確信させるのに十分
私は「体調が優れない」とかなんとか言いながら、結論を先送りにしていた。
「結論」というのは、つまりはこういうことだ。
A、日本メトロ帝国に手を貸し、世田谷の壁を壊す
B、日本メトロ帝国と手を切り、世田谷を守る
C、人類を救済し、もう二度と争えないようにする
D、新たな人格になり切って、この問題を考えないことにする
本当はDがいい。
私の知らないところで勝手に始まって、勝手に終わって欲しい。これが理想だ。私は参加したくない。そのせいで誰かが傷つくかもしれないけれど、知らないところでやられたことならば、私はその事実を知らずに済む。
でも、私には意図して人格を変更することはできない。
こういうときに限って私は私のままだ。
選択肢Aは絶対に選びたくない。
となると、BかCを選ばざるをえない。
Cは取り返しがつかない。
いや、どの選択肢も、取り返しがつかないのは同じだ。規模の違いはあれど。
まずはBだろう。
ここを抜け出して世田谷の人たちを助けなければ。
もしどうしてもダメだったら、みんなを救済せざるをえなくなる。
でも……。
「そろそろ答えを聞かせてもらおうか」
少佐が今日もやってきた。
厳しい表情をしている。だけでなく、後ろに二人も部下を連れている。山口さんも少しおびえている。
少佐は私の返事も待たず、こう続けた。
「少尉待遇でも不服、ということならば仕方がない。ボーナスをつける。山口上級市民、君には親しくしていた友人がいたな? 彼を下級市民から上級市民へと引き上げてもいい」
山口さんの表情が変わった。
「ホントですか!? あ、でも……選ぶのは灰田さんよね……」
やり方が汚い。
本当に。
腹が立つ。
なんでこんな条件を出してくるんだ。
大事な人と、大事な人を、天秤にかけさせるなんて。
私は率直に告げた。
「世田谷には、お世話になった人たちがいるの。攻撃したくない」
少佐は片眉をつりあげた。
「まあそうだろうな。そうでもなければ、ここまで渋る理由もない。それで? お世話になった人たちというのは、彼女たちのことかな?」
「えっ?」
差し出されたタブレットには、動画が映し出されていた。
イトたんがドアをドンドン叩いて「出しなさいよ!」と叫んでいる。隣には、うるさそうな顔の鈴木さんと、じっと座っている嘉代ちゃん。
頭がまっしろになった。
きっと私を助けようとして駆けつけてくれたのだ。なのにこの人たちに捕まってしまった。
「なんで……」
「祝祭グループのシェルターに、武装して乗り込んできたところを保護した。もちろん手荒なマネはしていない。彼女たちにはこのあと適性検査を受けてもらい、国民として受け入れる予定だ」
「でも、それは……」
「そう。下級市民になる可能性もあるな。だが君の功績次第では、便宜を図っても構わない。これは例外ではない。きちんと明文化されたルールだ」
「できれば世田谷の人たちも助けて欲しいの……」
「ムリを言うな。我々がしているのは戦争なのだ。救えるのは、降伏勧告に応じた敵だけだ」
玉田さん、白石さん、マリオネット氏、アリス、大統領夫妻……。いろんな人があそこに住んでる。
全員を救う方法は、救済しかない。
どうして世界はそちらへ行ってしまうのだろう。
争わないで欲しい。
生きて欲しい。
私の願いはそれだけなのに。
贅沢なことを言っているだろうか。
「戦争以外の方法はないの?」
「それを決めるのは君ではない。首相はすでに開戦の署名をした。あとは軍がどう動くかだけだ」
「意味がない……」
「それ以上は侮辱罪になるぞ」
「だったらなによ?」
どうしても戦いたいなら、私はそれでもいい。
いますぐ仕掛ければ、ここの軍人をみんな殺して、イトたんたちを救い出すこともできる。そしたら世田谷にいって、みんなと一緒に戦うんだ。
少佐は溜め息をついた。
「地上の過酷さは、君もその目で見てきたはずだ。法も秩序もない粗暴な世界だ。弱者は徹底的に搾取され、最低限の権利さえ保証されない。君も監禁されて、再起不能にされる直前だっただろう?」
「……」
「我々はこの日本に、法と秩序を取り戻したい。そのためには、各人が好き勝手にやっていてはダメなのだ。ひとつの旗のもと、ひとつのルールで、みんなが暮らす。それこそが人間の社会性というものだ。君の理想とは違うかもしれない。だが、ここから始めるしかないのだ。我々人類の文明は、少なくとも原始時代まで退化してしまったのだからな」
そして退化させたのは私。
正確には弟だけど。
いまは原始時代。だから日本史を最初からやり直して、また現代レベルまでもっていかなくてはならないのだろう。そのためには、少佐の言う通り、こういう方法も必要なのかもしれない。
でも……。
でも……。
でも……。
少佐は腰を上げた。
「いちど出直す。だが、夜までには回答を用意しておいてくれ。もし君が参加を拒んだ場合でも、作戦事態は中止されない」
それだけ言い残し、彼は部下を引き連れて退室した。
山口さんはそわそわしている。
私に参加を促したいのかもしれない。
でも、そうしてこない。
私のことを気づかってくれている。素敵な人だ、本当に。私はこの人を哀しませたくない。
できれば別の人格に判断を委ねたいところだけれど、いまその兆候はない。
