争いはもうたくさん
道を進んでいると、次第に霧が晴れてきた。
幻想的な風景だったのに。
視界が明瞭になると、壊れた世界が目の前に広がった。
ふと、嘉代ちゃんが刀に手をかけた。
遠くからエンジン音が近づいてきたからだ。
敵だろうか。
ガタガタと異様にやかましい音を立てている。
「待ってくださーい! 世田谷でーす!」
運転手は大声で叫んでいる。
どうやってここを特定したのだろうか……。
バイクが目の前で停車した。後ろにはリヤカーをつけている。ガタガタ音を立てていたのはこれだろう。ただし、荷物はない。
「迎えに来ました。マリオネットさんが、衛星で皆さんを見つけまして」
「助けてくれるの?」
私の問いに答えたのは、その男性ではなく、イトたんだった。
「そうだよ。なにかあったら協力してって事前に頼んでおいたんだ」
そして彼らはその依頼に応じてくれた、と。
なら、私も手を貸さないわけにはいかない。
「ありがとう。世田谷まで運んでくれるの?」
「はい」
「ちょうどよかった。メトロの人たち、世田谷を攻撃しようとしてる。それを知らせに行くところだったの」
「把握してます! その件で、大統領から、プリンセスにご助力願いたいと」
「善意なんかじゃなく、互いに利用し合う関係ってわけね。いいわ。そのほうが信頼できる」
*
お尻がとんでもなく痛かったけれど、昼前には世田谷に入国することができた。
私たちが通されたのは役所の会議室だ。
「お目にかかれて光栄です、プリンセス」
「私もよ、大統領」
この場にはマリオネット氏もいた。
彼は細長い指示棒を手に、ホワイトボードに描かれた地図を示した。
「感動的な挨拶はあとだ。敵の部隊が世田谷に迫っている。数は千五百強。みんな武装している。対する世田谷の人口も千五百弱。だが、戦闘可能なのは、そのうち七百もいない。まともにぶつかれば負ける」
負ける、などと言い切った割りには、表情に不安の色はなかった。
なにか策を用意してあるのだろう。
私が質問せずとも、彼は自分からこう続けた。
「そこで、敵の進行ルートにあらかじめ罠をしかけた。玉田氏の考案したガソリンの罠だ。敵が通過しかけたところで作動させ、隊列を中央から焼く」
想像したくもない作戦だ。
けれども、こうなってしまった以上、効率的に敵の命を奪うしかない。
私は特に興味もなかったけれど、会話で気を紛らわせたかった。
「どうやって罠へ誘導するの?」
「バイクを使う。偶然をよそおって敵の集団に遭遇させ、Uターンで逃走させる。すると敵は、そこが世田谷への安全ルートだと考えるだろう。そこを焼く」
「で、考案者の玉田さんはいまどこに?」
「壁の防衛に参加している。指揮官として後ろにいればいいものを」
玉田さんらしい。
また撃たれなければいいけど。婚約者の白石さんを哀しませることになるから。
マリオネット氏は指示棒でボードを叩いた。
「だが、安心はできないぞ。罠だけで全滅させることはできない。大部分は壁まで迫ってくるだろう。戦闘は避けられない。敵は梯子を用意しているし、火炎瓶なども投げ込んでくるかもしれない。ある程度の被害は免れんだろう」
「じゃあ、その戦いは私が担当するわ」
マリオネット氏が眉をひそめた。
「お前たち四人で?」
「いいえ。一人よ。ぜんぶ私が引き受ける」
もう躊躇しない。
空間を大きく切り裂いて、一気に始末してあげる。
イトたんがしがみついてきた。
「待ってよ! 無茶なことしないで!」
「無茶じゃないわ。私にはそのための力があるの。そのためにしか使えないような力がね。それに、みんなを巻き込みたくないから、イトたんたちは一緒に来ないで欲しい」
イトたんはなにか言いたげだったけれど、マリオネット氏が遮った。
「おっと、いまはセンチメンタルなやり取りをしてる場合じゃない。正面の敵はお前に任せる。おそらく適任だろうからな。だが、敵は部隊をいくつかに分けるはずだ。側面に回り込んできた連中は、国民で対応する必要がある」
さすがにそこまでは手が回らない。あまり大きく切り裂くと「救済」が発動してしまうからだ。
嘉代ちゃんがうなずいた。
「なら、わしゃ側面を守るけぇ。姉さん、あとで会おうや」
「撃たれないように気を付けてね?」
「なに。わしゃ鉄砲玉じゃ。鉄砲なんか怖くない」
彼女の家は、本当に剣術の道場だったのだろうか。
私は不安になってイトたんに向き直った。
「危なそうだったらちゃんと止めてあげてね」
「任せて!」
ぐっと親指を立ててバチバチとウインクをしてくれた。
ふざけてるけど、イトたんには妙な説得力がある。
鈴木さんがおずおずと尋ねた。
「あのー、私はどうすれば? 戦うのとかムリなんですけど……」
