ガーン
ドアの向こう側が、急に静かになった。
靴音が狭い廊下に反響しながら近づいてくる。
誰かがエルちゃんを助けに来てくれたのかもしれない。
鍵が開いて、スーツの人が入ってきた。
目つきの鋭い、オールバックのおじさんだ。すごく背が高いし、上から見下ろしてくるから雰囲気も怖い。
「お、おじさん……誰……?」
「ご挨拶だな。八角だ。ずっとお前を探してた」
「探す? なんで……」
座り込んでるエルちゃんからは、巨人みたいに見えた。
おじさんは舌打ちした。
「ビジネスを台無しにされた借りを返してもらいたくてな。本来であれば、この世界はもっとスムーズに、既定の日時に救済されるはずだった。ところがお前と弟が先走りやがったせいで、ぜんぶ台無しだ。お前、自分の値段がいくらか知ってるか? 十億だぞ、十億。その他、諸経費も含めるととんでもない額になる」
「なにを言ってるの……?」
「シラを切るつもりか? お前たち姉弟は売られたんだよ、親に、金でな。『終焉の祝祭』って宗教団体があったろ? そこの信者だったんだ。もっとも、俺らにとっちゃそれすらもビジネスに過ぎなかったが……」
やめて。
やめて。
やめて。
エルちゃんにその話はしないで……。
でも、おじさんは不快そうな顔をしたまま、口を閉じてはくれなかった。
「そしてお前の弟。あいつはどうしようもないバカだったな……。お前が見た夢の話を真に受けて、本当にこの世界を救済しようとしやがって。だが、始まったら始まったでそのまま最後までヤってくれりゃよかったものを、お前が殺しちまうから……」
「エルちゃんは止めようとしただけなの! でも、なんでその話を……」
「あ? 監視カメラに決まってんだろ。バケモン飼うんだからな。監視は必要だ。だが、俺たちにも落ち度はあった。最初からこの施設で飼ってりゃよかったんだ。せっかく超能力を無効化できる設備があるんだからな。だが、あのババアが食い下がったせいで、カルトの施設で飼うことになって……」
「ママのこと……?」
「あのババア、本気で奇跡を信じてやがったな。もちろん善意からじゃない。お前たちが奇跡を起こせば、あいつは奇跡の後見人になるワケだからな。その功績で、死後の評価も高まるって寸法だ。死後の世界なんざ、誰も見たことねぇってのによ」
ひどい。
ぜんぶウソだよ。
エルちゃんは親に売られてないよ。
アイくんはバカじゃないよ。
エルちゃんは世界を救おうとしただけだよ。
悪いのは全部この男の人だよ。
「ともかく、お前にはモルモットになってもらう。最後はバラバラに切り刻んで標本にするつもりだからよろしくな」
「ひどいことしないで……」
エルちゃんがそうつぶやいた途端、おじさんの目つきがさらに怖くなった。
「あ? なにナメたこと言ってんだ? だったらこの世界、もとに戻してみろや。できねぇなら黙ってろ。こっちの計画を台無しにしやがって。おかげで地上は地獄だぞ。お前のせいでな」
「……」
エルちゃん、また泣いちゃった。
でも、あんなふうに言われたら誰だって泣いちゃうよ。
エルちゃんは悪くない。
おじさんが部屋を出ると、すぐに鍵をかけられてしまった。
靴音も遠ざかっていった。
廊下では男たちが「絶対ぶん殴ると思ってたわ」「やべーよな」なんて雑談を始めた。
エルちゃんは怖くなって身をちぢこめている。
可哀相なエルちゃん。
私がついてるからね。
*
もう何日目かも分からない。
データを取られている。
私は、データを取られている。
ベッドに縛り付けられて、電気ショックが来て、体が反射して、計測器がピーと音を立てる。
私は天井を見つめている。
電気ショックで体が浮く。
スイッチがオン・オフされるたび跳ねるオモチャみたいだ。
自分が人間なのかどうかも分からなくなっている。
*
私はだんだん面白くなってきた。
なにが面白いのかは分からないけれど。
電気ショックが来るとギャッとなって、体が跳ねる。そのせいで、部屋に戻されても自由に動けない。地面に転がされたままスープをすする。手錠をされているからちゃんと食べられない。床をペロペロなめている。おいしい。
「あはは……」
面白いのに、なんだか上手に笑えなくなっている。
廊下からガーンとドアを叩かれる。
「あはは……」
なにをどうしたらいいのかも分からない。
私はいったい誰なんだろう。
なんのためにここにいるんだろう。
「エルちゃん、僕は白馬の王子さまだよ。君を助けに来たよ。わぁ、ありがとう、王子さま。私、幸せだよ。すーちゃんもありがとうね。イトたんもありがとう。嘉代ちゃんもありがとう。それから……えーと……エルちゃんもありがとう。あとは……ウサギさんもありがとう……」
ウサギ……。
いまどこにいるんだろう。
いつも私のことをじっと見つめていたのに。内緒でお出かけでもしているんだろうか。もしお買い物だとしたら、きっと私に新しい服をプレゼントしてくれるんだ。エルちゃん、素敵なワンピースを買って来たよ。とっても似合うよ。かわいいよ。
廊下で慌ただしい声がした。
「おい、襲撃だ! 手ぇ貸してくれ!」
「は? マジで?」
「急いでくれ! 頼む!」
