死に際のセミみたい
はんてんでもこもこになった僕たちは、円柱型エレベーターが地上に到着するのを待っていた。
あまりスピードが出ないみたいで、けっこう時間がかかった。
『作戦内容は理解しているな? 俺の渡した計器でデータを測定しつつ、ドローンの回収へ向かってくれ。電波障害があるから、遠隔での誘導はできない。外へ出たらあとはお前たち次第だ。迷ったら地図を見ろ』
スピーカーから、マリオネットさんの声が聞こえてくる。
この話はエレベーターに乗る前にも聞かされた。きっとよっぽど信用されてないんだろう。僕たちは、ずっと地上を歩いてきたっていうのに。
「任せて。完璧にやるから」
伊藤さんがうるさそうな顔で返事をした。
報酬は金貨一枚。
僕は鈴木さんを救出するために、お金を稼がないといけない。
でもなぜ鈴木さんを?
僕は鈴木さんに対して、そんなに思い入れがあっただろうか……。
エレベーターが停止すると、ドアが開き、冬の街が広がった。
白い。
積雪はない。けれども、ただでさえ白いコンクリートが、冬の日差しにさらされて余計に白く見えていた。
結露した水分が凍り付いて、余計に白く見せているのかもしれない。
気温は氷点下だろうか。
例年よりも寒いらしい。
僕たちは震えながら外へ踏み出した。
息まで白い。
「なによこの寒さ! 地球は温暖化してたんじゃないの?」
伊藤さんが地球に苦情を言い出した。
でも気持ちは分かる。
こんなに寒くする必要はないと思う。
僕は手袋代わりの軍手をした指でなんとか地図を広げた。
「えーと、まずは海に行って……海岸に沿って進めば見つかると思う」
マリオネットさんがプリントアウトした衛星写真だ。海があるから方向で迷うことはないと思う。
大谷さんは計器を動かした。
「データはわしがとるけぇ、道案内は兄さんがしてつぁかさい」
「うん」
ちょっと危なっかしいところもあるけれど、素直でかわいい後輩だ。
もし妹がいたらこんな感じなんだろうか。
ウサギは置いてきた。
少しぐらいなら離れていても問題ないと思う。すぐに戻ってくるのだから。それに、なんだかずっと見られている気がするし。
歩き始めてからは、僕たちはずっと会話を交わさなかった。
寒すぎて、楽しくお喋りしている気分ではなかったのだ。
*
砂浜へついてからも、気分は回復しなかった。
見たいと思っていた海が、すぐそこにあるのに。
冷たい水が僕たちの行く手を阻んでいるようで、不気味な印象さえ受けた。大地はこの塩水で分断されている。
でも、これは僕の個人的な考え方。
海に住んでいる魚たちからすれば、陸地のせいで海が分断されているように見えているはず。
海辺を歩いていると、のたのたとこちらへ近づいてくる男たちが見えた。計四名。みんなガリガリに痩せこけている。
大谷さんが刀に手をかけた。
男たちは一瞬ぎょっとした顔になったけれど、すぐに笑みのような表情に切り替えた。
「待った。そういうんじゃない。冷たくするなよ。人間同士だろ?」
ずいぶん人相が変っていたから気づかなかったけれど、たぶんあのときの漁師だ。五人いたはずだけど。
彼はこう続けた。
「な、食いモンあまってねぇか? ここんとこ、ずっとまともなモン食ってなくてよ。ちょっとでいいから分けてくんねぇかい?」
「……」
困っていて、しかも素直に助けを求めてくる人には、僕だって応じたい気持ちはなくもない。
だけど……。
この人たちは、僕たちを助けてくれなかった。食料の代わりに、卑劣な要求をされたのだ。僕はこの人たちを許せない。
「もし食料を分けてあげたら、おじさんたちは僕たちになにをしてくれるの?」
「はっ?」
「そっちが出してきた条件だよ。僕たちも要求する権利はあると思う」
「僕? なに言ってんだよあんた……」
「じゃあさ、海にもぐってお魚とってきてよ。それと交換してあげる」
「……」
目が血走っている。
