と頭のすみで、ちらとおもった。(さっきは、ダンス祭りでバカにされたけど……)と思う。(みかけより、役に立つ方が大事じゃないか……!)

 岩に必死にしがみつきながら、(なんでこんなときに、そんなこと考えるんだよっ)ともう一人の自分が心の中で叫んだ。

 しかし、かなり登ったところでふと、振り返ると、下のほうにキャベルたちのまるっこい巨体があった。野菜レスラーたちは、なんとあんな重そうな体なのに岩の壁にはりついてのぼってきていたのだった。よっぽど、ライムからバカにされたのが悔しかったのだろう。

 (ああ、あんなこといわなけりゃよかったな……)と思ったがもう遅い。

 ライムは顔をひきつらせると、また上を向いて必死にのぼりはじめた。

 尾根に出た。尾根は狭く、うねうねとどこまでも続いていた。

 今度は、反対側を降りるしかなかった。ライムは岩だらけの急斜面をころがるように、駆け下り始めた。

 むちゅうで駆け下りていると、眼下に家々や、畑の広がりなんかが見えてきた。ベジッタ町だ、とライムは思った。

 


 ライムはけわしい岩山を必死におり続け、ついに平地に降り立った。

 野菜の町には行ったことがなかった。

 なんだかうすぐらい。フルーツ町では真っ青な空だったのに、どんよりと雲に覆われている。

 地面は灰色の砂や土に覆われ、枯れかかったような草が、ちょぼちょぼと生えている。

 小さな山を一つ越えただけなのに、まるで別世界のようだ。

 ふと、背後からごごごという地鳴りのような不気味な音が響いた。

 ライムは思わず振り返った。ボンダ山の岩や土が勢いよく崩れ落ちてきている。野菜レスラーたちが引き起こしたのだろうか。彼らはそれをものともせずに、土砂といっしょに駆け下りてきた。

 「うわああっ!」ライムは疲れて足腰に力が入らない感じだったが、ひとつジャンプすると、はじかれたようにまた勢いよく走り出した。

 でも後ろから足音がだんだん近くに迫ってきているようだった。(くそっ、あんなでぶちん連中なのに、なんてスピードとスタミナだっ)

 ライムは走りながらも寒気に襲われた。

 (この前は奇跡的に助かったけど、今度は、もうだめかもっ……)

 そのとき、先のほうに灰色の古びた家いえがぎっしりと並んでいるのが見えてきた。それらの間にいくつか狭い路地の入口が見える。 

 ライムは死にもの狂いでスピードアップすると、路地の一つに走りこんだ。

 薄暗い路地を進むと、また別の路地につながっている。ライムは迷路のような路地をあっちへ曲がり、こっちへ曲がりし必死に走り続けた。(あいつらは図体がでかすぎて、こんな狭い路地には入れないかもしれない)、とかすかに思った。けれど、後ろに足音が迫っているような気がして、やみくもに進むしかなかった。

 ライムは後ろをふりかえる余裕よゆうもなく必死に走りつづけた。

 黒っぽい家が立ち並ぶうすぐらい迷路路地をどれくらい走ったときだろう。

 「えっ」

 目の前に、小さなまるっこい影がいくつかうずくまっているのに気がついた。(ちっこい野菜だっ。)と気がついたときには、すぐ目の前に迫っていた。

 でも、すごい勢いがついていて、急に止まれそうになかった。

 「ぶつかるっ!」

ライムは、とっさに大きくジャンプした。彼らを大きくとびこえ、くるくると回転する。口をあけてぽかんとみあげる茶色の野菜たちの顔が一瞬、目に入った。彼らの向こう側に着地したときだった。

 足くびがぎくっ! とへんな音を立てたのに気づいた。(な、なにかやっちゃった……)と思った次の瞬間、やけどみたいな熱さが足にひろがった。足首を奥深くまで、きりかなにかで突き刺されたような痛みが走る。

 ライムはいきおいよく地面に転がった。

 そして目の前の野菜たちを見た。

 まるっこい野菜のこどもたちが二人いて、飛び込んできたライムにおどろき目をまんまるにしていた。全身にうっすら茶色の毛が生えている。ベージュのTシャツとえんじ色のワンピース。男の子と女の子のようだった。

 見たことのない野菜だった。

 (フルーツェンに攻め込んでくる野菜には、こんなのはいなかったな……)とライムは思った。

 「ああ、びっくりしたぁ」とすこし大きい男の子のほうが言った。だが、抑揚よくようの乏しいゆったりした口調で、あまり驚いた感じにみえなかった。

 「びっくりぃ」小さい女の子のほうも小さな静かな声を出した。

 ライムはすぐに起き上がろうとしたが、右足首に電気が走ったみたいな痛みが走り、またころんでしまった。

 「いてててて……」

 ころんだまま足首をおさえる。

 (ちょっとでっかくジャンプしすぎたかも……)

