季節外れのサマータイム
さて、私はこの世界の支配者になったわけだけれど……。
誰もいない空き地を見つけ、少し高い瓦礫に腰をおろしてみた。
荒涼とした世界。
それも、溜め息が出るほどの広さだ。
念願の空もある。
なのに、虚しい気持ちしか湧いてこなかった。
壊れたあとの世界を手にしたって、ちっとも嬉しくない。
これが神さまの気分なのかしら?
それとも悪魔の気分?
などと気取ってみても、やはり虚しいものは虚しい。
体調が優れないせいかもしれない。
天気も重たい感じがする。
なにもかもが灰色。
世界はやはり私を歓迎してはいない。
弟は、私がおかしくなったと思い込んでいたみたいだ。
でも事実じゃない。
私は楽しくなったら笑って、哀しくなったら泣いていただけだ。なのにアイは、私が壊れたと決めつけていた。私に言わせれば、自分の気持ちを殺して、あの女にこびへつらっているほうが壊れている。
まあ過去の話はいい。
いまの問題は、とんでもなく「暇」ということだ。
時間という概念すら鬱陶しい。
なんなら例の組織の下っ端でも遊びにこないかしら、などと思った。
そしたら来た。
空振りのほうの下っ端が。
「ここにいたのか……」
走り回ったらしく、男は息を切らせていた。
「私、追ってきたら殺すって言わなかった?」
「忘れものだぜ。それと傘。降るかもしれねぇ」
ウサギとビニール傘を手にしている。
本当に余計なお世話。
この男は、こうやって優しく振る舞うことで、アイのことを信用させようとしていたのだ。アイも単純だから、すっかり騙されていた。二人の関係には嫌悪さえおぼえる。
「いらない」
「いや、いらないったって……。風邪ひくぜ?」
「いちいち鬱陶しいのよ、あなた。どうしても置いていきたいなら、そこに置いてけば? そしたら傘は使ってあげる。でもウサギはいらないわね。そいつ見てるとイライラするから」
「置き去りにしたらかわいそうだろ……」
「だったらあなたが持ってれば? お似合いよ、空振りおじさん」
「なんだよ空振りって……」
すると男は、本当に傘だけ置いて、ウサギを持って帰った。
持ってたってなんの役にも立たないのに。
しょぼくれた背中が遠ざかってゆく。
鬱陶しい男だけれど、悪人じゃないから生かしといてあげる。
彼自身も言った通り、生きてる人間を殺すことはできるけど、死んでしまったら生き返らせることができない。
ま、私は誰を殺したって後悔することはないけれど。
弟のことだって後悔してない。絶対に。悪いのはあいつなんだから。
腕がいつまでも痛い。
なんでアイは、あのとき敵を殺さなかったのだろう。
自分の命を、完全に諦めていた感じだった。
バケモノと言われたから? もしそうなら、あまりに繊細すぎる。ムカついたら殺せばいい。それだけなのに。人間なんて動物と一緒。言葉で言ったってちっとも聞かない。
ぽつんと冷たいのが来た。
雨だ。
ま、こういうのも雰囲気があっていいかもしれない。
なにもかもが壊れた世界に降る雨。
私にふさわしい。
そう思って少し耐えていたけれど、信じられないくらい冷たかった。体温が低下して、内臓まで震えた。このまま雨に打たれていたら死んでしまうのでは。
私は慎重に瓦礫をおりて、ビニール傘を開いた。
大粒の雨が傘に弾かれて、やけにボツボツと音を立てた。
周囲からはザーと世界を閉ざすような音。
寒い――。
そして寂しい――。
どこかに座りたいのに、ぜんぶ雨で濡れてしまっている。どこにも屋根がない。雨をしのげそうなのは、私の知る限り、横転したトラックの中だけ。
私はびしょ濡れになってトラックへ戻った。
焚き火はなかった。
コンテナの中を覗き込んでみると、暗がりの中で男がお酒を飲んでいた。
「どおわっ」
びっくりさせてしまったらしく、彼は酒瓶を落としてしまった。
「入っていい?」
「あ、ああ。いいぜ。入ってくれ。寒いだろ」
「……」
体が震えて仕方がなかった。
男は床をあさりはじめた。
「ほら、カイロだ。揉んでるとあったかくなるぜ。ただ、そのままだと体温を奪われるから、できれば服も脱いだほうがいいと思うが……」
「手伝って……」
「いいか? つーか張り付いちゃってるから、ハサミで切んないとダメかもな」
「切って。腕も痛いし」
「悪いな。じっとしててくれ。あとハサミも貸してくれ」
服を切ったあと、男は上着を貸してくれた。
ニットセーターはもう着られない。新しいのを探さないと。
「火もおこしたいんだが、ここじゃいろいろ危ないからな。我慢してくれ」
「うん……」
男はそれでもキョロキョロとなにかを探したが、もう役立ちそうなものはなにもないようだった。
「えーと、それで……。いまは弟のほうかな? それとも姉のほう?」
「姉のほう……」
「そうか。まあいろいろ言いたいことはあるだろうが、雨がやむまでは我慢してくれ。もっと言えば、俺のことも殺さないでくれると助かるな」
「殺さない」
「ならいい。腕の具合はどうだ?」
「すごく痛い」
「鎮痛剤は?」
「どれか分からない」
「鞄借りるぞ。たぶんメシも食ったほうがいいな。ビスケットがあるから、先にそっち食ってくれ」
「うん」
この人は、私の態度を怒ってはいないのだろうか。
大人だから?
