5
ギョニクゾンビは、立ち向かってきた冒険者たちを全て、ギョギョ・ビィムで楽々片づけた。うるさい野次馬たちも残らず始末した。今やギョニクゾンビの周りには、人間は一人もいない。
ここにいるのは、いや、あるのは、元人間の焼き魚ばかりだ。
「おのれ、どこに隠れた……どこに隠れて俺をあざ笑っている……ん? あれは」
ギョニクゾンビの目に、丸っこい建物が映った。街外れなので今まで気付かなかったが、何かの研究所らしい。そしてそこから、小柄な人影がこちらに向かって駆けて来る。
「まだいたか! ギョギョ・ビィム!」
魚屋の口が、全てを焼き魚と化す青い光を撃ち放った。だが駆けて来た人影は、それが命中する寸前に大ジャンプ! して空中でクルリと回転、ギョニクゾンビの前に降り立った。
「あなたを、これ以上は進ませません! この僕が相手です!」
半ズボンの水兵服姿で、びしっ、と指差しポーズをキメるクリーティア。
ギョニクゾンビを包む全身の魚たちが、その姿を見てその声を聞いて、呻く。
「う……ボ、ボクっ子?」
「金髪……サラサラの、キラキラの金髪……」
「専門用語で言うところの……セ、セ、セ、セ、セェラァ服……セェラァ服ぅぅ」
ギラリ、と魚たちの目が光った。それはすなわち、今まで吸収してきた怨念たちの意思。どうやらクリーティアの言葉遣い・髪・衣装などに、彼らの心の傷を抉るものがあったらしい。
「ゆ、ゆ……許さああああぁぁん!」
恐怖の焼き魚化光線、ギョギョ・ビィムが放たれた。だがクリーティアは身軽にかわして、一気に間合いを詰める。力一杯振り被った拳に、愛の闘志を込めて、必殺の一撃を放つ!
「クリーティアパ~ンチっ!」
ぽこん! と勇ましさのカケラもない音がして、クリーティアの拳が命中した。
が、ギョニクゾンビの巨体には全く効かない。
ギョニクゾンビの中央、魚屋の顔がクリーティアを睨み、怒鳴りつけた。
「ふんっ! お前もどうせ、その可愛らしい顔で男の子をたぶらかし、弄んでいるのだろう! 特にお前みたいな、いかにも無邪気で清純無垢ですって装ってるタイプの女の子はな!」
「えっ?」
「あぁそうだ、女の子ってのはそういう生き物だ! そうだろう、そぉなんだろうっ!」
「あ、あの、もしかして、あなたは僕のことを女の子だと」
「黙れい! お前のその悪業、天に代わって罰してくれる! ギョギョ・ビィィム!」
クリーティアの言葉を無視して、ギョニクゾンビが至近距離からビィムを撃ち放った。
あわやクリーティアが焼き魚、と思いきや横合いから突進してきた影が、クリーティアに跳びついて抱き締めて転がった。ビィムは地面を這っていた小石に命中、焼き魚に変える。
「大丈夫ですかっ?」
やってきた人影は黒ずくめの店員、ナデモだった。抱き起こしてクリーティアを立たせると、油断なく構えてギョニクゾンビと対峙する。
が、クリーティアはというと呆けた顔でギョニクゾンビを見ていた。
『お前みたいな女の子……お前みたいな、女の子……僕が……女の子……』
「? どうしたんです、クリーティアさん? クリーティアさんっ?」
「……え、あ、えと、すみません。少々喜びに浸ってしまいまして」
「は?」
「もう大丈夫です。今ちょっとだけ、「もしかしたらいい人かも」とか思ってしまいましたが、」
クリーティアは再び、びしっ、と指差しポーズをキメる。
「ご主人様を狙う限り、僕はあなたを決して許しません! 例えあなたにどんな事情があろうとも、ご主人様の敵は僕の敵っっ!」
「いえ、クリートさんが狙われてるわけでは……えっ?」
