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防衛協定



ジュリアンは、モランシー城に留まった。彼に代わり、ロタリンギアの王太子には、弟のアルフレッド殿下が指名された。

ジュリアンは、カエルのままだった。わたしがそれを望んだからだ。



烏滸(おこ)なことよのう。ジュリアン殿下が人の姿に戻りさえすれば、お前は、ロタリンギアの王太子妃になれるのに」


父がぶつぶつ言っている。

「今からでも遅くはない。コルデリア。殿下を褥に迎えるのだ」


「いやです」

人間のジュリアンなんていや。カエルが好き。



「貴方もです、ジュリアン殿下。問答無用で、コルデリアのベッドに忍び込んでお行きなさい。父の私が許します」


「できません」

くるりんと、愛らしい目を剥いて、ジュリアンが答える。

「僕は、コルデリアを愛しています。彼女がカエルを好きだと言うのなら、僕は一生、カエルのままでいます」



「なんだか、よくわからんわい」

盛大な溜息を父は吐いた。



ロタリンギアのジュリアン王子が一緒なので、父も、わたしを追い出すことができかねていた。いわば、なし崩し的に、私とジュリアンは、父の城に留まっていた。



「いつまでもモランシー公のご好意に甘えているわけにはいかないね」

よろよろと部屋を出ていく父の背を見ながら、ジュリアンが言った。

「公爵は、大層お疲れのご様子だ。何か僕にできることはないだろうか」


「父の疲労の原因は、あれよ……」


ロタアリンギアとの防衛協定が取り消されたせいだ。わたしの婚約破棄のせいで。でも、そんなことを言うと、また、ジュリアンは気にするだろうな。婚約を破棄したのは自分だ、って。


カエルに罪はない。悪いのは人間だったジュリアンだ。だから、彼が気に病むようなことは言わない。



「コルデリア」


いつの間にか、ジュリアンは、机の上に移動していた。口に、白い紙を咥えている。


「あら、ジュリアン。そこで何してたの?」

「手紙を書いてたんだよ」

「手紙? どなたに?」


ジュリアンが誰かと連絡を取ろうとするのは、モランシーへ来てから、初めてのことだった。


「あ、言いたくなければ言わなくていいのよ?」

カエルにだって、プライバシーはあると思う。


でも、ジュリアンは教えてくれた。

「ロタリンギアのエーリッヒ宰相宛てだよ」


思いがけない相手だった。わたしはてっきり、エリザベーヌだと思っていたのに。


手紙を口に咥えたまま、ジュリアンが近づいてくる。


「コルデリア。申し訳ないんだが、この手紙を、発送してくれないか?」

「早馬に運ばせるわ」


エリザベーヌだったら、鈍足のラバだったけど。エーリッヒ宰相には恨みはない。というか、会ったことがない。


「ありがとう、コルデリア」

ぴょん、と、ジュリアンは飛びはねた。口に咥えた、幾分湿気った紙を、わたしは受け取った。




半月後。父は上機嫌だった。

「いやはや、ロタリンギアの宰相が、話の分かる人で良かった。おかげで、防衛協定も、滞りなく締結できた」


もちろん、ジュリアンの書いた手紙のお陰だ。

彼が、母国の宰相と話をつけてくれたおかげで、モランシーは、何の不利益を被ることなく、有事の際の相互扶助協定を、ロタリンギアと取り交わすことができた。


しかし、その代償として、ジュリアンは、宰相から叱責の手紙を受け取った。ざっと、以下のような内容だ。



ジュリアン殿下


姿をお見かけしないと思ったら、モランシーにいらしたのですね。そのような小国で、何をぐずぐずしておられるのですか。


ロタリンギアは長男即位が鉄則です。アルフレッド殿下が立太子なさいましたが、あれはあくまで、暫定措置に過ぎません。


あなたはにはまだ、聖なる義務がおありです。ロタリンギアの王として即位するという、犯すべからざる神聖な義務が! 


