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私が死を迎えたのは、二十歳の誕生日を迎えて数日後のことだった。
私の名前はマリ。
幼い頃から漫画やアニメ、ゲームに夢中で、友達どころか知人と呼べる人がほとんどいないまま成人を迎えた。アニメやゲームはあまり好感を持たれない趣味ではあるものの、そこで交流を持ち楽しくやっている人たちは多い。でもそれを横目に、私はいつだって孤独だった。これがまあ、コミュ障というやつなのだろう。
それでも大人になれば、他人をおおっぴらに馬鹿にする人も減り、友人もできてそれなりにやっていけるのではと思っていた。けれども二十歳を超えても変わるわけがなく、そんな未来は幻想で、自分がどれほど楽天的で世間知らずだったのかを思い知る。
もちろん恋愛ですらしたことがない。初恋は二次元。そもそも知り合いって、名前を知ってるからどこまでの相手のことを言うの?
そんな立派な喪女に成長した私は、夢中になっているゲームがある。
それはオンライン恋愛ゲーム『聖乙女降臨☆ローズの純真』という名の、いわゆる乙女ゲーム。一般受けはそれほどでもなかったけれども、乙女ゲームマニアの間では、まあまあ人気が高かった。当然私もド嵌まりして、飲食を忘れてやりこんだ。面白かったのもあったけれども、ゲーマー同士の交流もあり、そこで私ははじめて友人らしき相手ができたから。
彼女はプレーヤー名がマリィ。名前が似ていたことから、向こうも興味が出たみたいで、声をかけてくれた。ネット上でメッセージのみの交流だけれど、私は彼女に会いたくてゲームに夢中になった。
けれどもある日を境に、マリィがゲームに入ってこなくなった。
私もマリィも、ゲーム中毒者。互いに睡眠を気遣い、食事や学業のことをぽつりと話すくらいの間柄。そんな私が些細な前兆に気づくわけもなく、彼女は居なくなっていた。
それから私は、これまで以上にゲームに入り浸った。いつマリィが現れてもいいように。
そんなマリィを待つ私のことを、噂されていたのは知っている。マリィは常に攻略ポイント上位者としてゲーム上でも有名だったから、私がしつこくつきまとい嫌気がさして去ったのだとか、彼女もまた常駐者だったので病死したのだとか、真偽を確かめようのない噂が飛び交っていた。
それだけじゃない。私のユーザー名も本名と同じマリ。彼女のログインコードがMariiに対して、私はMari。iが足りない、つまり愛を競う乙女ゲームで「愛」が足りない私は、いつだってマリィと仲良くしたいと願うユーザーからウザいと言われていたから、マリィの失踪ついでに目を背けたくなるようなことを書き込まれたりもした。
でも私はマリィを信じている。
絶対に私は彼女を裏切らない、待つ。
だってそれ以外に何ができただろうか。もう少し私がコミュ障じゃなかったら、こんなことになる前に、連絡先を聞けただろう。
会ったらがっかりさせるほど顔はぱっとしないし、不健康そのものだし、身だしなみも整えたって知れてるし、上手く喋れるはずもないけれど。でも……
押し寄せる後悔から逃げるように、飲食睡眠を忘れてログインし続けたまま、私は息を引き取った。
「もしもーし、大丈夫かしら?」
鈴を転がすような美しい声。そう形容できる声が、現実に存在するとは思わなかった。
そんな暢気なことを考えながら目を覚ますと、目の前にとんでもなく美しい人が覗き込んでいた。
温かくて気持ちがいいそよ風が頬をくすぐり、抜けるような青い空が見えた。
空……?