すると大統領の島村さんは、優しげな表情でうなずいた。
「なら裏方の仕事をお願いします。炊き出しや怪我人の手当てなど、いろいろすることがありますから」
*
戦闘配置についた。
といっても正面は私ひとり。
壁の上に立ち、瓦礫の街を眺めている。
うららかな空気。
なまぬるいそよ風。
遠方には霞んだ地平線。
世界は壊れているのに、すぐそこまで敵が迫っているのに、それでも平和に見える。
私は、マリオネット氏のくれたヘッドセットに語りかけた。
「あとどのくらい?」
『現在、罠の手前を通過中です。その後の判断次第かと。あ、でももし罠がなければだいたい十分くらいです』
オペレーターをしているのはアリス。
声がかわいい。
これで男の子だというんだから……。
まあいい。
姉よりかわいい弟など存在しない。そう考えて生きてきたけれど、いい加減、私も受け入れなければならないのだ。女子よりかわいい男子は存在する。
しばらくすると『罠にかかりました』と続報が来た。
映像がないのはなによりだ。
私は、決して血が見たいわけではない。グロテスクなのも苦手。本当なら、お花とネコとあまいお菓子に囲まれて生きていたい。だけど世界がそれを許さなかった。
音が近づいてきた。
ブラスバンドだろうか。
軍隊が行進するときにやる演奏かもしれない。
もしこれが戦争でなければ、素直に楽しめたのに。
『敵が三手に別れました。北と南の部隊は警戒してください。東側正面、あと五分で遭遇します』
「了解よ」
私は穏やかな気持ちで応じた。
もう始まるのだ。
そうしたら、全力でやらないといけない。
手加減をすれば、敵を余計に苦しめることになる。
「全体、止まれ!」
聞き覚えのある声が響き、男たちが行進を止めた。
私の眼下に、数百の男たちが整列している。
先頭には口髭の大佐。
彼は一人で前へ出た。
「あくまで世田谷に手を貸すというのか……」
「そうよ。恩があるもの」
「我々への恩はない、か」
「あるわ。だから、もし戦いが終わったら、私を殺すためのヒントをあげる。きっと何人かは生き延びるでしょうから」
「……」
なんとも言えない表情になってしまった。
彼は部下にうながされ、後ろへさがっていった。
「全体、構え! 戦闘用意! 撃てぇ!」
誰かの号令で、一斉に同じ動きをする。
よく訓練のされた兵隊たち。
でも、何度やっても、私には勝てない。
私は大きく空間を裂き、彼らの立っている大地ごと切りつけた。パァン、パァンと銃声がする。けれども、体勢を崩した兵士たちは、てんでバラバラの方向へと発砲していた。
「ひるむな! 前進! 撃て! 撃てぇ!」
哀しいほど無力な大人たち。
魔女に銃を向けるなんて。
そんなに血が見たいのなら、自分たちの血を見るがいいわ。
『東側、戦闘が始まりました。北側、遭遇まで一分。南側、遭遇まで二分三十秒です』
アリスが忙しそうに報告を入れている。
小さな雲が青空を流れてゆく。
火薬の炸裂音。
男たちの怒鳴る声。
出血して死んでゆく身体。
歓喜する黒いドロドロの怪物。
地球は丸い。
私は壁から飛び降りて、彼らの前に立った。
怯えた表情。
私は切り裂く。
大きく裂きながら、ただ前へ進む。
人が死ぬ。
百人、二百人、三百人――。
そのうちに、彼らは押し合って逃げ始めた。
ドタドタと靴音がする。
それに土埃も。
首相が開戦の署名をしたと言っていた。
だから彼らは来た。
そこに意思は働いたのだろうか。自分たちで判断したのだろうか。上が命じてきたからその通りに来ただけなのだろうか。
もちろん、こんなことを俯瞰できるのは、私に特別な力があるからだ。
もしなければ、彼らと同じことをしていたかもしれない。
だから私の問いは不毛なのだ。
自分ができるからといって、できない人間に、「なぜ?」と尋ねている。
私は私が嫌い。
腕や足が、瓦礫にぶら下がっている。
右も左も死体ばかり。
生きている人間は、ほとんどいなくなってしまった。
足を怪我して逃げ遅れたおじさんが、乱れた呼吸でうずくまっていた。武器は手にしていない。きっと逃げる途中で転んで、仲間たちに踏みつけられたのだろう。
「安心して。殺さないから」
「ひっ、ひっ……」
呼吸なんだか悲鳴なんだか分からない声。
私は空を見上げた。
本当に爽快な春の空。
ピクニックにでも出かけたい気分。
「ひどいわね。仲間たちに踏まれて。だれもあなたを助けなかったのね」
「こ、殺すなら一思いに……」
「殺さないって言ったでしょ? あなたにはお土産をあげる。祝祭グループのシェルターをよく探してみて。あそこには、魔女の能力を封じる機械があるから。それを使えば、私のことなんてちっとも怖くなくなるはずよ」
「えっ? な、なんで……」
なんで?