もしかすると、力づくで奪おうとしているのかもしれない。でも、こっちのほうが強い。僕ひとりでも勝てるけれど、伊藤さんや大谷さんも刀で武装している。勝負にならない。
後ろの男が口を開いた。
「ムリだ。もう行こうぜ」
「クソ、アテにならねぇな」
最後に悪態をついて、どこかへ行ってしまった。
悪いことをしたかもしれない。
けれども、僕はどうしても助ける気になれなかった。もしかしたら僕たちは餓死していたかもしれない。それか、屈辱的な扱いを受けていたかもしれない。僕たち以外にも同じようなことをされた人がいるかもしれない。
どうしても許せなかった。
*
しばらく進んだところで、僕たちは休憩することにした。
崩れかけた壁がかろうじて風よけになっていたし、そこらに木材も転がっていたからだ。こういうところで休んでおかないと、次いつ休めるか分からない。
伊藤さんが焚き火をおこして、僕たちは暖をとった。
食事もある。缶詰のパンと鶏肉。ペットボトルには新鮮な水。僕たちは恵まれている。それもこれもマリオネットさんのおかげだ。
大谷さんはパンをくわえたまま、いろんな角度から計器を眺めていた。
「ほふぇなんなんふぁふぉーふぁ」
「なに?」
パンのせいでなにも聞き取れない。
大谷さんはパンを手に持ち替えた。
「これじゃ。なんなんじゃろうな?」
「電波を計ってるんじゃないの?」
「うーむ」
たまにピッと電子音がする。
特に操作する必要はない。電源を入れたまま持ち運ぶだけでいい。マリオネットさんはそう言っていた。
*
休んでいたら日が暮れてきたので、僕たちはそのまま夜を過ごすことにした。
寒いことは寒いけど、体の芯まで冷える寒さではなかった。たぶんはんてんのおかげだ。食べ物も十分ある。外でこんなに安心できるのは初めてかもしれない。
夜は寒さで何度も目をさました。
それでも、死を覚悟する瞬間は一回もなかった。
我慢しようと思えば我慢できるレベルだ。
それに僕たちは、寒くならないようお互いにくっついていた。あったかいだけでなく、安心感もあった。
*
朝、また缶詰を食べて進んだ。
「なんじゃかピッピピッピうるさいのぅ」
大谷さんの手にした計器が、リズミカルに音を立てるようになっていた。
もしかすると、バッテリーが切れそうなのかもしれない。でも、ここではどうしようもなかった。コンセントなんてどこにもない。
僕は地図を確認した。
海岸にいることは分かる。
でも、正確な位置は分からなかった。目印になりそうな建物もない。漠然と東を目指している。
「大谷さん、家とは逆方向だね」
僕がそう声をかけると、彼女は計器をみつめたまま言った。
「ええんじゃ。本気で帰れるとは思っとらんかったけぇ。どうせくたばるなら、広島に近いほうがええと思っとっただけなんじゃ」
「……」
この世界では、未来に希望を持つことができない。
なんで世界が壊れたのかは……。僕には分からない。見ていないのだから、分からなくて当然だ。目が覚めたらこうなっていた。僕はなにも悪くない。僕は世界を救おうとしただけだ。
僕は……。
僕は被害者だ。
もうバッテリーがもたないのか、計器はピピッピピッと主張を強めていた。やがてピピピッピピピッと激しさを増したかと思うと、最後はピーッと音が止まらなくなった。
「じゃかぁしぃのぅ……。死に際のセミみたいじゃ」
大谷さんは計器をぶんぶんと振った。
もちろんそんなことで回復するわけがない。
伊藤さんが目を細めた。
「アレじゃない?」
彼女の指さす先、砂浜に黒っぽい物体が落ちていた。
頑張って目をこらすと、たしかにドローンのようにも見えなくもない。
耳障りな電子音を聞きながら、僕たちはそちらへ向かった。
ドローンだった。
砂の上に落ちたからか、壊れているようには見えない。きっと持ち帰ったら普通に使えるようになるだろう。
周囲に人の気配もない。
ネコが数匹いたけれど、計器がうるさい音を立てていたせいか、サッと逃げ出してしまった。なでたかったのに。
