もっと優しく
バイクはまともに整備されていないらしく、周囲にやかましいエンジン音をまき散らしていた。振動が頭にまで響いて心がざわざわする。
それでも現場に近づくにつれ、発砲音や怒声が聞こえてきた。
「この先です! お願いします!」
男がバイクを止めた。
私は少しふらつきながら、音のするほうへ駆け出した。
発砲音は、あまり連続的ではなかった。
弾を節約しているのかもしれない。その代わり、声のほうがひどかった。
世田谷の人たちと、スーツの襲撃者たちは、前回のようにスペースをあけて威嚇し合っていた。玉田さんもどこかにいるはず。
地面には、いくつか血だまりができていた。
スーツ集団は、みんな痩せこけていた。きっと何日もまともに食べていないのだろう。目がギラギラしている。
清廉な冬の空気。
空は晴れ渡っている。
こんな日に、なんて血なまぐさい戦いをしているのだろう。
もちろん答えは分かってる。
食べ物がないせいだ。世界が壊れたせいだ。
そう考えると……。いやどう考えても、私は人を裁く立場にない。アイは私のせいで世界を壊してしまった。だからこの状況を引き起こしたのは私だ。
でも……。
もし傍観していたら、守りたい人たちが傷ついてしまう。
好意的な人だけを助けて、敵対的な人たちの命を奪う。
これは命の選別。
神にのみ許された行為。いや、神にさえ許されない行為かもだ。
私はいま、それをしようとしている。
空間を切り裂きながら前へ出ると、まずは世田谷の人たちからどよめきが起きた。
「魔女だ……」
「魔女が来たぞ!」
純粋に喜んでいる感じではない。恐れを感じる。
私は特別な存在。
そう無邪気に喜ぶこともできる。
実際、高揚はあった。人に頼られるのは嬉しい。どんなに怖がられていたとしても。あるいは怖がられているということそのものが、快楽のように心を慰謝してしまう。
スーツの集団からも声が聞こえてきた。
「魔女だ!」
「つかまえろ!」
「ムリだ! あんなの相手にできるかよ!」
後ずさっている。
前回の襲撃者たちはみんな殺したはず。でも、もしかすると逃げ出したのもいたのかもしれない。「魔女」に関する噂が広がって、ウソだか本当だか分からない「伝説」が作られている可能性もある。
噂というのは怖い。
私が小学校で孤立したのも、噂の力によるものだった。
噂話というと、女子ばかりが好むイメージがあるが、実際は違う。それは雑談の中に紛れ込み、男女関係なく惑わせる。
年齢だって関係ない。教師も私を避けていた。
私は特別。
そう思い込む以外、私は私を落ち着かせる方法を知らなかった。
だから、この状況の何割かは、世界が悪い。
そういうことにさせて欲しい。
「来るなッ!」
ある男は、もう弾切れになった拳銃を必死で撃とうとしていた。
ある男は、仲間に気づかれないよう、そっと逃げ出そうとしていた。
ある男は、どうしていいか分からず、キョロキョロしていた。
殺すのは簡単だった。
近づいて、空間を裂けばいい。すると、そのついでに体も裂ける。腕が落ちて、足が落ちて、首が落ちて、胴が裂ける。切断面や部位に応じて、出血量もさまざま。
私は縦に裂いてもいいし、横に裂いてもいい。
なにもかもが気分次第。
「た、助けて……」
命乞いする男の足だけを切断して、その場に転がすのも自由。
ある程度殺したところで、私は周囲がしんと静まり返っていることに気づいた。
戦いは終わっていないのに、だ。
誰もが口を閉ざしていた。
スーツの男たちは、じっと黙って処刑の瞬間を待っていた。
味方からは、声援さえない。おぞましいものを遠巻きに見つめるような態度。
男たちの戦闘の熱狂に、私が冷や水を浴びせたみたいだった。
なぜこうなるのだろう。
頼まれたから、善意で手を貸しただけなのに。
でも、いちおう、続きをやる。
やるけれど、なんだか気分はよくなかった。
私はまるで自然災害にでもなったみたいに、男たちを殺した。
死の瞬間、もしかすると絶叫なのか、喉奥からゲップのような空気を漏らすのもいた。人が人でなくなってしまう。血にまみれた死肉。尊厳もなにもない。喋ることもない。考えることもない。こうなってしまうと、ただのゴミだ。
逃げたのは追わなかった。
そこまでする義理はない。
私は一通り始末してから、「味方」のところへ戻った。みんな道を開けた。出てきたのは玉田さんだけだった。
