友達
その忍者は静かに刀を納め、こちらへ近づいてきた。
敵意がないことを示すためか、覆面をずらし、素顔までさらして。
私より年下の少女。マスコット的な愛敬のある顔立ちだ。
「ヤバ、ちょーイケメンじゃん」
「えっ?」
私は耳を疑った。
いったい彼女にはなにが見えているのだろうか。
このおじさんがイケメン? それとも私のことを言っているのか? もしそうなら、アイが髪を切ったせいだ。頑張って伸ばさないと。
彼女は私に近づいてきた。
「握手してもらっていいですか?」
「私、女だけど」
「は? えっ? マジで? な、なんだよ! 騙された!」
パーカーを着てキャップをかぶっているせいで、ボーイッシュに見えたのかもしれない。
でも騙したつもりはない。
まあ刀はしまったから殺さないであげるけど。
「そっちが勝手に勘違いしたんでしょ? ラジオ返すから、それ持ってどっか行ってよ」
「えぇーっ? いや、まあ、ねぇ……」
なぜか腰をおろし、断りもなく水を飲み始めた。
遠慮する気配さえない。
ラジオを盗まれた報復のつもりかもしれないけれど。
「ふはぁ! ちゃんとした水じゃん! ちょー久しぶり! ここ居心地よくない? なに? あんたらの秘密基地?」
「違う。ちょっと滞在してただけ。すぐ移動するから」
「どこ行くの?」
「別に」
すでになじんでいる……。
とんでもなく厚かましい女だ。いや、ここは彼女のコミュニケーション能力を賞賛すべきだろうか。でもウザいものはウザい。
「あ、あたしは伊藤……えーと、伊藤です。イトたんって呼んで?」
「伊藤さん、いつ消えてくれるの?」
「きっつ。まずは名前教えてよ!」
「私はエル、そっちは玉田さん。空振りおじさんでもいいけど」
すると彼は半笑いで肩をすくめた。
顔に似合わず、いちいち演技じみたリアクションをする。
自称イトたんは不審そうに目を細めた。
「で、なに? 二人はそういう関係なの?」
「どういう……。ぜんぜん違う。私は一人で放浪してるだけ。で、あのおじさんは私のストーカー」
事実なのだから、反論は許さない。
「マジで? ヤバくない?」
「ヤバいけど、いまのところ被害もないからほっといてる」
「へぇ。ところでさー、あたし、ずっと一人で心細かったんだよね。よかったら友達になってくんない?」
イトたんは会話の流れも関係ナシに、図々しいお願いを口にした。
友達――。
私はそんなものは作らない主義だ。
学校にいたころも、友達はほとんどできなかった。仕切り屋の女子が友達ごっこをしてくれたこともあったけれど。彼女は、私という特異点を使い、その庇護者を気取っていただけだった。
「イヤよ。友達なんて。考えたくもない」
「は? マジで言ってんの? 目の前の純粋無垢な少女を傷つけてる自覚ある?」
「ない。もし傷つけていたとしても関係ない。あなたとは友達にならない」
「はぁ? じゃあいいわよ。あたしもストーカーになるから」
「……」
なぜこうなる……。
私は地下シェルターを出るとき、周りにいた全員を殺した。ずっと一人で生きていくつもりだった。
なのに、人が付きまとってくる。
「だってさー、こうして会話できるだけマシだもん。世界がこんなんなった途端にさ、みんな平気で人のモノとってくようになっちゃうし。そっちのおじさんも同罪だけど。でもそれは誤解で、ちゃんと返してくれる感じだったからさ」
私が最初に出会ったヤツらも、そんな感じだった。
人から奪って、自分たちが楽しむことしか考えていない。
この地表にへばりついているのがそんな人間ばかりだったら、私は出合い頭にすべての人間を殺すようになっていただろう。あるいは「向こう側」の怪物をこの地に解き放っていたかもしれない。
でも、玉田さんは違った。
この少女もたぶん違う。
すると玉田さんが気まずそうに会話に入ってきた。
「で、伊藤さんは……なんでそんな格好なんだ?」
私も気になっていた。
まったく意味が分からない。
イトたんはなぜか自信満々だ。
