第001話 『数千年後の小さな萌芽』①
「お待たせシェリル! こっちは魔法起動準備完了!」
黒髪黒目、歳の頃は十歳前後の少年。
その少年が本来この時代には在り得ないコトを、自身がシェリルと呼んだ仲間の一人である少女に告げる。
だがその言葉に嘘はない。
少なくともそう見える。
なぜならばその少年の前面には魔力で描かれた積層魔法陣が展開完了し、組み上げられた魔法組成式に従って、込められた魔力を今まさに『魔法』と化して撃ちださんとしているからだ。
つまりこの少年は、今の時代には存在しないはずの『魔法使い』ということになる。
切れ長の瞳、サラサラの黒髪を短く整えた、なかなかに整った顔をした少年である。
どこか大人びた表情をしているとはいえ、どれだけ上に見積もっても十をいくつか超えた程度にしか見えないくらいには、しっかりと少年だ。
名はシロウ・ファーイースト。
村の子供たちからなる自称冒険者一党『野晒案山子』の党首兼『魔法使い』である。
実際の年齢は12歳。
本来、魔物を相手に戦闘行為をできるような歳ではない。
だがその少年の声に適度な緊張を感じることはできるが、恐怖や混乱といった要素は一切含まれていない。
なめてはいないが、慣れてもいるのだ。
『魔法』を駆使した、魔物との戦闘というものに。
そもそも魔法が失われてから数千年が経過している今の世界において、シロウの言葉はもっと小さい子供たちの「ごっこ遊び」の中でしかありえない類のはずのものだ。
だが。
「はい! カインさん、ヴァン君、お願い!」
そのシロウからシェリルと呼ばれた少女は、真剣でありながらも十分に余裕を持った返事を返し、左右に広く展開している二人の仲間に即座に声をかける。
シロウの言葉をまるで冗談とは思っておらず、手慣れた一連の連携を感じさせる遅滞の無い行動。
位置関係的にシロウに背を向けているがゆえに、実際に今展開されている積層魔法陣を目にしていないにも拘わらずだ。
つまりすくなくともこの一党の党員たちは、魔法を前提とした戦闘というものを当然のこととしている。
少女の美しい瞳は濃い碧色、ハーフツインに結われた豊かな髪は金色に輝いている。
名前はシェリル・ウォーカー。
年齢はシロウの一つ下、まだたったの11歳。
それらしい衣装に身を包めば、貴族の子女どころか王族ですと言われても、疑問を持つ者など皆無であろう程の美貌をしている美少女である。
とても11歳とは思えない、女の色香とでもいうべきものをすでにその身に漂わせている。
あわせて戦闘中であることから、凛とした空気も纏ったその姿を『戦乙女』と喩えたとしても、まず大げさといわれることはないだろう。
年齢ゆえに蠱惑的な躰の曲線を得るには今少し年月を必要とはするだろうが、今現在でもすでに『絶世の美少女』として完成しているといっても過言ではない。
そんなシェリルがシロウの言葉に即応、左手に構えた巨大な盾を構えて突進した後、距離を取った相手はまごうことなき魔物である。
この迷宮の、この階層に湧出する魔物の中では最強級の強さを持ち、その中でも稀に湧出する変異種――希少魔物である『双角熊』である。
その双角熊は今、シェリル渾身の盾突撃を喰らって、一時的とはいえ行動不能状態になっている。
『盾突撃』はシロウが今発動させつつある『魔法』ではないものの、『武技』――間違いなく魔力を利用した、数千年の昔に失われたはずのヒトの力――逸失技術のひとつである。
ただの人間が力任せに盾を構えて体当たりしたところで、魔物が一時的とはいえ行動不能状態に陥ることなど本来はあり得ない。
そもそもが希少種である『双角』ではなく、通常個体である一本角の『角熊』という魔物であっても、現代のヒトの強さで斃せる相手ではないのだ。
二本の角を有し、体躯も一回り巨大な『双角』であればなおのことである。
今の時代において『迷宮保有国家群』と呼称される強国群が抱える、ごく少数とはいえヒトの域を超越した戦闘力を持つ存在――すなわち迷宮で戦うことができ、成長することが可能な冒険者たちや特殊軍属たちであっても、万一接敵すれば何人いようが鏖にされるほどの強さを誇る。
もっとも現在、迷宮保有国家群が管理、運営している迷宮、遺跡、魔物領域では『角熊』ほどの魔物が湧出することは基本的にあり得ない。
なぜならば今はまだ、その場に満ちる『魔力』がまったく足りていないからだ。
湧出する魔物の強さは、その場に満ちる『外在魔力』の濃さに比例するのだ。
それはとりもなおさず、今シロウたちが戦っているこの場所が、迷宮保有国家群の管理しているそれらのどの場所よりも濃い外在魔力に満ちていることを意味する。
そしてそんな魔物と多対一とはいえ互角以上に戦えているシロウたちが、常軌を逸した戦闘力を保有しているということも。