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研究所から少し離れた道端に、長身長髪で白衣姿の若者が転がっている。
その若者は、道行く人々の奇異の視線を盛大に浴びつつ、むっくりと起き上がった。頬には、くっきりと猫の足跡がある。肉球型のアザだ。無論、ポチに蹴り飛ばされたクリートである。
「いてててて。あいつめ、猫の分際で何でこんなに強いんだ全く」
クリートはぶつぶつ言いながら、研究所の方を見た。
丸っこい赤い屋根のついた、丸っこい白い建物。ついさっきまであそこは、【プティア姫のクローン・ホムンクルス研究所】だった。が、もうその看板は(自分の胸の中にだが)、二度と掲げられなくなった。研究の末にできたのは男の子だし、そのせいで創り直す材料がなくなってしまったし。
で、その男の子の前でこういう恨み言を口にすると、本人に泣かれる。猫に蹴られる。
「そりゃ、クリーティアは何も悪くないってことぐらい解ってる。けど、俺はどうすりゃいいんだ? 過去の苦労、未来の希望、今抱えてるこの思い……どうすりゃいいってんだっ?」
苦虫を五百匹ぐらい噛み潰した顔のクリートが、のろのろと研究所に戻っていく。
ドアの前に立ち、深呼吸をひとつ。とりあえず、またポチに蹴られたら堪らないので、クリーティアのことで嫌そうな顔をするのはやめようと決意する。
クリートは両手で自分の頬をぴしゃっ、と叩くと、表情を立て直してムリヤリ少しだけ明るい顔を作った。そして、ただいま~などと言いながらドアを開けて中に入ろうとすると、
「肉球ビイイイイィィンタ!」
白い猫が跳んで来て、クリートを張り倒した。クリートの頬に新たな肉球型のアザができる。
張り倒されたクリートは涙目になりながら立ち上がって、
「い、い、いい加減にしやがれこのバケネコっ! 俺を肉球で撲殺する気か⁉」
「黙れケダモノ! これを見ろにゃ!」
ポチが、右前足の肉球で摘んだ一枚の紙切れを突き出した。
「何だ? え~、「ご迷惑をおかけしました。ご主人様の研究を完遂させる為、僕は旅に出ます。そしていつか、必ず女の子になって帰ってきます。ご主人様に、これ以上男の子の姿をお見せするのは心苦しいので、お別れのご挨拶はしません。お許し下さい」……って」
「そういうことだにゃ。あの子、研究室の窓から出て行ってしまったんだにゃ!」
ポチが、憤然とした顔でクリートを見上げている。
「よく聞くにゃ。あの子にとってアンタは、生まれる前からずっと愛してくれていた、いわば肉親以上の存在にゃ。なのにそのアンタに、生まれてすぐ、自分の存在を否定されたにゃ」
「……」
「解ってるのかにゃ? これはもう、街の広場で吟遊詩人が歌ってる悲劇満載お涙頂戴物語みたいな話にゃ。家族にいじめられる、可哀想な子供ネタのやつにゃ!」
ポチの言葉が、涙声でクリートに叩きつけられる。
クリートは手紙からポチへと視線を移して言った。
「確かにそうだな。だが、そのテの物語も、ハッピーエンドは多いだろう?」
「にゃ?」
クリートは、遠く旅立ったクリーティアの背中を思い描いて、
「いつの日かきっと、愛の奇跡が起こる。そして、クリーティアは女の子になって帰ってくる。俺は、それを信じて待……」
「ぅおにゃああああああああぁぁぁぁっ!」
ポチの、怒りに燃えた情け容赦の無い四本足全部による肉球連打乱舞が炸裂。
クリートはボコボコのけちょんけちょんに叩きのめされ、玄関先に転がった。
日が燦々と降り注ぐ快晴の空の下、どんよりとした雰囲気の少年が歩いていた。
お姫様の気品と可憐さを備えた男の子、クリーティアである。もう街を出て街道へと向かう道に入っているので、剣や鎧で重々しく武装した冒険者たちと何度もすれ違った。
そんな中で、可愛らしい水兵服姿のクリーティアはひどく浮いている。もっとも、本人はそんなことを気にしていないが。というか、そんなことを気にするような余裕はない。
『僕が、男の子だったから……だからご主人様を失望させて、悲しませてしまったんだ』
深い暗いムードを背負って、クリーティアは歩いていく。そんなクリーティアだから、自分が本道からどんどん逸れて、獣道の奥の奥へと踏み込んでいくことにも気付かない。
やがて街から遠く離れ、道の左右に木々が増え、視界が悪くなり、人気が途絶えた。すると、
「ちょお~っと、待ちな!」
上から声が降ってきた。クリーティアは何事かと足を止めて、辺りを見回してみる。
道の左右、クリーティアを挟むように茂っている木々。その中の、左右の木の上に一人ずつ、合わせて二人の男がクリーティアを見下ろすように立っていた。大柄な体格に、革の鎧と青銅の剣を装備した男たち。典型的な追い剥ぎスタイルである。
まず、クリーティアから見て右上の男が、びしっと天を指差して高らかに言った。
「一つ! 屈強な護衛つきの隊商などは決して狙わぬ、謙虚な心を持って!」
続いて左側の男が、むんっと筋肉ポーズをキメて、
「二つ! 一見弱そうだが凄腕ってのもいるから、そういうのを的確に見抜く眼力を備え!」
二人は交互に自分たちの信条(?)を述べ、
「三つ! 絶対確実安全な相手だけ狙い、地道にコツコツ襲いかかり!」
「四つ! めざせ、無傷で労せず楽してウハウハ、毎日ハッピーそーゆー人生!」
