2話 エリック
ベルさんとアレンさんの子供は、エリックと名付けられた。
エリックは、ジャックとオリーブ亭の常連さんだけでなく、下町中の人たちから可愛がられている。
私ももちろん、ベルさんやアレフさんが忙しい時などにお世話をしている。
させてもらっていると言ってもいいかもしれない。
今日もベルさんが気晴らしになるからと宿屋の受付をしている時間、私が宿の中庭で、揺りかごの中ですやすやと眠るエリックを眺めていた。
生まれてから一か月経っているので、ただ可愛いだけじゃなくって、おしめを変えたり、寝るまで何時間も抱っこをしたりと大変なことも分かってきたけど、それでもやっぱり世界一可愛く見えてしまう。
――赤ちゃんって可愛いなぁ。ランスロートは3歳下だったけど、さすがに赤ちゃんの頃のことは覚えていないものね。
「またエリックを見ていたのか?」
「ランス!」
そんなことを考えていたら、ちょうどランスがやってきた。
ちょうど用意していたテーブルの上のティーセットから、冷めても美味しいお茶を淹れてカップを手渡した。
「そうなの。とーっても可愛いわよね。いつまで見ていても飽きないわ」
「そうだな」
もう何回目か分からない会話に、律儀に付き合ってくれる。
「見ているだけで幸せな気分になるわよね。私も赤ちゃん欲しくなってきちゃった」
「ゲホッ……カハッ」
「えっ、ちょっとランス大丈夫?」
ちょうどカップに口を付けていたランスが、いきなりむせ始める。
ゲホゲホと苦しそうにしているので、心配になってしまう。
「あっ! ちょっとまさか。ち、違うからね! 別にランスとの子が欲しいとかじゃなくって。あれ、それでいいのかな」
苦しいだけじゃなくて、なにやら顔を真っ赤にしているランスの様子に、もしかしたら誤解されているかと思いついて焦ってしまう。
「コホッ、コホッ。……分かっている、分かっているから」
まだせき込んでいるランスが、必死で否定する。
こちらまでなんだか顔が熱くなってきてしまった。
「こんにちは~、お二人さん。なにやら楽しそうだね」
「グウェンさん! こんにちは。今日はお越しいただきありがとうございます」
赤くなった顔を誤魔化すようにして、大きな声で挨拶を返す。
実は今日はグウェンさんには相談したいことがあって、宿に来てもらうことになっていたのだ。
「コホッ。グウェン……」
「ああ、挨拶はいいよランスロート。なんだか大変そうだから。……エリック坊やも相変わらず可愛いねえ。これだけ騒いでいてもスヤスヤと寝ていられるなんて、大物だ」
揺りかごのエリックを覗き込むグウェンさん。
「そうなんです。宿屋は色んな人が出入りしていつも話し声が聞こえるから、騒がしいほうが慣れているみたいで。逆に静かなほうが寝ないんですよ。毎日可愛くって、皆でお世話の取り合いになっています」
「皆に愛されて、この子は幸せ者だ。羨ましいよ」
そう言いながら、エリックの頬を指でちょんちょんとつつくグウェンさんの笑顔は、なぜか見ていて切なくなってしまうものだった。
「グウェンさん、あの……?」
「さて! 今日の相談って、なんだい」
どうかしたのかと聞こうとしたら、笑顔で遮られてしまった。……偶然話し出すタイミングだったかもしれないけれど。
「まあ聞かなくても、来てすぐに分かったけどね。今日の相談は、あれについてだろう」
「そうなんです」
あれ、というグウェンさんの視線の先には、宿の中庭に作らせてもらっている薬草畑がある。
「派手に食い荒らされているねぇ」
「そうなんです。ドレスディア領で薬草畑を育てていた頃でも、こんなこと一度もなかったのに」
そう。せっかく王都で育った貴重な薬草が、何者かにほとんど食い荒らされてしまっているのだ。
『食い荒らされる』と分かるのは、その切り口が不揃いなせい。
もしも人間が盗んでいったのなら、もっと切り口は綺麗に揃っているだろう。
長かったり短かったりするその跡は、ちょうど獣かなにかが齧り取った跡に見える。
ポーションを作るための材料である薬草は、普通の動物にとっては不味いはずだし、考えてみれば虫や獣に食い荒らされたことは今までなかった。
防虫作用みたいなものもあるのかもしれない。
「結界を張ったりはしてなかったんだね」
「はい。今まで不思議と盗まれたことも食べられたこともないので、結界は張ったことありません」
「ふーん。薬草自体が、一種の結界の役目を果たしているのかな。……それにしても、跡からいってかなり大型の獣の食い跡みたいだ」
「こんな町中で、大型の獣なんて……」
グウェンさんと一緒に頭をひねるけれど、薬草畑を食い荒らした何者かの正体は分からないみたいだ。
「じーさんなら、なにか分かるかな」
「じーさん、ですか?」
「そう。俺の魔法の師匠のじーさん」
◇◇◇
「やあ、こんにちは。グウェンの魔法の師匠のブレイズです。君たちがうちのグウェンのお友達だね」
「よろしくお願いいたします、ブレイズ様。本日はお越しいただきありがとうございます」
ブレイズ様に差し出された手を握ると、とても力強い。
もう10年以上前に王宮付き魔術師を引退したと聞いていたので、もっとお年を召した方を想像していた。
でも実際に会ったブレイズ様は、予想よりも随分若かった。
おばあのように若々しくて元気、というのとも違う。
本当に、まだ50~60代のようだ。
赤茶の髪にはいく筋か白色が混じっているし、優しそうなたれ目の周りや、常にニコニコと口角が上がっている口元に皺はあるけれど、『じーさん』と呼ぶほどの歳ではない気がする。
「それで、食い荒らされた薬草畑というのはどこに?」
「こっちだよ、じーさん」
「こら、お前が先に行くんじゃないグウェン」
慣れたもので、先に立って歩いて中庭に案内するグウェンさんに、ブレイズ様がやれやれと苦笑している。
なんだかブレイズ様の前だと、グウェンさんが少しはしゃいでいるみたいで、子どもっぽく見えた。