足音がして、人の気配がなくなった。
これでもうドアをガーンされなくて済む。あんなヤツら、もう二度と戻って来なければいいのに。
「あはは。消えちゃえ。消えちゃえ。みーんな消えちゃえ。悪いやつは嫌い。ウサギは嫌い。エルちゃんも嫌い。アイも大嫌い。ママも消えちゃえ。みんな消えちゃえ」
声だけが響いて、ドアはガーンとならない。
なんだか寂しい。
本当に、この地上から自分以外のみんなが消えてしまったとしたら……。
あまいお菓子が食べたい。
クリームたっぷりのケーキ、カラメルの焦げたプリン、新鮮なフルーツのパフェ、いろんな味のチョコレート……。
私はきれいであったかいおうちに住んで、ネコを飼うんだ。
そして新しいお洋服と、ピカピカの靴と、リボンのついた帽子でお出かけして……。
虚空を見つめていると、命の消える気配が感じられた。
よく分からない。
なんとなくそんな気がしただけだ。
ひとつ、またひとつ。
足音がした。
男たちが戻ってきたのだろうか。
「なんだここは?」
「監獄か?」
「おい、誰かいるのか?」
誰か……。
灰田エルザさんを助けに来た人たちだろうか。
私は声を出した。
「いるよぉー」
「声だ! 女の声がするぞ!」
それからドアノブをガチャガチャやって「ダメだ。鍵がない」なんて言っている。
そう。
これが鍵がないと開かないドアだ。
そんなことも分からないなんて。
私より頭のよくない人たちに違いない。
「あったぞ! 鍵だ!」
そしてドアを鍵を開けて、中に入ってきた。
知らない男の人たち。
警察みたいな格好をしてる。
しかも私の姿を見て、みんな青ざめている。
「うわ、これは……」
「ひどいな……」
「立てるか?」
なんで立たせようとするんだろう?
もちろん立てるわけがないよね?
意味不明すぎ。
「立てないよぉー」
私が教えてあげると、男の一人が私を背中にかかえておんぶした。どこかに連れて行くつもりみたい。
もちろん抵抗できないから、私はされるがまま。
もう切り刻まれて標本にされちゃうんだろうか。でも違う男の人たちかもしれない。なにも分からない。
廊下では、男の人たちがいっぱい死んでいた。
まだ死んでない人もいる。血の海に沈んでピクピクしてて可哀相。みんな可哀相。なんで人は人を傷つけるんだろう。
地上に出ると、眩しい太陽が地上を照らしていた。
制服姿の大人たちがたくさん。倒れている男たちもたくさん。
腕章の男が近づいてきた。
「その女は?」
「地下に監禁されていました」
「祝祭グループの一員ではないのか?」
「それは分かりませんが……」
「まあいい。ひとまず救護班に引き渡せ。適性検査はそのあとだ」
「ハッ!」
適性検査?
また検査するの?
灰田エルザさんは、もうボロボロだよ。
これ以上検査されたら壊れちゃう。
*
私は担架で運ばれた。
彼らは旗を持っていて、そこには「日本メトロ帝国」と書かれていた。
「しかし祝祭グループも意外とあっけないものですな。噂の秘密兵器とやらは結局なんだったのでしょうか?」
「ただのハッタリだろう。我が帝国におそれをなし、虚偽の情報を流通させておったのだ。素直に降伏勧告を受け入れておればよかったものを」
「捕虜の身柄はどうします?」
「八角は国民の娯楽に使う。ドクターは縛り上げて『尋問』しろ。なにか吐くかもしれん」
「ハッ!」
よく分からない人たちが、組織を壊滅させたみたいだ。
私は助かったのかもしれない。
ううん。
もうとっくにダメにされてしまったから、ちっとも助かってないんだけど。
「あはは……」
面白くなって笑うと、男たちは気の毒そうな顔でこちらを見た。
面白いんだからみんなも笑えばいいのに。
なにが面白いのかは本当に分からないんだけど。
*
私は地下に搬送された。
人の住めそうなところは、ほとんど地下しか残ってないから、仕方がないんだけど。
なぜなら、灰田エルザさんが壊しちゃったからね。あ、違った。壊したのは双子の弟のほうだった。でもどっちも似たようなものだし、いいよね。
医務室では、お医者さんが待っていた。
「こんにちわぁー」
私が挨拶すると、みんな困ったような顔で黙り込んでしまった。
ちゃんとお返事してくれないなんて。
私、なんか変なこと言っちゃった?
あ、そうか。灰田エルザさんは、礼儀正しく挨拶するような子じゃないもんね。もっと偉そうにしないと。
「みんな魔法で殺しちゃうよぉー」
「……」
やっぱり返事がない。
その代わり、大人同士でヒソヒソ会話し始めた。
「この女性は?」
「地下に監禁されていたのを救出した。しかし回復の見込みがないようなら……」
回復しなかったらどうなの?
もっとちゃんと喋ってくれないと聞こえない!
「死ね死ね死ねぇー」
私が必死で身をよじると、女性の看護師さんが口元を抑えて泣き出してしまった。
泣くようなことなんて、なにもしてないのに。
勝手に泣いたんだ。私は悪くない。
制服の人も「あとは頼む」と言い残して、部屋を出て行ってしまった。
このお医者さんたちは、私の手足を動くようにしてくれるのかな?
そしたらまたご飯を食べたり、トイレをしたり、ひとりでできるようになるんだけど。
(続く)




