怪物であること
もしかするとこれは正解じゃないのかもしれない。
私の頭がもう少し賢ければ、違う結論に達していたかもしれない。
けれども、いまの私にはこれが限界だった。
つまり、暴力で意見を通すのだ。
大切な人たちが殺されそうになっている。
だから殺す。
とても簡単で、くだらない結論だ。
ほかに解決策が思い浮かばなかった。
時間もなかった。
「おい、ここは立ち入り禁止だぞ」
「うるさい」
銃を持っていた男を、私は真っ二つに切り裂いた。
きっと彼に罪はない。
ただ仕事をしていただけ。他に選択肢がなかった。
でも、みんなそう言いながら、他人に暴力を振るっている。
殺すときも、殺されるときも、それしか言わない。
役割が、立場が、職業が、人に暴力を促している。だったらその社会自体を破壊しないといけない。社会を破壊しなければ、人は自分で考えようとしない。機械を殺しても私の心は痛まない。
患者衣に返り血がついてしまった。
*
私は殺しながら進んだ。
軍人たちも異変に気付いて私に襲い掛かって来た。
でも、まったくの無力。
話にならない。
弾丸は私に当たらない。なのに私はすべてを切り裂ける。バカみたいな能力。殺し放題。
私は恩をあだで返している。
心苦しい気持ちもないではない。
けれども、それを凌駕するほどの気持ちに突き動かされている。
私を怒らせた彼らが悪い。
それでも誰かが私を責めるなら、こう言い返してやる。
私にそうさせた世界が悪い。
「止まれーッ! 止まらんかーッ!」
野太い声が飛び交っている。
私は構わず殺す。
首が飛び、腕が飛び、胴が落ちる。
廊下は血まみれ。
私も血まみれ。
「こっち来るぞ!」
「おい逃げるな! 戦え!」
「補給急げ!」
彼らは悪くない。
命じられるまま戦っているだけ。
私も悪くない。
仲間を傷つけられたくないだけ。
「もうムリだ!」
「諦めるな! 撃て!」
「ちくしょう!」
人間が、人間レベルの戦いをしている。
でもそんなの無意味。
私を傷つけることはできない。
無益。
私は奥まで進み、一通りの男たちを殺害した。
駅のホームや線路が血液でびしゃびしゃ。
その血液がもうもうと蒸発して、すさまじい悪臭になっている。まるで人間の体臭を煮込んだスープをぶちまけたみたい。
私は猟奇殺人鬼にでもなったみたいだった。
でも私は好きで戦ってるわけじゃない。
こうすることしかできないから、しているだけだ。
もしここの上層部が優しい人たちだったなら、こうはならなかっただろう。
そう。
そこに優しさが示されたならば……。
メガホンで声が響いた。
『止まれ! 止まりなさい! 大佐が交渉に応じる! 我々は争いを望まない!』
姿が見えない。きっと物陰から叫んでいるのだろう。
それにしても、「争いを望まない」だなんてよく言えたこと。なにもかも暴力で解決してきたくせに。いざ自分たちが劣勢になると、簡単に意見をひっくり返す。
私は少し笑ってしまった。
「私になにか得があるの?」
『大佐は、人間らしく話し合いたいとおっしゃっている! 君にもなにか要求があるはずだ! 我々はそれを知りたい!』
「いいわ。ただし、少しでも怪しい動きを見せたらその瞬間に殺す。それでもいい?」
見えやすいようにホールドアップした。
手なんて使わなくても殺せてしまうから、このポーズにはあまり意味がないんだけど。
『その条件で構わない! いまから大佐が向かう! あくまで交渉だ! 暴力は慎むように!』
「一人で来てね。こっちも一人なんだから」
すると約束通り、一人で来た。
口髭のダンディなおじさま。
制服姿が決まっている。これで顔が青ざめていなければカッコもついたんだろうけど。
「大佐の柿崎だ。事態を収束させたい。君の希望はなんだ?」
私は少しイラっとしてしまった。
「希望? それはもうとっくに告げたわ。二秒で拒否されたけど」
「私にも教えてくれ」
「あなたならオーケーしてくれるの? さっきはダメだったのに、いまならオーケーになる理由はなに? 私の主張が正しいからではなく、ただ自分が助かりたいから意見を変えるのよね?」
「どう思われても構わない。ただ、要望を知らなければ、こちらも応じようがない」
そうね。
きっとあなたたちはそうなんだわ。
暴力で引き裂かれなければ、意見を変えられない人種。
「私ね、戦争をやめて欲しいってお願いしたの。そしたらダメだって言われちゃった」
