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ポチは怒りながら経緯を説明した。クリートは頭を摩りながら立ち上がって、
「てことはやっぱり、俺の薬のおかげで結果オーライに」
「だ・か・ら! アンタは、そういうことを言える立場にないって言ってんだにゃっ!」
肉球廻し蹴りがクリートの頬に炸裂した。クリート、二度目のダウン。
そんな二人を背にして、クリーティアが魚屋から離れた(思いきって抱き締めようとした魚屋の手が空を切る)。
そしてクリーティアは、そのまま去っていこうとする。
「あ。ちょっと待つにゃ、クリーティア」
ポチが慌てて、クリーティアの前に廻って通せんぼした。
クリーティアはポチから目を逸らして、
「どいて下さい、ポチさん。僕は……」
「いんにゃ、どかないにゃ。アンタがどれだけケダモ、いや、クリートのことを好きなのか、アタシは思い知らされたんにゃ。今ここでアンタを行かせたら、女がすたるってもんにゃ」
とっとっとっとっ、とポチがクリートの方に走った。そして、肩に跳び乗って耳打ちする。
「引き止めろにゃ」
「え。でも俺としては、旅の末に起こる愛の奇跡の大変身を期待してるんだが。いや、クリーティアを追い払いたいとかそういうのじゃなくて、ちゃんとマジメにだな」
「なら今回の事件の真相、騎士団にバラすにゃ。それでもいいのかにゃ?」
「……ぐ」
街中が大パニック、というか街中が焼き魚になった今回の事件。確かに直接の犯人はクリートではないが、いわば違法物資の流出元なわけで。ポチ言うところの、ばいお・はざーどの源なのは間違いないのだ。事が詳しく明るみに出たら、確かに少々ヤバい。
「あ、あ~……ごほん」
咳払いを一つして、クリートはクリーティアに近づいていった。
クリーティアは一歩、後ずさる。クリートは三歩、踏み込んで、
「帰って来い」
「でも……」
「言っただろ、お前のせいじゃないって。それに、俺は天才だ。今後の研究で何とかなるって可能性はある。だから、」
ぽん、とクリートの手が、クリーティアの肩に置かれた。
「帰って来い」
「……ご…………ご主人様っっ!」
クリーティアがクリートに抱きついた。背中に手を廻して、しっかりと抱き締める。
そんな二人を魚屋が見ていた。さっきの、感極まってクリーティアを抱き締めようとして、虚しくその手が空を切ったポーズのままで。
『そうか。あの子は、クリートさんのことを……ふっ、俺はまたしても失恋か』
でももう、無関係な他人に当り散らしたりはしない。女の子不信にもならない。
あの子の涙に、大切なものを貰ったから。残念ながら、自分に向けられる恋心ではないけれど。でも、真心からの愛を貰ったから。
世の中には、あんな女の子もいるのだ。一度や二度の失恋で何を絶望することがあろうか?
と魚屋が、青い空を見上げて希望の火を胸に灯そうとすると、
「大体、男の子か女の子かなんて、些細なことにゃ。そんなのに拘るのが間違いにゃ。クリーティアは見ての通り、こんなに可愛いにゃ。何が不満なんにゃ?」
「……俺にとっちゃ決して些細なことでは、あ、いや、些細なことだな。うん」
「ご主人様♡」
ポチがクリートを睨みつけ、クリートが慌てて訂正し、そのクリートの腕にクリーティアが抱きついている。
「……え?」
魚屋が顔色を変えた。研究所に戻ろうとする三人に向かって、恐る恐る後ろから声をかける。
聞き間違い、あるいは勘違いであって欲しい、と願いながら。
「あ、あの。今ちょっと、聞こえたんですけど。まさか、その子……クリーティアちゃんって、男の子なんですか?」
「ん? 確かに男の子だけどにゃ。でも、そこらの女の子よりず~っと可愛いにゃ」
びききっ! と魚屋の心にヒビが走った。
「……お、男の子……?」
「そうにゃ」
「はい」
「そういうことだ。ふっ」
クリーティアたちは研究所の方へと去っていく。
「ご主人様。僕、一生懸命お手伝いします。僕を女の子にする研究の。ですからどうか、希望を捨てずに頑張って下さい」
「はは、ありがとよ。言われるまでもなく、頑張るぜ俺は」
「まぁ別に反対はしないけどにゃ。男の子のままでも構わないと思うんだけどにゃ~」
何だか妙に軽やか賑やかな三人の姿が見えなくなってから。
固まったまま動かない魚屋に、ナデモが話しかけた。話しかけつつ、顔の前で手をひらひら振ってみる。が、反応がない。
「もしも~し? あの、私もビックリ仰天しましたけど。あなたにとってはかなり衝撃的な事実だったでしょうけど。でも、何と言いますかその、どうか気を確かに持って」
「……も、もう俺は……誰も何も信じないぞおおおおぉぉ!」
魚屋は、青空を見上げて叫んだ。
この時。世界中の何百人もの、フラれて落ち込んでいた、あるいは荒れていた男の子たちが、一様に立ち直ったという。
その後、恋を実らせた者もいれば、やはり叶わなかった者もおり、末路は様々だ。だが、皆が口を揃えて「夢の中で天使のような少女に励まされた」と証言している。
そして、その少女の正体を知っている約一名だけは、立ち直れないダメージを受けていた。
「女の子も男の子も、両方とも大っっ嫌いだああああぁぁっ!」
ギョニクゾンビ事件から数日後のこと。ティオンの街から少し離れた街道を、二人組の冒険者が歩いていた。
「悪くないもんだな、普通に旅するってのも」
「ああ。もう長いこと忘れていたぜ」
焼き魚にされて、元に戻って、立ち直ったチンピラーズ一号・二号である。二人は全く同じ夢を見て、てことはただの夢ではなかろうという結論に至った。
美少女だと間違えて襲った、あの美少年。あの子が夢の中に現れて二人に愛を説いたのである。
そして二人で相談した末、更正することに決定。追いはぎをやめて、真っ当な冒険者として生きるべく、旅に出たのだ。
実は、かつて二人ともそれぞれに酷い失恋をして、それでグレてチンピラの道へと踏み込んだ。だがこれからは、日の当たる道を歩んでいこう、と。
二人は思う。妙な表現だが、あれは夢のような夢だった。慈愛に溢れ、他人の痛みを自分の痛みとして感じ、心からの涙を流してくれた、美しい少年の夢。その涙にアテられて、二人は変わった。ただ更正しただけではなく、深く深く変わった。
どう変わったのかというと、「男の子も悪くないなぁ」と。
「あの子はきっと、俺たちを新たな道に目覚めさせる為に舞い降りた天使だったんだな」
「ああ。最初に会った時は、まだ男の子の良さを知らなかったから、ついあんな態度を……」
「後悔先に立たず、か」
などと、すっかり宗旨替えした二人が語り合っていると。
「もし。ティオンの街はこちらの方角で間違いないですか? クリート=イブロッサという魔術師がいるはずなのですが」
一人の旅人が話しかけてきた。