私がもらったっていい
結局、僕はカラスが狂喜しながら食事するのをずっと眺めていた。
といっても死体はカラスで覆われていたから、ほとんどなにも見えなかったけど。
空振りおじさんはずっと顔をしかめていた。
腕の痛みはおさまらなかったけれど、僕たちは移動を開始した。
リュックはおじさんに持ってもらった。持ち逃げされる可能性もあったけど、もしそんなことするつもりなら、野宿のときにやっていたはずだ。
なんとなく、僕はこのおじさんを信用し始めていた。
一緒には帰らないけど。
景色は変わらない。
コンクリートが砕けて、山のように堆積している。折れた電柱からは電線が垂れ下がっていて、たまに風が吹くとゆらゆら揺れた。
空はかすれたような薄青。
いちどは高くのぼった太陽が、もう斜めに傾いている。毎日、毎日、飽きもせず、出たり消えたりするものだ。
横転したトラックが道をふさいでいた。
「あ、行き止まり」
僕はどこからどう来たかも気にしないし、適当に歩いてどこへつくかも気にしてない。だから行き止まりにぶつかっても落胆しなかった。
「少し疲れちゃった。ここで休もう」
「ああ」
おじさんは近づいてきた。
僕の腕の様子が気になるらしい。
「あんまり近づかないで欲しいな」
「そう言うなよ。医者でもいりゃいいが、ここには俺とあんたしかいないんだ。もろもろ我慢してくれ」
「痛いけど我慢できるよ」
本当は我慢できない。できることなら、この腕を切り落としたいくらい痛い。でもたぶん、そこまでひどい傷ではないのだ。
「包帯、交換しなくて平気か?」
「平気だから」
「ならいいが……」
乾いた血でこびりついているから、いま包帯を取り換えたら余計に痛むはず。
おじさんは荷物を置いて、トラックの後ろへ回り込んだ。
「コンビニの配送車だな。けど、ほとんど持ってかれてる。まあ残されたところで、生モノは腐っちまって食えたモンじゃなかったろうけど……。意外とカップ麺が残ってるな。ま、いくらあっても肝心の水がなきゃな……」
「僕、あまいものが食べたい」
「残念だが、チョコもアイスも溶けちまって蟻の餌だ」
けど、おじさんはちっとも残念そうな顔をしていなかった。缶ビールを手にしている。
コンクリの上に腰をおろし、缶を開けていきなり飲み始めた。
「まっじ……」
第一声がそれだ。
なのにおじさんは、二口、三口と飲み続けた。
「マズいのに飲むの?」
「これしかなかったんだよ。せめてもう少し冷えてりゃなぁ……」
「僕も飲みたい」
「未成年はダメだ。それに、出血してるときにアルコール入れると、余計に血が出るぞ」
「僕、もう大人だけど」
十八歳だから選挙権もある。
けれどもおじさんは、もう酔っているのか、斜め下からこちらを見てきた。
「ホントかぁ?」
「疑うの? 人権侵害だよ」
「よく言うぜ。ま、飲みたきゃ自分で探してくれ。だが、自分が怪我人だってこと忘れるなよ。痛くて寝らんなくなっても知らねぇからな」
「なんか偉そう」
「そうだよ。おじさんってのはな、無暗に偉そうなんだよ。あんたもいずれそうなるぜ」
「……」
ずっとマズそうな顔でビールを飲み続けている。
僕はきっとこんなおじさんにはならない。
僕を捕まえに来たのにちっとも真面目にやらないし、他人の世話を焼いてばっかり。なにがしたいのか分からない。
頭がもやもやする。
*
気が付くと、夜になっていた。
焚き火がある。
僕は段ボールの上で寝かされていた。
「僕、寝てた?」
「ああ。いきなりな。たぶん貧血でも起こしたんだろ。食えそうなモン探しておいたから、それ食って体力つけてくれ」
「……」
おつまみのナッツ、飴、そしてサプリメント。
これでも一生懸命探してくれたんだろう。たぶん。
おじさんはワインを瓶から飲んでいた。
「またお酒飲んでる」
「飲めるうちに飲んどかねぇと、次いつ飲めるか分からんからな」
「頭バカになるよ?」
「大丈夫だ。これ以上バカになることはねぇよ」
