ダメなのに
マリオネット氏が早くやれという目で見てきたけれど、私は無視した。
「案内して」
「こちらです」
紫のスーツが先頭に立ち、私たちを取り囲むように男たちがついてきた。
もしこの状態で始めたら、間違いなくマリオネット氏を巻き込んでしまう。戦うのは会長と会ってからでいいだろう。
*
マーケットから離れた場所に、ひときわ立派な屋敷が建っていた。和風とも洋風とも言えない不思議な家だ。
大きな玄関。
靴を脱ぐ必要はなかった。
応接室に通された。
ソファに座っていたのは和服にマフラーをした老人。白髪頭を後ろへなでつけた、精悍な顔立ちの男性だ。
「おかけください」
老人はゆっくりとした動作で私たちに席を勧めた。
部下たちはズラッと壁際に整列しているけれど、もちろん私は遠慮なく座らせてもらう。
「ご用というのは?」
黙ってしまったマリオネット氏に代わり、私が尋ねた。
老人はニヤリと不気味に笑っている。
「肝の据わったお嬢さんだね。そう怖い顔をすることはないよ。ちょっとお話ししたいだけだからね」
「内容は?」
「ずいぶんと結論を急ぐ……。なら率直に聞こう。その金貨の出どころは?」
えーと、なにを聞かれても私は「知らない」と答えるんだっけ?
するとマリオネット氏が正気に戻った。
「お、俺はIT企業の社長をしていてね。そのときに、資産の一部を金貨に換えたんだ。だけど、それ以上は持ってない」
「なるほど。それ以上は持っていないのに、大金を投じて女を一人買いたいと……。その後の生活はどうされるおつもりで?」
「生活費は別枠で確保してる。だから、ここで使える金じゃない」
「総額はいかほど?」
「お、教える義務はないはずだ」
すると老人が、部下に目配せをした。
部下のひとりがドスを手に近づいてきた。
これはもう宣戦布告としか思えない。
老人は余裕の表情で告げた。
「これから指を一本ずつ落とす。ゼロになる前に答えたほうがいい」
答える必要はない。
私は空間を切り裂き、ドスの中ほどを切断した。
刃は絨毯に落ちて、スンと情けない音を立てた。
みんな、その光景を呆然と眺めていた。
勝手に壊れたとでも思ったのだろう。
でも、「壊れた」わけじゃない。私が「壊した」のだ。
私は立ち上がり、こう返した。
「私はこの世界を壊した魔女よ。そちらが暴力でくるなら、こちらも暴力でいかせてもらう」
「……」
返事はない。
私はドスを根本まで切り落とした。次は男の手を切り落とすしかない。
老人はしわがれた声を出した。
「ま、待て。教団の? お前、灰田エルザか?」
「ずいぶん詳しいのね、お爺さん」
「参ったな……。宮下、さがれ。作戦変更だ」
すると、ドスの柄だけ握っていた若者が、ペコリと頭をさげて列へ戻った。
ずいぶんお行儀のいいチンピラだ。
老人はなんとか威厳をたもったまま、あまり私を刺激しないよう配慮しつつ言った。
「まあ座りなさい。知らぬこととはいえ、こちらの対応に非があったことはお詫びする」
「本当に? そう思うなら、あの男たちを部屋から追い出してよ。視線が気になって会話に集中できないから」
「そういうわけには……」
「もし私が本気になったら、あんなのボディーガードになんてならないわ。私は、お話ししたいと言っているの。あなたにその気がないなら、私はいつでも始めるけど?」
「分かった。さがらせる。おい、お前たち。外へ」
すると男たちは「はい!」と返事し、足早に出て行ってしまった。迅速に命令に従ったのか、それとも魔女から逃げたかったのかは分からない。
三人になった。
壁には動かない振り子の時計。棚にはよく分からないトロフィー。ここだけ破壊をまぬがれたかのように見える。
でもきっと、破壊を予見して地下に退避させておいたのだろう。
「お爺さん、教えて。あなたはあの組織とはどんなつながりなの?」
すると老人は、観念したように溜め息をついた。
「下請けさ。金をもらって汚れ仕事をする。たいして詳しくは知らねぇよ」
「知ってる範囲でいいから教えて」
「特殊な能力をもった双子がいるってんだろ? そのうちの一人がお前さんだ。もう一人は死んだって聞いた」
「誰から?」
「教団の連絡員だよ。だが、もう手は切れた。こっちは街の運営で忙しいんでな。こんな時代だ。もう昔のルールじゃやっていけねぇ」
まったく全貌が見えない。
質問を変えてみよう。
「教団について教えて」
「あんたのほうが詳しいだろう」
「なにも知らないの。教えて」
老人はうんざり顔になった。
「宗教法人だ。手広くやってたらしい。学校だの病院だのまで運営してたな。あんたを育ててたママってのがいたろ? そいつが教祖だ。だが、ありゃ背後になんかいるぞ」
「なんかって?」
「言わせんな。俺たちは、そういう詮索はしない主義だ」
「予想でもいいから教えて」
すると舌打ちが出た。
次やったら血を出させてやる。
「教えなさい」
