仲間になればいい
エレベーターが下へつくと、ドアの隙間から濁った水が入り込んできた。
水位は高くない。靴底がひたる程度だ。僕のスニーカーが汚れるのはイヤだったけど、どっちにしろもうとっくに汚れてしまっている。
アリスがモップ片手に近づいてきた。
「お帰りなさい。ご主人さまはお部屋にいらっしゃいます」
通路の片隅に土嚢が積まれている。そこへ水を溜めているらしい。けれども、土嚢の隙間からは、絶えず水が漏れ出していた。
部屋へ行くと、マリオネットさんが椅子を回転させてこちらを向いた。
「ご苦労だったな。まあ座れ」
相変わらず偉そう。
僕たちは荷物をソファに置いて、その隙間に座った。
マリオネットさんも対面に座った。
「で、どうだった?」
この質問に、伊藤さんが顔をしかめた。
「はい、持って帰りました! なにも知らずに放射線を浴びながらね!」
ダンと力強くテーブルに計器を置いた。
マリオネットさんも少しビクッとした。
「そう怒るな。原発の位置や、気象条件はあらかじめ把握してある。拡散の状況についてもシミュレートした。人体に深刻な影響はないと判断したから行かせたんだ」
「でもずっとピーピー鳴ってた」
「低い線量でも鳴るように設定したからな。ともかく、お前たちの仕事は終わった。報酬を支払う」
ズボンのポケットから金貨を取り出し、テーブルに置いた。三枚。
僕たちは手を出さなかった。
遠慮したわけじゃない。マリオネットさんがなにか言いたそうな顔をしていたからだ。
彼は少しだけ表情を苦くして、こう続けた。
「その上で、新たな依頼がある。受けてくれるか?」
そう言われても、返事はできない。
内容も聞かないうちから受けるわけがないのに。
伊藤さんがテーブルをバンバン叩いた。
「まずはどんな依頼なのか言ってからにしてよ!」
彼の返事はこうだ。
「お前たちには、ここから出て行って欲しい。アリスと一緒に」
「はいぃ?」
「さっきも言った通り、気象条件をシミュレートした。数日前に内陸で降った雪は、かなりのスピードで溶け出していてな。このシェルターは、数日以内に水没するものとみられる。この俺が何度も計算したんだ。間違いない」
「……」
マリオネットさんは、なんとか偉そうに振る舞っていたけれど、よく見ると表情に力がなかった。
たぶん、本当に水没してしまうのだろう。
彼は溜め息とともに天井を見上げた。
「お前たちを外へ行かせたのも、事前調査のようなものだ」
「え、じゃあこのドローンは……」
「じつは重要じゃない。どのルートでどう移動したら安全な場所へたどり着けるか、それが知りたかった」
「あんたはどうするの?」
伊藤さんの言葉に、マリオネットさんはキザったらしく肩をすくめた。
「水が引くまで外で暮らすさ」
この人は、どこまでも他人に頭をさげるのが苦手なんだと思った。
なんだか自分を見ているみたい。
助けて欲しいのに、それを言い出せない。
僕は思わずこう切り出した。
「ねえ、僕たちを雇ったら?」
「それも一度は考えた。だが、俺の資産は無限じゃない。食料だっていつ尽きるとも知れない。備蓄のすべてを運び出すのも不可能だしな。もって数ヶ月ってところだ」
たぶん、僕たちより頭はいいんだと思う。
けど、バカだ。
僕も溜め息をついた。
「だったらさ、仲間になればいいんじゃない? 僕も伊藤さんも大谷さんも、一緒に旅してるけど、お互いにお金なんて払ってないよ。だって仲間だもん」
「は?」
「マリオネットさんも仲間になればいいんだよ。ま、ホントは仲間なんて邪魔なだけだって思うけどさ……。でも、いっぱい助けられちゃったし。僕も考えを変えたんだ。マリオネットさんも考えを変えたら?」
「……」
彼は目を見開いている。
これまで対等な仲間を持ったことがないのかもしれない。
勝つか負けるか、お金で雇うか雇われるか、きっとそれしか体験したことがなかったんだ。