ナデモの言葉が途切れた。すぐそばで、途方もない気迫というか殺意というか黒い情念が、業火の如く燃え上がったからである。場の空気が一瞬にして、ずずんと重くなる。
「おい……今、キサマ……」
ギョニクゾンビが、全身の魚の顔+中央の魚屋の顔で、クリーティアをギロリと睨みつけた。
その眼光は、今までもずっと怨念の塊だったが、今はより一層濃密に、熱くなっている。
「ご、ご、ご、ご、ご主人様って言ったな……確かに、言ったな?」
それがどうかしましたかっとばかりに、クリーティアは怯まず前に出る。
「この世に生まれ出でた瞬間から、いやそれよりもずっと前から、僕の全てはご主人様のもの。ご主人様を護る為なら、あなたがご主人様を狙う敵であるなら、僕はいつだって命を懸けます。ご主人様の、盾となってみせます」
「あの、ですからクリートさんは別にそんな、」
「むぅおおおおおおおおぉぉぉぉっ!」
ギョニクゾンビは血を吐くような咆哮を上げた。
「ご主人様、ご主人様、ご主人様! つまりアレか! アレなのか! 朝から晩まで、いろんなコトでいろんなイミで、ご奉仕いたします♡ ってやつかああぁぁ! えぇ、おいっ!?」
クリーティアはそれを聞いて、ふっと息をつく。憂いを秘めた瞳、寂しげな口元。
「僕の、理想の生活ですそれ。ご主人様に喜んで貰うことこそが、僕の幸せですから……」
「っっっっ!」
いじらしく、そして可憐なクリーティアの声を聞いて顔を見て、ギョニクゾンビが絶句した。
そして次の瞬間、とうとう彼は怒りと興奮の限界を突破した。真っ赤な目をしてマナジリ裂いて、血の涙を流し始める。
「ううううらやまし、いや、憎々しいっ! 絶対絶対、そんなことは、認めぇぇんっっ!」
血の涙に染まったギョニクゾンビが、クリーティアに向けてギョギョ・ビィムを撃った。
クリーティアは辛うじて身をかわす。と同時にナデモが魚屋の顔を避けて、周囲の魚肉を狙って魔術を放った。
「爆発するファイヤーっ!」
ギョニクゾンビはクリーティアに全ての意識を傾けていたせいで、ナデモの術をまともに喰らった。火の玉が爆発し、魚肉が一部、こんがりと焼け焦げる。だがそれでもギョニクゾンビは僅かに揺らいだだけで、悲鳴も上げなければ倒れもしない。
が、怒りだけは煽ってしまったようで、
「おのれ……お前ら、よってたかって……そんなに俺は、俺たちは、ブザマかああああぁぁっ!」
ギラギラギラギラ、全身の魚の目に光が灯った。そして一斉に口を開ける。
「! な、なんかヤバそう! クリーティアさん、逃げましょう!」
「え、でも」
「早くっっ!」
今までとはケタの違う感情の爆発を感じたナデモが、クリーティアの手を引いて駆け出す。
その背に向かってギョニクゾンビが、
「ギョギョギョギョ・ビィィィィムっ!」
全身の魚の口から一斉に、全方位へとギョギョ・ビィムを放射した。背後から迫る凶悪な魔力を察知し、ナデモはクリーティアを引きずり倒すようにして岩陰に身を隠す。
が、その岩もギョギョ・ビィムを受けると一瞬にして消滅、ではなく焼き魚化してしまった。遮蔽物がなくなったところで、再びギョギョ・ビィム全方位同時放射が来る!
「ひえぇっ!」
もう手がつけられない。ナデモはクリーティアの手を引いて、脱兎の勢いで逃げ出した。
時間稼ぎのつもりだったが、どうやら逆効果になってしまったようだ。逃げる二人の後ろに迫るのは、ギョニクゾンビの容赦なき乱れ撃ちビィム。
『ク、ク、クリートさん、早く何とかして下さいっっ!』