勘違い
本当にイライラするわね……。
アイのヤツ、私が飲むなと言ったにも関わらず、お酒を飲んでしまった。
たいした量じゃなかったけど。
おかげで体が熱くなっているし、傷口も痛みだした。
よりによって人格まで交代するなんて。
でもいい。
アイのまま酔っ払っていたら、きっと正常な判断ができなくなっていただろうから。
あの子は誰でもすぐ好きになってしまう。すでに玉田さんのことを好きになりかけているし、もう少しすればイトたんのことも好きになる。
危機感がないのだ。
相手が自分を好きになってくれるとも限らないのに。
私は深く息を吐いた。
炎を吐いているみたいに熱い感じ。
玉田さんもイトたんも眠っている。焚き火も消えそうだ。私は燃料を放り込み、立ち上がって夜空を見上げた。
星空が、じわじわ回転している気がする。
吹き抜ける風が涼しい。
残ってる人間をみんな消し去ったら、私だけの空になる。
けれども、その後は会話の相手もいなくなる。
アイだって、いつ私の中から消えるか分からない。
「おおう、夢か……」
びくりとして玉田さんが目をさました。
なにか悪い夢でも見ていたのかもしれない。
私は近づいて、そばにしゃがみ込んだ。
「おはよう」
「んんっ? なんだよ。まだ夜だろ。寝ないのか?」
「お酒飲んじゃった」
「やめろって言っただろ」
鬱陶しそうな態度。
人格が入れ替わったことにはまだ気づいてないみたい。
私は痛まないほうの手で胸倉をつかんだ。
「ひとつ警告しておくわ。これ以上、アイになれなれしくしないで」
「は? まさか、姉のほうか……」
「そうよ。姉のほうよ。あいつは勘違いしやすいの。あんまりベタベタしないで。あのぶちゃむくれにも言っておいてね」
「ベタベタなんて……。こっちだって適切な距離を心掛けてる」
「ホントに? ちっとも努力してるように見えないわ。もしあいつが一線を越えようとしても、ちゃんと拒絶すること」
「分かってる」
本当だろうか?
早く私を追っ払いたいと思ってる顔だ。
「あなたのことは信用できないわ。アイがなんと言おうと、これは私の体なんだし」
「それはそうだが……」
「そうだが? ちゃんと考えてる? 女同士ならともかく、男と女でそういうことになったら、取り返しのつかないことになるのよ? もし間違いが起きたら、私、まっさきにあなたを殺すから」
「ぜひそうしてくれ」
ちっとも分かってない。
この男は、三秒以内に眠りたいとしか思っていないのだ。
イライラが高まってきた。
「ちゃんと聞きなさいよ! どいつもこいつも私の警告を無視して! だから死んじゃうのよ!」
「いやいや。重要な話ってことは理解したよ。だが、明日じゃダメなのか? いま聞いても朝には忘れてるぜ」
「忘れる!? なにその態度……。あなたは眠いかもしれないけど、私はそうじゃないの! だから私の話をちゃんと聞いて!」
するとイトたんも目をさましたらしく、まぶたをこすりながら身を起こした。
「え、なになに? ケンカしてんの?」
「違う! ケンカじゃない!」
「あ、エルたんだ」
「その呼び方やめてって言ったでしょ!」
私は玉田さんから手を離し、イトたんに近づいた。
「ちょっと来て」
「えっ? どこに……」
「小さいほう出るから。見張ってて」
「トイレ? ひとりでしなよ」
「暗いでしょ。なに? 友達だったんじゃないの?」
「もー」
横暴なのは自分でも分かってる。
でも、これくらいしないと気が済まなかった。
アイは仲良くし過ぎる。姉として、手本を示さなければ。他人との距離感はこのくらいでいいのだと。
地下シェルターにいたころ、整備のおじさんや、物資を搬入してくるお兄さんたちが、私たちの部屋を出入りしていた。
アイはそういう人たちとも仲良くなった。
最初は私の言いつけを守ってツンとしている。なのに、話しかけられるとすぐ返事してしまう。まるで子イヌだ。私は見ているのが耐えられなかった。悪人の仲間たちに愛想よくするなんて。
しかも調子にのって、アイの頭をなでる男までいた。
思い出しただけでイライラする。
なぜ彼らはアイに触るのだ。
自分の体をまさぐられているような気分になる。吐きそうだ。
ママを自称する女も、アイにはベタベタしていた。ことあるごとに肩をなでたり、背中をなでたり、やりたい放題。きっとお尻も触っていた。ときには私に見せつけるように。怒りで頭がどうにかなりそうだった。
こいつらは全員殺さないといけない。
そう考えるようになった。
まあ最終的にはそうしたわけだけれど……。
いや、いい。
とにかく、ひとつひとつの事象が、私の神経を逆なでしてやまなかった。この世界は、私をイライラさせるための装置だ。