私が決断するしかない。
「ね、山口さん。外の景色が見たい」
「え、いまから? 外出許可を取らないと……」
「じゃあどこか人のいないところへ行きたい」
「ここじゃダメなの?」
不審そうな顔をしている。
ムリもない。
私から見ても挙動不審だ。
「魔法を試したいの」
「ダメよ。勝手にそんなことしたら……」
「お願い。どうしても大事なことなの」
「……」
*
車椅子を押してもらって小ホールへ移動した。
イベントに使われるスペースだ。
いまは誰もいない。
「本当は勝手に入っちゃダメなんだから」
「ありがとう。危ないかもしれないから、山口さんは離れてて」
「危ないことするの?」
「離れてれば平気だから」
山口さんが離れたのを確認して、私は魔法で空間を裂いた。
まずは小さな黒い裂け目。その闇をぐっと広げる。
大きく、大きく。
私の体が入りそうなほどのサイズになった。
奥ではドロドロの怪物がなにかを歌っている。
でも、この程度の穴じゃ怪物は出てこない。大空を切り裂くほどの大きさでなければ。
私は呼びかけた。
「こんにちは、黒いの。私は灰田エルザ。少しお話ししましょう?」
黒い空間の中で、大きなドロドロのうごめくのが見えた。
どこかに目もついているのかもしれない。
歌のような唸り声が、ぐわんぐわんと反響している。
山口さんがきょとんとしているところをみると、私にしか聞こえない声なのかもしれない。
「あなた、お喋りはできる? お名前は?」
すると、なにかもごもご言っているのが聞こえてきた。
ああ。
分かった。
言葉が通じていないのではない。取り込まれたみんなが一斉に返事をしていたのだ。そのせいで、なにを言っているのか分からなくなっている。
もちろん取り込まれているのは日本人だけじゃないから、本当に言葉が通じていない人もいるだろう。でも、通じていても聞き取れないのだ。
音では分からない。
けれども、雰囲気だけは理解できそうな気がした。気持ちが伝わってくる。
「あなたは誰なの? 神さま? それとも悪魔?」
また返事が来た。
聞き取れないけれど、言ってることはみんな同じだと思う。
答えは「人間」だ。
私は思わず笑った。
「人間、ね……。そんなカッコになってもまだそう信じてるの? 滑稽だわ」
返事はない。
怪物の興味は、私ではなく、こちらの世界そのものへ向けられていた。外へ出たいのだろう。でも、彼は出ることができない。大きすぎる触手は、その穴からはみ出すことさえできないのだ。
「黒いの、教えて。私は人間同士の戦いをやめさせたいの。そのためには、どうしたらいいと思う?」
この答えは簡単だ。
しかも熱狂を持って迎えられた。
救済! 救済! 救済! 救済! 救済!
怪物は仲間を欲している。
もっとたくさんの人たちと混ざり合うために。
その理由は「愛」や「慈悲」などではない。際限なく仲間を増やし続けたいのだ。無心でおやつをむさぼり続ける子供のように。
肥大化することにしか興味のない醜い怪物。
私をつかもうとして、穴へぐりぐりと触手を押し付けている。このドロドロの皮膚を切り裂いてやったら、いったいどんな反応をするだろう。
「黒いの、あなたには失望したわ。もう話すこともないでしょう。さようなら」
まだ話し足りない様子の彼らを無視して、私は穴を閉じた。
救済――。
それはウソだ。
少なくとも私は違うと思う。
これは単に、怪物にエサをやるだけの行為だ。
救済なんてただの誤解。
きっと最初の誰かが「救済」と呼んでしまい、それを聞いた人たちが本気で「救済」と信じ込んでしまったから、妙な伝説になってしまっただけだ。
いちどある行為に名前がつけられてしまうと、人はそのイメージに引っ張られる。
事実かどうかは置き去りにされて。
そして問題を問い直した人間は、異端とされる。
分かったことはもう一点ある。
私の力の本質は、救済ではない。
私に備わっているのは、ただ空間を切り裂く力だけ。
その空間になぜか怪物が寄生していたから、話がややこしくなってしまったけれど。
私の能力と救済は、関係がない。
たぶん。
ただの直感だけれど。
でもあの生き物の愚かさは、私にそう確信させるのに十分だった。
私は車椅子の手すりにつかまり、勢いをつけて立ち上がった。
「帰りましょ、山口さん」
「ええっ? 歩けたの?」
「おかげさまで。もう平気よ」
「もーっ」
*
夜、少佐が病室へやってきた。
「答えを聞こう」
また部下を二人も連れている。
どちらも背の高い屈強そうな男たち。
きっと威圧のつもりなんだろう。
私は椅子に腰をおろしたままこう応じた。
「ええ、戦うわ」
「観念したか」
「観念というよりは覚悟ね。私、気づいたのよ。私は救済の実行者なんかじゃない。ただの破壊者だって」
「んっ?」
空間を切り裂いて、三人の命を同時に奪った。
崩れ落ちる下半身。
滑り落ちる上半身。
山口さんは「ひっ」と息をのんで腰を抜かしてしまった。できることなら、そのまま座っていて欲しい。戦いに巻き込みたくない。
「さようなら、山口さん。いままでありがとう」
さて、仲間たちを救出にいかなくては。
こんなことなら、先に居場所を確認しておくんだった。
私は血だまりを踏まないよう、そっと廊下へ出た。
(続く)