 着地を失敗して足をひねってしまったらしい。

 「だ、大丈夫? ……」大きなほうの茶色い、へんな生き物は、ライムのほうをのぞきこむようにして言った。

 (ちょっとだけ、キウイに似てるな……)とライムは、痛みに顔をしかめながらも思った。

 「だいじょうぶぅ?」と小さいほうもかぼそく高い声を出して、ライムのほうに短い首を伸ばした。

 ぶきみな連中だが、そんなにわるいやつらでもなさそうだ、と思った。

 

 ライムは彼らにこたえる余裕もなく、足首を強くおさえ、痛みをこらえながら、くびをあげて、走ってきた方向を見た。野菜レスラーたちの姿はみえなかった。それから念のため前の方も見る。

 ゆるやかにカーブした狭い路地の両側に、似たような黒ずんだ家が並んでいた。家々の軒先には、紙でできているらしい丸い提灯がぶらさがっている。もう明かりがともっているものもあって、ぼおとひかえめな光を薄闇ににじませている。路地のはしには、細い溝が続いていて、ちょろちょろと水が流れている。耳をすますとその静かな流れの音が聞こえる。狂暴な野菜の声はどこからも聞こえないし、その影もなかった。

 (うまくやつらをまいたんだ、やっぱ、おれっちって天才だ……)

 ライムはにやりと笑う余裕が出てきた。

 (やっぱり……あんな図体のでかい連中は、こんな狭い路地には入れないのかもしれない……)

 ライムはあらためてそう思って、少しほっとした。

 そのときだった。

 「どしたんだ……」そばの黒ずんだ家から、また茶色のけむくじゃらの生き物が出てきた。目の前の二人とそっくりだが、ずいぶん大きい。こげ茶色で、小さいのよりさらに毛深かった。ぞうりをつっかけ、紺色の厚手のゆかたみたいな服を着ている。

 「あ、じいちゃ……」小さな二人は顔をあげた。

 背中の少しまがったじいさんは、ぞうりをひきずるようにして、すわりこんだままのライムのもとに寄ってきた。

 「この子がころんじゃって」と茶色の男の子がいうと、妹らしい小さな女の子が、「足をけがしちゃったの」と小さなまゆをしかめて言った。

 「にいちゃと地面でおえかきしてたら、この子が飛んできたんだよ」と続ける。

 じいさんは、しわに囲まれた目を大きくみひらいた。

 「これはおどろいた、クダモノさん、ですな……」

 すると、さらにもう一人がおじいさんの後ろから顔を出した。おばあさんのようだった。やはりおそろいの暗い青の着物みたいな服を着ている。

「あれま、ほんとだ。くだものさんとは珍しい」とおばあさんも目をまるくした。ふたりとも驚いているようなのだが、二人も子供同様、ゆったりとした平板な口調で、それほど、驚いているようにはみえなかった。

 「た、たしかライミというんじゃなかったかね……」とじいさんは、ばあさんをふりかえった。

 (な、何がライミだ、女の子みたいじゃないかっ! 勝手に人のなまえ、つけやがって!)とライムは怒鳴ろうとした。だが、脚をけがしただけでなく、フルスピードで突っ走り、山まで越えて疲れ切っていたので、声を出せなかった。かわりにため息をついた。

 「あの……」足首をおさえたままつぶやくようにライムは言った。「ライム……」そしてつづけた。「ライムのライムというんだ……」。

 (こいつら、野菜レスラーとちがって、おれっちを食い殺そうという気はなさそうだな……)それでも警戒を怠らず、彼らから目を離さないようにしていた。

 (油断させといて、いきなり飛びかかってくるかもしれないぞ……)

 「おお、そうか、そうか。ライム、ライム……」とじいさんはなぜか嬉しそうに繰り返した。「あんた、ライミだなんて……」ばあさんは、歯の抜けた大きな口をあけて、じいさんの肩をたたいた。子供たちも笑った。