なんなら私が世界を滅ぼしたってよかった。
むしろ、なぜそうじゃなかったのか分からないくらいだ。
あるいは、私が現実から目をそらしているだけで、本当は私がやったのかもしれない。それならそれでいい。べつに後悔しないと思う。
*
夢を見た。
幅の広い道路。
その真ん中に、私はひとりで立っていた。
車は一台もない。
歩道橋がある。
信号もある。ただし、ぜんぶ消えている。
道は前と後ろしかない。
左右には量販店のようなものも見えるけれど、なんの店かは分からない。看板も装飾もない。
デジャヴだろうか。
どこかで見たような気がする。
たしか、世界が滅ぶ直前に見る夢、だったか。
玉田さんから聞いた内容とよく似ている。
イヤな気配を感じて、私は空を見上げた。
大きな黒い裂け目があった。奥になにかいる。なにか、というのも白々しい話だけれども。
少なくとも、未知の存在ではない。
視線を戻すと、すぐそばにアイがいた。
じっと空を見上げている。
「いたの?」
「うん」
私の中の別人格だろうか。それとも死んだはずのアイがいるのか。いや、これは夢だから、私の空想のアイかもしれない。
アイは無表情のまま、こう言った。
「見て、おっきいよ」
「そうね。けど、あんなに大きく開いたら、怪物が出て来ちゃう」
「怪物、かぁ……。でもずっとあんなところに閉じ込めてたら可哀相だよ」
「あなたはお人好しすぎる」
「姉さんはつめたすぎるよ」
「だから? 誰かと仲良くなったって、お互いを傷つけるだけでしょ?」
「そんなことない」
空想の産物のくせに、偉そうなことを言う。
また切り裂いて殺してやろうか。
とはいえ、久しぶりに弟を前にすると、やっぱり親しみのようなものを感じてしまう。あのとき痛かっただろうか。必死で命乞いをしていたのに。
「アイ、あなた、なにがしたいの?」
「分からない」
「そうよね。分からないわよね。だって、なにも考えてないんだから」
「そうだよ。僕はなにも考えてないんだ。だって抜け殻だから」
「ウソつき」
「ウソじゃない」
絶対にウソだ。
本当になにも考えてないんだったら、ママに媚びを売ってスニーカーを買ってもらう必要はなかった。スニーカーが必要だったのは、外に出るためだ。皮肉にも、実際にそれを使ったのは私だけれど。
「アイ。あなたはもう死んだのだから、おとなしく死んでいて」
「ウソつき」
「なにが?」
「姉さんが僕の死を望まないから、僕はいつまでも死ねないんだ」
*
飛び起きた。
心臓がドキドキして、口から出てきそう。
寝て起きたら弟に戻ってるかと思ったのに、まだ私のままだ。
しかも、取り乱した昨夜の記憶もちゃんとある。我ながらあれはやりすぎだった。あとで二人に謝らないと。
ほとんど朝だ。
けれども、うっすらと白んだ空に、日はまだのぼりきっていなかった。
肌寒い空気は静止したようにその場に堆積していた。日の光が差して空気を温めるまで、ずっとこのままなのだろう。
もうすぐ冬が来てしまう。
寒いのは好きじゃない……。
焚き火は消えている。
ライターは玉田さんしか持っていない。
ムリを言って火をつけてもらおうか……。でもぐっすり眠っている。きっと疲れているはずだから、起こしたくない。
イトたんも熟睡。
私はペットボトルの水を飲んだ。
新鮮な水。
新鮮な空気。
やわらかな秋の朝日が、遠方からわっと広がった。
朝が来た。
昨日の私はどうかしていた。
人間、お酒を飲むと本性が出るのだという。もしそうなのだとしたら、私は自分を愛せそうにない。とっくにムリであることが分かっていたとしても。
できれば、もっと優しい子になりたかった。
誰も傷つけたくなかった。
でも、どうしても偉そうになってしまう。アイを見ていると、イライラするのだ。双子なのに、私よりかわいい弟。嫉妬だったのかもしれない。
アイも私を嫌ってくれればよかった。なのに、いつも姉さん姉さんと付きまとってきた。
私は鬱陶しいフリをして見せたけれど、本心ではかなり満たされていた。弟というよりは、自分のファンくらいに見ていた。
私が傲慢だったせいで、歯車が噛み合わなかった。
最初から私がいなければ、アイはみんなから愛されて幸せに暮らせたのかもしれない。同じくらい面倒なことにも巻き込まれたとは思うけど。でもそれはあの子の問題。
玉田さんが眩しそうな顔で身を起こした。
「んんっ? 起きてたのか……。おはよう。えーといまは……」
「姉のほうよ」
「そ、そうか……」
警戒されている。
いきなり胸倉をつかんで、一方的に苦情を言ったのだ。印象はよくないだろう。
「あの、昨日のことはごめんなさい。ちょっと言い過ぎたかも……」
謝るときって、こうでいいんだっけ?