ママはすぐに怒ったし、すぐぶった。アイのことはちっとも叩かなかったのに。きっとママが女だからアイに優しかったんだ。そしてこの人は男だから、私に優しいんだ。下心があるから。
たぶん違うと思うけど、そういうことにしておく。
ビスケットを食べてから、鎮痛剤を飲んだ。水もあった。
水はまだたくさんあるのに、男はワインの空き瓶に雨水をためていた。いろいろ使い道があるのだという。
「このウサギもさ、やっぱあんたが持ってたほうがいいと思うんだ。弟さん、大事にしてたんだぜ?」
「それはいらないから」
「なんで?」
「私、子供じゃない……」
「まあそうかもしれんが……」
でも幼い自覚はあった。
私は成長を放棄して、葛藤もなかったことにして、動物みたいに生きてきた。そうでもしないと、あの地下の生活には耐えられなかったから。アイだけが大人になっていった。私は私のまま。
なのに、体だけが成長して……。
*
また気を失っていたのかもしれない。
私は段ボールまみれだった。
男は変則的なイビキをかきながら、ときおりごにょごにょと独り言を言った。もし自分に父親がいたら、こんな感じだったのだろうか。
いや、記憶の中の父は、もっと若くてハンサムだった気がする。大きくなったらパパと結婚する、などと、どこかでおぼえたセリフを言ってやったおぼえがある。父は喜んでいた。あの瞬間、男はチョロいと思った。
雨はまだパタパタとリズムを刻んでいる。
息が白い。
寒かったので、カイロをもうひとつ使った。
もし一人なら、私はすぐにでも死んでしまいそうだ。
人を殺すのは得意だ。
でも、不死身というわけじゃない。
食べ物がなかったら死ぬ。水がなかったら死ぬ。寒さでも死ぬ。病気でも死ぬ。
なんだか虚しくなって壁に背をあずけたら、ドッという音が出てしまい、男がイビキを止めた。起こしてしまっただろうか。
いや、イビキはすぐに再開された。
小さな酒瓶に手を伸ばした。
茶色の液体で満ちている。ウイスキーだ。フタを開けてにおいをかいでみたら、思わずむせた。こんなもの、よく飲む気になれるものだ。
ウサギをつかんだ。
意外と触り心地がいい。
力を込めると、顔がひしゃげておかしな顔になった。意外とかわいいかもしれない。寒かったので、抱きしめてみた。
こいつには耳がひとつしかない。
私が引き千切ってしまったせいだ。
なんだか可哀相に思えてきた。
誰からも愛されない、出来損ないのウサギ。
どこかの誰かさんみたいだ。
*
朝、男の動く音で目をさました。
「どうかしたの?」
「悪いな、起こしちまったか? 雨もあがったし、なんかないか探して来ようと思って」
「なんかって? 食べ物も水もあるのに?」
「服だよ」
男は気まずそうに答えると、コンテナから出て行ってしまった。
私の服でも探すつもりだろうか。
本当にお節介なおじさんだ。
私は腕の痛みを感じながら、カップ麺をあけた。水でも時間さえかければ食べられるようになるらしい。なんならそのまま齧ってもいい。
カタいラーメンを食べ終えた私は、外で日光浴をした。
急に晴れた。
むかしの人は、女心と秋の空などと、失礼なことを言っていた。でも私の心はともかく、確かに空模様は急に変わった。
ひとつ分かったことがある。
この世界にひとりでいるのは、耐えがたいくらい退屈だということ。
「ねえ、ウサギ。あの人いつ帰ってくると思う?」
「……」
「なんか言いなよ。無視するの?」
「……」
「バカ」
「……」
ちっとも楽しくない。
私はアイと違って単細胞じゃないから、ぬいぐるみと喋ったところで心は満たされないのだ。もっと高度な会話でないと。
男が戻ってきた。
