1
明るい応接間のソファの上で、ポチは長いしっぽと両前足を使って裁縫をしている。肉球で「ふにっ」と針を掴んで、器用にちくちくと、衣服を縫い上げていく。
そのポチとテーブルを挟んで向かい合う形で、バスタオルに身をくるんだ裸のクリーティアが座っている。不安そうに辺りを見回している様は、まるで捨てられた子犬のようである。
「よし、っと。できたにゃ。着てみるにゃ」
「……ありがとうございます」
ポチが長いしっぽで差し出した服を、クリーティアが受け取って着始めた。
「さてと。お~い! いい加減に失意のどん底から立ち直って、降りて来いにゃ~!」
ポチは吹き抜けになっている二階の廊下、そこに並ぶドアの一つへ向かって呼びかける。
すると、
「うるさああぁぁいっ! この俺の悲しみと絶望が、お前なんかに解ってたまるかっっ!」
クリートの血を吐くような叫びが返ってきた。
その声に鞭打たれたように、服を着終えたクリーティアが、ぴくりと震える。
「ご主人様は、やっぱり悲しんでおられるのですね。僕が男の子になってしまったから……」
しゅん、とソファに座り込むクリーティア。その目の前で、ポチがぱたぱたと前足を振る。
「そんなの気にすることないにゃ。アイツが勝手に失敗しただけにゃ。純然たる自業自得にゃ」
「でも、ご主人様はこれまで何度も、死にそうな目に遭いながら危険な旅と苦しい研究を続けてこられたんですよ。僕をこの世に生み出す、その日を思えばどんな困難も越えられる、って」
確かに。クリートは、よく試験管の中の小さなクリーティアに語りかけていた。時には泣きながら時には喜びながら、その成長に一喜一憂しつつ声をかけ続けていた。
それがどうやら、クリーティアにとっては胎教になったらしい。
「まあ、アンタの誕生を励みにして、アイツがいろいろと苦労してたのは事実だけどにゃ」
「でしょう? 僕がこうして生まれる前から、ずっと聞こえていたあの声。言葉のひとつひとつに、ご主人様の真心が込められていました。ですから、僕は……」
クリーティアは、遠い遠い星空を見つめるような目をして言った。
「ご主人様が注いで下さった深い愛に応えたいんです。この僕の身も心も、全てを捧げて」
真摯に真剣に語る健気な美少年の姿を見て、ポチは大きく溜息をついた。
『愛と言うより、単なるスケベ心なんだけどにゃ。お姫様の複製に、「ご主人様♡」って呼んで貰いたいとか。あ~んなことやこ~んなことをしたいとか。要するにケダモノにゃ』
どうしたもんだかとポチが考えていると、ようやく二階からクリートが降りて来た。
まだ、どんよりとした絶望顔ではあるが。
「立ち直ったかにゃ? まあ一度落ち着いて、よく見るにゃ。クリーティア、可愛いにゃ?」
ポチが言うと、クリーティアは立ち上がって、おずおずと両手を広げて見せた。
「ど、どうです、ご主人様? ポチさんが縫って下さったんです」
「……」
クリートの目に映ったのは、青い空と白い雲を思わせる、澄んだ色合いの水兵服(クリートが用意していたものだ)を着たクリーティア。丸い帽子を少し斜めに被って、何か戸惑っているような、不安げな表情を浮かべている辺り、思わず抱きしめたくなるほど可愛らしい。
だが、この子は少女ではなく少年。それを強調しているかの如く、下半身は本来ミニスカートだったのが、半ズボンに変わっている。ポチがわざわざ縫ったのだろう。男の子用に。
「……よく似合ってる、と思うぞ」
「ほ、ほんとですか?」
「そりゃあもう極上の、天使のように美しい……び・しょ・う・ね・ん・だよ、お前は」
トゲのあるクリートの言葉に、クリーティアの表情がまた沈み込む。すかさずポチが、猫の身でありながら兎のように跳ね飛んで、
「肉球キイイイイィィック!」
足の裏で床板を踏み割るが如くの足刀蹴りを、クリートの頬に叩き込んだ。普通の猫では考えられない筋力と、猫の骨格の常識を無視した見事なフォームのキックは、クリートの長身を見事にぶっ倒した後その反動でクルリと空中回転、華麗に猫らしく着地する。
ぶっ倒されたクリートは、ほっぺたを腫らしながら立ち上がって、
「いきなり何しやがるこの猫畜生っっ!」
「じゃかましいにゃっ! アンタは、クリーティアの乙女心を何と心得てるにゃっ!」
「クリーティアが乙女ではないのが、唯一絶対の大問題なんだろうがっ!」
「そういう問題じゃないにゃ!」
叫びながら、ポチがびしっ! とクリーティアを指差す。
クリーティアは何も言わずにうな垂れていた。小さな肩を小さく震わせて。
「……う」
「ほら、言うことがあるにゃっ?」
ポチがクリートのふくらはぎを押す。
クリートは自分の長い髪の束に指を絡めて、くるくると玩びながら、
「その、何だ、すまん。ちょっと八つ当たりだったな。俺が悪かった」
「そんな、ご主人様……」
クリーティアが、顔を上げて涙を拭いたところで、玄関のドアがノックされた。
続いて、やたらとよく通る威勢のいい声が響く。
「まいど~! 果物ナイフから大戦斧まで、頭痛薬からキメラ培養液まで、何でも屋で~す!」
「おっと、来たか」
クリートはポチとクリーティアを置いて玄関に行くと、怪しい若者を連れて戻ってきた。
黒い丸メガネをかけ、だぶついた黒装束に身を包み。顔も体も隠している。唯一出ている声にしても、高めの男性だか低めの女性だか判別し辛い。この街の名物ショップ、何でも屋の店員、ナデモ=アタンシス(本名でない疑いが濃厚)である。