僕の場合、ほとんど人と関わった経験さえなかったけれど。でも気持ちは分かる。姉さん以外、誰も対等じゃなかった。分かり合えなかった。仲間と呼べる人間なんて、絶対に出会えないと思っていた。
だけど、そんな僕に玉田さんが「仲間」を教えてくれた。伊藤さんは「友達」を教えてくれた。完璧に理解し合えたとまでは思わないけれど。でも、僕は知った。理解なんてしてなくたって、一緒にいることはできるんだって。
長い沈黙のあと、マリオネットさんは少し笑みを浮かべてこう返事をした。
「一晩考えさせてくれ」
「別に急がないよ。ここが水没する前ならね」
*
僕たちは部屋へ戻った。
「ただいま、姉さん」
片耳のウサギとも再会。
どこからどう見ても「虚無」みたいな顔だけど、久しぶりに見るとなんだか安心する。中身が空っぽのウサギ。いとおしくなる。
伊藤さんはベッドにダイブした。
「やー、びっくりしたよー。アイくんがあの人誘うなんて」
「変かな?」
「ううん。面白いと思うよ。だってあたしらとは違った才能持ってるし。鈴木さんを救出するときも、たぶん力になってくれると思う」
そこまでは考えてなかった。
でも大人だし、お金のことについては僕たちより交渉がうまいはず。もしかすると、僕たちだけでやるより成功率は高いかもしれない。
「大谷さんも一緒に来てくれるよね?」
僕が尋ねると、彼女はもじもじした様子を見せた。
「もちろんじゃ。けど、その『大谷さん』ちゅーのはこっぱずかしいけぇ……。いつもみたいに、下の名前で呼んで欲しいんじゃ」
「嘉代ちゃんがいいの?」
「うん……」
「じゃあ嘉代ちゃんだね。改めてよろしくね」
赤くなってうつむいてしまった。
すると伊藤さんがいきなりバタバタ暴れ始めた。
「ズルい! だったらあたしのこともイトたんって呼んでよ!」
「才子ちゃんじゃダメなの?」
「ダメなの! それは禁句だから!」
「でも僕、伊藤さんがいいな」
「……」
「ダメ?」
「ダメじゃない……」
急にしおらしくなってしまった。
二人とも、今日はなんだかかわいらしい。
*
夕食はみんなでとることになった。
みんなだからウサギも連れてきてしまった。久しぶりに会えたのが嬉しくて。
「あー、食事をしながらでいいので、今後の方針について聞いて欲しい」
マリオネットさんがそんなことを言いだした。
アリスは律儀に手を止めていたけれど、僕は食事を続けた。ずっと外を歩きっぱなしだったから、体が栄養を欲していた。
「まずアリス。お前はクビだ」
「えっ?」
「もう俺の部下ではない。よって俺の命令を聞く必要はない」
「な、なんで……」
「まあ聞け。一方的に見捨てるわけじゃない。このシェルターは数日以内に水没する。俺は資産の大半を失うことになるから、お前になにも与えることができなくなる。よって主従関係は解消。今後は同じ立場となる。俺たちは、この三人の仲間となり、ともに旅をすることになる」
つまりは仲間に入れて欲しいということだ。
一晩かからなかった。
僕もパンを置いた。
「いいよ。歓迎する。仲間なんだから、今後は助け合おうね」
「俺は外の生活にはなれていない。だから、頭脳でサポートする。それでいいか?」
「お金もあるよね?」
「この際だ。金だろうがなんだろうが、できる限り提供させてもらう」
とはいえ、僕たちだって、利用するだけ利用しようだなんて思っていない。
「世田谷に人が住めそうな場所があるんだ。そこの人たちは……まあまあ話の通じる人たちだから、きっと住ませてくれると思う」
「あの壁を作ってた連中か……」
「知ってるの?」
「衛星の映像でな。だが、途中にもひとつ街があったろう。たしか、町田あたりだったか。あれはどうなんだ?」
きっと鈴木さんのいる街のことだ。
僕は思わず溜め息をついた。
「あそこはダメ。みんなお金に汚いから」
「俺には向いてそうだが」
