電波障害
ここでの食事は一日二食。それとおやつ。
動かないんだから、一食でもいいくらいだ。私たちの体は、すっかり省エネ体質になっていた。
「入るわね」
私たちは、その日のうちにマリオネット氏の私室を訪れた。
彼はいつも通りの気取った態度。
「なんの用だ?」
「みんなで話し合ったんだけど、私たち、全員で働くことにしたの」
「素晴らしい提案だな。自己犠牲の精神は捨てたのか?」
「そうよ。捨てたのよ」
私は構わずソファへ腰をおろした。
用件はこれで終わりではない。皮肉に反論していたら日が暮れてしまう。
彼も察したらしい。
「それで?」
「働く代わりに、お給料が欲しいの」
「労使交渉か。いいだろう。文明人らしく、お前たちのプレゼンにつきあってやる。希望の額を言え」
「それなんだけど……。相場がよく分からなくて……」
彼はふんと鼻を鳴らした。
「そもそも、金など手に入れてなにに使うつもりだ? 俺の提供するサービスでは不満か? それともこのシェルターを俺から買い取るつもりか?」
「前に、街を見かけたの。そこで欲しいものがあって……」
鈴木さんを救出するのだ。
そのためには、たくさんのお金が要る。
玉田さんの給料が三百万円だったから、たぶん、その十倍は必要だろう。それでも足りないかもしれない。
「いくら必要なんだ?」
「最低でも三千万は……」
「紙の金でか? なら残念だったな。ここには一千万しかない。残りは銀行だ」
「一千万はあるの?」
「ああ、そうだ。それで、お前たちは、自分たちの給料をどう算出するつもりだ?」
問題はそこだ。
その気になれば、根拠もナシに都合のいい提案をすることもできる。ただしその場合、彼は交渉に応じないだろう。
それらしい根拠を提示しなければ。
「百円ライターが、闇市で五千円するらしいの。だから、月給で五百万くらいかと……」
「なるほど。だが、先に言っておくぞ。もしすべてを金で解決するつもりなら、食費と部屋代、設備の利用料を経費として差し引かせてもらう。それでもいいな?」
「うっ……」
考えてなかった。
よくよく考えれば、食事だってタダではないのだ。
計算がアマかったかもしれない。
彼は思案顔でこう続けた。
「だが、百円ライターが五千円もするなら、インフレ率は五十倍ということになるな。月給五百万は安すぎる。以前のレートなら月給十万だぞ。お前、自分のメイドとしての価値をその程度と算定したのか? 俺に遠慮したつもりか?」
「じゃあ十五万で……」
「ふん。なら現在のレートで七百五十万だ。経費として五百万もらう。差し引き二百五十万」
「えーと……」
「お前たち三人で七百五十万。二ヶ月で千五百万だ」
「どうしても三千万は欲しいの」
「ないと言っただろう。払いたくても払えないんだ。ま、現物支給でよければ応じられるが」
「現物支給って?」
「金貨だ。これならいくらか余裕がある。金貨一枚あたり二百五十万で交換してやってもいい」
四ヶ月の労働で三千万も不可能ではない。
けれども、あの街で金貨が使えるだろうか。四ヶ月先の世界がどうなっているかも分からないし、鈴木さんの借金だって増えているかもしれない。
「あの、前借りは……できる……?」
「信用があれば可能かもしれんな。だが、自分がその信用にあたいする人間だと思うのか?」
「……」
こっちはタダで食事をもらっているだけの居候だ。
信用などない。
おとなしく四ヶ月働いたほうがよさそうだ。
すると、いきなり嘉代ちゃんが刀を抜いた。
力づくでいくつもりだろうか。
「わしの指詰めるけぇ、それで信用してつかぁさい。何本やったらええ?」
「やめて嘉代ちゃん! 話をややこしくしないで!」
とんでもない問題児だ。
マリオネット氏も引いている。
「ここで抜くなと言っただろ! だいいち、お前の指なんかもらっても、こっちは嬉しくもなんともないからな!」
「なんでじゃ。オジキは指の二本で道場守っとったぞ」
「……」
いったいなんの道場なのだろうか。
私はひとまず嘉代ちゃんに刀をしまわせた。
「ちょっと静かにしてて。これは真剣な……あ、真剣って言ってもそっちじゃなくて……真面目な交渉の場なんだから」
「うん……」
納得していない様子だ。
頭がどうにかなりそう!