「助かったぜ。悪かったな、また一人でやらせちまって」
「いいわ。こうなるって分かってて参加したんだから」
それは本心ではなかった。
心のどこかでは、受け入れてもらえるかもしれないと思っていた。だけど、結局は力を利用されただけだった。
玉田さんは少ししょげた顔になってしまった。
「とにかく、ありがとう。撃たれずに済んだ。だが、なぜ戻ってきたんだ? 海を見に行くもんだとばかり……」
「海はもう見たの。楽しくもなんともなかったわ」
すると彼は、怪訝そうな表情でこう尋ねた。
「いま姉のほうか?」
「どっちでもいいでしょ」
「まあそうなんだが……」
私がエルだろうがアイだろうが、どうでもいい。みんな私の力が欲しいだけ。私のことなんて興味もない。
玉田さんだけは、気をつかってくれてるけど……。でも、それだけ。
*
みんなとは役所前で合流できた。
私は返り血さえ浴びていないから、見た目はそんなにおかしくないと思う。ただ、そのためにいつもより魔法を使ってしまったから、「リスク」とやらは増したかもしれないけれど。
島村さんも出てきた。
「聞きましたよ。今回もご助力いただいたようで。国を代表して感謝申し上げます」
頭をさげてくれた。
本心かどうかは分からないけれど、国の代表がこうした態度を見せてくれるのは、大きなメッセージとなる。
数少ない良識的な大人だ。
マリオネット氏が本題に入って欲しい様子で咳払いしたので、私は無視せず、取り次いであげることにした。
「大統領、じつはこの国に紹介したい人が……」
「うかがいましたよ。なんでも、優秀な技術者だとか。もちろん歓迎します」
「家も用意してあげて欲しいの。お金もあるから、言えばいくらでも払うはずよ」
「ええ。先ほど寄付の申し出もありまして、ありがたく使わせていただくことになりました」
とっくに話がついてるみたい。
もしかすると、いちおう私の目の前で確認をとってくれた感じだろうか。裏で勝手に全部決めてしまうよりはいいけど。
島村さんは指でメガネを押しあげ、こう続けた。
「プリンセス、もしお急ぎでなければ、ぜひこちらへご滞在ください。宿を用意させます。このあとの会食にもお招きしたいのですが、構いませんか?」
「ありがとう。お世話になるわ」
この人は、まだプリンセスなんて設定を守ってくれているのか。もちろん魔女扱いされるより全然いい。
*
会食といっても、プレハブ小屋での食事だった。長テーブルとパイプ椅子。
でも炊き立てのご飯が出てきた。大根の煮物も。家庭の味という感じがする。
マリオネット氏もアリスも、こういう手料理は久しぶりのようで、かなり興奮していた。
食事の席には、玉田さんも呼んでもらった。だけど、来たのは一人じゃなかった。若い女性が一緒。暗い目をしたキツネみたいな顔の人だ。
「失礼します。本日は、お招きありがとうございます」
玉田さんがそう言って頭をさげると、女性もペコリと頭をさげた。
島村さんは柔和な笑みを浮かべている。
「もう聞きました? 玉田さんね、婚約したんですよ。隣の女性は白石さん」
その白石さんは、玉田さんの後ろに隠れていた。コミュ症なのだろうか。私も人のことは言えないけど。
妙な雰囲気のまま食事が始まった。
妙な雰囲気というか、私が個人的に落ち着かないだけだったけれど。
怪我が治ったら駆けつけてくれるはずだった玉田さんが、ここで女の人と仲良く暮らしていたなんて。私たちのことは、もうどうでもいいのだろうか。一緒に旅をしてきたのに。
「プリンセスには二度も国を救われました。もし非礼があったならお詫びします。なんでも北のほうに魔女の国なんてものができたらしく、みんな魔女に対して敏感になってるんです」
島村さんはそんなことを言った。
魔女の国――。
本当にそんなものがあるのだろうか。もし実在するなら行ってみたい気もする。
「北ってどの辺?」
「荒川を超えたところですよ」
「埼玉?」
「いえ、足立区という話です。まさか、お訪ねになるつもりで?」
「ちょっと気になるから」
イトたんはもう食事を平らげてしまった。鈴木さんもちゃんと食事をとっている。
味噌汁があったかい。
それはいいのだけれど……。
玉田さんが、あまりにイチャイチャし過ぎている。というより、白石さんが食べ物を玉田さんに分けている。まるで二人だけの世界に入っているみたいだ。プリンセスと大統領の会合だというのに。