「戦争? 世田谷の件か?」
「そう」
もちろん私はワガママを言っている。
彼らが戦争好きだったおかげで、救済グループが壊滅し、私も救われたのに。
だから一番都合のいいことを言っているのはこの私。これは人に救われたペットが、飼い主の手を噛んでいるようなものだ。でも、ペットにもペットの「気持ち」がある。
彼は苦虫を噛み潰すような顔になった。
「それは……私の一存では決められない。だが待て。議題にあげることはできる。早まった行動はしないで欲しい」
「いいの。もう諦めたから。それに、今回辞めたところで、どうせあとでまたやりたくなるでしょ? 力を持っていると、周りのみんなをコントロールしたくて仕方ないものね。私、そういうのよく分かるわ。殺そうと思えば殺せちゃうのに、我慢しないといけないんだもの」
「落ち着いて話をしよう」
彼の言葉は、いちいちストレスだった。
もちろん「落ち着け」と言われて「私は落ち着いてる!」なんてキレちゃうのは定番だけど。いま私が抱いているのは、そういう中学生レベルの反骨ではない。
もっと幼稚な感情。
イラついたから痛めつけたいというだけの、動物みたいな衝動。
ただの万能感だ。
「分かったわ。落ち着く」
気持ちとは裏腹の返事をすると、彼はほっとした表情になった。
「助かる。うー、君の要望は把握した。最大限尊重したい。法と秩序のために」
「法と秩序……」
「我々とて、決して争いを好んでいるわけではないのだ。すべては法と秩序をあまねく広めるための活動。志は君と一緒だ」
「そう……」
一緒なわけがない。
なぜなら私はワガママで、ふざけた力を持っていて、魔女で、気に食わないヤツを黙らせたいだけで、自分の好きな人たちだけ助けようとしているのだ。もしそれと志が一緒なのだとしたら、そんな危険なヤツとは手を組めない。自分のことだからなんとか許せているだけで、もし他人だったら決して許せないだろう。
私は善人じゃない。
救済者でもない。
私利私欲のかたまり。
足りない頭脳に、暴力だけが搭載された怪物。
大佐は必死で説得を続けていた。
「つまり、分かり合えるのだ。互いに争う必要はない。本来は君も平和主義者だろう? 手を取り合おうじゃないか? な?」
まあいい。校長先生の演説ほど長くもないし。
私は溜め息のような深呼吸をしてから、こう応じた。
「要望、もうひとつあったわ。私の仲間がどこかに閉じ込められてるの。そこへ案内して? もし少しでも傷つけたら、ここの住民をみんな殺す」
「わ、分かった。案内する」
*
かくして私は、「ごく平和的に」仲間たちと再会できた。
「エルたん! エルたんだ! やった! 生きてた!」
ドアが開いた瞬間、イトたんが抱きついてきた。
血で汚れているのに。
嘉代ちゃんも来た。
「姉さん、すまんの。わしが不甲斐ないばかりに」
「いいのよ。みんなが無事でよかった」
すると鈴木さんも来た。
「あなた、ホント滅茶苦茶よね。かなり引くわ」
「嫌いになった?」
「まさか。その逆よ。私の騎士さまだもの」
「それはアイに言って」
こんな皮肉を言い合えるのもいまは嬉しい。
もし死んでいたら、皮肉さえ言えないんだから。
大佐が咳払いをした。
「で、次は……」
「もういいわ。私たち、ここを出るから。言っておくけど、追ってこないでね。もし追ってきたら、みんな殺してしまうから」
「ぐむ……承知した……」
まったく納得していない顔。
彼らにしても、助けた魔女が街を破壊するとは思っていなかったろう。私の存在は災厄でしかない。
けれども私は、自分を責めるつもりにはなれなかった。
この世界は、誰か一人の意見だけでは動いていない。
たとえば今回のように、私だけがいい子でいたところでどうにもならないケースがある。そういうときは相手に譲歩してもらうしかない。
なのに彼らは譲歩しなかった。
衝突は必然。
結果は強いほうが勝つ。
それは原始時代からずっと同じだったし、いまに至るまで誰にも解決できていない問題だ。
私に解決できるわけがない。
経験豊富な大人たちでさえこんなザマなのだ。
私は失望していた。人類に、世界に、自分自身に。
だから、自分が怪物であることを受け入れた。
楽になるために。
我慢するのがバカらしくなった。
*
外へ出ると、私はまっさきに出入口を破壊した。
後ろから追ってこられないように。
看板によると、ここは茅場町らしい。
瓦礫の街を、美しい夕日が照らしていた。