 「ライミなんて、ないよ、ないよ」と体をゆすって女の子がわらいころげた。

 「なんだよ、サトミだって知らなかったくせに……」

 とおにいさんが笑いながら言った。

 じいさんはライムにゆっくり近づいてくると、

 「なんだよ、土だらけじゃないか」

 かがみこんで、顔や手足の泥や土、砂をやさしく払い落としてくれた。

 Tシャツや短パンも丹念にはらってくれた。

 「ボクは里芋さといものサトノスケ。サトじいとよんでくれ」といきなり里芋のおじいさんは言った。

 「じゃ、あたしはさとばあで……」しわだらけの顔をほころばせて、おばあさんも続けて言った。

 それからサトじいは、子供たちを指さす。

 「ふたりともわたしの孫でね、おにいちゃんが、サトジ、いもうとがサトミというんだよ」と紹介すると、こどものふたりはすこし恥ずかしそうにしながら、ほほえんだ。

 「サトじいとサトジでまぎらわしいけど、よろしくな……」とサトじいがいうと、

 「ぼくはサトチでいいよ……」とおだやかにほほえみながら男の子のサトイモが言った。

  里いもたちはみなしずかで穏やかな声だった。ライムはその声をきくだけでなんだか落ち着いてくるような気がした。

 すると、サトじいがあわてたように、すこし大きな声をあげた。

 「おう、こんなところで自己紹介しあっている場合じゃない、どうだい、立てるかい。病院にいかなくっちゃあ」

 「ほんと、ごめん、あたしらびっくりしすぎて、大事なことをわすれておったよ!」とさとばあも、里いもにしては大きな声で言った。

 「あ、うん」

 ライムはどう反応したらいいのか、よくわからなかったが、とりあえず、小さくうなずいた。

 差し出されたサトじいの手につかまろうと、立ち上がろうとした。けれどやっぱり左足首に電流みたいに痛みがはしり、よろけて、またうずくまった。

 「おいおい大丈夫か……」サトじいはかがみこんだ。

 「う、うん、大丈夫……」とライムはうめくようにいったが、ひどく顔をしかめた。

 「いやいや、はれてるじゃないか……」サトじいは、短パンからつきでたライムの足に顔を近づけた。

 ライムもふくらんできている足首をあらためて見た。そして痛みに耐えながらも、運動会に来た野菜たちを怒らせて、ここまで逃げてきたことを話した。


 「ちょっと待っててな」そういってサトじいは、玄関に急ぎ足で向かうと、がらがらと格子戸をあけて、くろずんだ家に入っていった。しばらくすると別の里芋を連れて出てきた。うすく口ひげをはやし、サトじいより一回り大きかった。やはり紺色の着物みたいな服を羽織り、首に巻いた手ぬぐいで太い首筋をぬぐっている。

 その後ろから藤色に染められたエプロンをした女の人も出てきた。

 「サトチとサトミのパパ、ママ、だよ、里じいがほほえみを浮かべながら言った。

 「サトパ、サトマと呼んでくれればいい」

 「やあ、ライムくん、よろしく。サトパです、じいから話はきいたよ」

 みんなと同じで、すこし抑揚にとぼしいが、おだやかな声でサトパはいった。ほかの人よりは、少し声に張りがあるような気がした。

 「さあ、病院に行こう、つかまって」とサトパはすこし毛深いがっしりとした手を差し出した。

 その手を握ろうとして、ライムははっと手をひっこめた。

 (これはわなかも……)疑いの心が浮かんだ。

 (やさしいふりをして、怖い野菜たちのところへ連れていく気だ……)

 これまでやさしい野菜など見たことがなかった。

 でも……サトパの優しい目を見ていたら、とてもそんなことをする人のようには思えなかった。

 野菜はみな果物の敵だと思っていたが、そうではないのかもしれない……。

 それに、ものすごく走って、山を越えて疲れ切っていて、もはや逃げ出す気力も体力もない感じだった。

 

 ためらいながらもライムはその手をつかんだ。その手は大きく、温かった。

 サトチのパパはやさしくライムをひきあげると、すばやくだっこした。それから、そっと器用に背中にまわした。ライムはサトパのがっしりした背中にちょこなんと収まった。背中は手のひらよりさらに暖かかった。

 ライムは顔が熱くなったのを感じた。おんぶやだっこなどしてもらった記憶がなかった。サトパの背中はひなたの土みたいなにおいがした。よく日にあたったほくほくした土のにおい……。


 それからサトパを先頭にして、みなでぞろぞろと薄暗い路地を歩き出した。

 迷路のような狭い通りを何度も曲がったあげく、四辻(つじ)の角にある赤茶色の屋根の白い家の前で止まった。まわりの家より少し大きい。

 古びた家で、白い壁にはおしゃれな模様みたいに、うすい黄緑のつたが這っている。


 

 「モロニキク-モロヘイヤー医院」と書いた看板が玄関先にあった。

 そのときになってはじめて、ライムは医者にかかるにはお金がいることにきづいた。サトパの背中で肩掛けかばんをのぞいてみる。財布はもってきていなかった。それにもってきたにしろ、いつも財布はほとんど空だった。ごみ集めなんかの仕事ではなかなか稼げないのだ。

 「あ、あの、おれっち、お金ないんだ……だからいいよ。」

 からだをよじって、サトパの背中から降りようとした。

 「そんな、遠慮しないでいいよ、困ったときはお互い様さ……」とサトパはライムをそっとゆすりあげた。

 「そうよぉ、珍しいお客さんなんだから。遠慮なんかしないでね」とサトマもほほえみかけた。

 ライムは背中のうえでうつむいた。「あとで必ず、返すから……」と小さな声で言った。

 サトパがドアノブをつかんで、大きく手前にあけた。里芋の一家は、サトパを先頭につぎつぎにドアの向こうに入った。

 薄暗い廊下を少し進むと、左手に待合室があった。

 待合室にはコの字型にならべられたソファがあり、十人ほどの患者が座っていた。包帯を巻いた腕を肩から吊った人や、松葉杖をかたわらにおいた人などがいる。湿布みたいなにおいが漂っている。