慌てて起き上がると、そこは見たこともないほど花が咲き乱れる花畑の中。傍らにしゃがむ女性が、にこにこと私の様子を見守っていた。
「ここ、どこ……」
私は汚いワンルームの自室に居たはずなのに。眼鏡を持ち上げ、袖で目を擦る。が、景色は変わらない。
「天国って、花畑っていうけど本当なのね」
「うーん、残念。天国じゃないのよ、マリ」
眉を下げて微笑む女性は、どこか見覚えがある。
「私は女神アーデレリアスよ、マリ」
アーデレリアス、愛と万物を創造した女神。聖女を降臨させた…………って、それって乙女ゲーム『聖乙女降臨☆ローズの純真』、略して聖臨の女神様の名前。
しかも薄ピンクの髪と紫の瞳、清らかでいて妖艶なその容姿は、ゲームを開始するときに幾度と見てきた姿で。
「マリ、あなたは自分がどうしてここに居るのか、覚えているかしら?」
「私……ゲームをしてて」
「そう、そしてあなたは命を落としたの」
「死んだ……? 私が?」
「ええ、あなたは数日に渡りろくに食べることも寝ることもせず、無理がたたってついに心臓が止まってしまったわ」
困惑しつつも、そう言われれば覚えがある。急に胸が苦しくなって、ああ死ぬのかなって思った。けれども死んだ私を迎えたアーデレリアスは、あくまでもゲームの中だけの、創作された神だったはず。
そんな疑問を、目の前のアーデリアスが答えてくれた。
「私は、マリとは違う次元の世界を司る神。一つの世界を新たに作りあげるため、マリの国で作られたゲームとやらを参考に、一つの世界を構築したの。だからこの姿は、マリに分かりやすいよう借りているのよ」
「聖女降臨、を参考に?」
「そう、でもその世界が今、大きな不具合を抱えてしまってて。実はヒロインと呼ばれる女性もあなたと同じ世界から呼び寄せたのだけれど、どうにもやりすぎというかバグってしまって」
「バグ、ですか……?」
「ええ、ありとあらゆる殿方ばかりでなく、女性まで虜にしてしまい、不具合が出てしまいまったわ。そこでその女性には退場してもらう代わりに、あなたにヒロインとして生きるようお願いしたくて」
「私が、ヒロイン……聖女降臨の?」
あれはやりようによって、際限なく攻略対象を落とせるのが魅力のオンライン乙女ゲーム。確かに、それを現実で再現してしまったら、乙女ゲームというよりカルト新興宗教で世界制服ゲームだと、批判する者もいたと聞く。
そんなゲームを世界作りに取り入れる方が間違いでは……?
私の心のツッコミが丸わかりだったのか、女神様はにっこりと微笑み私の手を取った。
「お願い、助けてマリ。あなたならゲームの内容を熟知しているし、正常な世界に戻せると信じているわ。それともあなたも、複数の男性に言い寄られたい質かしら?」
私は慌てて首を横に振った。
複数どころか一人の男性のお相手をすることすら想像できない喪女の私が、ハーレムなんて無理、絶っっ対に無理!
すると女神様はほっとしたような顔だ。
「引き受けてくれるのなら、ぜひ一人の男性を選んでもらいたいの。その者はあなただけを生涯溺愛し、絶対に裏切ることはないと約束するわ」
「溺愛……私だけを? そんなことあるわけ……」
「いいえ、創造神である私なら叶えられるわ」
「こ、断ったら?」
「このまま死を受け入れ、元の世界での転生を待つことになるでしょうね」
私の心は、決まった。
生きたい。皆に愛されることを約束された聖女として生きるだなんて、この先どんなに転生したって、私に順番が巡ってくるなんてことはない。
「わかりました、行きます」
そう言うと女神様は微笑みながら頷き、私をふわりと抱きしめた。
すると座っていたはずの花畑が一変する。地面が失せて、一面の夜空になった。
はるか下には、古い町並みが見える。あれはゲームで馴染んだ、ヒロインの住む城下街。 いつの間にか私は一人、ゆっくりと降下していた。星空の中を流れ星のように落ちていく。薄れゆく意識のなか、天上の光の中で見送る女神様の姿が小さくなっていく。
「期待していますよ、マリィがあなたなら、必ずやり遂げてくれると太鼓判を押してくれましたから」
マリィ……え、マリィって!?
驚いて意識が急浮上する。そして目を凝らすと、女神様の横にもう一つの顔が覗いていて、私に手を振っていた。
「マリ、私よ、マリィよ。ごめーん、後始末お願い!」
「え、ちょ、後始末って、どういうこと?!」
急降下する私は、じたばたと手足を振って抵抗するも、既にどうにもならない。
「マリ、マリ、私の代わりに絶対、幸せになってねぇ!」
その言葉をを最後に、私の意識は再び閉じていく。
まって、まって。マリィが……ようやく会えたのに。
願いも虚しく、世界が真っ白に塗り替えられていく。
そうして私は、混乱のままに『聖女降臨☆ローズの純真』のヒロイン、ローズ=オブライエンに憑依することになった。