そして二人声を揃えて、
「自分らが、ただのチンピラだときちんと自覚して! 常に! 名よりも実を追う! それが俺たちザ・チンピラーズ一号&二号っ!」
二人は木から跳び降りた。意外とカッコよく着地を決めて、クリーティアを挟んで立つ。
ニヤけた顔でクリーティアの全身をじろじろと見ながら、右の男、一号が言った。
「そんな訳でだ。お前は難関を潜り抜け、俺たちの標的基準に合格した。おめでとう」
「は、はあ。どうも。でもあの、標的基準って何なのですか?」
「ふふん、解らんのか。ものの見事に見た目通り、世間知らずだな。なぁおい二号」
「ま、俺たちの標的基準に合格するぐらいだ。旅慣れてない、何も知らない子ってことだ一号」
チンピラーズ一号と二号が、顔を見合わせて楽しそうに笑う。
どうやら自分が笑いものにされているらしいと察したクリーティアは、自分は笑われる存在なのだとまた一段落ち込んで、
「生後一日未満なもので、仰る通り世間知らずなのです。すみません。ではこれで」
と一礼し、スタスタ歩き出した。チンピラーズは慌てて追いかける。
「こらこら待て! 生後一日未満とかいう、つまらん冗談はともかく、」
「ほんとなんですけど」
「黙れっ! いくら世間知らずっつっても、このシチュエーションで平然と去るか普通⁉」
「え。平然、に見えましたか。これでも結構、打ちのめされているんですよ」
「妙なところにコダワってんじゃねえ! 何でもいいから大人しくしてろ!」
チンピラーズ一号が、その太い腕で包み込むようにクリーティアに迫った。
『ひっ……!』
それは、クリーティアにとって生まれて初めての感覚。恐怖、というモノであった。
自分を捕らえようと襲い来る腕、欲望に狂い見開かれた目、そして荒い鼻息。クリーティアは逃げることも悲鳴を上げることもできず、その場に棒のように立ち尽くした。
そんな、青ざめ絶望しきったクリーティアの様子が、一号の加虐欲を煽り立てた。より一層目を血走らせ鼻息を荒げて、一号はクリーティアに抱きつき抱き上げ、
「おおぉぉっ♪ この軽さと華奢さが何とも! で、この発育途上の……って、あれ?」
と興奮しつつクリーティアの胸に頬擦りしたところで、一号の動きと声が止まった。
二号が不審げに首を傾げて一号を見る。一号はというと少し血の気の引いた顔で、
「ま、まさか。おい、これって」
一号は左手一本でクリーティアを抱き上げたまま(それでも軽い)、右手をおそるおそる、クリーティアの半ズボンの中央部に持っていく。すると、クリーティアが小さな声を漏らした。
「あ……っ」
「あ……っ、じゃねえええぇぇっ!」
一号は金槌で釘を打つような勢いで、クリーティアを地面に叩きつける。
「おいおい、何やってんだお前。乱暴に扱っちゃダメだろ、女の子をよ」
「女の子? だと思ったさ。あぁ思ったさ」
「思った、って。じゃあまさか」
「そのまさかだっ! 女の子にあらず、男の子なんだよこいつは! あ~キモチ悪ぃ」
一号はロコツに嫌そうに、クリーティアに向かってぺいぺいと手を振る。
「くそっ、早いとこ次の獲物探そうぜ。縁起悪いから、次は純粋にカネ狙いでな」
「そうするか。しかし、いるんだな世の中には。こんなのが」
「もうそいつのことは言うなっ! 思い出すだけで胸クソが悪くなる!」
ずかずか大股で歩いていく一号。二号もそれに続く。
残されたのはクリーティア一人。心身両面の大ダメージで、立ち上がれずにいた。
倒れたままのクリーティアの頬を、涙の雫が次から次へと伝い落ちていく。
「また嫌われた……僕が……僕が、男の子だからって……もし女の子だったら、ご主人様も、あの人たちもきっと……だけど僕は、男の子……男の子なんだ……」
性別という名の壁。男の子という名の檻。大空へ羽ばたかせてくれない重りの形は♂。
クリーティアは、改めて自分の背負ったものの大きさを思い知った。が、ここで一人悲しく絶望している暇はない。何としても自他共に認める立派な女の子になり、堂々と胸を張って(もちろん、いい感じに膨らんだ胸をだ)、ご主人様のところに帰る。帰るったら帰るのだ。
『うん、頑張らなきゃ! ……でも』
がばっ、と立ち上がりかけて、またクリーティアはへたり込んだ。
研究所を飛び出したはいいが、一体どこへ行けばいいのか。そもそも、クリートの知っている範囲にはクリーティアを女の子にする方法はないわけだ。あればとっくに実行しているはずだから。
何年もかけて世界中を旅したクリートすら知らないものを、生後一日未満で何の知識もない自分に、探し出せるか? 今更ながら冷静になって考えてみれば、かなり無謀な話である。
『うぅ。だ、だけど諦める訳には……あっ』
さっきのチンピラーズはどうか。クリーティアのことを、旅慣れぬ世間知らずと笑ったあの二人。あの二人なら、あるいはクリートの知らない噂話などを耳に入れているかもしれない。
可能性は低いだろう。だが、今のクリーティアには他に何の手がかりもないのだ。
「……追いかけよう」
クリーティアは決意し、立ち上がった。さっきは怒らせてしまったが、誠心誠意謝って何としても許してもらう。そして、どんなに些細なことでもいい、あやふやな噂でもいいから、手がかりを聞き出すのだ。今、自分にできることは、それしかないのだから。
クリーティアは、チンピラーズを追って走り出した。