 サトパがそっとライムを背中からおろすと、みなはっとした表情でライムを見た。息をのむ気配が伝わる。ざわめいていた待合室はしんと鎮まりかえった。

 サトパがレンコンとパセリの間にあいたところにライムを座らせようとすると、二人はさっと体をずらせ、スペースを作った。

 「あ、すみません」サトパは言って、ライムの隣にすこし窮屈そうにして座った。ほかの里いも家族もそれぞれあいたところに座った。

 両隣の野菜は目をそらしたが、あとの患者たちは、ちらちらと、ライムに視線を走らせたりお互いに目くばせをしたりした。隣の人に耳打ちをする人もいる。「ねえ、あれって、くだものよね……」ひそひそ声だったが、あたりがしん、としているので、だれの耳にもはっきり聞こえた。

 まんまるくて、つやつやまっかなミニトマトがママのひざからおりて、とことこ歩いてきた。ソファにすわったライムのまんまえにくると、小さな赤い指をまっすぐに向けた。大きな声できく。

 「ねえ、ママぁ、これくだものぉ? 」

 「これっ、やめなさいっ」ママトマトはあわてて、ミニトマトを追いかけた。「人を指さすのは失礼でしょっ」

 だきあげると、なぜかライムにではなく、サトパに向かって頭を下げた。

 でも、ミニトマトの行動で、金縛りが解けたみたいに、診察室の中にはりつめていた緊張がふっとほどけた。

 「いやあ、おじょうちゃん、よく知ってるね。この子はライムといって、お隣のくだものの町、フルーツェンからわざわざ来てくれたんだよ」

 サトじいが、にっこりとミニトマトにわらいかけた。

 「くだものちゃんたち、子供新聞とかにいっぱいのってるよ」ミニトマトは、ママの膝の上で、小さな足をぶらんぶらん、させながら元気のいい声で言った。

 「みんな、とってもゴージャスなんだよっ!」

 診察室に笑いが起こった。

 「よく知っとるね、ゴージャスなんて言葉……お利口だね」

とさとばあがゆったりした声で笑いかけた。

 「こいつはあんまりゴージャスにみえないけどな……」

 と、やせて髪がぼおぼおのほうれん草が、ライムのよれよれで、うすよごれたTシャツや短パンを見ていった。

 黒ずんだ緑色の前髪が深く垂れて目を隠しているが、よく見えているらしい。

 「そんなことないよっ」

 サトチがむきになったように言った。

 怒ったのかもしれないのだが、あまり口調や声に変化がないので、怒っているようにはみえなかった。

 「ライムくんは、ぼくらにぶつかりそうになって、よけるために、けがしちゃったんだ!」

 「あたしたちにぶつかっちゃ、だめだめーって、ぽーんてしてけがしちゃったんだよっ」サトミも口をとがらせて言った。

 (ええと……)

 ライムは首をかしげた。

 (おれっちがゴージャスにみえない、ってことと、あんまし関係ないみたいだけど……)

とライムは思ったけど、だまっていた。味方になってくれたことがうれしかったからだ。自分に味方してくれるものなど、フルーツェンではほとんどいなかった。

唐突に、

「おまえらはいいよな、ニンゲに気に入られて……」横目でライムをみながら、インゲンがぼそっと言った。左の肘にサポーターをつけている。

「この前もグランプリでニンゲから豪華列車かなんか、もらったんだろ」

「え? 」ライムは思わず首をかしげた。

 なんだか、野菜レスラーたちもそんなようなことを話していたことを思い出した。

 

「どうやったらコンテストに勝てるの」と、今度は、ソファのはしのほうから、ほっそりしたミズナの女の人が身を乗り出した。

「やっぱり、スポーツジムに通って体を鍛えたり、高いお金をはらってエステなんかに行くの? あと、いろいろおけいこごとのお教室とか……」

ミズナはほそいまゆをしかめて、矢継ぎ早に聞いた。

「それとも、フルーツェンにはコンテスト対策の学校とかあるの?」

 「ええと……」

 ライムは顔をひきつらせた。(コンテストなんていつ、どこでやってたんだっけ……)

 コンテストもニンゲのことも見たことも聞いたこともない、とは言いだせなかった。フルーツェンではつまはじきにされていて、自分だけが知らないのだ、と思った。

 ライムが何と答えていいかわからず、口ごもっていると、ミズナはうつむいてため息をついた。

「でもあたしには、そんなお金はないわ……あたしたちの町はどんどん貧乏になっていくんだもの……」

「そうそう、こいつらのせいでな……」と、顔にふりかかった黒ずんだ緑の髪の間から、ライムをにらみつけて、ほうれん草が言った。

「ニンゲが、くだもの連中をめでればめでるほど、わしらは衰退する……」としわがれた低い声がした。居眠りしていたようにみえていた、ずんぐりした大きなからだのジャガイモがむっくりと上体を起こした。

「そう、そのとおりだ……」

 

 ほうれん草がうなだれた首を大きく左右に振った。青黒く長い、つやのない髪がぶん、ぶん、とふられた。

両隣にいる患者たちはそれをよけるため、体をかたむけて、顔をしかめる。


「そもそもニンゲは、わが町にはやってきてくれないし、コンテストなんて開いてくれないじゃないか。はなっから勝負にならない。もはやまったく相手にされてないんだよ、われわれは……」老じゃがいもはため息をついて、ふとい腕を胸の前で組んだ。