もちろん、そのままのお姿ではいけません。カエルの王では、国民の前で、威儀が保てませんから。早く意中の娘を見つけ、人間の姿に戻られるがよろしい。その上で帰国され、お父上を安心させて差し上げて下さい」


サイン(ロタリンギア宰相エーリッヒ)



「意中の娘なら、すでにいるけどね」

手紙を読みながら、くすくすとジュリアンは笑った。


カエルも冗談を言えるのね、と、わたしは感心した。だって、ジュリアンに意中のカエルがいるなんて、聞いてないし。それに彼は、いつもわたしのそばにいるから、カエルの恋人を探しに行く時間なんてないもの。


そう思って、なぜか幸せな気分になった。朗らかに、わたしは、父に話しかけた。


「あのね、お父様。エーリッヒ宰相が便宜を図ってくれたのはね、」

「わかっておる。ジュリアン殿下のおかげだろう?」


父は、緑色のカエルを、両手に掬い上げた。目の高さに持ち上げる。


「ジュリアン殿下。わがモランシーの為に尽力下さった儀、礼を申し上げる。気持ちとして、城を受け取って下さりませぬか?」

「城? ですって?」

「庭園を、小川が流れておりまする。湿地を含むビオトープも整備してありましてな。殿下はきっとお気に召されますぞ」


「それは、もしや……」

ジュリアンの声が震えた。

「もしや、コルデリアの輿入れが決まったのですか? どこか遠くに。だから僕に城をあてがって、」


「まさか!」

父とわたしは、同時に叫んだ。思わず声が合ってしまい、わたしは不愉快だった。父も同じだったようだ。唇をへの字に曲げ、付け加えた。

これ(・・)は、殿下につけて、小川の城へやりまする」


ジュリアンの黒くつややかな目が、すうーっと横に流れた。目を細めたのだ。


「身近にコルデリアがいなくなったら、公爵がお寂しいでしょう?」


彼はまだ、疑っている。自分だけを追い出して、わたしをどこか遠くへ嫁がせるのではと疑心暗鬼になっているのだ。

もちろん、父は首を横に振った。


「なんの。コルデリアがいなくなったって、寂しいなんてことはありませんよ。下に3人も妹がおりますし、これ(・・)のことは、ずっと学園の寮に放り込んであったくらいです」

「そういえばコルデリアは、夏休みや新年の長期休暇にも、帰省はしませんでしたね」


私が帰省しなかったのは、単に費用の問題だった。交通費が惜しかったのだ。父もそう言っていたのだが……。


「実は、公妃()が、コルデリアのことを嫌っておりましての。下の娘たちに悪い影響を与えると」

「え? そうなの?」


それは初耳だった。義母は、わたしを嫌うような素振りなど、今まで一度も見せたことがなかったからだ。それどころか、妹たちのお下がりの服をくれたり(わたしは小柄なのだ)、「カエルさんとゆっくりお食事ができるように」と、自分たちの食事の時間を早めてくれたり、いろいろ気遣いをしてもらっているくらいだ。


父は眉を顰めた。

「彼女は、お前のお茶に、下剤を入れたおったが」

「下剤ですって? 何かの勘違いじゃございませんこと? モランシーに戻ってから、お腹を壊したことなど、一度もありませんことよ?」

「さてもさても、丈夫な腹よのう」

感に堪えぬと言う風に、父は頭を左右に振った。



「ケロケロケロ!」

ジュリアンが鳴いた。抗議するような強い声だった。

「聞き捨てならぬことを! モランシー公。それは、危険ではないのですか? コルデリアに薬を盛るなんて。そんなことを、あなたは、許しておられるのですか?」


「なんの。モランシーの公女は、魔力で守られておりまする。妃は知りませぬが、毒物など、むしろ、薬と同じ。薬の副作用が毒ですから、その反対も、正なり。毒の副作用が薬、と、こういうわけですな!」


父は、呵呵と笑った。しかしまだ、ジュリアンは不満げだ。口をへの字に曲げている。そうしていると、人間離れして愛らしい。あ、人間離れは当然よね。カエルだもん!


「大丈夫よ、ジュリアン。公妃様は、とても優しい方だから」

可愛いカエルに嫌われたら、お義母様がかわいそう。父の妃になられた方ですもの、ご縁は大切にしなくちゃ。


「コルデリアの言う通りじゃ。今の妃は、儂より22歳も若くての。殿下の前ですが、それはもう、かわゆいものですわ」


かわゆいって、カエルじゃないんだから。それに、一国を治める公爵が、でれでれと鼻の下を伸ばすのはどうかと思うの。特に、中高年が若い妻(トロフィー・ワイフ)を見せびらかすのは、本当に見苦しいわ!


「そういうわけで、ジュリアン殿下。コルデリアは貴方につけますゆえ、なんなりとこき使ってやってください」


ジュリアンは複雑な顔になった。


「なに、費用のことならご心配なく。外交費用や賄賂を考えたら、遥かに安く済みましたわい」

負け惜しみのように、父は付け加えた。









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