心も同じくらい強くならなきゃ
日が暮れる前に街を出た。
内陸へ向かうにしたがって、底冷えするような寒さが襲ってきた。風はないのだが、空気そのものの温度が低い。
すーちゃんは震えている。
みんなもその姿を気にしている。
私だって気にしてる。でも、なにも言いだせない。
「エルたん、この人寒そうだよ? なんか貸してあげたら?」
イトたんが助け舟を出してくれた。
きっと絶好のチャンスだったはずだ。
私も乗りたかった。
なのに、自分でもなぜかは分からないけれど、言いたかった言葉とは違う言葉が出てしまった。
「本人が貸して欲しいって言ったの?」
「えっ? 言ってないけど……」
「言ってきたら貸してあげる」
「……」
向けられた目がつめたい。
人を見放すときの目。
自分のせいだって分かってる。
でも……。
しばらく行ったところで、私たちは一泊することにした。
いつものように、崩れかけた壁に囲まれた閉所。
イトたんが火をおこして、私たちは車座になった。
ゆらめく火があたたかい。
すーちゃんも必死になって手をあたためていた。ガタガタ震えて可哀相。早く優しくしてあげないと。
マリオネット氏がわざとらしい咳払いをした。
「えー、あー、明日にはもう世田谷、だな……。シェルターを出てまだ数日だってのに、いろいろありすぎて、何ヶ月も経った気がする」
これにアリスも同調した。
「そ、そうですよね! 僕もおんなじ気分です!」
場を和ませようとしているのだろうか。
私のせいでギスギスしてしまったから。
食事の時間になった。
みんな同じ内容。
さすがに私も口を挟まなかった。もし食べ物で差をつけたら、もう後戻りできないと直感したからだ。
すーちゃんは、私がなにか言い出さないかずっと気にしていた。そんな目で見られると、ついなにか言いたくなってしまう。私は優しくしたいのに。
パンの缶詰。
こんな世界でも、ふかふかしたパンが食べられる。贅沢なことだ。
それに、味の濃いコーンのシチュー。
旅の疲れが癒される。
食事中、イトたんがすーちゃんにいろいろ話しかけていた。
「寒かったでしょ?」
「べつに……」
「そう? 今日は特に冷えたからさ。寒かったら言ってね? 上から着れるのあるから」
「ええ……」
「ご飯はいつもどんなの食べてたの?」
「客の残飯よ……」
「え、えー。それはひどいねぇ」
「べつに。あったかいだけマシよ」
イトたんが気をつかって話を振ってあげているのに、すーちゃんの態度は信じられないほどそっけなかった。
こんなんじゃ、ちっとも優しくする気になれない。
食事も済んでもう寝るだけとなったとき、少し問題が起きた。
私たちは防寒着に身を包んで眠ればいい。けれどもすーちゃんは、なにもなかった。それでイトたんが勝手に服を取り出して、すーちゃんに与えようとしていた。
私は思わず口を開いた。
「待って。それは本人が希望したの?」
場が凍り付いてしまった。
イトたんも、不安というよりも、なかば怒りのような視線を向けてくるようになった。
「エルたん、それ本気で言ってる?」
「なんで?」
「だってすっごく寒いんだよ? こんなカッコで寝たら死んじゃうよ!」
胸元は大きくあいているし、スカートだってちっとも足を隠していない。腕も大部分が露出している。
たしかに、このまま寝たら命に関わる。
イトたんの発した「死んじゃう」という言葉が、心臓を貫くような衝撃となった。実際、私は少しの間、呼吸を忘れていたと思う。
死んでしまったら、今度こそ、二度とすーちゃんに会えなくなってしまう。そうなると、もう友人になるとかならないとか、そういう話ではなくなってしまう。
死んだ人間は、私の思い出の中で都合のいいように操縦される。言いたくないセリフを言わされて、したくないことをさせられる。私の個人的な満足のために。
ダメだダメだダメだ。
そんなのは絶対にダメだ。
イトたんは、私の意見を無視して服を与えていた。
それでよかったと思う。
すーちゃんはずっと不満そうだった。
なのに、私にはなにも言ってこない。
きっと私とは話もしたくないのだ。
*
エルちゃん、また嫌われちゃった。
今日も縁石に座り込んでぷるぷる震えてる。
空には大きな黒の裂け目。
アイくんはそれを見つめ返してる。
夢の中でも「怖いもの」に囲まれたまんま。
「エルちゃん。エルちゃん。元気?」
私が声をかけると、エルちゃんは返事もしないで、首を横に振った。泣いちゃいそうな顔。でも本当に泣きたいのはすーちゃんのほうだよね?
ま、いきなり蹴っ飛ばさなかったことだけは褒めてあげよ。
「エルちゃん、素直になりなよ? ずっとすーちゃんと仲直りしたかったんだよね?」
「あっち行って」
「ダメだよ、エルちゃん。エルちゃんは特別な力を持ってるんだから。心も同じくらい強くならなきゃ」
「うるさい」
「朝になったら、すーちゃんにごめんなさいしよ? ね?」
「しない」
「なんでしないの? 怖いの? 恥ずかしいの?」
「……」
きっと自分でも自分の気持ちが分からないんだね。
だから強い行動をとって、相手の出方を見ちゃうんだ。
でもエルちゃん、それは逆効果だってことに気づいて?
私が見つめていると、エルちゃんもこっちを見つめてきた。
ううん。
見るっていうよりは、睨むっていう感じ。
知ってる。
エルちゃん、私の目が嫌いなんだよね?
