序章 魔導期の終焉 ~世界から魔法が消えた日~
その日。
世界はあらゆる『魔法』を失った。
大魔導期の終焉。
それは現在より数千年を遡った遥かな過去のその日、唐突に起こった。
天地に満ち溢れ、あらゆる『魔法』を成立させていたすべての根源。
すなわち『魔力』が突如として完全に消失したからである。
世界から魔法が――いや魔法のみならず、魔力に支えられていたすべてが消えたのだ。
原因は今もってなお、その一切が不明。
当時の情報が資料とすら呼べない朧げな伝説や神話としてしか現在に伝わっていない以上、それもまた当然ではある。
当時、爛熟期を迎えていた大魔導期。
その時代、世界を統べた存在は角や光輪、翼や尾――強者は神眼や魔眼といった『魔導器官』――天と地に満ちた『外在魔力』を吸収し、己がモノとして使用可能にする器官――をその身に持った古代種たちであった。
中でも特徴的な魔導器官を持ち、強大な唯一魔法を操った『白の一族』と『黒の一族』が二大勢力として存在し、知恵と意志を持つ生物の宿痾として終わらぬ争いを繰り広げていた。
両義と呼ばれた光と闇。
四象と呼ばれた地水火風。
両義四象八卦を司り、いずれすべての根源たる太極をも解き明かさんとする『魔法体系』
世界を構成するありとあらゆるを掌握した古代種たちは魔法によって自然すら自在に制御し、魔物や魔獣など脅威とは看做さないほどに強大化した。
ヒトの種は増え地に満ち、矛盾や歪みを抱えているとはいえこの世界の支配者として君臨していたのだ。
星々の世界すら、その手にかけんとするほどに。
だがそれも魔力の消失と同時に終焉を迎えざるを得なかった。
争いに使用されていたあらゆる魔導兵器はもとより、それらで構成された軍ですら鎧袖一触することを可能成さしめた強大なる『個』の力。
古代種を含めたヒトという種を世界の覇者としていたその前提が失われてしまえば、衰退してしまうことは当然の帰結といえる。
天空に浮かべられた城や大地は地に墜ち、地底都市や海底都市はそれらを成立させていた魔法障壁を失って自壊する。
神器級から汎用品まで無数に存在していた魔導武装や魔導具も、肝心の魔力が補充されなければただの見栄えの良い置物にしか過ぎない。
世に満ちる野獣はもとより魔物や魔獣など歯牙にもかけず、本来であれば人の力などではどうにもならないはずの天災、天より墜ち降る星の欠片ですら無効化してのけた大都市群も、無防備で脆弱なただのヒトの密集地となり下がった。
唯一の救いはその存在そのものが魔力に頼っていた魔物、魔獣たちがヒトよりも劇的に『魔力の消失』の影響を受け、脅威から身を護る手段を失ったヒトに襲い掛かる前にそのほとんどが姿を消したことくらいだろう。
とはいえヒトが失ったものは武力だけではない。
病どころか究極的には老いすらも克服していた医療魔法。
魔法が存在することを大前提として発達した各種の社会基盤。
生物がただ生きていくために必須の食料や水の供給すら魔力に頼っていた社会は、世界の支配者らしい暮らしを支えていた基盤のすべてを失ったのだ。
ヒトの暮らしが安定していてこそ発達する芸術や文化は衰退の一途をたどり、一個の生き物としては脆弱でしかないヒトは短期間のうちにその総数を大きく減らすことになる。
人類の敵というべき存在がなくとも、増えた数を喰わせる食料の確保が不可能になれば当然そうなる。
大魔法の行使を可能としていた『外在魔力』はすべて失われ、微量とはいえ使用しても数日すれば満たされていたヒトが本来持つ『内在魔力』も一度使えば二度と再び回復しないとなれば、『魔法の知識・技術』などは何の意味もなさなくなる。
極一部の例外を除いて、一から魔力、魔法に頼らない技術の再構築を強いられたヒトの社会から、それらが逸失してゆくのは止めようのないことだった。
当然だ。
その日を生き残ることに必死な中、今この瞬間に何の役にも立たない、過去の栄光を懐かしむことくらいしか意味をなさない代物の保全などに割く余力は、ヒトから失われていたのだから。
そうして奇跡を日常とし、ほとんどの不可能を可能と成さしめた偉大な知識、技術――『魔法体系』は失われてゆく。だれに惜しまれることすらないままに。
ただ御伽噺や神話、伝説にその残滓をほんのわずかに残しただけで。