「政府だ。日本政府。ま、時の政権が把握してたかどうかは知らねぇが。とにかく、専門の機関があって、そいつが教団をバックアップしてた。いっぺん青ナンバーの車を見かけたから、米軍も一枚噛んでるのかもしれねぇ。とにかく、俺たちみたいな民間企業が首を突っ込めるハナシじゃねぇんだよ。これ以上は勘弁してくれや」
本当にただの下請けで、ちょっと事情を知ってるだけ、みたいだ。
私はまた話題を変えた。
「じゃ、本題に入りましょ。レモンちゃんを売って欲しいの。そのために来たんだから」
これに老人は怪訝そうな顔を見せた。
「それなんだが、なぜお前さんはその女に執着する? たいした器量でもないだろう。サービスだっていいとは言えねぇ」
「知り合いなの。理由はそれで十分でしょ?」
「だが五千万だ。その金がないなら売ることはできんよ」
「そういうこと言うの? じゃ、私たちへの迷惑料を回収してもいい?」
「……」
暴力は楽でいい。
どんな偉そうな人間でも黙らせることができる。
私はこの悪人どもを「善意で殺さないでやっている」のだ。それを理解して欲しい。
老人は顔をしかめた。
「お前さんの力が凄いのは分かった。だが、そんなに無邪気に使って平気なのか? リスクがあると聞いたぞ」
「命乞いのつもり?」
「そうじゃねぇ。善意で教えてやってるんだ」
「証拠は?」
「ねぇよ。だが、まあそりゃそうだよな。ママはお前らに教えなかったんだ。もし教えてたら、お前たちはいざ審判のときに、力を使うのを躊躇したろうからな」
本当に?
ママを自称する女は、口癖のようにこう言っていた。
「大丈夫だからね。私がやれと言ったら全力でやるのよ。それまでは我慢しなさいね」
大丈夫。
やれと言ったらやる。
それまでは我慢。
リスクの説明はなかった。
「どんなリスクなの?」
「さぁな。俺も、ドクターとママの会話をちょろっと盗み聞きしただけだ。あのときの女のツラから察するに、いくらか厄介そうな感じだったが……。ま、詳しくは教団の連中にでも聞くんだな」
もしこれがハッタリなら、もっと上手にウソをついているはず。
たとえば「力を使えば寿命が縮む」とか。
どちらにしろ老人は詳細を知らないのだ。私はこの場で彼を殺してから、組織に聞きに行くことだってできる。なのにそういう流れではない。
事実かどうかは分からない。けれども、これが真実であっても、ウソであっても、彼の身を助けない。
老人は覚悟を決めたように、こう続けた。
「信じろとは言わねぇよ。もしこれがウソなら、お前はあとからでも俺を殺しに来るだろうしな。俺にはここしか居場所がねぇから、逃げることもできねぇ」
「もっともらしく聞こえる」
「この際だから正直に言うぞ。俺は一刻も早く、お前たちにお引き取り願いたい。だから例の女はタダでくれてやる。この街を台無しにされるよりゃマシだ」
「取引成立ね」
「今回限りの特別サービスだ。次はねぇ」
「そうね。次はないわ」
*
外へ出て、イトたんと合流した。
ずっとオナラをしている。
「もう食べられないわ」
そう言いつつも、左右に持ったサツマイモを交互に食べている。
嘉代ちゃんもアリスも苦笑いだ。
黒服が、不服そうな顔の「レモンちゃん」を連れてきた。
「オラ、挨拶しろ。こちらのお客さまが、今日からお前のご主人さまだ」
私のすーちゃんが来た。
私だけのすーちゃん。
メガネでおさげで、露出の多いメイド服。
かなり寒そう。あったかくしてあげたい。
「レモンです。よろしくお願いします……」
私と目を合わせてくれない。
けど、関係ない。
私は距離を詰めて、頬をなでた。
「よろしくね、レモンちゃん」
「ぐっ……」
本当に悔しそうな顔。
自分がタダで売り飛ばされたと知ったら、どんな顔をするだろう。
「黒服のお兄さん、ありがとう。あとはこっちでなんとかするわ」
「じゃ、自分はこれで」
もう関わりたくないとばかりに、黒服は早足で行ってしまった。
でもいい。
私はいま、心の底から満足している。
目の前にすーちゃんがいる。夢じゃない。ホンモノ。少女らしさはだいぶ抜けているけれど、でも小学生のころの面影がある。いつも出しゃばってきて、私とアイを守ってるフリして、自己陶酔してた女。私の唯一の友達だった女。
「ね、レモンちゃん。そのカッコ、寒いでしょ? なんかお洋服買ってあげようか? どんなのがいい?」
「なんで……も……いいです……」
声が怒りに震えている。
なんで怒ってるんだろう?
元クラスメイトの私が、変態おじさんたちから救い出してあげたのに。
「なんでも? じゃ、そのままでいい? あとから寒いとか言ってもダメだから」
「……」
なんでだろう。
なんでなんだろう。
みんなの目が冷たい。
ううん。
自分でも理由は分かってる。
優しくするつもりだった。
仲良くするつもりだった。
なのに、どうしても厳しく当たってしまう。
きっと相手を試してる。
これくらいやっても平気かどうかを。
ダメなのに。
絶対にやっちゃダメなのに……。
(続く)