「そ、そのコンテストってうわさ話かなんかじゃないの? 」

とライムはしどろもどろになって言った。

 「だって、どこにだって載ってるよ」 

 指先に包帯をまいたピーマンが立ち上がると、待合室のすみに行って雑誌ラックから雑誌を一冊取り出した。

「これ、よく読まれているフルベジタイムズなんだけど……」

というと、老じゃがいもが、腰をさすりながら、

「それ、もともとは「ベジベジタイムズ」って雑誌だったんだ。けど、いつにまにか「フルベジタイムズ」って名前に変わってた……」

とにがにがしげに、重苦しい口調で言った。

「しかも、豪勢な果物の話ばっかり……」

とくやしそうに顔をしかめた。

 ピーマンは雑誌をもってもどってくると、立ったままライムの前にページを大きく広げた。

 するとカラー写真のページに、大きく立派な金色のトロフィーをかかえてにっこり笑っているメロゴールドの写真があった。トロフィーに負けずに、まぶしいばかりに太陽のように輝いている。「ビタミン大賞受賞!!」との大きな見出しが躍っていた。

(こんなフルーツ、見たことないなあ、)とライムは思った。

 メロゴールドは金ぴかの、やはりまぶしく輝くネックレスを太い首にかけ、両手すべての指に赤や、青や、銀白色や透明に輝く指輪をしていた。

 「副賞もすごいよな」といって、ピーマンが、ページの右上の写真を指さした。そこには小さく、小型ジェット機のようなものが写っていた。

 ページをめくると、フルーツのこれまでの主な受賞歴、と見出しのあるページがあった。いくつかの写真が載っている。

 「あ、ハリー城だ」とライムは小さくさけんだ。そこにはイチゴやオレンジ、レモン色などのフルーツカラーに彩られた三つの塔が目立つ白いお城があった。

「へえ、このお城、ハリー城っていうんだ、立派だねえ……」

とピーマンが、自分が両手にもって広げているページを上からのぞきこんで言った。

「りっぱねえ」と、いつのまにか雑誌を見上げていたサトミも言った。

「りっぱぁ」もうひとつのかわいい声。ミニトマトだった。

 いつのまにかふたりは手をつないでならんで立っている。

 「はっは、こどもはすぐに友達同士になっちゃうね」とサトじいがほほえんだ。

 「え、いや」とライムは手を振った。

 「立派っていうか、これ、張りぼてだよ……たしか発砲スチロールとか段ボール紙みたいのでできてるんだ……」ライムは足の痛みもわすれて、説明した。

 「え」待合室にいる野菜たちは、全員、きょとんとした顔でライムを見た。

 「だからハリー城っていうんだ。張りぼてのはりー。ちなみに豪華客船もあるよ、それはプリンス・ボテール号って名前。はりぼての、ぼて、からとったんじゃないかな……」

 なぜか、ちょっと得意そうにライムは言った。

 待合室はしんとしずまりかえっている。

「ほかにも、立派な美術館やら、博物館もあるんだぜ」ライムはさらに得意げに言った。

「だから、賞品とかでもらったもんじゃなくて、町で作ったもんなんだ」とつづける。

「なかなかよくできてるだろう」

 ライムは、写真を指さし、自分がつくったものでもないのに胸を張った。とたんに足がひっぱられたような感じになり、痛みが走った。

「あ、いてててて……」

 ライムはかがみこんで足首をおさえた。

 しばらく、待合室は沈黙に包まれていた。が、突然、笑い声がひびいた。ジャガイモじいさんが歯のぬけた大きな口を大きくあけて豪快に笑っている。

 「なあんだ、はりぼてかあ」

 つられたように待合室のみんなも笑い出した。サト家族も全員笑った。

「わあい、はりぼて、はりぼてっ!」

「はいもて、はいもてー!」意味がわかっているのか、よくわからないが、サトミとミニトマトは、手をつないだままソファの上でぴょんぴょんはねた。

「こら、やめなさい」トマトとサトマがあわてて歩み寄る。

「ちぇっ、はりぼてかよ、いかにも果物連中のやりそうなことだっ」とほうれん草は毒づいた。でも長く前に垂れた髪の間からかいまみえる表情は少しうれしそうだった。

 ライムも、とまどいながらも笑った。

 「いや、ほんとにパイナ町長がもう、はりぼてが好きで、好きで……」

 ライムは笑いながら言った。

「パイナップルなんだけど、いい町長だぜ、おれはチョウチョってよんでる……」

 野菜たちの中にひとりいて、パイナ町長のことを話すと、なぜかほっとするような、力強いような感じがあった。本人がそばにいるわけではないけれど……

「だから、まあ、さっきもいったように、何かの賞品じゃなくって、みんなソンチョが作らせたものなんだ……」

「チョウチョ、チョウチョっ!♪」と繰り返して、ミニトマトとサトミはかんだかい声で笑った。

「へえ、おもしろい町長なんだな……」とピーマンが言った。

偽物にせものでもお城とか、でっかい客船とか豪勢なものがあったほうが、心が豊かになるとかっていってね……」とライムがいうと、「ほお」「へえ……」と、感心しているとも、あきれているともつかない声が起こった。