そして大魔導期のヒトといえばとりもなおさずそれを指した魔導器官を持った古代種たちは、その特性ゆえに魔法とともにその姿を消してゆく。
魔物や魔獣ほど顕著ではなくとも、当たり前のように世界に満ちていた『外在魔力』を吸収することでその生体活動を維持していた古代種たちの躰もまた、魔力の失せた世界で生きるには適したものではなかったのだ。
魔法の行使どころか、まともに生きてゆくことすらも古代種たちには困難な世界。
そこでは大魔導期には下位種とみなされていた凡人――魔導器官を持たないが故に『外在魔力』に頼ることもなく、古代種に比べてひどく微量な『内在魔力』しか持たない今現在のヒト――が、その雑で強靭な素の生命力で大多数を占めてゆくようになる。
そうして魔導器官――光輪や背翼、角や尾、最上位存在ともなれば神眼や魔眼をその身に宿した古代種たちは御伽噺や神話、伝説の中でヒトならぬ神や悪魔として語られる存在としてしか、この世界に残ることはできなかった。
だからといって凡人たちが楽に現代まで生き残ってきたわけではない。
ただヒトという種の中で覇権を握っただけであり、雑多な生命が生きるこの世界においては数千年の時を経た今なお、弱者の立ち位置から脱することができていない。
古代種による大魔導期が終焉を告げ、魔法という圧倒的な力を失った只のヒトによる過酷な生存競争の中で、確かに魔力に頼らぬ技術は相当な進歩を遂げた。
とはいえそれは未だ当時の大魔導期の力には遠く及ばず、なんとか自然の力を利用しつつもゆっくりとヒトの数を増やすことが可能な域に過ぎない。
それでもこのまま『科学』が進めば、古の大魔導期とはまた趣を異にする技術・文化に基づいて、ヒトは再びこの世界に覇権を唱えるようになったのかもしれない。
だが世界から『魔力』が――『魔法』が消えてから数千年。
それだけの時をかけて再び、微量ではあるとはいえ『外在魔力』は地域差こそあれ存在する場所も生まれつつあった。
魔力を有効活用するための知識も技術もことごとく失われた上、現代に生きるヒトの『内在魔力』の量は古代種とは比べ物にならない程度ではある。
それでもヒトの『内在魔力』も静かに満ち、もしも消費されても時間をかければ回復するようにもなってきている。
文字通り、ヒト知れず。
世界はゆっくりと、かつて失われた魔法の根源――『魔力』を再び蓄えつつあるのだ。
そして『外在魔力』が復活した場所にはそれを糧とする古の魔物や魔獣が再湧出をはじめ、そこは『迷宮』や『遺跡』、『魔物領域』と呼ばれるようになる。
現在のヒトでは太刀打ちできない強者である復活者たちは、魔力が枯渇しては存在できないがゆえにその場から長く離れることはできず、ヒトの集落を襲って壊滅させる存在にはまだなり得ていない。
魔物の復活と時を同じくして、今なお古代種の血をわずかに引くごく少数の現存のヒトたちは明確な形を失ったとはいえ魔導器官を持つが故に、魔力の満ちる場では常人と一線を画する戦闘能力を発揮する。
魔力の満ちる場――すなわち迷宮や遺跡、魔物領域といった魔物が湧出する場である。
その力を利用して彼らは魔物を狩り、その素材を現在の科学に利用することを稼業とする険しきを冒す者――『冒険者』と呼ばれる存在となってゆく。
彼らを管理するための組織――『冒険者ギルド』が成立するのにも時間は要さなかった。
まだまだ『外在魔力』が薄い地域に生息する、最弱級の魔物単体を複数でなんとか倒せる程度ではあるし、倒した魔物がドロップする『魔石』の価値も正しく認識できていないとはいえ。
世界から魔法が消えたその日から数千年。
世界の覇者から陥落したままとはいえ、ヒトはなおも健在。
そしてほんの僅かずつとはいえ、己らが世界に覇を唱えた古の力の片鱗を取り戻す可能性もその手にしている。
それだけではない。
大魔導期においてはヒトの力の象徴であった『魔法』
大魔導期のそれとは比べ物にならない程度ではあるとはいえ、人の牙たる魔法もまた、数千年の時を経て小さな、だが確実な復活を迎えようとしている。
今の時代にもわずかに残された古の魔導武装を肥料に、それらを偶然手に入れた、とある好奇心旺盛な少年少女たちを苗床として。
そして幕は上がる。
これは失われたヒトの力を取り戻し、世界を再び膝下に組み敷くため、とある少年が『魔法』を再起動させる――リブート・マギカの物語。
魔法によって世界を統べる、魔導帝国の興国譚である。