私は箸を置いた。
「玉田さん、もう旅には出ないの?」
遠回しな皮肉。
少し口調が強すぎたせいか、白石さんは驚いている。
玉田さんも苦い表情だ。
「ああ、そのことなんだがな。ここの世話になったこともあって、しばらく居座ろうかと思ってな」
「しばらくっていつまで?」
「追い出されるまでだ」
「ふぅん」
一生ここで暮らすつもりなのだ。
つまり、もう二度と私の荷物を持つつもりはないということ。
私はイトたんにサンマの缶詰を与えた。
「これあげる」
「え、いいの? ラッキー」
だけどすぐに後悔した。
イトたんは、鈴木さんに「一緒に食べよ?」と缶詰を分け与えたのだ。私だって、あげちゃダメとまでは言わない。でも、なんでこの二人が仲良くする必要があるのか、サッパリ意味が分からない。イトたんは私の友達だし、鈴木さんもそうなるかもしれない。だけど、この二人は無関係のはずだ。
イライラしてきた。
ウサギの顔を、指でむにむにしてつぶしたい。
なんでこういうときに限って手元にないのだろうか。
私の人生は、なにもかもうまくいかない。
利用されるだけ。
*
食事が終わると、私は大統領にワガママを言い、自分専用の宿を用意してもらった。
国を救ったのだから、これくらいは許されるだろう。
その上で、鈴木さんにこう告げた。
「レモンちゃん、あとで話があるから私の宿へ来てね。一回着替えるから、十分くらいしてからね」
「はい……」
鈴木さんだけでなく、イトたんも嘉代ちゃんも不安そうな顔をしていた。
どうせ私がひどいことをするとでも思っているのだろう。
たぶん正解だけど。
*
部屋で着替えを済ませ、ウサギの顔をつぶして遊んでいると、ドアがノックされた。
「レモンです」
その名前を自分で名乗るなんて。
少しゾクゾクした。
「入って」
「失礼します」
私はベッド脇にウサギを置いた。
鈴木さんはメイド服のままだった。少し痩せているけれど、白い肌がまぶしい。椅子があるのに座ろうともしない。
「座って」
「はい」
命令に従うロボットみたいな態度。
神経を逆なでされている感じがした。
私は、だからあえて上から言葉をかけることにした。
「レモンちゃんさ、しばらく一緒に行動してみてどうだった? やっていけそう?」
「ムリです」
まさかの即答。
本当に、言葉だけは敬語だけど、私を嫌っているのが伝わってくる。
「ムリってどういうこと? つらいならなんでつらいのか言えば?」
「いいんですか?」
「えっ……」
「言ってもいいんですか?」
脅迫されているような気持ちになった。
追い詰めているのは私のほうなのに。
メガネの奥の目が冷たい。それに、笑みを我慢しているような顔。どんな言葉を使えば私が苦しむのか、完全に把握しているようですらある。
「ま、待って。ちょっと待って。私、あなたを買ったの。だから最低限……そのぅ……言葉は選んで欲しくて……。それだったら言ってもいいから……ねっ?」
なぜ私はこんなに慌てているのだろう。
ちょっと言葉で傷つけてやろうと思っただけなのに。
言葉で殺されそうになっている。
彼女はふっと鼻で笑った。
「なら言いません」
「待ってよ! 言えないの? そんなにひどいこと言おうとしてたの?」
鈴木さんの返事はこうだ。
「ずいぶん弱くなったわね、灰田エルザさん」
「えっ……」
「むかしみたいに魔法で脅してみたら? 人の持ち物壊したり、机壊したり、そういうこと平気でやってたじゃない?」
「してないよ、そんなこと……」
してない。
なのに、そんなことを言われると、頭の中にそんな映像が浮かんでしまう。
壊れた筆箱。泣きじゃくる女子生徒。私はそれを見ているだけ。そのうち先生がやってきて、私を別室へ連れ去ってしまう。でも、怒られない。「わざとじゃないのよね? 次からは気をつけようね?」としか言われない。
鈴木さんは舌打ちした。
「は? 都合よく忘れたってこと? でもこっちは忘れてないから」
「で、でも、ちょっと当たっちゃっただけで……」
「わざとだよ。なのに当然の権利みたいな顔して。クラスのみんな、あんたにムカついてたよ。ありえないほど調子に乗っててさ。私もムカつきすぎてゲロ吐きそうだったわ」
「……」
吐きそうなのは私のほうだよ。
なんでもっと優しく言ってくれないの……。
(続く)




