1話 帰宅
守護聖獣との契約を終え、春祭り以来、一か月ぶりに下町に帰ってきた。
本当は今日、お昼頃に帰る予定だったのだけど、最後に挨拶する予定だった神殿長様が用事で出かけられたということで、やることがなくなった。
本来ランスが迎えに来てくれると手紙で言ってくれていたけれど、待ちきれずに朝のうちに一人で帰ってきてしまったのだ。
ジャックとオリーブ亭の近くまでくると、一か月しか離れていないというのに「帰って来たなー」と胸がジンワリ温かく、懐かしさを感じた。
「ニーナちゃん、久しぶりだね。お仕事はもういいの」
「はい!」
道行く人に知り合いが増え、声を掛けてもらいながら、歩いていく。
ジャックとオリーブ亭についた。
まだ朝食を食べている途中のお客さんもいるかもしれない。
なんだかワクワクしながら扉を開けると、予想通りまだ二組のお客さんが食事中だった。
一組は私の知らないお客さん。
そしてもう一組は私のとっても良くしっている人物だった。
「ただいまランス! 午前中の用事がなくなったので、帰ってきちゃ……」
言葉が途中で止まったのは、いきなりランスに抱きしめられて、話せなくなってしまったからだった。
ランスの広くて固い胸に、優しく囲われてしまって身動きが取れない。
それにまだ他にもお客さんがいるのに。
事情を知らなさそうなお客さんだったので、きっと驚いていることだろう。
「うー、ランス! ちょっと……」
とにかく一度離してもらおうと身をよじると、少しだけ腕の囲いを緩めてくれる。
だけど離してくれる気はなさそうだ。
「おかえり、ニーナ」
抱え込まれたまま、嬉しそうに言うランスのその笑顔を目の当たりにして、何も言えなくなってしまった私は、ランスが満足するまで真っ赤になって、その腕の中で身をゆだねていたのだった。
ランスが満足して離してくれたら、既にもう一組のお客さんはいなくなっていた。
顔から火が出そうだ。
「もうっ。他のお客さんもいたのに」
「だから迎えに行くと言っておいただろう」
「だからって……」
迎えに行くと言ってくれていたのは、荷物を持ってくれるとかの意味だけではなくて、感動の再会を宿屋の人に見られないようにという気づかい? もあったのか。
「ハイハイ、ニーナちゃんおかえりなさい! 春祭りにも会ったけど、元気そうでよかったよ」
「ベルさん!」
「よ! ニーナちゃんお帰り。お仕事お疲れ様」
「アレフさんも。ただいま帰りました」
タイミングを見計らったように、厨房の奥からベルさんとアレフさんが出てくる。
当然私が帰ってきているのにとっくに気づいていて、待ってくれていたに違いない。
「エリック―。私のこと、覚えている?」
「あい!」
ベルさんに抱っこされているエリックの顔を覗き込むと、天使の笑顔を向けてくれる。
バタバタと手足を動かして、こっちに来たがってくれるので、ベルさんが抱っこさせてくれる。
「んー。エリックの匂いだ」
ギューッとエリックを抱きしめて、赤ちゃん独特の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
大神殿での候補者同士の競争でちょっと疲れていた心が一気に癒される気分だ。
「エリックずるいな……」
「……」
ランスの独り言が聞こえた気がしたけれど、聞かなかったことにした。
今日から宿の仕事を手伝うと申し出た私は、ベルさんたちに「今日くらいゆっくり休みなさい」と、宿を追い出されてしまった。……ランスと一緒に。
大神殿ではそれほど魔力を使いすぎないように気を付けていたし、毎日規則正しい生活をしていて、全然疲れていないと説明しても、「慣れない環境で疲れていないはずないでしょ」とのことだ。いいからランスとゆっくり散歩でもしていなさいと。
お言葉に甘えて、ランスとゆっくり下町を歩いていく。
のんびりするのが目的なので、川沿いの道を選んだ。
春の花から、少しずつ夏の花に入れ替わり始めている川岸は、鮮やかな色に溢れている。
たまに川の水面に、キラキラと光る魚が見えた。
そんな景色を見ながらランスと歩いていると、いつまでも飽きなかった。
「ランス。大神殿で色んなことがあったんだ。話したいことが沢山ある」
「ああ」
「あのね、以前守護聖獣様が薬草畑に薬草を食べにきていたけど……」
今回大神殿であったことを、誰に相談していいのか分からなかった。
国王付きの聖者が闇の聖者で、国王が洗脳されていて、国が乗っ取られるかもしれないなんて、そんなこと誰に相談していいのか分からなかった。
守護聖獣様の話では、人も聖獣も、既に取り込まれている者がいるらしい。
アイリーンやギャレット様は無事な気がする。では他の筆頭魔術師様方は?
グウェンさんは明るくて優しくて、闇の聖者に操られている人とは思えないけれど、オーウェン王子は分からない。
だけどこれだけは言える。ランスだけは絶対に信用できる。
そもそもドレスディア家の血筋に、洗脳はありえない。
私は安心して、ランスに全てのことを相談したのだった。




