選択肢
翌日、八角晶への尋問が始まった。
この人も壁に打ち付けられている。
でもドクターと違って命乞いはしないし、目つきも鋭いままだ。
今回は私だけでなく、佐伯少佐も立ち会った。
「八角、今日はゲストをお招きしている。こちらのお嬢さんが誰か分かるな?」
「ふん」
興味なさそうに顔を背けている。というか壁を睨んでいる。
少佐は気にしていない。部下に「例のものを」と告げ、クーラーボックスを持ち込ませた。それを八角晶の前において、静かに言葉を続けた。
「この中に、お前の部下の肉片が入っている。これが今日からお前の食事となる」
「……」
さすがの八角晶も顔をしかめた。
というか、私も気分が悪くなった。なんでこんなひどいことを思いつくんだろう。
少佐は凍てついた視線でこう続けた。
「もちろんお嬢さんにも協力してもらうぞ。楽になりたければ質問に答えろ。お前たちの飼い主は誰だ? もう日本政府は存在しないんだ。かばい立てすることもないだろう」
「……」
「まだなにかおそれているのか? となると、それは我々よりも恐ろしい存在ということになるな。だが、そんなものがこの地上に存在するのか?」
「……」
「米軍も機能していないぞ。海外も等しく破壊されている。ならば、それは誰だ? 町田の『虹蛇会』か?」
すると八角晶は、苦々しい表情でようやく返事をした。
「あんなチンピラ、名前を出すな。不愉快だ」
「そうか、違ったか。だがそうなると、ますます理解に苦しむな。まさかとは思うが、旧政府の生き残りがどこかにいるのか?」
「……」
きっと違うと思う。
私が視線を向けると、少佐はさっと後ろへ回り込み、車椅子を少し押してくれた。
目の前のクーラーボックスが気になって仕方ないけど、少佐に代わって私が脅してやろうと思う。
八角晶の眼球のすぐそばで、私は空間を裂いた。
なるべく体を傷つけないように。
「見て、おじさん。中になにが見える?」
「ぐっ……」
眉間にしわが寄った。
私の予想通りだ。彼には「見えている」のだ。黒いドロドロの怪物が。
もう少し大きく開いて、私はこう続けた。
「もしかするとあなたは、人間をおそれてはいないのかもしれない。けれども、これは別だよね?」
「やめろッ! そいつを俺に近づけるなッ!」
「なぜ?」
「なんでもだッ!」
「きちんと説明して。納得できたら閉じてあげるから」
かなり動揺している。
彼は中の子の正体を知っているのかもしれない。
「待て! いったん閉じてくれ! 話はそれからだ!」
「それはズルい……」
でもあまりに必死だったから、私は一度それを閉じてあげた。
おじさんはゼーハーと必死で呼吸を繰り返している。まるで溺れていたみたいに。
呼吸が少し落ち着いたタイミングで私は尋ねた。
「じゃ、約束通り説明して」
「クソ。なぜお前のようなガキが……」
「ガキ? 減点、一。ポイントが十溜まったらまたさっきのやるから。なぜそんなにおびえるのか説明して」
でも十は優しすぎるかも。仏さまでも三度しか許さないのに。
八角晶は盛大な溜め息をついた。
「分かった。話す。といっても、なかば推測に過ぎねぇがな。まず、お前が好き放題に開け閉めしてる空間。それは虚無だ。天国でも地獄でもねぇ。もちろん死後の世界でもねぇ」
「あの怪物は?」
「救済の実行者だよ。虚無に入り込んだ人間は、あいつに喰われる。で、口の中で、飴玉みてぇに転がされる。精神がドロドロに溶け合ってひとつになるんだ。苦痛はねぇらしい」
「それが救済の真実?」
考えただけでゾッとする。
そんなものが救済なら、私は救済されなくていい。
彼もふんと鼻で笑った。
「不快な話だろ? 俺だってゴメンだ。だが、お前の能力で強制的に放り込まれた人間には、選択肢なんてねぇからな。受け入れるしかねぇのさ」