「……」
僕は、アルコールは遠慮しておこう。
ナッツの袋をあけて、アーモンドをひとつ口に放った。はじめは塩気にびっくりしたけれど、噛んでいるうちにあまみが出てきた。地下ではこんなの食べる機会もなかった。
おじさんは段ボールの箱をあさり、僕の脇に500mlのペットボトルを置いた。
「水もあったぜ。そのまま飲める」
「よく残ってたね」
「たぶん持ち切れなかったんだろ。俺たちも全部持ってきてぇところだが、さすがに重すぎる。あるだけ飲んじまったほうがいい」
「うん」
水を口にすると、体中に染みわたるのを感じた。自分でも気づかないうちに水分が失われていたようだ。一気に飲んでしまった。
おじさんは横になった。
「俺は寝るぜ。なんかあったら声かけてくれ。気づいたらなんとかする」
「うん」
たぶん気づかないだろう。
かなり飲んでいた。
*
僕らはなにごともなく朝を迎えた。
けれども空はどんよりと曇っていた。雨が降るかもしれない。
火は消えてしまっている。
おじさんはイビキをかいて眠ったまま。
僕は火の扱いもよく分からなかったから、特になにもせず景色を眺めていた。
ママに誘拐される前、僕は姉さんと学校に通っていた。
いまにして思えば、普通の学校ではなかった気もする。放課後に僕と姉さんだけ残されて、先生から魔法の使い方について指導された。
「どんなに怒っても、人に使ってはいけません」
「冷静になる訓練をしましょう」
僕たちはわりと素直に聞き入れていたと思う。
もちろんケンカなんかじゃ使わなかった。そもそもほとんどケンカもしなかった。間違って人を傷つけてしまうこともなかった。
だけど同級生たちは、気軽に「魔法見せて」なんて言ってくる。僕が「いやだよ」っていうと「ケチだ」とか「つまんね」とか言う。最後は仲間外れだ。
でも平気だった。
僕には姉さんがいたから。
それに、姉と仲のよかった生徒が、悪いヤツらを叱り飛ばしてくれた。
「ちょっと男子、アイくんいやがってんじゃん」
「うるせーブス」
「は? 先生に言うよ?」
「うぜ」
こんなやり取りを何度目にしたことか。
正直、学校はあまり好きじゃなかった。
それでも、地下シェルターよりは全然マシだった。
*
乾パンを齧っていると、おじさんが目をさました。
「いって、寝違えたかな……」
「おはよう」
「おう、おはよう。腕の具合はどうだ?」
「平気」
本当はまだ痛い。
でも強がりたかった。
おじさんに世話を焼かれるのが、なんだか鬱陶しかったからだ。不快というわけじゃない。でも、不快じゃないのがなんだか許せなかった。誰も僕の体に触っちゃダメなのに。
おじさんはネクタイを拾って、苦心しながらなんとかつけた。仕事中はずっとつけているつもりかもしれない。
かと思うと、飲み残しのワインを瓶から飲み始めた。
「ぷはぁ……。どっかにブドウなってねぇかな。そしたら自分で作れんのによ」
「いまから植えたら?」
「まあ、そうだな。もしこのあとも人間が生き延びるなら、どっかに畑でも作らないとな……」
「畑……」
世界が壊される直前まで、僕たちはコンクリートと機械にまみれて暮らしていた。
でも、どこかには畑があって、そこで米や野菜、果物が作られていたはず。人間たちは、そこからやり直さないといけない。
「ねえ、おじさん。僕にも畑できるかな?」
「さあ、どうだろうな。俺もやったことねぇからな。皆目見当もつかんよ。アサガオなら育てたことあるんだがな」
「あ、僕もあるよ。種埋めて、肥料あげて、水やって……」
「そういや、種売ってる店がどっかにあるはずだな。そいつを使えばトマトくらいならいけるかもな。もしくはジャガイモだ。アレは生きるのに役立つ」
「なんか楽しそう。ね、やろうよ。畑」
「ああ。だが肝心の土がな……」
おじさんの表情は渋かった。
どこを見てもアスファルトで覆われていて、その上にコンクリートが散らばっている。畑にできそうな土はなかった。