いきなり私の耳をつかんで、思いっきり投げ飛ばそうとした。そしたらブチッと音がして、耳がとれちゃった。
*
「あっ! あーっ! あーっ! あ……」
私は飛び起きた。
バニラの耳がとれてしまった。
私は胸元に抱きしめているぬいぐるみを確認した。耳はちゃんとついている。ほっとした。ただの夢だった。
動悸が止まらない。
私が急に騒いだせいで、みんな目をさましてしまったみたいだ。でも、誰もなにも言わず、またそれぞれ眠りについた。
なんだか「またか」といった様子だった。
私という人間は、そんなに不安定だと認識されているのだろうか。
呼吸を整えながら、冬の空を見上げた。
まっくろな空間に、キラキラと星が輝いていてきれい。
なんでこんなにキラキラなんだろうか。
私は空間を切り裂いて、黒いドロドロを引きずり出すことしかできない。
きれいなものと、きたないものが、世界の端と端にある。そんな気さえした。
私は汚い。
私は醜い。
だから空は私に罰を与えるのだ。きっとそうだ。
いっそ夜空を切り裂いてしまいたい。それで苦しみから救われるなら。
リスク――。
あの老人は、私の力にリスクがあると言っていた。
具体的に、どんなリスクなんだろう。
取り返しのつかないことなんだろうか。
これまでたくさん使ってきた。
もしアイが生きていれば、経過を観察することもできたかもしれない。でもあいつは私が殺してしまった。
私はぜんぶ、取り返しがつかなくなってから後悔している。
なんでこんなにバカなんだろう。
「すーちゃん……」
聞こえるかどうかの声で、私はつぶやいてみた。
でも、返事はない。
私は世界を壊すことも、救うこともできる。
なのに、友達だった子と仲直りすることもできない。
なんでこんななんだろう……。
*
ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。
みんなの態度もよそよそしい。
すーちゃんは死ななかったけれど、少し白っぽい顔になっていた。きっと体が冷え切ってしまったのだろう。素直にお願いしてくれたら、私のはんてんに入れてあげたのに。
「立てる?」
「平気」
イトたんが心配してあげているのに、すーちゃんはムキになって強がった。
でも、見るからにつらそうだ。
目も落ちくぼんでいるし、呼吸も少し荒い。
手当てしないと。
私は、でも顔を直視することができなかった。
「あのさ、もし歩けないんだったら、台車にでも乗ったら? 一人くらいなら乗せられるから」
いまの私に優しくできるギリギリのライン。
でもすーちゃんの声は冷たかった。
「いえ、結構です」
「……」
なんで?
断るのはいい。でも、なんで「いらない」って言ってくれないんだろう? なんで敬語なんだろう? そんなに私が嫌い?
嫌われるようなことは、かなりしたけど……。
移動スピードは遅かったけれど、昼頃には世田谷の壁が見えてきた。
黒スプレーで「通行禁止」の文字。
また壁を壊したら怒られるだろう。
どこかに出入口があるはず。だけど、私たちは正確な位置を把握していなかった。
どうにかして向こう側と連絡をとらないと。
マリオネット氏が「なるほど」とうなずいた。
「ドローンを使おう」
上から連絡をとるつもりか。
でも私は首をかしげた。
「壊れたんじゃないの?」
「スペアがある。小型だがな。この辺は放射線もなさそうだし、問題なく飛ばせるだろう。メッセージを投下したいんだが、なんて書いたらいい?」
「中に玉田さんって人がいるの。私の名前を見せれば迎えに来てくれるはず」
*
ドローンを飛ばした。
メッセージはごくシンプル。
「玉田さんへ。エルです。入れてください。西側にいます」
これで通じるはず。
マリオネット氏の扱う操作パネルは、カメラの映像を観ながら操作できるタイプだった。
上空から見ると、小さな畑のあるのが見えた。そして建ち並ぶ建物。重機もある。人々はドローンを見上げて指さしている。表情はさまざま。不安そうだったり、好奇心だったり。
私はマリオネット氏に口頭で「世田谷国役所」への道案内をした。
騒ぎを聞きつけたらしい大統領の島村さんが出てきて、着陸したドローンをつかまえた。ゴソゴソやって私のメッセージを回収したようだ。表情が渋くなった。魔女の私は、あまり歓迎されていないみたいだ。
それでも、周りの人たちに指示を出して、動き出してくれた。
たぶん攻撃されることはないと思うけど……。
二十分ほど待っただろうか。
バイクに乗った男性がこちらへ近づいてきた。
「あー、いたいた! エルさん! 助けてください!」
「えっ?」
よほど急いでいるのか、彼はヘルメットもとらず、スクーターにまたがったまま険しい表情でまくしたてた。
「じつはまた攻撃を受けてまして……。お願いです! 俺たちに力を貸してください!」
「敵は?」
「あのスーツの連中ですよ! みんな拳銃を持ってて! このままじゃ持ちそうにありません! 後ろに乗って!」
「分かった」
前回の戦いでは、玉田さんが撃たれた。今回も同じことになるかもしれない。早く行かないと、誰かが犠牲になる。
私はみんなに「先に行ってるから」と告げ、バイクにまたがった。乗り方は分からないけれど、ちゃんとしがみついていれば大丈夫だろう。たぶん。
ともかく、いまは内省している場合じゃない。
考え込むのは、戦いが終わってからだ。
(続く)