「あっ。そういやクリートさん、近々身寄りの無い子を引き取るって話でしたよね。この子ですか? こんにちは、私はナデモといいます」
ナデモはクリーティアの髪、目、鼻、口などをまじまじと見つめながら訊ねた。
いきなり知らない人に見つめられたクリーティアは、
「あ、そ、その、初めまして。クリーティア、です」
少し怯えた様子で、ぺこりとお辞儀した。綺麗に整えられた金色の髪が、体の動きに合わせて揺れ、虹のように光る。
ナデモは軽く口笛を吹いた。つつっとクリートに近づいて、耳打ちする。
「可愛い子じゃないですかぁ。クリートさん、こりゃ将来凄い美人になりますよ。私、昔プティア姫様を見たことがあるんですが、この子は負けてません。というかそっくりです」
「……」
「いやほんと、この子ならプティア姫様の……何でしたっけほら、大昔に絶えたっていう、人間の複製。クローン・ホム何とか。あれだといわれても信じますね。ほんとそっくり」
「……そっくり、か」
「? どうかしたんですか?」
クリートが壊れた半泣き顔になっているのを見て、ナデモは首を傾げた。
「いや、何でもない。それより、ある研究が一段落したんで、後始末を頼みたいんだが。二階の俺の部屋と、あっちの研究室と、二か所にまとめてある」
「はいっ。また訳の解らない本とか使い古された実験器具とか、怪しげな薬品とか化合物とかその廃棄物ですね。毎度ありぃ♪」
ナデモは軽快な足取りで階段を上がっていくと、積み上げられた魔術書を抱えて降りてきた。家の前に止めておいたリヤカーに、よいしょと積み込む。
一階の研究室にも行き、そちらからは怪しい木箱を担いで運び出していく。
「今回はまた、随分と多いんですね。受取書は置いていきますが、正確な見積もりと買い取り金は後日でいいですか?」
「ああ。毎度のことだが扱いには気をつけてくれよ」
「やだなあ今更。解ってますって。顧客情報の管理は万全です。絶対、この品々のことがお上にバレて、騎士団に家宅捜索されるようなことはありませんよ。どうぞ、これからもご贔屓に」
ナデモは二階と一階を何度も往復して品々を運び終えると、リヤカーを引いて去って行った。
それを見送って、クリートは深く重く溜息をついた。もう使わない資料や器具や薬品や廃棄物の後片付け・下取りは、いつものこと。だが、今回はちょっとワケが違う。
これまでの旅や研究は全て、愛しいプティア姫のクローン・ホムンクルスを創る為だった。
だが、もう全て終わったのだ。
「あ、あの、ご主人様」
半ズボン水兵服のクリーティアが、おずおずとクリートに近づく。
「今回の失敗……その、僕が男の子になってしまったのは、お辛いことだと思います。でも、この失敗を教訓に、次回の成功を信じて、」
「いや。お前は知らんだろうが、クローン・ホムンクルスってのは、失われた技術の集大成でな。遥か太古の遺跡からしか入手できない、希少な材料が使われてるんだ」
その体の隅々までな、とクリートがクリーティアを見る。
「そういった材料と、その加工法の資料、そして研究開発の資金を得る為に世界中を周ってたんだ、俺は。だがもう、無理だ。もう、クローン・ホムンクルスを創る材料は、世界中どこにも残っちゃいない。現在確認されている分は、お前で使い切ってしまった」
「そ、それでは……」
「そんな顔をするな。言っただろ? お前のせいじゃないって。それに俺は一人じゃないしな」
と言われて。クリーティアは、その大きな目にいっぱい涙を溜めて、
「そ、そうですご主人様っ! ご主人様には、僕も、ポチさんもいます!」
「ふっ。そういう意味ではなくてだな。さっき売り払った荷物の中に、俺の研究ノートを入れておいたんだ。この三年間、お前を創る為に必死に研究した、その記録をな」
ニヤリ、とクリートが笑った。何かが込み上げてきているような、意地悪い笑顔で。
「数十年後、いや数百年後でもいい。いずれは新たな遺跡が発掘されて、再びクローンの材料が地上に揃う日も来よう。そうなれば、俺と同じことをする奴も出てくるだろう」
ポチのヒゲが、ぴくりと動いた。
「ちょっとちょっと。まさか、アンタ」
「その時、そいつが俺の研究ノートを古文書か何かとして入手していれば。それを参考に俺の研究通りに進めていけば……艱難辛苦の果てに、想いを寄せていた美少女そっくりの美少年が出来上がって愕然! って寸法だああぁぁ! わははははっ!」
ヤケクソぎみなクリートの泣き笑いを聞きながら、ポチが呆れきった溜息をついた。
「よぉくもまあそこまで、壮大遠大にして根暗全開な計画を思いつくもんだにゃ」
「俺は一人じゃないっ! 遠い未来の世界に、同じ苦しみを味わう奴がいる! そう、この俺の悲劇の再現! クリーティアを見てしまった時の、俺の怒りと悲しみと絶望と喪失感を……」
「肉球トルネードキイイィィック!」
捻りを加えたポチの跳び蹴りが、クリートの横っ面に炸裂した。クリートの体は派手な音を立てて窓を突き破り、研究所の外まで豪快にぶっ飛ばされる。
「何べん言ったら解るんだにゃアンタはっ! 乙女心ってものを……」
ばたん、と音がした。
ポチが振り向くと、そこにいるはずのクリーティアがいない。
そして奥の研究室のドアが、固く閉ざされていた。