「でもじゃあ、この雑誌はなんだろう……」

 ピーマンは手に持った雑誌をじっと見下ろした。 

「なんだって、張りぼてを賞品なんて……」

「知らなかったんじゃないか、張りぼてって……」とジャガイモが言った。

「くだもん連中が言ったうそをうのみにして書いたんだろう、取材もろくにしないで……」

とピーマンがひろげた雑誌に、ほそながい指をつきつけながらほうれん草が言った。

「取材がなってないな……」と吐き捨てるように付け加える。

「昔は、しっかりしたいい雑誌だったよ」

とサトじいが口を開いた。

「うそや、いいかげんなことを書いてることはなかった……」

「いや、まったく……」と、いままでだまっていた年配のシイタケが言った。かたわらにきちんと二本の松葉づえをそろえている。

「もしかしたらフルベジタイムズって名前に変わってからじゃないか、おかしくなったのは。しかも果物の豪勢な話ばっかり載せやがって……」。

とシイタケはくやしそうに顔をしかめた。


 ライムは立ち上がって、背伸びしニンジンの手からそっと雑誌をとった。ぱらぱらとめくる。大きな見出しが躍っている。「野菜がしあわせになれない780の理由」「野菜みたい! とばかにされないためのファッション50選」……

「ひどい記事ばっかりだな……」とライムはつぶやいた。

一方、フルーツ関係の記事のタイトルは「フルーツ、栄光の歴史」「ちょーすてき! あこがれのきらきらスーパーフルーツのライフスタイル!」などだった。

「でも……」

とぼさぼさの青黒い髪の間からじっとライムを見つめながら、ほうれん草が用心深そうに言った。

「たしかにこの雑誌の内容は多少おおげさかもしれない。でも、ニンゲが野菜より果物が好きだということは事実だよな……」と横目でライムを見ながら言った。

「そう、ニンゲ界では、動物だってフルーツのほうが好きってきくよ」とピーマンも言った。

 ライムは、「そんなことないよ、このまえ、テレビで見たんだけど……」といって話し出した。テレビはごみの仕事中に拾ったものだった。だめもとでスイッチをつけたらうつったのでほんとうに驚いた。画面はうつりがわるく色がへんになったりすることもあったが、十メートルジャンプしたいくらいうれしかったことを思い出した。

「テレビで、動物のちょっとしたニュースをやっていてね……」

 とライムは続けた。

「ニンゲ界にはコビトカバっていう、とってもめずらしい動物がいるんだけど……」。

「コピットバ……? 」

 ミニトマトが、すわっているライムの真ん前にきて、ライムの顔をみあげた。目をかがやかせている。動物が好きなのだろうか、とライムはおもった。

「うん、こ・び・と・か・ば、ね。ちっちゃなカバのことなんだ」とライムはほほえんで説明した。

「カ、バ?」きょとんとした顔で、ミニトマトは首をかしげた。

(野菜町は動物園ないのかな)とふと思った。

フルーツェンには動物園はあった。でも、貧しいライムは行ったことはなかった。だからカバは見たことがなかった。

 ライムは、図鑑でみたカバを思い出しながら言った。

「うん、カバは口のでっかい、からだもでっかい、でぶっこい動物なんだ。けど、コビトカバは、カバのなかまの中ではちっちゃいんだ……」ライムは笑顔でつづけた。小さな子供相手には、ほほえみながら話したほうがいい、と思った。ときどき、足首に痛みがぶりかえしたが、我慢して笑顔を浮かべ続けた。

「このくらい?」ミニトマトは、ちいさな赤い手と手で五センチくらいの幅を示してみせた。

「い、いや、そんなにちっちゃくはないんだけど……」ライムは、ややひきつった笑顔を浮かべつづけた。

「ええと、どうだろ、ブタさんくらいかな……」

 ライムもコビトカバなど見たことはなかったので、すこしあわてた。顔のこわばりがさらにひどくなっているのが感じられた。

「えと、大きさはあまり関係ないんだけど……」と話を元に戻そうとした。

「でも、お口はおっきぃんでしょ……」なおも小さなまんまるのミニトマトは、ほおを紅潮させたまま質問を重ねた。

「ま、そうだね。カバは口がでかいから……」

 慣れない笑顔をはりつけるようにしたまま続ける。

「こらこら、もうそのくらいでいいでしょ。フルーツさん、困ってるでしょ」トマトはミニトマトを後ろからだきかかえて自分の席に戻ろうとした。だが、ミニトマトはからだをよじり小さな両足をばたばたさせて抵抗した。