「つまりあなたは、救済が怖くておびえていたの?」
「いいや」
意味不明。
だったら、さっきの態度はなんだったというのか。
「最初の質問に戻るわね。結局のところ、あなたはなににおびえていたの?」
「まだ分からねぇのか? あの怪物は、一個の生き物ってワケじゃねぇ。これまで救済された人間たちの総体だ。つまり、俺の雇用主もそこに含まれてんだ。お前が空間を開くと、そいつらと目が合う」
「なら丁度いいじゃない。ちゃんと挨拶したら?」
「てめぇ……」
失礼な態度。
減点、一。
「目が合うと、なにか不都合でもあるの?」
「言っただろ。雇用主に見られるんだ。もし俺の無様な姿を見せれば、取り込まれてから拒絶される可能性がある。すると怪物は糞としてその個体を輩出する。結果、虚無を永遠にさまようことになる」
「あなたにお似合いじゃない」
「……」
不快そうだったが、反論はしてこなかった。
私の機嫌を損ねて空間を開かれるのがイヤだったのだろう。
少佐が隣に立った。
「八角、お前、やけに詳しいじゃないか。どこでその情報を手に入れた?」
「俺も能力者だったんだよ。若いころな。だが、いつのころからか能力が効かなくなってな」
「それで他人の能力を金で買い叩き、ビジネスに使ったというわけか」
「俺が個人で始めたと思うか?」
「では支援者が?」
「とある資産家とだけ言っておく。そいつが元能力者を集めてサロンをやっていてな。俺もそこに参加した。ずいぶん研究してたみたいだぜ。ま、人類の未来を左右する能力だからな。情報もナシに金をぶっ込むのは不安だったんだろ」
「過去にも実行されたのか?」
「まさか。もし他人を救済すれば、最後は自分だけが残されるんだぞ? やらねぇよ、誰も。騙されたバカ以外はな」
弟をバカにした。
減点、一。
少佐は溜め息をついた。
「なあ、八角。取引しないか?」
「あ?」
「お前の処刑は、下級市民による『争奪戦』を予定していた。お前を景品として生きたままアリーナに放り込み、もぎ取った肉の量で報酬を与えるゲーム形式だ。楽には死ねない」
「……」
獣のようなうなり声が出た。
いくら敵同士とはいえ、あまりに残酷すぎる。
少佐は表情ひとつ変えずこう続けた。
「だがもし素直に質問に答えれば、公開の銃殺刑にしてやってもいい。もちろんプロがやる。一発で死ねるぞ。それに、食事も下級市民と同じものを提供する」
「こっちに選択肢があるとは思えねぇが」
「その通り。お前の場合、救済されたところで虚無へと排出されかねない。普通に死にたいはずだ。答えろ。お前たちを管轄していた政府機関の名前は?」
「特別防災庁だ」
吐き捨てるように答えが出た。
少佐はしかし笑みを見せず、目を細めた。
「部下に調べさせる。事実を確認でき次第、お前の処遇をあらためる。我々は、法と秩序を軽視しない」
「クソが……」
これで少佐の用件は片付いたことになる。
けれども、私の疑問はまだ解消していない。
「ねえ、教えて。死んだ人間は、虚無にはいかないの?」
「さっきも言っただろ。あれは死後の世界じゃねぇ。中の連中はまだ生きてんだよ。日本政府も、米軍も。だからおそれてる」
彼らはすでに救済されているから、同じくあとから救済されるはずだった八角晶も、事実を言うに言えなかったということか。もし心証を損ねれば、糞として排出されるおそれがある。
だが、死ぬのであれば、虚無には行かない。
それは彼にとって一番マシな結果かもしれない。
*
三日後、地下広場にてイベントが開催された。
おもな出し物は、ドクターの公開処刑と、八角晶の「争奪戦」だ。
少佐は約束を守らなかった。