「すまん。男モノしかなかった。着れそうなの適当に選んでくれ」
両脇に服を抱えていた。
濡れていないところを見ると、屋根のあるところから回収してくれたみたいだ。
「ありがと……」
私はひとつひとつ広げて、自分に合いそうなものを探した。
髪は短くなっているから、たぶんいまの私はアイとそっくりのはず。つまりアイに似合いそうな服を選べばいい。
でも、私たちはずっと患者衣だった。いまいちイメージが湧かない。
「玉田さんは……どれがいいと思う?」
「えっ? そうだな。なに着ても似合うとは思うが、このシャツなんかいいんじゃないか?」
「ボタンがいっぱい……」
「ああ、腕がまだ治ってないんだったな。じゃあこのパーカーは?」
「それにする」
シンプルな黒のパーカー。
これなら男でも女でもあまり関係なさそうだ。
変なのにすると、あとでアイが怒りそうだし。
肩はあまり動かせないけれど、肘から先は自由に動かせる。だからひとりで着ることができた。のたうつほど痛かったけど。
まだちょっと寒い感じがするけれど、そのうちおさまりそうだ。
男が焚き火をおこしてくれた。
「ラジオも拾ったぜ」
「ラジオ?」
「ああ……。音が聞こえるやつ。え、知らない?」
「あんまりよく分からない」
「かーっ。いまどきの若いのは、ラジオも知らんのか。俺も歳とるわけだな」
空振りおじさんのくせに偉そうだ。
若者とかなんとか言う前に、私は地下シェルターに隔離されていたのだ。インターネットも使わせてもらえなかった。情報がないのだ。ラジオなんて言われても困る。
男は機械の箱をいじくって、ザザーッというノイズを聞いていた。斬新な音楽だ。これがラジオだろうか。
かと思うと、いきなり歌が聞こえてきた。
「お、すげぇぞ。電波来てる」
「なんで驚いてるの? そういう機械なんでしょ?」
「いや、だって、どっかで誰かが放送してるってことだぜ?」
「これに曲が入ってるわけじゃないの?」
「言ってみりゃ、こいつはテレビみたいなモンさ。音だけのな。それがラジオだ」
「へえ」
外国の歌のようだ。
なにを言っているのか聞き取れない。
男は満足そうにラジオから離れ、瓦礫に腰をおろした。
「季節外れのサマータイムだな。ま、曲が残ってただけマシか」
「知ってる曲なの?」
「名曲だぜ。ジャニス・ジョプリンだ」
「この人、声枯れてない?」
「ま、まあな……」
なにかおかしなことを言っただろうか。
その後もいろんな曲が流れて来たが、五曲くらいでまた「サマータイム」になってしまった。あまり曲がないのかもしれない。
すると男がいきなり銃を構えた。
私もその方向を見た。
組織の下っ端でも来たのだろうか。
忍者みたいな黒服のちびが、日本刀を構えていた。
「見つけたぞ悪党ども! 成敗してやる!」
顔が覆面で隠れているから、男か女か分からない。声変わりする前の少年だろうか。
そういえば弟は、ほとんど声変わりしなかった気がする。ずっと私と同じ声だった。ママも「いま返事したのはどっち!?」などとキレ散らかしていたっけ。どんなネタでもすぐ怒る。
男は立ち上がった。
「まあ、待てよ。俺は自分を善人とは言わねぇが、悪党なんて呼ばれるようなこともしちゃいねぇ。誰かと勘違いしてないか?」
「黙れ悪党! そのラジオ盗んだだろ!」
「あ、これ君のか……」
泥棒だ。悪党だ。盗っ人猛々しいとはまさにこのことだ。
私は溜め息をついた。
「返してあげたら?」
「そ、そうだな。悪かった。落ちてたと思って……。いますぐ返すよ」
けれども、忍者はじっとこちらを見ていた。
戦うつもりだろうか。
もしそうならいつでも切り裂く準備はできている。お行儀よくお話しできない子には、私も容赦しない。
(続く)