「あたしんち、剣術一家だったの。まあ、あたしは剣道しかやってないけど。で、家に刀あったから、それで身を守ろうと思って」
「服は?」
「これしかなかったの! いいでしょ、べつに」
「……」
たしかに服は意外と見つからない。
なにせ、どの店も上から潰されているのだ。たまたま見つけた服を着るしかない。もしおじさんがスカートを履いていても、決して指摘してはならない。人にはそれぞれ事情がある。
私は軽い気持ちで尋ねた。
「で、伊藤さんは何人くらい殺したの?」
「はぁ?」
「なに? 刀持ってるんだから、使ったんでしょ?」
「いやいやいやいや。フツー、刀見せた時点で逃げるでしょ? そっちのおじさんみたいに銃持ってるならともかく」
つまり殺人の経験はないということだ。
いまさらだけれど、じつは私もまだ慣れていない。最初は事故みたいなものだった。あまりに取り返しのつかないことが起きてしまったから、そのままなにも感じないようにして、いまに至っている。
たぶんあとで強烈に反省する時が来る。そのときは私じゃなくて、アイに代わって欲しい。私はなにも考えたくない。
玉田さんは酒を一口やって、こう聞き返した。
「で、あんたはなんで逃げなかったんだ? こっちには銃があるってのに」
「なんか大丈夫そうだったから。おじさん、弱そうだし」
「……」
よわよわ空振りおじさん。
でも、アイのことを助けてくれた。私のことも。
イトたんは仰向けに寝転がった。
「あー、でもイケメンじゃなかったかぁ……。残念」
「鬱陶しいから、二度とその話題出さないで」
「なんで? ちゃんと男装したら絶対モテるよ?」
「そういうの、ちっとも嬉しくないの。双子の弟を思い出すから」
「え、双子? 写真ある? 見せてよ!」
いきなり跳ね起きた。
身体能力は高そうだ。
けど、頭は空っぽだと思う。
「写真なんてない。ていうか、私は弟とケンカして離れたの。だからその要求には応じられない」
「えー、マジかよー。せっかくのイケメンが……」
「ぶちゃむくれたネコみたいな顔して、そんなにイケメンが好きなの?」
「はぁ? ぶちゃむくれ? 誰が? あたし? ひどくない?」
「顔のこと言われたくなかったら、もう話題にしないで」
「きっつぅ……」
ケンカになってしまった。
だからイヤなのだ。
こういうとき、アイが相手なら、私の姉パワーで一方的な勝利宣言を出せた。というか、アイは争いを好まなかったから、いつも試合放棄してただけだけど。
玉田さんも私の意見を優先してくれる。けれども、たぶん私を年下だと思ってナメてるから余裕ぶっているだけだ。
私と同レベルなのは、この自称イトたんだけ。
彼女は溜め息とともに横になった。
「なんかおなか空いたわ。ラジオ探して歩き回ったから」
ついには食べ物まで要求し始めた。
「トラックの積み荷に食えそうなのがあったぞ」
玉田さんは親指でコンテナを指した。
イトたんはそれでも動かない。
「えー、とってきてよ。中暗いんでしょ?」
「仕方ないな」
文句を言いながらも、彼はコンテナに入っていった。
こんな女、アマやかすことはないのに。
「あのさぁ、あのおじさん、マジでストーカーなの?」
「そうよ」
「なんかされた?」
「手当てされた」
「医者?」
「違う。ただの親切なおじさんよ」
私を助けるために、自分の仲間を撃った。
私だったらそんなことはしないと思う。
「伊藤さんは、これまでどうやって暮らしてきたの?」
「コンビニとかスーパーとか見つけて、中から食べ物とってた。でもほとんどダメになってるからさぁ。もうサバイバルだよね。そこらの動物とか……。でも全部くっさいの。なんでみんな食べないのか、理由が分かったわ」
動物――。
彼女はごまかしたけれど、きっとカラスやネコだろう。
私は、カラスだけは絶対に食べたくない。なぜならカラスが人を食べるところを目撃してしまったからだ。なぜアイはあんなのを凝視したのだろうか。おかげで私の脳裏にまで焼き付いてしまった。それにあの鳴き声……。
「エルたん、大丈夫? なんか思い出しちゃった?」
「大丈夫。あとエルたんはやめて」