それとも地面に頭をこすりつけたほうがいい?
いつもアイに謝らせてたから、謝りかたが分からない。
でも玉田さんは、仕方なさそうに笑みを見せてくれた。ちょっと苦めの笑顔だったけれど。
「よかった。じつは気になっててな。俺もちゃんと相手できなかったから」
「そういうの……さ、アイにはしないでね。勘違いする原因だから」
「えっ?」
「こっちが悪いことしたら、ちゃんと怒ってって言ってるの。私は他人を好きにならないけど、アイはすぐ好きになっちゃうから。どんなに悪いヤツでもね」
「ああ、気を付けるよ」
ぜんぜん分かってない。
でも、いま怒ったら昨日の繰り返しだ。私も成長しないといけない。私は人を傷つける力だけは突出してるけど、それがなかったらただのクズでしかない。
「おはよーっ! なんか寒くない? ちびりそう!」
イトたんは目をさましただけで騒がしい。
「伊藤さんもごめん。昨日、夜中に……」
「えっ? ぜんぜんいいよ。エルたんが怖がりだって分かって、ちょっと萌えちゃった」
「ち、違う。怖いんじゃなくて、暗いといろいろ困るから……」
「いいって、いいって」
「……」
この子は……。
本当にいいなら、また叩き起こしてあげないとね。
私も反省が必要だけど、この子もなんらかの反省が必要だと思う。
イトたんはこちらに顔を近づけてきた。
「あー、でも分かんないもんだね。エルたんはアイくんの記憶もあるんだよね? どうなってんの?」
「私に聞かないで」
「えー、じゃあ誰に聞けばいいの?」
「知らない。というより、この繊細な問題に、よくズカズカと踏み込めるわね……」
「だって友達じゃん?」
ぐっと親指を立ててウィンク。
こういうのを世間では「ウザい」と形容するんだったか。
でも半分くらいはかわいい気もする。
私が首の下をわしゃわしゃすると、「ネコじゃない!」と怒ってしまった。
「もー、またぶちゃネコ扱いしたでしょ? それって名誉棄損だかんね!」
「そんなつもりないのに」
「アイくんはイケメンなのに、エルたんはなんでこうなの? 本当に双子?」
「言わないで。似てないのは自覚してるから……」
自覚していても、こうして改めて言われると落ち込む。
姉よりかわいい弟なんて、まったく意味が分からない。私もあんなふうに媚びまくったら友達ができるんだろうか。あとでこのぶちゃネコに試してみようかな。そして唐突に「海が見たくなっちゃった」とか言うの。
たぶん途中でゲロを吐くわ。
玉田さんはか弱い女子のために火をおこすこともなく、朝からお酒を飲み始めた。しかも私の飲み残し。アイが見たら勘違いするやつだ。やっぱりなにも分かっていない。
けれども、ここで怒ってはいけない。
成長するんだ。
私はずっと、心の成長を放棄してきた。もう弟はいない。自分のことは、ぜんぶ自分で決めなくては。
(続く)