「たぶんね。そこで、マリオネットさんにひとつお願いがあるの。その街に僕の知り合いがいて、借金を返そうと、つらい仕事をさせられてるんだ。助けてもらえないかな?」
すると彼は片眉をつりあげ、ふっと笑った。
「なるほど、だから金が必要だったのか。お前たち、つくづくお人好しだな。いいだろう。俺が交渉する。金の使い方は、俺のほうが詳しいだろうからな」
「ありがとう」
僕はテーブルに金貨を三枚置いた。さっきもらったばかりの報酬だ。
彼は眉をひそめた。
「なんだこれは?」
「お金の管理はマリオネットさんに任せたいの。僕たちが持ってると、きっと悪い大人に巻き上げられちゃうから」
「断る。小銭くらい自分たちで管理しろ。いざというとき役に立つかもしれん」
「じゃあこの金貨だけ持ってる。でもそれ以外はお願い。ダメ?」
「ふん。お前はじつに賢しい女だな。いや、男だったか。ご希望通り、金の管理は俺に任せてもらう。完璧にやるから安心しろ」
これで交渉は成立。
食事を終えた伊藤さんのおなかが鳴っていたので、僕のパンを半分わけてあげた。
*
翌朝、水は靴の上まで来ていた。もし下水管が詰まっているのだとすれば、水位はあがる一方だろう。
僕たちは何度もエレベーターを往復させて、可能な限りの荷物を運び出した。台車やクーラーボックスがあるから、そこにいろいろ詰め込んでおける。といっても、積み込みすぎて僕の胸くらいまでの高さになってしまったけれど。
寒いけれども、空は晴れていた。
前に撃たれた肩の調子もいい。大きく動かすと違和感があるけど、あまり気にせず暮らせるくらいにはなっている。
「莫大な財産をつぎ込んだシェルターも、一年もたなかったというわけだ。ま、インフラが壊れてしまってはな……」
マリオネットさんは名残惜しそうだった。
アリスも寄り添った。
「ご主人さま……」
「その呼び方はやめろ、アリス。俺はもうお前の主人ではない」
「そんなことありません。僕を拾ってくれたのは、ご主人さまですから。ご主人さまは、ずっと僕のご主人さまです」
「なら勝手にしろ」
落ち武者と少年であるということを無視すれば、少しいい話のような気もしないではない。
伊藤さんが咳払いをした。
「そこの二人! イチャついてないで、作業手伝いなさいよ! この美少女に仕事させておいて、恥ずかしいと思わないの?」
マリオネットさんは肩をすくめた。
「街についたら、まずは鏡を買う必要がありそうだな」
「皮肉は聞こえないように言いなさいよ!」
「善処する」
にぎやかな旅になりそうだ。
マリオネットさんは、紙のお金で一千万、金貨で数億以上の資産を有していた。どちらもすごく重たかったけれど。かといって置いていくわけにもいかない。
きっと鈴木さんを救出できるだろう。
姉さんの友達の鈴木さん。
だけど、いつだったか姉さんとケンカして、疎遠になっていたと思う。
あのときは哀しかった。
僕とは関係ない話なのに。
「姉さん、今度は鈴木さんと仲良くできるといいね」
ウサギにそう話しかけたけれど、虚ろな目でじっと遠くを見つめていた。
いつもこんな表情。
一度もお返事してくれない。
なんだか憎たらしくなって、指で顔をおしつぶした。
間抜けな顔のウサギ。
「あはは、変な顔。ほらほら、なんか言い返してみなさいよ。ブサイクウサギ」
アイのヤツ、こんなのを私だと思って話しかけるなんて。
もう二度とやらないで欲しい。
ま、どうでもいいわ。こんな無機物。
今度という今度こそお金の力で鈴木さんを救い出して、上からモノ言ってやるんだから。助けてあげたんだから、私の友達になりなさい、って。きっと彼女も断らないはず。あの子はお金をくれる人の命令を聞くんだから。内心どう思うかは知らないけれど。
そう。
人の本当の心なんて、絶対に分からない。
ウソの友達でもいい。つらい思い出をなかったことにしたい。あの日の思い出は、鋭い棘となって心に刺さったままなのだ。早く解放されたい。お金の力でもなんでもいいから……。
(続く)