吐き気をもよおしてる最中に妙な名前で呼ばれると、余計にイライラする。
「えー、いいじゃん。かわいいんだから。あたしなんてさ……」
「そういえば、下の名前聞いてなかった」
「言わないから」
「変な名前なの?」
「言わない」
本気でイヤがっている。
普通なら他人の名前なんてどうでもいいと思うのに、こうして隠されるとやけに気になってくる。
もっとも、ここでしつこく聞いたら、小学生の「魔法見せて」と同レベルになってしまう。私はあんなに低レベルじゃない。だから聞かない。でも、いつかぽろっと口を滑らせてくれたら、とは思う。
イトたんはニヤニヤし始めた。
「あ、じゃあ交換条件。その一、絶対に笑わないこと」
「笑わない」
「その二、イケメンになって壁ドンすること」
「壁ドン?」
「壁をドンってするの」
「壊せばいいの?」
「はぁ?」
「やりたくない。あっち側のヤツと目が合っちゃう」
「……」
誰かと会うたびに、また魔法の説明をしないといけない。
イトたんは引いている。
「あっち?」
「いい。言わない」
「なにそれ? そっちから言ってきたんじゃん」
「うるさい。どうでもいいでしょ。同じこと聞いてきても無視だから」
「マジでキツいわ。性格最悪。顔以外ぜんぶダメダメ。よかったね、あたしと逆で!」
「べつにブサイクなんて言ってないでしょ。ネコみたいって言ったの」
「ぶちゃむくれって言った」
「でもネコだもの」
歳が近いとこうなってしまう。
クラスの女子も、いつしか私のもとを離れていった。最後に聞かされたセリフは「エルちゃん、自分のことしか考えてないよね?」だった。たぶん事実だ。でも、私を利用しようとした彼女も悪い。私は友達だと思ってたのに……。
「ちょっと、泣くことないでしょ……」
イトたんが意味不明なことを言いだした。
「泣いてない!」
「まあそうだけど。あたしが悪かったから。もう言わない。だから、ね?」
「うん」
ちゃんと反省してくれるならいいのだ。
私だって、できればケンカなんてしたくない。ただ平穏に暮らしたいだけ。
「悪いな、酒のツマミしか残ってなかった」
玉田さんは「さきいか」の袋を持ってきた。
スーツのおじさんに似合いすぎている。
イトたんは大喜びだ。
「うわー、マジで!? まともな食べ物じゃん! おじさん、ありがと!」
「お、おう……」
本当におなかが空いていたらしい。
私も少し食べておいたほうがいいかもしれない。乾パンも残り少ない。
「もし足りなかったら、あとはカップ麺でも食うんだな。ただし湯はない。設備がないからな」
ペットボトルを火にかけるわけにはいかない。
せめて空き缶でもあればいいんだけど。
地下シェルターでの生活は最悪だったけど、食べ物だけはちゃんとしていた。焼きたてのパン、コーンのスープ、それにやわらかなチキン。たまにデザートも出た。
頭がアレになって食事をひっくり返してしまうこともあったけれど……。いま思えば、ちゃんと食べておけばよかった。
私が食べ物をひっくり返したとき、アイは自分のを分けてくれたっけ。そういうところだけは立派だった。逆に、私が弟になにか施してやったことはない。双子なのに、性格は似なかった。
玉田さんは腰をおろし、遠くを見てつぶやいた。
「とはいえ、もってあと数日ってところだな。どっかに畑でもありゃいいんだが……」
食べ物は、食べるとなくなってしまう。
以前はこんなこと、考えなくてよかったのに。
なにもかも、どこかの誰かが世界を壊したせいだ。
世界は、なんでこんなに不完全なんだろう。
じわじわ苦しむくらいなら、いっそすべて壊して終わりにしてしまったほうがスッキリするのではないだろうか。
うーん。
もしかすると、だけど。世界を壊したアイツも、こんな感情だったのかもしれない。
でもその世界というものが、自分の生活する世界でもあるということを、うっかり忘れていたとしか思えない。苦しむのは、世界のどこかにいる誰かだけではない。世界を共有している自分だって苦しむ。そういう想像力が、きっと欠落していたんだ。
(続く)