するとイトたんが溜め息をついた。
「じゃあ、こうするのはどう? マリオネットさんはエルたんにお金を貸す。で、あたしは人質として残る。もしエルたんが期日までに帰ってこなければ、あたしが一生かけてでも返済する」
気持ちは嬉しいけれど、それはひとりよがりの自己犠牲だ。
私にはダメだって言ったクセに。
マリオネット氏は不満顔だ。
「あー、逆なら考えんこともないんだがなぁ。つまり、お前が外で買い物をして、エルが残るんだ」
「なによそれ! 美少女に失礼でしょ!」
「……」
でも、それはダメだ。
私が行かないと。
鈴木さんのことは、私が救うんだから。
手っ取り早く稼ぐ方法はないんだろうか……。
*
結局、ひとりあたり月給七百五十万で労働し、経費として五百万引かれ、差額の代わりに金貨一枚を受け取る、という内容で合意した。
四ヶ月もすれば、地上も春になっているはずだ。
その間に鈴木さんがどうなっているかは分からないけれど……。
給料をもっと吹っかければよかったとか、経費が高すぎるとか、いろいろあとから思わなくもなかったけれど、仕事らしい仕事もほとんどなかったので、あまり贅沢も言えなかった。
もしこれ以上の待遇を求めるなら、アリスみたいに特別なサービスを提供するしかない。
*
数日後、アルコールにつけた柿は、本当にあまい柿になっていた。
私たちは一口サイズに切って、みんなで食べることにした。アリスも一緒に。
「ほう。これほど新鮮なフルーツが食べられるとはな。地上も開拓の余地がありそうだ」
マリオネット氏も満足そうだ。
アリスもおいしそうに食べてくれた。目を細めて、足を少し動かしている。リアクションがいちいちかわいい。そしてかわいい男を見ていると、どうしてもイライラしてしまう。
それに比べてイトたんも嘉代ちゃんも、手づかみで豪快にむさぼっている。それはいいけど、せめて足は閉じてほしいな。
ただ、こうして楽しくおやつを食べていると、もうずっとこんな生活でもいいような気がしてくる。組織の人たちもここまでは追ってこないだろう。鈴木さんも自力で借金を返しているかもしれない。
私はここで、みんなと平和に暮らしたい。
そんな気持ちになっていた。
*
数日後、事件が起きた。
「ドローンが消えた」
マリオネット氏は私たちメイドを部屋に集め、そんなことを言い出したのだ。
誰かに盗まれたのだろうか。
彼はキーボードを操作してモニターに地上の様子を映した。
「これは衛星の映像だ。ドローンの位置も把握できている」
「あるじゃん。消えてないじゃん」
イトたんがぼりぼりと首をかいた。
もう少し優しく言ってあげてもいいとは思うけど、たしかにある。消えていない。
マリオネットしはやれやれとばかりに溜め息をつき、眉間をもみほぐした。
「ある。だが操作できない。急に制御不能になった。バッテリーも切れていないのに、だ」
「故障じゃないの?」
「その可能性はある。あるが、制御不能になる直前、イヤな感じがあってな……」
「なんなの?」
興味のないイトたんは、露骨につまらなそうな顔をしている。いつも以上のぶちゃネコ顔だ。
「ノイズだ。おそらく電波障害だろう。人為的なものか、あるいはほかに原因があるのかは分からんが……。そこで、お前たちに特別任務を与える。外へ出て、ドローンを回収してくるんだ。ひとりあたり金貨一枚支払う」
一ヶ月分の給料だ。
そんなに遠くなさそうだし、行って帰ってくるだけなら難しい仕事でもないだろう。
私はうなずいた。
「いいよ。とってくる。その代わり、防寒着貸してよ。凍死しちゃうから」
「残念だが防寒着はない。資材の使用を許可するから、自分たちで作ってくれ」
「……」
防寒着を自分たちで?
無茶を言う。
外の寒さは格別だ。もう冬になっている。一泊しただけで命にかかわる。
なのにマリオネット氏は、他人事のようにこう続けた。
「外ではこの……この計測器を使ってくれ。電波状況を測定できる」
「なに? 危ないものなの?」
「危険はない。言われた通りにしろ」
小さなトランシーバーのようなものを渡された。なぜ一瞬言いよどんだのかは分からない。
*
かくして針仕事が始まった。
使っていない布団をバラし、その綿ではんてんを作るのだ。水には弱いけれど、寒さをしのぐだけなら対応できる。たぶん。
みんなで互いに採寸し、それらしく作っていった。
アリスはもとより、イトたんも嘉代ちゃんも裁縫は得意みたいだった。苦手なのは私だけ。指を怪我することはなかったけれど、縫い目がグチャグチャになった。
このタイミングでウサギの耳も直そうと思ったのだけれど、やらないほうがよさそうだ。余計ひどいことになってしまう。
「あの、エルさん、もし難しかったら僕がやりますから」
アリスが遠慮がちにそう言ってきた。
妙に悔しい……。
「いい。自分でやるから」
「でも、それじゃほつれちゃいますよ?」
外で防寒着が分解したら、私だけ命を落とすことになる。あまりにみっともない。ここは意地を張るべきではないだろう。
「分かった。アリス、お願い」
「はい。じゃあ一回ほどきますね」
「……」
この子、一からやり直す気だ!
私の仕事は、それくらいダメだったということなのだろう。
人を傷つける以外、私にはなんの特技もない。
これでは、もし世界が壊れていなくとも、まともに就職できなかったことだろう。そう考えると、いろんな意味でゾッとした。収入はないのに暴力だけはある、という状態になるのだから。
ううん、それでもお刺身の上にタンポポを乗せるくらいなら、私にもできるはず……。
落ち込んでいる私の肩を、イトたんがぽんぽんと叩いてくれた。私を救ってくれるのはいつも彼女だ。なのに、私はなにもお返しできていない。
「ありがと、伊藤さん」
「う、うん……」
お礼を言ったのに、なぜか伊藤さんは困ったような顔になってしまった。
なにをしても空振りばっかり。
僕も十年後は空振りおじさんになってるかも。
おじさん、元気かな……。
(続く)