そんなの簡単だ。
私は自然と笑みを浮かべた。
「だって、悪い魔女がずっと強いままなんて、正しくないでしょ? 物語はハッピーエンドじゃなくちゃ」
*
戦いは終わった。
イトたんも、嘉代ちゃんも、怪我はないみたいだった。玉田さんがまた病院に運ばれたようだけど。
「次郎さん! 死なないで次郎さん!」
「あだだ! 痛い! 痛いってハナちゃん」
ベッドに寝かされた玉田さんを、白石さんが必死でゆすっていた。本気で心配しているようだけど、たぶん逆効果だ。
白衣の老人も「やめなさい」と顔をしかめている。
「でも次郎さんが!」
「大丈夫だよハナちゃん。足を撃たれただけだから」
「痛い?」
「痛いけど、動かなければそんなに……。だから君は、できるだけ俺を動かさないで欲しい。いい?」
「うん……」
婚約者をこんなに哀しませるなんて。
やっぱり空振りおじさんだ。
無事を見届けたので、私は声もかけずに病院を出た。
外では鈴木さんが待っていた。
「どうだった?」
「大丈夫みたい」
「でもあの人たち、病院でイチャイチャしすぎよね」
「私たちもイチャイチャする?」
そう尋ねると、鈴木さんはあきれたように口を半開きにした。
「あなたって、ときどきとんでもなくバカになるわね」
「なにそれ」
「言葉通りよ」
「でも私が撃たれたら、鈴木さんも泣いてくれるでしょ?」
「私はどうか分からないけど、伊藤さんは泣くんじゃない? あの子、あなたのファンだから」
おさげ髪をいじっている。
きっと照れているだけに違いない。
そのイトたんは、炊き出しのおにぎりを両手につかみ、交互に食べていた。
「働いたあとのご飯は格別だわ。エルたんも食べた?」
「あとで食べるわ」
「急がないとなくなっちゃうよ?」
「口元にお米ついてる」
「チュッてして?」
「ふざけないで」
ふてぶてしいぶちゃネコね。
顔を突き出してきてしつこかったので、私はそれを指でとって食べた。
一粒じゃ味は分からない。
すると嘉代ちゃんも近づいてきた。手にはおにぎりがひとつ。
「伊藤の姉さん、相変わらずじゃの。それで何個目じゃ?」
「まだ五個目よ。この倍はいけるわ」
「姉さんのせいで地球が温暖化しそうじゃな」
「どういう意味よ!」
でも、みんな笑顔で楽しそう。
本当は楽しいわけないけど。
でも死ぬかもしれない緊張感から解放されて、ようやくほっと一息つけたところなのだ。無邪気に楽しみたい気持ちはあった。
島村さんが近づいてきた。
「お疲れさまです。皆さんの戦いぶりは、衛星でも拝見させていただきました。おかげで我が国は、被害を最小限にとどめることができたようです。なんと感謝を申し上げればいいやら」
我ながら桁外れの戦力だったと思う。
でもたぶん、労働した分は、もうおにぎりで回収したような気もする。
「お互いさまよ、大統領」
「いえ、もしあなたが敵方についていたらと思うと……」
「私は善人じゃないけど、親切にしてくれた人には報いたいと思ってる。だって、よくしてくれた人まで傷つけたら、一人になってしまうもの」
言いながら、自分でも妙な気分になった。
一人になってしまう――。
最初はそんなの覚悟の上だったはず。なのに、仲間ができたら、もう離れられなくなった。それどころか、むかしの友達にまで復縁を迫った。私は必死だった。結局のところ、私は寂しさを克服できなかったのだ。もし「救済」なんてしたら孤独が待ってる。そんな世界には耐えられない。
島村さんは何度もうなずいた。
「プリンセス、あなたは救国の英雄です。もう魔女とは呼ばせません。我が国は、あなたへ最大限の感謝を捧げます」
「大袈裟よ。それに、魔女って呼ばれるのももう慣れたわ。また遊びに来たときに、受け入れてくれればそれで結構よ」
「もちろんです。いつでも歓迎しますよ」
世界がどこもこうであったらよかったのに。
争いはもうたくさん。
(続く)