ドローンを伊藤さんのバッグにくくりつけ、僕たちはその場を離れた。
すると計器もピピピッと次第に収束していった。
バッテリーがなかったんじゃなくて、妨害電波に反応していたのかもしれない。
*
日が落ちてきたので、焚き火を囲んだ。
計器の音はずっと鳴りっぱなしだったけれど、ここの少し手前でようやく落ち着いてくれた。ずっと聞いていたら頭がどうにかなりそうだった。
「明日には帰れるね」
僕は缶詰を片付けながら言った。
片付けるといっても、壁際に寄せるだけだけど。
伊藤さんは難しそうな顔をしている。
「あれってなんの音だったんだろ……。嘉代ちゃん、それちょっと貸してもらえる?」
「ん」
受け取った伊藤さんは、裏側のラベルをじっと見つめた。
「これって線量計じゃない? 放射線計るやつ」
「放射線?」
その言葉はテレビで聴いた気がする。
でもよくは知らない。
伊藤さんは眉間にしわをよせて、怖い顔になっている。
「原発とかの事故で漏れるやつだよ。浴びたらダメなやつ」
「原発……」
そういえば、いまは誰が管理しているのだろうか。
もしかすると、誰かが善意で対応してくれているのかもしれない。
それか、誰も管理していない、か……。
大谷さんは自分の体を確認し、顔をあげた。
「なんともないが……」
「いまはね。でもあとから体がおかしくなる可能性があるし、ヘタすると死ぬと思う」
「……」
「あいつ、なんの説明もしなかったよ。エルたん……じゃなかったアイくん、これは問題だよ! あいつ、あたしらのこと騙したんだ!」
マリオネットさんは、電波障害としか説明してくれなかった。
もし本当は放射線が原因なのだとしたら、僕たちは騙されたことになる。
けれども、僕はすぐには結論を出せなかった。
「そうだね。帰ったら確認してみよう。もし騙してたなら、ちゃんと説明してもらわないと」
「莫大な慰謝料を請求してやろうよ! あたしみたいな美少女が死んだら、この世界の損失なんだから!」
「うん」
僕はマリオネットさんに恩を感じてる。だから正直、争いたくはない。なにかの間違いであって欲しいと思った。
*
翌日、浜辺を進んでいると、漁師のおじさんたちを見かけた。
人数がひとり減っていた。
そして取りつかれたような表情で、なにかを食べていた。
カラスの群れが上空を旋回していた。
シェルターについたのは日も傾きかけてきたころ。
時計がないから正確な時刻は分からない。
僕はコンコンとマンホールのような入口をノックした。
「戻ったよ。開けて」
すると奥のほうでモーター音がして、円柱型のエレベーターがせり上がってきた。
ドアが開くと、かすかに異臭がした。たぶん下水のにおいだ。設備に異常でも発生したのだろうか。ここでは計器は鳴っていないのに。
中に入ると、すぐにスピーカーから声がした。
『よく戻ったな。エレベーターをおろす。だが気をつけろ。水が来ている』
「水?」
僕は思わず眉をひそめた。
地下に水なんて来たらすぐに水没してしまう。
マリオネットさんの声も冴えない。
『内陸で降った雪が急に溶け出して、下水に流れ込んだんだろう。いや、それだけならまだいい。おそらくどこかで下水が詰まってる。誰も管理なんてしてないはずだからな』
そう。
原発だけでなく、下水だって、これまでは誰かが管理していたのだ。
管理する人がいなくなれば、正常に働かなくなってしまう。
僕たちは、見えないところで、誰かのお世話になっていたのだ。
エレベーターが下へ向かう途中、伊藤さんが口を開いた。
「あのさー、この線量計、向こうでピーピー鳴ってたんだけど。下についたらきちんと説明してよね」
『そ、そうか。分かった』
さすが伊藤さん。
有無を言わさぬ態度だ。
でもたぶん、僕もこれくらい強気でいかないとダメなのだ。いつも衝突を避けようとして、弱気になってしまう。相手に譲るか、殺して黙らせてしまうか、その二つしか僕には選択肢がない。
(続く)