日本メトロ帝国の法と秩序は、つまりはその程度のものだったということだ。
会場は熱気に包まれていた。
下級市民がアリーナと呼ばれるエリアに集められ、私たち上級市民は一段高い観覧席からそれを眺めた。
両手を縛られた八角晶が、制服の男たちに連れられて姿を現した。
頭蓋骨に皮を張り付けただけのような、虚ろな表情だ。
ボロボロの服を着た下級市民たちは、興奮した様子でスタートの合図を待ちわびていた。
制服の男たちが退場し、八角晶が残された。
激しい音楽がかかり、アナウンサーが熱狂をあおった。
歓声。
怒号。
悲鳴。
下級市民たちは、道具も使わず八角晶の解体を始めた。
乱暴というほかなかった。
床へ叩きつけ、へし折り、ねじ切ろうとする。力づくで引っ張り合う。白熱して互いにケンカするものまでいる。
死体に群がるカラスにだって、ある種の優雅さはあったと思う。
こんなことは、人間のすることでない。
到底、なにひとつ、擁護できそうにない。
*
医務室へ戻った私は、青白い顔の山口さんから話を聞かされた。
ああいった「争奪戦」は、しばしば主催されているという話だった。
「争奪戦ではね、いつもはガラス片をバラ撒くの。ダイヤだとウソをついてね。みんな手を血だらけにして集めるわ。ただのガラス片でも、集めたら上はお金に交換してくれるから。それで必死になって集めるのよ」
「なんでそんなこと……」
「知らない。上はガス抜きのつもりでやってるのかもしれないけど。悪趣味よ」
人の命で遊んでいるとしか思えない。
あまりに気分が優れなくて、食事も喉を通らなかった。
横になっていると、少佐がやってきた。
「失礼する。灰田上級市民、体調はどうだ?」
どうだ?
いったい、そっちこそどういうつもりなのだろうか。
「まあまあよ。でも今日はダメね。イヤなもの見ちゃったから」
「気の毒だったな。ところで君に相談があるんだが、少し聞いてくれるか?」
それは拒否できるんだろうか?
彼はこちらの返事も待たずに椅子へ腰をおろし、言葉を続けた。
「世田谷に集落がある。壁に囲まれた要塞でな。降伏勧告にも応じないから、戦闘になるのは時間の問題だ。そこで、君には壁の破壊を依頼したい。例の能力を使えば、壁を切り裂くくらいは余裕だろう。もちろん護衛はつける。身の安全も保障しよう。どうかな?」
なんでこうなるんだろう。
ここの人たちは、私を助けてくれた。
でも、戦争に手を貸したら、世田谷の人たちが奴隷にされてしまう。もしかすると、イトたんたちのことも巻き込んでしまうかもしれない。
絶対に手を貸したくない。
でも……。
私が返事を渋っていると、彼は小さく「ふむ」とうなった。
「そうだな。民間人のまま戦場に出るのもおかしな話だ。では、軍人としての階級を与えよう。それではどうかな? まずは少尉だ。尉官だぞ? 不服かね?」
階級なんてよく分からないもの、もらったって嬉しくない。
私は人を傷つけるのが怖くなっている。
戦えば勝つ。
でも、だからなんだというのか。
人が死ぬと、誰かが哀しむ。だったら最初から戦わなければいい。なんでそんな簡単なことができないのか。
死んでしまった人間は、生き返らないのに。
もし人間がいつまでも闘争を続けるというのなら、私にも考えがある。
救済だ。
みんなを一つにしてしまうのだ。
そうしたら彼らは、もう、二度と、戦うことができなくなる。傷つけあう身体もなくなる。
これは救済だ。
真の意味での救済だ。
「答えは急がなくていい。だが、国民としての務めは果たしてくれたまえ。我々は法と秩序を軽視しない」
「うん……」
彼らが自分たちの法と秩序を一方的に押し付けてくるなら、私にだって同じことをする権利があるはずだ。
(続く)