「キャベツを十個いっぺんにたべられるくらいかなあ」

 解放されたミニトマトは質問を再開する。

 その後ろでは、トマトが困った顔でつったっている。

(いやいや、さっきも言った通り、コビトカバはふつうのカバより相当、ちっちゃい。そのあかちゃんだから、そうとう、ちっこいはずだ。だから、いくら口のおおきな動物だからといってキャベツ十個なんて……)と、またくどくどと説明しようとしたが……

「そ、そうだね。どうだろう……。」

とくびをかしげてみせた。

 もはやひたいに汗がにじんでいた。こんな小さな、幼い子供の相手などしたことはなかったのだ。

 もうむりやり、話をもとにもどすことにした。

「で、動物園でそのコビトカバの赤ちゃんのごはんにリンゴやオレンジやバナナなんかの果物をあげていたんだけど……」と、ライムは声を大きくして、話を進めた。

「そしたら太って、ちょっとからだの具合が悪くなっちゃたんだ……」

ミニトマトは心配そうにライムの顔を見上げた。何か言いたそうに口を開きかけたので、あわてて早口で先を続ける。

 「それで、ごはんをぜんぶ、野菜に変えてみたんだって……。そしたらすっかり体の具合がよくなって、元気にすくすく育っているんだって……」

 とうとう最後まで言い切り、ライムは深く安堵のため息をついた。

「動物園のごはんってライオンとか肉を食べる動物以外はほとんど野菜らしいよ」とライムは付け加えた。

 ライムの真正面に陣取ったミニトマトは、今度はなにも口をはさまず、こっくりうなずいた。

 それから、

「よかったね、カバちゃん、元気になって」ぱちぱちと小さな手をたたいた。サトミも笑顔で手をたたいた。

 小さな子供の相手ってこんなに疲れるんだ、とライムは思った。一方では、ちいさなこどもとはいえ、こんなに熱心に自分に話しかけてくれる人がいることをうれしく思っている自分にも気づいた。


「なんだ、それだけの話かっ」と舌打ちしながらほうれん草は言った。

「コビトカバやらはとくに関係ないんじゃないか。別の動物だってだいたい、同じようなことだろう」と毒づいたが、やはりうっそうとした髪の毛の下の表情はどこかゆるんでいるようにみえた。

「そんなこというなよ。いい話じゃないか」とジャガイモがライムをなぐさめるように言った。

「いや、しかしですな……」と観葉植物の影から黒っぽい棒のようなものがのぞいた。年配のゴボウだった。ライムたちのあとに、診察室に入ってきていた。こげ茶色の細い首にコルセットを巻いている。背筋も首もぴんと伸ばし、なんだかちょっとロボットみたい-とライムは思った。

「動物に果物が人気なのは、食べるためだけじゃないのですよ……」

 ぎぎいときしみ音が聞こえるのじゃないかという動きで、まっすぐにしたからだごと、ゴボウはライムに向き直った。

「ええと、なんていいましたかね、大きなネズミ……そうそう、カピバラっていう動物がニンゲ界にいるそうですけど、ゆずをたくさん浮かべたお風呂に入るってきいたことがあります……」

 ゴボウは何かを棒読みするような抑揚のない声で言った。

「あ、知ってる。お湯につかって、目をつぶってとっても気持ちよさそうにしてるんですよね……」とミズナが口をはさんだ。

「リンご風呂とかみかん風呂もあるっていうよ……」とジャガイモも言った。

「そう……でもニンジンやゴボウ風呂に入る、なんて聞いたことがない……」とゴボウは残念そうに言った。


「そもそも、わたしゃ、温泉なんてしろものには入ったことないなあ……」と老ジャガが言った。

「そりゃそうでしょう。この町の温泉はすべて干上がってるんですから……」とゴボウがぴんと背を伸ばしたまま言った。

「いや、そんなことはない。荒暗山あらくらやまの奥に八百度くらいの湯がぐつぐつ煮えている温泉ならあるぞ」とほうれん草が暗く低い声で言った。

「あ、知ってる、地獄温泉ってやつだろう」とあっけらかんとした口調でジャガイモが言った。

 「そこに入ってゆであがれば、意外とニンゲたちに気に入られるかもしれんな。ゆげがゆらゆら、ニンゲ界まで漂っていってな。ま、われわれの命をかけたニンゲへの訴えということになるが……」