もう春だろうか。
だいぶあたたかい。
没収されていたみんなの荷物も取り戻した。
中には私のウサギもあった。耳がついている。鈴木さんがつけてくれたらしい。私のかわいいウサギ。
「鈴木さん、ありがとね」
「えっ?」
「ウサギ」
「ああ、そんなこと。べつに。約束してたし」
照れておさげ髪をいじり始めた。
素直じゃないんだから。
イトたんが不安そうな顔で近づいてきた。
「このあとどうするの?」
「メトロの人たち、世田谷を攻撃するって言ってた。やめてって言ったけど、たぶんやると思う。早く知らせないと」
「マジかぁ。じゃあ急がないと」
「どっちだっけ?」
「西!」
太陽の沈むほうだ。
そういえば昔、アイと一緒に夕日を追いかけたことがあった。
地球が丸いということは知識として知っていたし、永遠に追いつけないということも分かっていたのに。
それでも、どうしても追いかけたかった。
もし追いつけたなら、それはきっと特別なことだと思ったから。
でも結局は追いつけず、迷子になって終わった。
暗くなったころ、親がスマホのGPSで見つけてくれた。かなり怒られた気がする。
*
たぶん追っ手はいると思う。
私たちが世田谷を目指すのもバレバレのはず。
でも遭遇はしなかった。
出入口は封鎖したし、どんなルートを通るかは特定されていないはずだから、鉢合わせするかどうかは運次第だった。
日が暮れてきたので、私たちは奥まった場所で一泊することにした。
焚き火はしない。
敵に居場所を教えることになってしまうから。
少し肌寒かったけれど、みんなで体を寄せ合ってなんとかしのいだ。
水と食料はイトたんのバッグに少しだけ残っていた。足りないけれど、我慢するしかない。
*
夢を見た。
広い道路にたたずんでいる私。
アイは黒く裂けた空を見上げている。
足元にはウサギ。こっちのウサギは、まだ耳がひとつしかない。
私はアイの顔を覗き込んだ。
「なに見てるの?」
「空だよ」
無邪気な笑顔。
私とそっくりなはずなのに、似ていない顔。
「空になにがあるの?」
「宇宙」
「あれは宇宙じゃないよ」
「宇宙だよ」
「違う。虚無だよ。中に怪物がいるの」
「うん」
そんなことはアイだって知っている。
するとウサギがこちらを見上げた。
「怪物じゃないよ、エルちゃん」
つぶらな瞳。
あとでいっぱい押しつぶしてあげる。
「怪物だよ」
「そんなこと言ったら可哀相だよ」
「じゃあなに? 人間だとでも言うの? 私に優しくしてくれないのなら、どちらにしろ怪物よ」
「それは自分勝手だよ」
「そうよ。私は自分勝手なの。ワガママで、なんでも暴力で解決しちゃう。ひどい女でしょ?」
「ひどいよ」
でも、誰も私を止めることができない。
私が自分で止めるしかない。
そう。
一番の怪物は、この私なのだ。
「ね、バニラ。私のこと怪物だと思う?」
「えー? エルちゃんはエルちゃんだよ!」
「能天気なウサギ。あなたのそういうところ好きよ」
「ホント? 私もエルちゃんのこと大好き!」
愛嬌を振りまくしか能のないウサギ。
本当にかわいいわ。
私は棒立ちの弟に向き直った。
「アイはどう思うの? 私って怪物?」
彼はほほえんだままうなずいた。
「うん。怪物だと思う」
「なら、そのうち誰かに退治されるわね」
「僕がそうされたみたいに?」
「そうよ」
私は不死身じゃない。
空間を切り裂いて生き延びているだけ。
後ろから撃たれたら普通に死ぬ。寝ているところを襲われた場合も同じ。か弱い少女。少女って歳でもないけど。
*
寒さで目をさました。
あたりは霞で白くなっている。
子供のころ、こういう日に登校するとテンションがあがったものだ。特別な一日という感じがした。
でもいまは寒いだけ。視界が悪いのも困る。
おなかがすいた。
なのに食べ物がない。
早く世田谷に行かなくちゃ。
今日中にはつけるはず。
「ん? エルたん、もう起きたの?」
イトたんがもぞもぞと起き出した。
「寒くて目が覚めちゃった」
「ホント寒いねぇ。しかも霧が出てる」
ふたりで真っ白な世界を見つめた。
なんだか、仲のいい友達同士でキャンプに来たみたい。
いつまでもこうしてぼうっと生きていたい。
そのためには、戦って勝たなくては。
メトロの人たちは、きっと世田谷を攻撃する。
私はそれを壊滅させる。
平和のためじゃない。
世界を、自分の望んだ通りにしたいから。
それだけだ。
(続く)