「この空間を切り裂いたら、下から土が出てくるかも」
「あんたの力、そんなことに使っていいのか?」
「べつに。どう使っても僕の自由だよ。でも……」
僕はよくても、「向こう側」の怪物はどう思うだろうか。あんまりやりすぎると、空間を破ってこちら側に出てきてしまうかもしれない。
おじさんは瓶を置いた。
「ま、なにもここでやるこたねぇよ。どっか安全そうな場所見つけて、そこでやりゃあさ。水もいるから、川のそばがいいだろうな」
「そのときはいろいろ教えてね」
「いや、俺より詳しいヤツ見つけたほうがいいぜ。なんせこっちはトーシロだからな」
でも僕は川がどうだとか思いつきもしなかった。
外での生活はおじさんのほうが詳しい。
ふと、壁に立てかけてあるぬいぐるみと目が合った。
姉さんの遺品のウサギ。
耳がひとつしかないウサギ。
血にまみれたウサギ。
うつろな目のウサギ。
なんだけど、僕になにか言いたそうにしていた。
「なに? 姉さんも畑やりたいの?」
「……」
「ん? どうしたの? 僕になにか言いたいんじゃなかったの?」
「……」
体がぞわぞわする。
もしかして……。
でも……。
僕は立ち上がって、リュックを拾った。ぬいぐるみは置きっぱなしのまま。
「どこ行くんだ?」
「ちょっと……」
横転したトラックの荷台に入った。
僕は体がよくない。
たまに血が出てしまう。
あいつ、こんなときだけ私に戻って……。
*
私は処理を終えて外へ出た。
男は何食わぬ顔でワインを飲んでいた。
私が戻ってもなにも言ってこない。
たぶんぜんぶ分かっているのに、理解ある大人のフリをして、このまま黙っているつもりなのだろう。
だから私もなにも言わない。
リュックを放ったらウサギにぶつかってしまった。
でもいい。
こんなのは私のお気に入りじゃない。遺品でもない。
死んだのは私じゃない。アイのほうだ。私が殺した。理由は思い出したくもない。とにかく私は腹が立っていた。
一番殺したかったのはママを自称するあの女だけれど、弟のアイも似たようなものだった。信じられないくらいいい子でいようとして、あの女に媚びを売っていた。無意味な行為だった。
特に許せないのは、私の体に入り込んだあと、勝手に髪を切ったことだ。せっかく伸ばしていたのに。髪を切ったからって、女が男になれるはずがない。そんなことも分からないから死んだのだ。
「玉田さん……だったっけ? いろいろお世話になったみたい。ただ、一緒にいる意味もないし、ここらでお別れしたいんだけど……いい?」
「えっ?」
さすがに面食らっている。
ごまかすのも面倒なので、私は率直に教えることにした。
「私、たぶん二重人格なの。弟の人格が入り込んでいて……。さっきようやく自分に戻れたとこ。とにかく、私は弟と違って、あなたに気を許してないから。近くにいて欲しくないの。分かるよね?」
「……」
私が女だということは、彼も分かっていたはずだ。
いまは精神も一致している。
この程度の状況、酔っていても理解できるだろう。
「え、いますぐ?」
「そう、いますぐ。ま、動きたくないっていうなら、そのままでもいいわ。私が出て行くから」
「いや、それはさ……」
「ではさようなら。もし近づいてきたら容赦なく殺すから、そのつもりで」
私はリュックだけ拾って歩き出した。
ウサギは置き去り。
私はとっくに「少女」じゃない。あんな汚いぬいぐるみも必要ない。あの女からもらったぬいぐるみなんて……。
どいつもこいつも不快だ。私以外、みんな死ねばいい。
なにが光の力だ。あんなのは神でも悪魔でもない。ただの出来損ないだ。私は何度も警告したのに。誰も聞こうとしなかった。現状の人類の知能では、世界など壊れて当然だ。
「アハハ……」
歩いていると、わけもなく楽しくなった。
すべてから解放された。
この灰色の世界を独占したい。
私にはそれができる。
もう誰も使わないんだから、私がもらったっていいはずだ。
(続く)