 ほうれん草はかろうじてみえている青黒い唇のはしをゆがめた。

 サトパが大きくため息をついた。

「昔はあちこちに温泉あったけどなあ……」

「そうだよお、まだ小さかったお前をつれて、よく行ったもんだよ……朝露あさつゆ温泉とか、ひなた温泉とか……」とサトじいがサトパのほうを向いて言った。

「じんわり、からだの奥までしみわたるようないいお湯を味わうでもなく、おまえは水泳大会みたいに、バチャバチャ泳ぎまくってたなあ……」とサトじいは目を細めた。

「そう、ほんといいお湯だったわねえ。ほどよくゆだった野菜たちの香りもなかなかよかったねえ……」

とサトばあが目をつぶって天井のほうにおだやかな、しわだらけの顔を向けた。

まるで温泉につかっているかのような力のぬけたやわらかい表情だった。

「そう、そのほんわかした湯煙がゆらゆらと空に昇って、ニンゲ世界にも伝わったんでしょう……」となつかしそうに言った。

「まあ、昔はそうだったかもしれませんが……」

 ゴボウが大きくため息をついた。

「いずれにしろ、ニンゲさまたちが野菜を食べなくなって、温泉もなにも枯れはてたってわけですな……」

「そう、果物やろうたちのせいでな……」

ほうれん草が歯ぎしりしながら言った。再びけわしい表情になって、ライムをにらみつけている。

「こいつらは、どんな手を使ったかわからないが、空の上にいるニンゲが野菜嫌いになるように仕向ける一方、自分たちだけ気に入られるような仕掛けをしたんだ……」

ライムは思わず、その視線にたじろぎ、ほうれん草から目をそらせた。

 ほうれん草はうなだれ、首を大きく左右に振った。青黒く長い、つやのない髪がぶん、ぶん、とふられた。

 両隣にいる患者たちはそれをよけるため、体をかたむけて、顔をしかめる。


 野菜たちの誤解をといた、と思っていたが、また、結局、もとにもどってしまった……

 ライムが黙ってうつむいていると、高く澄んだ声があがった。

「ねえ、ニンゲさまの世界では病気か怪我をして入院したら、お見舞いにフルーツをもっていくって聞いたことがありますけど、本当ですか」とミズナがライムに涼しげな眼を向けた。

 話題はともかくとして、ほうれん草とやりとりをしなくてもよいかと思って、ライムはほっとして、ミズナに向き直った。

「すてきなかごにいれて、きれいなかわいいリボンなんかをつけて……」とミズナがつづけた。

 ライムは一瞬、ロイヤルバスケッツのことを思い浮かべて、ぷっと噴き出してしまいそうになったが、それをこらえた。

「そのほほえみは、やっぱり、ほんとうということね……」

 みずなは、ほっそりした左手首にまるでアクセサリーみたいにまっしろく細めの包帯をまいている。ときどき、そっとそこにふれながら話しつづけた。

「ほうれん草とかニンジンをお見舞いにもっていくなんて聞いたことありませんものね……」

「なんで、ほうれん草なんだっ! 」

 ほうれん草がいきなり、いきおいよく立ち上がった。しおれた青黒く長い髪がぶんと、振り上げられる。ぜんぶあらわになった顔立ちは、けっこう整っていた。

 でも、「いたたたた……」すぐに左肩をおさえて、ゆっくりと再びソファに座り込んだ。彼は、どうやら肩を痛めているらしかった。


「まあまあ」

サトパはさとぱは立ち上がって、なだめるように言った。

「まあ、とにかく、ニンげさんの間では、くだもんさんのほうが野菜より人気があるんだろう……。だが、動物園なんかはわれわれ野菜をごひいきにしてくれてるみたいじゃないか……」

「あ、あの……」

 ひょろひょろと痩せたもやしが、かぼそいうでをあげた。

 ライムたちのあとに入ってきたらしいが、いつ入ってきたのかわからなかった。

「ぼく、前に図書館で調べたことがあるんです……」

とかぼそい声で続ける。

「ニンゲさまの世界で、デザインに、野菜と果物、どっちが多く使われているか……」

 もやしはそういったきり、うつむいて少し黙った。

 「そしたら、……そしたらずうっと果物のほうが多かった。いちご模様のハンカチとか、レモン柄のエプロンだとか、スイカ柄の布バックとか……」

 そこで言葉につまったように、話がとぎれた。

 「……もやしのデザインはどこにもなかったよ……」と言って鼻をすすりあげた。

「お菓子で調べてもそうだった……」ともやしは、しゃくりあげながらつづけた。

「フルーツキャンディとか、フルーツケーキだとか、フルーツパフェとか……」

 そこで再びことばにつまった。

「もやしのお菓子はひとつもなかった……」

 もやしの声は涙で震えだした。

「もやしのお菓子はもちろん、もやし柄の服も靴下も、傘も、消しゴムも、なにもなかった……

「もやし模様の水筒、お茶碗も。腕時計もっ、指輪も。猫の手、しゃもじもっ、もやしゲームも、もやしクリップも、もやしもなかも、何もなかった。何も、なにも……」

そのあと、もやしの声はとうとう泣き声だけになった。

(いや、それはフルーツのものだって、ないんじゃないかな)、と思うものもあったが、もやしのいきおいにけおされて、ライムは何もいえなかった。

「ええと……、何もわざわざそんなもの調べなくても……」

ライムは何といったらいいかわからなかったが、なんとかそれだけ言った。

「いや、調査は重要ですよ」とまっすぐの棒みたいに硬直したゴボウがいった。

「ニンゲ界での人気が、われわれに影響するわけですから……」

「こんど、“歌”でも調べてみるよ……」と鼻をすすりあげながらもやしが言った。

「野菜の歌、果物の歌、どっちがおおいかな……」



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